キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(告白の力)

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告白の力


 

第7回・常時喜悦、不断祈祷、万事感謝

一、いつも喜んでおれますか

 たいていのクリスチャンなら、よくご存じの次の聖句ですが、

 「いつも喜んでいなさい。
 絶えず祈りなさい。
 すべての事について、感謝しなさい」。  (第一テサロニケ5:16〜18)

 ある先輩の牧師先生が、このみ言葉を漢詩風になおして、「常時喜悦、不断祈祷、万事感謝」と色紙に書いてくださいました。単純明解、覚えやすくて心にピタリはまりますね。
 ところで、ある方が歎きました。
 「私は『いつも喜んでいなさい』というみ言葉を聞いて、本当にそうだ、いつも喜んでいよう、と思うのです。しかし、それができないのです。喜ぶふりはできます。でも、それは偽善です。本当は心の中で、それほど喜んでいないのです」。 私は答えました。「いい事を教えましょう。そのみ言葉を、順序を一行ずらしてごらんなさい。つまり……」と言って、つぎのように説明しました。
 まず、祈るのです。喜べない不快な出来ごとの一切について祈りなさい。どんな事でもへりくだり、悔い改めて祈ると、万事が感謝の出来ごとになってきます。 また、こういう心の工夫をするとよいのです、感謝できる理由を発見するのです。奇妙な理窟でもよい、理窟がつくと納得する性質が人の心にはあります。
 たとえば、5万円のお金を落としました。気づいた瞬間、「ああ、惜しい」と歎かないで、伝道者の書11:1を思いだすのです。「パンではないが、この5万円は必ず、いつか帰ってくる」。さらにマタイ13章の種まきのたとえを思いだし、「あの5万円は、種に撒いたのだ。100倍、60倍、30倍になって帰ってくる」と、心のなかで言う。心は不思議に安まります。もっとも、これでは少々、品がないですねえ。もっと、聖書の思想の水準に近づいて、「すべては主のみ心です。み心は最善です」と祈りましょう。祈り続けると、感謝がわいてきます。
 そうしたら、「感謝します」、「感謝します」と繰り返し告白をつづけるのです。そのあとに、泉のように次第に喜びがあなたの心に湧いてくるはずです。

二、感謝の告白

 「感謝します」という告白は一切を喜びに変える力があります。田中信生先生からお聞きしました先生の教会での実話。 あるおばあちゃんが自宅の前の溝に足をすべらして、ころびました。瞬間、思わず「感謝します」と叫んだそうです。ちょうど台所の前でしたので、おばあちゃんの声を聞きつけて、おヨメさんがとんで出ました。「何が感謝なんだべ?」。 ところが、おばあちゃんは足を溝に取られてころんでいるのです。腰が痛そうです。しかし、おばあちゃんは道にころんだまま「感謝します」と言いつづけていますから、おヨメさんがおどろいた。驚いたというより、感動しました。
 それまで何かにつけ、イヤなおばあちゃんと思っていたおヨメさんの心が、その時から一変して、おばあちゃんびいきになってしまったということです。
 かねて、おばあちゃんは牧師先生から「何でも感謝するんですよ」と教えられて、口ぐせになっていたものですから、思わずとっさに叫んだのですね。

三、習慣づけよう、「感謝します」

 このように、いつも「感謝します」という習慣をつけましょう。とにかく、出るにつけ、入るにつけ、「感謝します」と言う癖をつけなさい。
 気がつくたびに「感謝します」というのです。特に、具体的な何ごとかについて、その感謝する理由を心で言って、口で感謝の言葉を言うと良いようです。
「(きょうは良いお天気ですから)、感謝します」というように。
 また、とっさの時に「感謝します」とパッと口から出るように、日頃から練習しておくと良いのです。野球の選手が捕球すると、すぐ他の野手にトスする練習を繰り返ししているようなものです。突然の事態にぶっつかったときに、とっさに「感謝します」と言うイメ−ジ訓練を、日頃からしておくとよいのです。

