キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)

1999年9月

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1999/9/26

神 癒 に つ い て      

 戦前、名古屋の一粒社というキリスト教書店から出ていたドロセア・ツルーデルという人の神癒の本がありました。この人は19世紀後半のスイスにいた婦人です。周囲から激しい迫害を受けながら、聖書と祈りによる癒しの家を作って、多くの病気の人々に「福音」を伝えました。彼女の「福音」は罪の赦しのみならず、病気の癒しをも含んでいたのです。これが私の神癒に関する知識を得た最初でした。

 その後、私は「非戦論」で夢中で、神癒のことからは、しばらく遠ざかります。ただし、こんな経験をしました。大分の刑務所の独房の中でムシ歯が痛んだことがあります。看守に「歯医者を呼んでください」と頼んだら、「お前のような非国民のために、どうしてムシ歯ぐらいのことで医者を呼べるか」と、嘲笑され、拒絶されました。

 その夜、私は一切のことをあきらめました。このまま歯が痛みつづけ、あごが腐りはて、毒が全身にまわって命を失うようなことがあっても仕方ないと、極端なまでに覚悟したのです。牢獄のような中では、そういう神経質なことまで考えるものです。そうして何時しか眠ってしまっていました。翌朝目がさめると、その歯の痛みは不思議にすっかり無くなっていたのです。私たちが極度に徹底した考えや態度を取る時、奇蹟が起こることを、私は初めて体験したのでした。

 その歯は、その後なんの処置もせぬまま30年もして、他の歯を治療するとき別に痛みもないのに、歯医者さんが「ついでに抜いて置きましょう」と抜いて棄ててしまいました。棄てるのが惜しかったです。

 こうした刑務所とか、絶海の孤島とか、貧乏のさなかでは、当然、現代の医学も医薬も手に入りません、必然的に神様に頼るしかないのです。

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 私が積極的に神癒信仰に取り組んだのは、当時の貧乏生活の故でした。30歳の頃です。その頃の私は極端な聖書的清貧の生活が念願でした。 そういう生活をしようとすると、どうしても「金が無くては、病気の時に、薬も買えない、医者も呼べない、一体どうするのか」という世間の人々の質問に真剣に答えなければなりません。当時はまだ、福祉的行政は何一つ行われていない時代でしたから。

 ついでに言うと、当時の私は「神癒、健康、豊かさ、成功」を標榜する新興宗教にも似た実効的信仰には興味は無かったのです。私は気は弱いけれど、ここぞと言うときムキになってやるところがあります。そのような極貧生活がそれでした。その頃の私は「金が無ければ生きて行けないなどと思うのは迷信だ」と、よく言ったものです。

 要するに、そのような中で神癒信仰は始まったのです。神癒伝道ということは、医者にも行けない貧しい人たちのためにも始めざるを得なかった事なのです。昭和20年代、とても日本は貧しかったのです。

 そんなわけで、神癒の信仰とその伝道は一時は、それこそ狂信的にやったものです。ともあれ、人間、ときにはムキになってやるものです。弊害が無いとは言えませんが、得るところは多いのです。

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 デボーショナルな本で定評のあるアンドリュー・マーレーは、ある時ひどい病気にかかって故国のイギリスに帰国したことがあります。そして専門医の診療をうける予定でしたが、その時、神癒の伝道で有名だったボードマンという牧師の説教を聞いて感動しました。

 さっそく医師の診療を断ってボードマン先生の神癒ホームにはいり、そして健康を回復しました。マーレーはその経験から、後に神癒に関する本を書きましたが、日本ではマーレーの本のなかでは最も売れない本だろうと思います。

 その本の中でマーレーは、神の癒しを期待するためには医薬の助けを絶対借りないようにと書いてあるところがありますが、しかし他の本では、神は神癒の祈りに対して決して医薬品の使用を排除なさらない、神は御業のために医薬品をも充分にお用いになられる、とも書いています。マーレーの信仰にはこのような善きバランスがありました。

