キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)1999年6月
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1999/6/27
異 言 で 祈 ろ う
「異言」とは 私どもの教会では耳慣れた言葉です。大抵の信徒は知っていますし、また体験しています。しかし残念ながら、この異言ということが本当に身についていない人も多かろうと思います。またその、偉大さ、その効用について理解する所はまだまだ薄いと思います。
私が若いとき、読んだ注解書では「異言とは恍惚状態になって語る訳の分からない言葉」などとあったものです。無理もない、大教会の大牧師でも、大神学校の神学博士でも体験したことのないことについては通りいっぺんのことしか語れません。現在でも多くの教会においては、この昔の注解書と同じように教えられていると思います。
異言にはメッセージ異言と祈りの異言があります。メッセージ異言とは何事かを会集に啓示する預言の一種です。これは集会の中でも秩序正しく語られる(つまり牧師の監督のもとになされる)必要があります。また人数も2人か、3人に制限され、出来るだけ他の一人によって解き明かされる必要があります。(第一コリント14・26〜28参照)
祈りの異言においても、各自が神様から何らかの啓示を受ける可能性があります。他人に分からなくてもよいのです。ただ、無秩序にワァーッと祈りますから、未信者の人たちには気が狂っているようにも見えましょう。(第一コリント14・13〜23参照)
異言については、多くの誤解があるので、私はもっと書きたいのですが、ここでは省きます。ただ、使徒パウロは「自分はだれよりも多く異言を語るし、あなたがたも一人残らず異言を語ってほしい」と言っていることを覚えておいてください。(第一コリント14:14,15参照)
*メッセージ異言はともかくとして、祈りの異言は一人残らず語ってほしいと思うのはパウロのみでなく、私もそう思います。これまで、教会のみなさんに異言の勧めをあまりしなかったことを私は悔いています。
パウロが「異言は知性に実を結ばない」(第一コリント14:14参照)と言うので、多くの人が誤解しています。一語一語を言語として理解できないことは、体験者はだれも知っています。
その代わり、異言で祈っている間、単なる黙想や、あるいは他の宗教や多くの霊的修養団体の冥想のように、初心のとき特に雑念妄想に襲われやすい、というようなことはないのです。異言で祈っている間、けっして悪魔にも誘われません。異言で祈っている内容は本人の知性も悟れないのですが、同様に悪魔にもチンプンカンなのです。だから異言で祈っている間、悪魔からの悪念や妄想は入ってこないのです。
ところが、祈っている本人にも思いもかけない色々な「思い」が湧いてくることがあります。最初のうちは、それが神様からのものか、単なる自分の潜在意識なのか見当がつかないでしょう、それでよいのです。ずっと持続して異言の祈りをつづけていると、次第にその区別が分かってくるようになります。また、本人の潜在意識からのものでも、表面意識で祈る祈りよりは、よほど本心からの祈り、思いですから、霊性のため非常に為になります。
異言を求めてください。また、異言で祈ろうという願いと意志を心に期待して持ってください。異言で祈る時、心は知らずして聖なる霊界と交流しているのです。故に心が清められます。新しい知恵や知識も湧き、信仰も深まり又増えます。異言はあなたを変えます。一人で熱心に祈るのも良いですが、特に集団で祈ることをお奨めします。
《牧師のノート》
信仰成長のためのおすすめ
信仰の成長、強化、深化をはかるために、実践的に何を心がけたらよいか。第一に、教会の礼拝や集会に出席することです。第二に聖書を継続的に読みましょう。時にはイザヤ書なり、マタイによる福音書なりを一書全部を通読するとよいですね。
第三は祈りの生活を守る。これも祈る時間と場所をきめて、継続的に守ることです。その時刻に、その場所に行くと、もうそこに聖霊さまが待ちもうけて居られるような恵みに預かることが、よく起こるのです。
