キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(告白の力)

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告白の力


 

第2回 悪霊の追い出し方

  一、悪霊を追い出すことはできる

 今回は悪霊追いだしの高等戦術(?)はともかく、どなたにでも出来るはずのことを書いておきたいのです。神様は、信じる者には誰にも悪霊を追い出す賜物をくださっています。マルコ16:17のお言葉のとおりです。
 悪霊や、その子分の悪霊どもの決定的敗北の日は、いつかは分かりませんけれども、かならず来ます。そのことはヨハネの黙示録20:10を読んでください。
 その日までは私たちは悪霊どもをほろぼすことはできないかも知れませんが、追い出すことは出来ます。イエス様も、彼らと彼らの主人であるサタンの、その腕を折り歯をもぎとりはしましたけれど、なお彼らの悪しき活動の余地を残しておかれたようです。それは何故であるのか、その意味は私には分かりません。ただ彼らには最後の日、永遠の苦しみに閉じ込められる日は、かならず来るのです。

二、悪霊は実在する

 悪霊は実在します。単に人間の悪い心や社会の悪い風潮を象徴的に擬人化しているのではないのです。本気で伝道していると必ず、悪霊どもの実在に気づく時が来ます。彼らはかならず主の福音に怒りと反抗をもって、隙あらばと私たちをねらっているからです。
 30年ほど前、私がまだ若いときでした。ある母親から娘がノイロ−ゼだから来てくれ、と頼まれました。私は軽い気持でその家まで案内してもらうと、玄関先で家の中からうなるような声で私を威嚇するのを聞きました。
 「そこに来たのはキリストじゃろう。帰れ、 帰れ」
 私が母親をふりかえると、
 「あなたのことを知っているはずはないのですが」
 と言います。私は不思議に思いつつ、家にあがると、娘は布団にくるまって寝ています。そして、なおも男の声で言うのです。
 「おまえの言うことくらい分っているわい。 こんなもんじゃろう」
 そして、聞いたことのあるはずもない私の説教を私の声色までつかって、そっくりに始めたではありませんか。私はゾッとしました。 「悪霊よ、出て行け」
 思わず叫んで布団をはぐと、彼女は般若のような凄い顔をして、しかし私からは目をそむけて、相変らず男の声で、
 「わしこそ、おまえを呪い殺してやるわい」 と言うではありませんか。私はそこで気負けしてしまったわけです。そこそこにお茶をにごして、その家を辞して帰りました。
 それからというもの、私は何か気分がすぐれません。1年ほど重苦しい日をすごしていましたが、ある日、フイと心が軽くなりました。そして例の母親から連絡がありました。
 「最近、不思議に娘の様子がよくなり、この頃は映画館に務めに出ております」
 と言うのです。このようにして悪霊どもの世界が少しづつ分ってきたわけです。

  三、悪霊現象に過度の興味を持つな

 私は決して霊能者ではありません。悪霊を見分ける賜物も格別にありません。しかし、ある人の憑霊現象を見ていると大体の見当はつくものです。ただし、悪霊どもでも将官級は、ずるくて賢いですから天使の真似もします。だまされやすいのですが、要はこちらの霊性の問題です。如何に巧妙に上品な扮装をしても聖められた霊性の目には根本の品性はまる見えです。ごまかされません。
 単なる興味で悪霊判別の賜物を求めたりなさらぬことです。たいていひどい目にあうか、品性の汚染を受けることがあります。
 また、何もかも悪霊の仕業にしてしまうのは不健康です。しかし悪霊の働きにまったく鈍感、無知でいるのも聖書的でありません。
 やさしいことから学んで行きましょう。憑霊現象などはしばらく置くのです。ごく普通の不快な感情、小さなことからおこる争い、繰り返す不品行、あるいは不運、そして病気、こうした事の中にサタンの子分どもがしばしば働いています。それを探って、それらを追い出すことから、まず体験してみましょう。
 病気は多くの場合、悪霊の仕業です。そこで、まず病気の霊を追い出すことを経験しませんか。もちろん悪霊かどうかもはっきりせず、その悪霊の名前も分かりません。そこで、「熱よ、この子から出て行け」、あるいは「この婦人の咳よ、止まれ」などと、症状や状態を挙げて、命じたり、責めたりするのです。(これは次回、感情や性格の制御と改善について述べる際にも関連します。)
 悪霊の名前といえば、私は一度ある霊にその名を聞いたことがありました。何やら答えましたが、その瞬間、私は直感して「ウソだろう」と言うと、「ハイ」とうなだれました。悪魔の霊は偽りの霊です。それ以後、私は悪霊の名を聞くことはしませんが、その賜物を与えられている方は、悪霊の名を呼んでこれを追い出すならば効果的でしょう。

  四、クリスチャンにも悪霊はつくか

 「私はイエス様を信じておりますし、聖霊 体験もしています。どうして、悪霊が私に つくなど、あり得ましょうか」
 よく、そうおっしゃる方がいます。本来的には、そうあるべきです。しかし事実として相当なクリスチャンでも悪霊に悩まされるのです。厳密には悪霊がクリスチャンの霊と魂と肉体の、どの辺まで、どのように侵入したり食いついたりするのか、識別は困難です。 しかし、とにかく使徒パウロでさえ、サタンの使いに打たれて、肉体に刺を受けたと、彼の手紙にあります。イエス様はペテロに向かって「サタンよ、さがれ」とお叱りになりましたが、はて?、サタンはペテロの背後にでも居たのでしょうか。
 ともあれ、悪霊、悪霊と言っても、さして
怖がるほどのことはない小物も多いのです。C・S・ルイスも言うように悪霊に対しては、無関心も、あなどることも、恐れることも、彼らの思うつぼなのです。

  五、悪霊追い出しの原則

 悪霊追い出しの基本は信仰です。主があなたに与えて下さっている権威に対する信仰です。権威が与えられているような感じではなくて、ただ権威を与えられているという信仰を持ちなさい。そして実際の場に遭遇したとき大胆にあなたに与えられている権威を行使するのです。そうした現場を繰り返し経験し、場数を踏むと、自然に悪霊追い出しくらいはは当然である、というように信仰が強化されます。信仰の自己訓練(第一テモテ4:7)なのであります。
 実践段階のステップとしては、まず第一は言葉による命令です。悪霊や病に対しては祈りや願いではなく、言葉で命令することが聖書の主要路線です。命令する権威が私たちに与えられているのですから。
 つぎに、主の御名の力に頼ること。ある時「イエス・キリストの名前だけが怖い」と白状した悪霊がいました。それ以後、私はイエス様の尊いお名前によって命じることを忘れたことはありません。
 また血汐と聖霊様の力を信じ、「キリストの血」と叫ぶとき悪霊はおののき出てゆきます。聖霊様は御血汐に対して血管の役目をします。もともとは一つのものですが。
 また、多くの信者たちがいっしょになって、あるいは交替して、悪霊を責めるとき主の御力は強力に働きます。グル−プ・ダイミックスが働くのでしょうか。
 なお、長時間をかけねば出てゆかぬしっこい悪霊もいます。私たちはイエス様やパウロではありませんから、簡単に勝利できなくても落胆することはないのです。終りまであきらめない者に勝利があります。しかし、そういう手間どる悪霊追い出しの場所には初心の人は近づかぬほうが賢明です。
 前にも述べましたが、やさしい所からはじめなさい。しだいに修錬をつんで信仰を強化してください。
 悪霊追い出しは私たちの力ではできません。力は聖霊様にあるのです。私たちは、ひたすらな愛と信仰と主への忠誠と悪魔への怒りと忍耐とによって、悪霊と戦うのです。

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