 私も今は、かつてのバランスを欠いだ熱心党の時代を過ぎていると思います。しかしながら、「熱くもなく冷たくもない」ナマクラ信仰に陥ちてしまうよりは、熱心党の信仰が好きです。

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 私の経験によると(異論もあるかと思いますが)、神癒と言いましても種々の段階というか、区別はあります。

 第一は信念による癒し、「信癒」です。聖書で「信仰」と呼ぶ場合、今の言葉で言えば信念と呼んだほうが良い場合があります。

 信念は、一つは「気力」、もう一つは「言葉とイメージ」で醸成されます。信仰という言葉は、しばしばこの信念のことです。この信念が神様の治癒力を引き出すのです。爆発的信念で一瞬に癒されることもあれば、長い信仰の忍耐の後に癒しが実現することもあります。

 そばに強力な信仰をもった指導者が居らず、独りで神癒信仰を始めざるを得ない場合にはこの忍耐、待望の信仰によることが多いでしょう。

 第二は霊的癒し、「霊癒」です。癒しの現場で生々しい悪霊の霊的波動、もしくは重圧を感じることがあります。それらを排除するには私たちの霊的攻撃力や天使たちの介助が必要です。ところが、

 似て非なる悪霊たちの介入もあります。彼らは「あざむき」の霊でありますから、一時は癒えたように見えても、すぐにまた悪くなり、イエス様も仰せられるように「後の様は前よりも一層悪く」なるのです。

 私たち夫婦がしばらく知り合った人にフィリピンの霊手術士のところに何度も行って、行くたびに良くなり、帰って又悪くなり、それを繰り返していた人がいました。右の事を教えてあげたら「あっ」と声をあげて、やっと気がついたようでした。

 金を出せば治してあげるよ、といったような霊能者、卑しげな雰囲気の祈祷士、そんな人は悪霊の匂いを発散しますから、常にイエス様に交わっている人は、それを感じてサッと避けることが出来るものです。

 第三が、完全なる「神癒」です。つまり聖霊の力そのものによる最高の癒しの力です。もっとも、「信癒」も「霊癒」も所詮は神様からのもので、同じことなのでしょうが、そこに何か、微妙な区別があるように私には思われます。格別な強力さ、また急激な特別の癒しが行われることが多く、そこに居るものに、その実感が感じさせるものです。

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 以上は1986年5月18日の週報の再掲載。ニュージーランドのメルカム宣教師による神癒聖会を開く準備のために書いたものですが、私の神癒伝道の歴史でもあり、また当時やっと出来上がりつつあった私の神癒の教理らしいものでもあります。ハンター先生夫妻が日本に来た頃で、日本における神癒伝道の一経過の時期であったと思います。この後、ベニー・ヒン先生やアルゼンチン・リバイバル等の霊的潮流がやってきてから、日本の神癒を含めての霊的ミニストリーの水準が非常に高まってきました。今回の聖会講師・天野先生のミニストリーにも、その高い水準を感じるのです。天野先生に豊かな聖霊様の油注ぎを祈りつつ。 

1999/9/19

 まるでライブハウスのよう      

 先月の週報8月22日号を読んでいただきましたか。まさに「気ちがい教会」の感じですね。見開き頁の本文では「酒に酔っている教会?」と題しましたが、まさに酒に酔ってでもなければ、あんなことは起きはしないだろうと思われます。

 ところで、あの宮崎福音教会の8月15日の礼拝で、司会の高森牧師先生が「笑って司会が出来なかった」という所、その時のテープを聞くと、冒頭のところで、ほんのちょっと、その雰囲気が出ています。しかし、もっとくわしく、その所を知りたいと思い、高森先生の息子さんの高森恒喜伝道師に教えてもらったのです。 

             *

 九州リバイバル聖会が8月12、13、14日の3日間に行われ、天野先生の明るくて強烈な説教と祈りに、宮崎教会の信徒の皆さんは魂も奪われてしまった感じではなかったでしょうか。もともと最近の宮崎教会の躍進ぶりには目を見はっていました。毎日、教会信者さんたちが教会にきて祈っているなどと噂も聞いていました。だから、すでに天野先生の霊的訴えに答えるだけの土壌が宮崎教会に出来上がっていたということでしょう。その次の日が8月15日、主日礼拝の日です。燃えない筈はありません。強烈な聖霊の風が吹いて来たのです。いや、聖霊の風が吹きまくったのです。そうに違いありません。