第四に献金です。牧師は献金のことを言うと信徒の方がつまづくと思って、あまりくどく言いません。しかし、本当はもっと強力に言うべきなのです。聖書的には什一献金と自発的感謝献金、目的献金です。主は言われました。「あなたの宝のあるところに、あなたの心もある」と。主はあなたの心のあるところを見られて、あなたに善きことを図られるのです。
第五は教会の行事や運営維持のための奉仕です。第六は信仰の言葉、また聖書の言葉を口で告白すること、非常に大事です。第七は伝道。牧師や伝道師のようにではなくても伝道する道はいくらでもあります。第八はあなたの牧師の言うことに耳をかたむけ、忠実に従うことです。これも牧師から言いにくいことですが、真実です。更に、もしあなたの牧師に過ちがある時には、大胆になって、しかし誠意をもって正直に伝えるべきなのです。遠慮はいりません。
そして最後の第九は信仰の良書を読んでくださいということです。最近、どうも皆さんの読書の量が減ってきているように思います。書籍のみならず、信仰的雑誌、新聞を定期的にお読みになるとよいと思います。
元気の出る「ワッハッハの電話」
これまで長い間、電話でお送りしてきた小松先生の「星の子どもたち」が事情により中止になります。残念ですね。
ところで、応答電話の設備が残りますので、止めてしまうのはもったいない。そこで、私の声で「元気が出るワッハッハの電話」を来月から始めようと考えています。
「電話を聞くだけで元気が出るような番組を作ってください」、と昨年から頼まれていたのですが、気はすすむけれど、自信が無いということで見送っていました。ところが降って湧いたような「星の子どもたち」の中止の通知がはいって、ではどうしよう? そうだ「元気が出るワッハッハの電話」を始めようと、決心したわけです。
小冊子「笑えば必ず幸福になる」の小冊子とタイアップして、この番組を広げて行きたいので、どうぞご加祷ください。チョッピリ、キリスト教色も出して伝道に役立つよう考えています。
実は今でも「テレホン聖書」の吹き込みには苦労していて、なかなか進まず、東京支部の赤坂姉には迷惑をかけているのですから、これ以上仕事をふやしてどうするつもりですか、と内々批判もあるのです。それを押しての新企画です。もう一度書きます、どうぞご加祷ください。
この新番組は時間は3分間にします。また、内容を毎日入れ替えて、年中24時間無休というのもテレホン聖書どおりですが、ただし内容はしばしば古いものを繰り出すアンコール発信をさせて頂きます。7月になってから、発足します。(電話番号は097-551-4154)
アーサー・ホーランド伝道にご協力をいよいよ来月13日午後7時半から、アーサー・ホーランド伝道会です。最初、開会時刻を午後7時としましたが、どうも一番昼の長い季節なので、開会時刻としては早すぎるようです。午後7時半からに変更しましたので、ご了承ください。最初のころのチラシは午後7時からになっていますので、ご注意ください。
招待状を来週までに用意しておきます。心当たりの方々に差し上げてください。当日、見えた方には「笑えば必ず幸福になる」と「だれでも出来る『心の強化法』」の小冊子を会場で差し上げる予定です。
その上で、当日出席してくれそうな方の人数を把握しておいてください。当日来場者の概数を知って置きたいからです。
事前の案内や、また当日のご奉仕のため、お出来になることはどしどし、しかし出来ないことはご遠慮無く控え、ご援祷をしっかりして下さるようお願いいたします。来週の主日礼拝後、今回の伝道会についての打ち合わせ全体の集会を開きたいと思っています。
1999/6/20
聖書の人となれ
イエス様は仰せられます。「私はけっして聖書の言葉を廃棄するために来たのではない。私はみ言葉を成就するために来たのです。天地が滅び行くまで律法の一点、一画もすたることはない。み言葉はことごとく全うされる。天地は滅びるであろう。しかし私の言葉は滅びることはない」と。(マタイ5・17,18、24・35参照)
これは、イエス様が聖書について仰せられた言葉をまとめたものです。イエス様が当時「聖書」と言われるのは、旧約聖書のことです。そこで、イエス様が「律法や預言者」とおっしゃっているような聖書の個所をすべて「聖書」と読み替えてみました。