四、常に賛美、絶えず祈る

 「たたえる、賛美する」ということは、「感謝する」ということより、更に領域がひろくてすばらしいように思います。
詩篇119:164に、こんなみ言葉があります。
 「わたしはあなたの正しいおきてのゆ えに、一日に七たびあなたをほめたたえます」
 この聖書のみ言葉にしたがって、まず私はみなさんに「一日に七たびあなたをほめたたえる」ことをお勧めしたいのです。「一日に七たび」を正直に守りますと、朝6時から3時間おきにして夜の12時でちょうど7回になります。時間や回数は、それほど正確でなくてもよいですが、とにかく何度も、「主よ、賛美します」と神様をほめたたえましょう。すると、不思議に頭のなかに、その賛美の声がず−ッとつづいている感じがします。 日本のお寺の鐘の音がいつまでも「ゴ−ン」と鳴りひびいているように、自分自身の賛美の声が通奏低音のように脳の中にたまっている感じがします。
 冒頭の第一テサロニケ5:16〜18
のみ言葉のなかで「絶えず祈りなさい」とありますが、この「絶えず……」ということは、この賛美残留の心理状態に似ているところがあります。
 多くのクリスチャンの方々が「絶えず祈りなさい」という聖書の奨励ないし命令にたいして一度はその言葉どおりに従いたいと思ったことだろうと思います。しかし、たぶんその不可能なことを推測してあきらめてしまい、できるだけ朝、昼、晩と、できるだけ何度もお祈りすれば、それでいいんだろうな、と一人できめていたと思います。
 でもこれは決して不可能な事ではないし、決してまた、天使や聖人クラスでないと出来ないということでもないと、やや大胆に言ってもよいと思います。
 一つには、これは神様の賜物です。主に願い求めると与えられる心の状態であります。乙女がいつも恋人を思い慕うように、神様を何時も思い慕うことは本来当然のことであるべきです。
 もう一つには、自己訓練も重要です。このことは、あるセミナ−で韓国のチョー・ヨンギ先生から聞きました。

 先生はある時、一瞬の休みもなく主に祈ることを求めて努力したそうです。はじめの内はしばしば祈ることを忘れやすかったのですが、忘れたたびごとに、「お−、神様すみません。祈りを忘れていました。お詫びいたします。どうぞ祈りを続けさせてください」と声をあげて祈られたそうです。
 このようにして、どのくらい続けてか、そのことはお聞きしなかったようにおもいますが、とにかく「一瞬の休みもなく主に祈ること」が出来だしたそうです。貴重なご体験をお聞きしたことを感謝したのですが、またこれは誰でも少々の決意をすれば出来るはずのことだと思ったことでありました。

五、眠っている間に祈ろう

 このタイトルも、多少、人騒がせな感じがしますが、何もむつかしいことを提唱するわけではありません。
 「眠っている間に祈ろう」と言ったところで、歯を食いしばり鉢まきでもしてベッドにはいれというのではありません。そんなことをしたら神経衰弱になって眠れなくなるにきまっています。
 ベッドについて休む前に心をリラックスして祈るのです。「神様、良き眠りを与えてください。眠りのなかにおいて私に必要な、あなたのみ心にかなう善き祈りをさせてください」。というように祈ったらどうでしょう。夜、寝る前の祈りは、明朝の祈りの一部である、とある聖徒の言葉を読んだことがありますが、真実そうだと思います。
 そうすると、たぶん次の日、目が覚めると同時に、第一声、『ハレルヤ! 主よ、感謝します』と、手をあげて叫んでいるような朝を迎えることでしょう。
 この際、必要なことは一切、力まぬことです。祈って寝たら、何も思いわずらわぬことです。朝、目がさめて、眠っているあいだのことを一つも思い出さなくても、大丈夫、眠っているあいだに、必要な祈りは終っているはずと、信じて疑わないこと、これが秘訣です。(次回はさらに日常生活、特に家庭の中での勝利を得る告白について書きましょう)
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