 その8月15日の礼拝です。まず天野先生の説教の前に、今回の聖会での恵みの証をしてもらうことにしたそうです。

 最初に立った兄弟は、「聖会で初めて『笑い』を体験をしました。自分がそんな体験をするとは、到底で思っていなかったので、とても驚き、また嬉しかった」と証しをされたそうです。

 そして次に一人の姉妹が立ちました。彼女は、聖会で受けたすばらしい癒しの恵みを話そうとして立ったらいしのですが、ただ「神様は私にすごいことをしてくださいました」と繰り返して言うばかりで、彼女の口から出てくるのは、そればっかり。具体的に神様が何をしてくださったのかが、何も言えません。そんな状態が長く続くのです。

 実は、その証をしている本人も、それがもどかしくて仕方ないらしく、懸命に本題に入ろうとするのですが、努力すれば努力するほど、大変なことになるのです。口がニューッと突き出て、変な方向に曲がってゆく、それを必死に両手で覆いかくそうとする、その姿が、なんとも滑稽で、会衆のみんなは爆笑する。多くの人がそれを見て、主にあって喜び楽しむという、聖霊様の扱われる時の、特有な寛容で楽しい雰囲気なのです。

 しかし高森先生は心配です。実は天野先生は13時30分には教会を出て空港に向かわなければ、東京に帰られる飛行機に間に会わない。それまで食事もしたい。このまま、この姉妹が「神様は私にすごいことをしてくださいました」と繰り返しているばかりでは時間を取られて、天野先生の説教する時間も無くなるということです。そこで、高森先生は久美子夫人を手でつついた。「あなた、彼女に証を止めるように言いなさいよ」というわけです。ところが久美子先生が凄い。

「聖霊様のなさっていることだからこのままにしときましょう。」

 と言ったんだそうです。そこで高森先生はしぶしぶ、その助言に従って、証の姉妹がその証を終えるまでそわそわしながら待っていましたと、ご子息の恒喜伝道師がユーモラスに伝えてくれました。高森先生の苦衷は牧師の私にはよく分かります。

 ようやくその姉妹が証を終え、高森先生はホッとして「やれやれ」という感じで、司会台に行き天野先生を紹介しようとしました。ところがです、次の瞬間、会衆の皆が目にしたのは、「クククッ、クーッ!!」と、腹の底から笑いがこみ上げてき、それを真っ赤になってこらえている高森先生の姿でした。

 なんとか笑いはかみ殺しているものの、その目からは涙がボロボロ、ボロボロ。どうにかして冷静さを取り戻そうとしているのは伺えるのですが、「ああ、やっと落ち着いた」と思って、口から言葉を発そうとすると、またまた笑いがこみ上げてきて、どうにもならない。

 その時、高森先生、なにを思ったか、下の司会台から講壇にさっと移動したものです。

 あとで、恒喜伝道師が「お父さん、何故あのとき講壇のほうに移動したんですか?」と尋ねたら、「講壇に立ったら、緊張感があるので多分笑いがとまるだろう?と思ったんだ」と答えたそうです。

 しかし、その期待はかなえられず、講壇に立ってからも笑いはとまらず、講壇に顔をうずめたり、ハンカチで口を押さえたり、ヒーヒー言いながら、なんとかこの事態を打開しようと努力していましたが、それもむなしく、「もう、だめだぁ」と、講壇から退散しました。

 もう、会場は総立ちです。ある人はその時の様子をまるでライブハウスのようだったと言いました。高森牧師が聖霊様に取り扱われている姿を見た兄姉の神様への喜びの叫び、感謝の拍手、また笑いで教会は満たされました。天野先生などは笑いに笑い、椅子から転げ落ち、それでもなお笑いつづけ、座布団をほうりなげるという有様でした。