別の個所ではイエス様は、こうもおっしゃっておられます。「あなたがたは聖書の中に永遠の生命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである」(ヨハネ5・39)と。
言い添えれば、「聖書は神の霊感によって書かれたものです」(第二テモテ3・16)。ですから、「聖書はキリスト・イエスにある信仰を通して、救いに至る知恵を与えることが出来る書物です」(第二テモテ3・15私訳)と、パウロは言ってます。
右の聖書のお言葉の中で、「キリスト・イエスにある信仰」というところは、通常「キリスト・イエスに対する信仰」と訳してあります。
私はわざわざ私訳などと言って格好をつけていますが、実は単なる直訳です。初心者ならだれでもこう訳すでしょう。しかし聖書のような霊的書物はできるだけ直訳がよいのです。日本語として余りに意味が分かりにくい場合は別ですが。(一応、全文をすらすら読むのには尾山令仁先生の現代訳や、またリビングバイブルがよいでしょうね)。
イエス様を信仰の対象として、自分の前に持ってきて、「あなたを信じます」という信仰もあります。それが一般に考えられている信仰というものでしょう。自力の意志をもって信じる信仰です。この信仰の始め方は優等生の信仰ですね。私の考えでは、こういうタイプの人は少ないだろうと思います。
たいていは「イエス様をあなたの心に受け入れませんか」と伝道者に勧められて、「はい、イエス様を受け入れます」と答える。そのようにして信仰にはいった人が多いと思います。前の文章の人にくらべると受け身なのですね。こうした方の信仰は一体に、その後の信仰生活が積極性を欠くという短所はあります。誤解を恐れずに言えば、乗せられて信仰にはいってしまったけれど、その後どうもせいちょうしないタイプです。今、はやりの言葉でいえば、「他力」的入信です。
聖書はこう言います。「彼(イエス・キリスト)を受け入れた者、それはつまり、その名を信じた人々ですが、その人々には神の子となる力を与えたのです」(ヨハネ1・12私訳)。この「その名を信じた」という言葉も直訳すれば、「その名の中へと信じた」という感じの言葉です。イエス様を私たちが受入れた時、すぐさまイエス様も私たちを受入れ、私たちはイエス様のふところに溶け込み、埋没してゆくような信仰、そんな感じを私は抱くのです。
それはけっして、聖書の文字をいじくるペダンチックな学者気分ではありません。聖書の個所を読んで「あッ、これは私の信仰体験と全くそっくりだ」と思わず叫びをあげる、そのような小さなみ言葉に私との共通体験を発見して味わう喜びです。
*
こうして、私たちはイエス様を私たちの心に受入れます。すると、イエス様が私たちを受け入れてくださったことも次第に体験的に分かってきます。そして信仰は育ってゆくのです。
信仰の成育は教会に出席することや信徒の人たちとの交わり、あるいは信仰図書でつちかわれますが、それは聖書が土台になっているからです。なぜなら聖書こそイエス様をあかしする最高の媒体です。また、聖書にしたがいさえすれば、私たちはイエス様に似て来るのです。
先に引用した聖書の言葉ですが、イエス様が当時のユダヤ人たちに語られた、「あなたがたは、聖書に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は私についてあかしをするものである」(ヨハネ5・39)、この「あかし」とはなんでしょうか。
あかしとは、ホンモノそのものではありません。しかしそのホンモノを持って居る人は、そのあかしを聞き、又、それを読むとき、心に喜びが湧きます。自分の持っているホンモノの証明でありますから。
ですから、最初に書いたように「聖書は(その証明のゆえに)……、救いに至る知恵を与えることが出来る書物」なのです。
こうして聖書は、私たちを信仰に導きます。信仰を成長させ、信仰の喜びを共感させます。苦難の時に慰めと励ましを与え、解決の知恵をあたえます。更に悪魔に打ち勝つ力を与え、また後輩の信徒諸兄姉を教える際の教科書ともなるのです。イエス様ご自身、その十字架の死と復活の情報に怖じ惑っている二人の弟子に聖書によって説き明かしています.