 なんとも、一般の方々に理解して頂けそうにもない、大変な礼拝の模様だったようですねえ。 

1999/9/12

 太 陽 を も 動 か す 信 仰       

 手束正昭先生の「ヨシュアの如く生きん」という本を読んだ。私はこの本を教会の形成と成長のための教科書として読みたいと思った。牧師としての私のためにも、信徒の皆さんのためも。そういう読み方をして、十分にむくわれる名著だと思う。

 さて、そのヨシュア記だが、たとえば10章のヨシュアが太陽を空中に1日とどめようとして主に祈ったという個所……。アドニゼデクと5人の王の連合軍にたいしてヨシュアは戦う。手束先生によれば、これはパレスチナの覇権をめぐる、関ヶ原の戦いなのであった。この戦いの勝敗によって、今後のパレスチナの覇権の正否が決定するのである。

 主はヨシュアを強く励まされ、勝利を約束される。しかり、戦いは大勝に終わりそうな気配になった。ここで、ヨシュアは最後のふんばりをする。徹底的に敵を殲滅しようとしたのである。そのためには時間が足りない。聖書はこう記す。

「ヨシュアはイスラエルの人々の前で主に向かって言った。『日よ、ギベオンの上にとどまれ、月よ、アヤロンの谷にやすらえ』。民がその敵を撃ち破るまで、日はとどまり、月は動かなかった。日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ、一日であった。これより先にも、あとにも、主がこのように人の言葉を聞き入れられた日は一日もなかった」と。

 このヨシュアを見て手束先生は言う。この時、ヨシュアにたいする深い信頼感がイスラエルの人々に生まれた。いうならばヨシュアのカリスマ的リーダシップが、ここに確立していったのである。日本の多くの牧師に欠けているものはこれである、と。超自然的な主のわざが牧師をとおして現われる、つまり牧師が病人のために祈って彼が癒され、悪霊を追い出し、信仰をもって難事を次々と克服して行く。こうした実績が信徒の信頼を得、そこにカリスマ的リーダシップ確立する。こうしたことを、手束先生は大胆に書いている。本当にそうだろうと思う。

              *

 さて、私は前記の聖書の個所で「ヨシュアはイスラエルの人々の前で主に向かって言った」という言葉に目を止める。こういう超大な祈りは、人々の前で公開的には祈りにくいものである。「この祈りが聞かれなかったらどうしよう」という心配から躊躇する。そして隠れてこっそり祈る。祈りが聞かれたら、威張って「僕が祈ったからだ」と言う。そういう姿勢では民は満足しない。まず、このヨシュアのように堂々と民の前で祈らねばならない。

 そうすると、不思議な事が起こる。どんなに無鉄砲に見える祈りでも、それが聖書的であり、指導者が確信と熱心さをもって大胆に人々の前で祈るとき、民は彼の祈りに合わせて共に叫び、共に心を合わせて祈るようになる。祈らずにはおれない。かくて指導者と民の心は一致する。そこに奇蹟も起こる。民の祈祷の応援が大きければ大きいほど、指導者はその成功に溺れず、傲慢にならないで、謙遜になる。こうして良い指導者が生まれる。

 せんだって、中津扇城教会で2000年フェスタの決起大会があって、講師として私が指名された。私はメッセージのはじめに会衆にお願いした。会衆は爆笑したが、それは「皆さん、壇上の私を声援して下さい。先生は素晴らしい、と叫んでください」と言ったからです。ばかばかしい、へんてこな訴えであったけれども、私の本心だったのです。そうです、会衆から信頼され、期待され、励まされ、拍手され、「アーメン、ハレルヤ」と連呼されると、いやが上にも講壇の私は興奮して名説教をするんですよ、と訴えたわけである。皆さんは爆笑しながら、私を励ましてくれた。そこで、いささかなりとも私もいつもの私よりは恵まれた説教をしたと思う。その結果、会衆も恵まれるのである。

 会衆が恵まれたいと思うなら、牧師を応援し励まし、よい説教をするように期待することである。そうすれば、それだけの効果は必ずある。その分だけ、会衆も恵まれる。ヨシュアが「民の前で主に言った」、ということには、そういう意味もあろうかと私は思う。