その時、その弟子たちの「心が燃えた」のです(ルカ24・25参照)。また伝道開始なさる前に、イエス様は聖書の言葉を用いて悪魔を撃退しました(マタイ4・1〜11参照)。
パウロが伝道したベレヤの人々は、心からパウロの教えを受入れました。にもかかわらず、そのパウロの言葉が真実であるかどうかと、日々聖書を調べたとあります。どんなに立派な先生の説教や講義でも100パーセント、それは本当なのかと調べるのはいいことです。その調べる標準は聖書です(使徒行伝17・12、13を参照)。こういうわけでベレヤの教会は信者が非常に多く増えたのです。
詩篇119篇は、聖書について多くの言葉をちりばめる宝庫です。み言葉、おきて、あかし、などという言葉を用いていますが。たとえば、
「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」(詩篇119・105)
「若い人はどうしておのが道を清く保つことができるでしょうか。
み言葉にしたがって、それを守るしかありません」(詩篇119・9)「み言葉が打ち開けると光を放って、愚かな者を聡くします」(詩篇119・130文語訳参照)「あなたのみ言葉の全体は真理です」(詩篇119・160)
*
聖書の言葉は光です。真理です。命です。この言葉をいつもあなたのそばに置いてください。旧約の人たちは家の柱に、自分の手の指に、小箱に入れて額にゆわえました。それでも更に最も近い所は口です。
「この言葉はあなたのはなはだ近くにあって、口にあり、またあなたの心にあるから、あなたはこれを行うことができる」(申命記30・14)とあるとおりです。
詩篇にこうあります。「わたしはくちびるをもって、あなたの口から出るもろもろのおきてを言いあらわします」(詩篇119・13) 。聖書の言葉を常に告白しましょう。このようにして、あなたは聖書の人となるのです。(1999.6.17、木曜祈祷会にて)
1999/6/13
主を愛すれば愛するほど…
もう亡くなった方ですが、沢木興道という禅僧がいました。大きい寺の住職などをしなかったわけでもありませんが、まず在野の禅者と言える人です。この方が言っていましたが、「人間が環境できまると言うんなら、わしなどはどんな悪漢になっても、当然だった。」
なぜなら、彼は両親を早くなくして、東京の叔父夫婦に引き取られました。この叔父夫婦が子どもを育てることなど全く関心がない、ひどい連中でした。彼らの家は大きな遊廓の近くでしたし、ばくち場もありました。彼は小遣いほしさに、すぐばくち場の番をはじめました。警察が来ると、すぐご注進に及ぶ役目です。そいう環境で、早くから男女のみだらな関係や、その他の悪しきこと、みな覚えてしまいました。
明治三十七年、日露戦争が始まります。彼は召集されて今の中国東北地方の戦場に行きます。戦争が終わって無事に帰ってくると、叔父夫婦は喜ぶどころか、機嫌が悪かったそうです。なぜなら、彼らは「この子が戦死してくれたら、遺族年金がもらえる」と楽しみにしていたらしいのです。ところが、彼が元気な顔をして帰ってきたから、がっかりして、あからさまに顔をしかめたということです。こういう次第で、「俺がどんなひどい悪漢になっても当たり前でないか」と、彼は言うのです。
しかし、彼はいろいろな人生経験をへて鍛えられます。座禅や行乞に励みます。そして遂には、まれに見るほんものの禅僧らしい禅僧、傑物になりました。彼については、これ以上書く紙面がありませんが、ともあれ、彼はまことに成育期に冷たい酷い家の環境に育ちました。しかし、それに勝ちました。そして強靱な人格にに成長したのです。
*
人は育った環境に影響される、それは事実です。しかし、マイナスの環境に育ったからマイナス的人間になるとはきまっていません。マイナスの環境に育ったからこそ、それと戦い、それを乗り越え、逆転的プラス人生を創造的に生き抜いて行く、そういう人も現われるのです。悪い環境から、良い影響を選び取る人です。
先日、ある女性がたの会合で、ふと私が言い出したのです。「幼い時に、愛された経験がない人は、大人になった時、人を愛することが出来ません。愛するということが、どんなことが教えられいないからです。どうして愛していいか、愛しかたが分からないのです」と。
そうすると、私のそばにいた方が急に口をきりました。
「私は幼いとき、両親から捨てられ、親族間をたらい回しにされたのですよ。冷たい環境で、これに負けてなるものかと思いました。夕食の時、家族の中で私にだけお魚のおかずがつかない、などということがあったのです。それでも、私は快活にふるまうようにしました。お茶飲み茶碗一つを見ても、明るい模様のついた方を見て楽しむようにしたくらいです。どんなに冷酷な自分の運命にも、陽気な気分をもって対決しようとしたのです。それでも実は、私の心は淋しかったのは事実です。しかし、私が愛する対象に出会い、切に愛することを始めた時、私は本当に生きる喜びを発見したのです。愛された経験が無い私でも愛することを覚え、それが今の私の生きる力です。
私は息を呑んで聞いていた。驚くべき人だと思いました。思えば、先に私が言った「幼い時、愛された経験がない人は、大人になった時、人を愛することが出来ない」などということは、本を読んで覚えた付け焼刃の言葉です。私の体験から出た言葉ではありません。そんな軽い言葉は体験者の言葉の前にはいっぺんに砕け散りました。
二、三週間して、その方から電話がありました。「私もあの日から、いろいろ考えさせられました」。そう言って、その後の感想を語ってくれたのです。
「先生、やはり人は愛するものに出会うべきよ、そしてとことん愛す るのよ。そうすると、人生は開けます。人でも、仕事でも、芸術でも、 その人が愛する対象に出会い、本気で愛して行くとき、人生は充実す るし、後悔しないのよ。ブツブツ不足を言っている人は、みな愛する 対象を持ってないようね。そして、愛すべきものを発見したとしても、 それに近づき、それを積極的に愛しようとする勇気がないのよ。」
と言うのでした。*
私は、この方との電話を終わってから、その前日T市のMさんから貰っていた電話を思い出していました。その人は数年前、初めての赤ちゃんを生みました。その赤ちゃんがひどい障害を持っていました。赤ちゃんはすぐ救急車で専門病院にはこばれました。このような子どもを育てる力はないと思い、一時は絶望的でした。やっと思い直して、せっかく神様から与えられた子どもだ、育ててゆこうと決心したそうです。そして、こう言うのです。
「先生、聞いてください。その内にこの子どもが可愛いくて可愛いく て仕方なくなってきたのです。この子どもを見ているだけで励まされ るのです。幸福です。この子によって、私は愛することを教えられた のです。この子は私の生きる命です。」
愛する対象を持った人はなんと強いことか。与えられた冷酷な運命から、思いもかけない素晴らしい人生の喜びを掴み取ることが出来る。この驚くべき逆説的教訓に改めて私は気づいたことです。
*
旧約聖書に雅歌という巻があります。原題は「歌の中の歌」というのですが、「神」という言葉も「信仰」という言葉も一字も出てこない珍しい聖書の中の一巻です。多分、結婚式の時に即興風に行われた民衆のの寸劇のようなものでしょうか。その脚本ではないだろうかと私は思っています。その初めのところで、ヒロインの娘が独白します。
「私は日に焼けて色が黒いのです、アラビア人の汚れた天幕のように。 兄たちは私を嫌がって、ぶどう園の番をさせようとしました。私は反 抗して、ぶどう園の番をしませんでした。こんな私を見つめないでく ださい。私は色は黒いけれど、今ソロモン王様に愛されて、そのお部 屋のカーテンのように美しいのです。」(雅歌1・5、6参照)。
これは私の恣意の過ぎる訳ですが、私はここに家から追い出され、都会に出てきて孤独な日を過ごした少女を想像したのです。彼女は思いもかけず王様に目をかけられ、王様を男性として愛する愛を発見します。今、その喜びに彼女は燃えています。彼女は、その「愛の歌」を歌います。首都エルサレムの上流社会の令嬢たちに向かって、自分の田舎娘らしい容貌や出身を、敢えて誇ろうとして居るようにも見えます。
さて、私たちクリスチャンは、かつては罪と汚れにより全身傷と膿だらけの者でした。その私たちが今、全宇宙の王であり主であるイエス様に見出だされ、高価で貴い宝石のように愛されているのです。ですから又、私たちはこのイエス様を切に愛するのです。かくて、私たちはこのイエス様を愛すれば愛するほど、私たちは幸福であること発見します。主イエス様を愛すれば愛するほど、私たちは力を得ます。そして清められます。主を愛すれば愛するほど、主に似てくるのですから。
1999/6/6
罪の重荷は如何にして降ろせたか
近代の英語を作ったのは、欽定訳英語聖書とシェークスピアと天路歴程だと言われている。また英語の本で世界でもっとも多くよまれてきたのはロビンソン・クルーソーとガリバー旅行記と天路歴程だとも言われる。このどちらにも選ばれている天路歴程はジョン・バニヤンという人によって書かれた信仰の本である。堅苦しくなくて、いかにも平易、出てくる人物がそれぞれ生き生きとしていて、親しみやすい。そういう所から多くの人に読まれたのでありましょう。
1675年にジョン・バニヤンは獄中でこの天路歴程の第一部を書きました。日本では徳川四代将軍家綱の頃です。続編の第二部もありますが、この第一部のほうが特に有名です。ジョン・バニヤンは教育もなく、貧しい鋳掛け屋を職業としていました。結婚する時、花嫁が持ってきた聖書と他の一冊の信仰書だけが彼らの蔵書でした。その彼が後世に残る名作を書いたのですから、大いに考えさせられます。(私見ですが、本物の教育は信仰と聖書さえあればよい。聖書を読み、聖書の文章を暗唱し、更に書き写すと良いのです。そうすれば、人格識見共にすぐれた人物が出来ると信じます。何よりの証拠がこのジョン・バニヤンです)。
なお、彼が獄中にいたという訳はこうです。当時のイギリスでは正式の牧師でなくては伝道や牧会活動をしてはいけなかった。しかるに彼は真のキリスト信仰を持っていた。彼の信仰は儀式や律法だけによる形式的信仰ではなかった。生きた真実の信仰であった。彼はその真の信仰を伝えるために火のように燃えた。その熱心さが彼を牢獄に追いやったのです。いつの時代でも起こりやすいことです。現に中国や北朝鮮では起こっていることです。かつて日本でキリシタン迫害が起こったように。
*
天路歴程というのは明治時代に訳された標題ですが、未だに使われています。この古くさい題名は、しかし、この物語の内容をうまく表現していると思います。これは、ある男が「破滅の町から天の都のたどりつくまでの旅行記録」なのです。
彼は(クリスチャンと名前をつけられているが)ある時、伝道者と呼ばれる人から一冊の本を貰う。その本によって男の目は醒める。自分が滅亡の町に住んでいること、背には「罪」という重荷を背負っているということに。彼はなんとかしてこの荷物を払い除けようと努力するが、どうにもならない。不思議なことに、その町のほかの住民たちは、その重荷に気がつかないのである。その重い荷物を背負って居ながら、その荷物が重くないのである。
だから、あるお節介屋さんは言う。そんな聖書などを読むからだよ。見たまえ、そんな本を読まない連中は、この町に山ほどいるのに、だれ一人君のように嘆いたり苦しんだりしてはいない。みんな楽しく嬉しく喜んで暮らしているではないか。日本のことわざにもあるだろう、「触らぬ神にたたりなし」とね。
しかし、一度、聖書の味を覚えた彼には、この町の住民たちのあらゆる揶揄も冷笑も、脅しも、耳に入らない。彼は思い切って伝道者から教えられた天の都への旅を始めるのである。
実は、それからの、この物語をくわしく書く紙面は、ここにはない。私がまだ中学生であったころ、私の出席する教会では、毎夏、暑中休暇の間、この天路歴程の話をするのが、その教会の習慣であった。それで私はこの物語の大体の筋を覚えている。落胆の沼とか、虚栄の市、狭き門とか、誘惑の山、道徳村、懐疑の城、悪魔アポリオンの牢獄に捕らわれる等々。その旅の道連れになる連中の名前が面白い。
強情者、気弱者、世間智氏、怠け者、こうした連中に死の道に引きずられやすい。実際、そのお陰で大きな危険にも合うのだが、また少数の善き道連れに恵まれもする。殉教者も出る。そういう名場面が次々と現われて、ついには天使たちの賛美の歌声に迎えられて、天の都の門に入ってゆくのである。
その中で私がもっとも心を牽かれたのは、十字架の丘の場面でした。天の都への道を行く、第一の門は通りすぎても彼の背からはあの重荷ははずれない。ため息をつきながら、彼は苦しい旅をつづける。そして、間なく彼は十字架の丘にたどりつくのです。
彼は、その丘の上の十字架を見上げる。そのとたん、彼の背にあった重荷、あの「罪」の重荷が彼の背から落ちて、ころころと坂を落ちて暗い谷底に落ちて行く。彼は思わず賛美の声をあげた、「ハレルヤ!」。
この場面は少年の私に、なぜか印象を深く残した。他の場面では、多少ともクリスチャンの努力ないし辛抱強さを強調するところが感じられたが、この十字架の場面からは全くそうした頑張りがない。人間の側の善さも苦心もない。ただ、十字架を見上げるだけなのです。
*
「ただ、十字架を見上げるだけ」、このことを聞く時、私たちはスポルジョンを思い出さずにはいられません。
チャールズ・ハッドン・スポルジョン、彼は1834年(日本では 幕末の天保年間)イギリスのケリベトンという町で 生まれました。彼は代々敬虔な信仰深い家柄に生まれました。彼は自分の宗教的成育暦についてこう言っています。
「私は生まれた時から、恵まれたクリスチャン家庭で育ち、聖書を読まない日など、一日もありませんでした。ですから、人間の罪ということは、よく分かっていました。しかし、だからといって、自分の罪の問題が、たやすく解決できた訳ではありません。
私は聖霊の御手に捉えられるまでは、自分の罪を認めることが出来ませんでした。自分の罪を認めていない時は、神様の正義についても、分かっているつもりでいても、本当は分かっていなかったのです。
罪の問題は、他の人はともかく、私にとっては耐えられない重荷でした。自分の罪が恐ろしく自分に迫ってくるので、それにくらべると、地獄さえも、ちっとも怖いとは思いませんでした。『こんな重い罪を背負った私を、神様はどうして救ってくださるのだろうか。ひょっとしたら神様だって、私の罪はどうすることもできないのではないか』、とさえ思って苦しみました。
もちろん、幼いときから、『主イエス様が十字架の上で、私のために身代わりになって死んでくださった。だから私は救われているはずだ』ということは言葉としては聞いていて、分かっていました。だから、とても慰められていたのにもかかわらず、魂の深いところで十分な満足が得られず、慰めも得ていなかったのです。
ある日曜日の朝です。真っ暗な絶望的なただ中にいた私でしたが、神様は思いもかけぬ道を用意してくださいました。その日、大変な雪で道が悪く、行こうとしている教会へは行くことが出来ません。今まで行ったこのとない小さな初代メソジスト教会に、私は出席したのです。
実はその教会でも、牧師先生は雪のために来られなかったのか、靴屋か仕立て屋さんのようなおじさんが臨時に説教をしたのでした。おじさんは聖書のイザヤ書第45章22節を読みました。
『地の果てなるもろもろの人よ。
わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。』説教はしろうとっぽく、ただ聖書の言葉を繰り返すだけのように思えました。発音も正しくはありませんでした。
『みなさん、これは簡単なみ言葉です。むずかしいことは何一つありません。ただ仰ぎ見る。見上げるだけです。どんなに無学な人でもできます。あちこち見ては駄目。自分の足元を見たり、自分の過去を見たり、自分の腹の中を見たりするんじゃないのです。あちこちを見てたんじゃ救われません。イエス様はこう言って居るのです。
私を仰ぎ見なさい。私はあなたのために十字架にかかったのです。
私を仰ぎ見なさい。私はあなたのため傷を受け、血を流しました。
私を仰ぎ見なさい。私は死んで復活しました。
私を仰ぎ見なさい。私は今、天に昇って、父のみもとにいます。
あわれな罪人よ! 私を仰ぎ見なさい。
あわれな罪人よ! 私を仰ぎ見るだけでよいのです。』そして、そのおじさんは私を見て言ったのです。
『そこの若者よ、君は、ずいぶん悩んでいるようですね』
本当に私は、そのとおりでした。彼は両手を高くあげて叫びました。 『若者よ、イエス・キリストを仰ぎ見なさい。仰ぎ見なさい。仰ぎ見 て、まことの救いを得なさい。まことの命を得なさい。』
まぎれもなく、私はその時、私の救いを見い出したのです。」
それは1850年2月6日のことです。彼は16歳でした。すぐ、彼は小さな教会の牧師に招かれ、その教会にリバイバルが起こりました。19歳の時にはロンドンの教会に招かれ、そこにて終生仕えました。
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