              *

 先日、聖書考古学の研究者、聖書神学舎教授の津村俊夫先生の講義を聞いた折、先生が言われた。古代オリエントでイスラエルの周辺の国々はほとんど、太陽神崇拝の宗教を持っていた、と。太陽は、それらの国では正義や法の権威の保持者である。また王権の授与者である。しばしば古代国家において王は太陽の子孫であるとされる。

 ところが聖書では太陽は唯一の神により造られたものである。詩篇19篇では、太陽は中空を走らされる戦車だとされる。しかり、太陽も月も星も、この広大無辺な宇宙も唯一の神の造られたものである。これは人間から出た思想ではない。神からの啓示でなくて何であろう。

 この時、私は日本の神話を思い出す。日本の天皇家の始祖は太陽神なる天照大神という女神であり、この女神の歴代の血統者に日本民族はすべて仕えねばならないという国民教育が明治以来戦前まで強力になされた。この天照大神はオリエントの国々の守護女神たちに似ているように思われる。ある人たちは、ここで使徒行伝19章のエペソの大女神アルテミスを思い出すであろう。ちょっと天照(あまてらす)とゴロも似ていますからね。

 エジプトでは人は猫や玉ねぎも神様であったというから、太陽を神とするのは、それらにくらべれば高尚なほうかもしれない。エジプトでは一時、太陽神を崇拝して一神教を開発した王もいたのである。モーセとの関係を論じる学者もいるが、モーセはそうした一神教類似の異教の動きには一顧も与えていない。この太陽をも動かすことの出来るかた、力ある唯一の神を味方に持つイスラエル、その神の力によってカリスマ的リーダシップを獲得したヨシュア、そのヨシュアを支えたイスラエルの民を称えよう。

  
1999/9/5  

洗 礼 に つ い て       

   一、地 球 こ そ 水 星

 水は液体の中では類の無い、珍しい液体です。ただその量があまりに多いので我々はその特殊性に、つい気がつかないでいるのです。

 量が多いと言えば、宇宙の中でもこんなに大量の水を浮べた星は他に少ないのです。この太陽系には私たちが水星と呼んでいる遊星がありますが、もし地球外に知的生物がいるなら彼らは多分、この地球をこそ水星と呼ぶことでしょう。地球にはこの水があり、その上に大気が覆っているからでしょうが、地球は大変に美しい星です。ガガーリンは言ったものです、「地球は青い」と。

 それはこの星の限りない美しさへの賛美でした。このまれに見る美しい星に、ヒトという生物がいて年がら年中喧嘩や戦争ばかりしているのは実に不思議なことです。もし、他宇宙の観光旅行の一団がいたならば、この地球の周辺に来ると、添乗員はこう案内するに違いありません。

 「みなさん、この地球という遊星の表面の美しさに惑わされてはなりません。ここに住むヒトという知的生物はいたって恐怖心や疑惑心に富み、かつ強暴で惨忍であります。決して冒険心を発揮されてお一人で表面に降下するなどの、無謀な行為はしないで下さい。それでは私たちはこの遊星には3回周辺を廻るだけにして次の観光天体へと参ることにします」

 ところで1985年4月、アメリカの上院議員ジェーク・ガーンが初めての民間人宇宙飛行士としてスペース・ディスカバリーに乗りこんで、帰ってきた時に、ガガーリンと同じようなことを言っています。

 「私がもっとも興奮したのは、私たちの地球の美しさである」。そしてこうも言いました。「この地球の表面に国境があり、戦いがあり、飢餓があることに非常な悲しみを覚えた」。

 もし人類の多数が宇宙航行を経験しはじめ、この美しい地球を遠く離れて眺める時が来たなら、あるいはこの地球に平和がやってくるかもしれません。その時、人類の意識に大変革が起る可能性があるからです。

 もちろん、イエス様が再び地上に来られる時には、必ずそれは実現するでしょう。ともあれ、この地球の美しさには水の功績が非常に大きいと私は思っています。

   二、抜群な水の性質と「みそぎ」の慣行

 種々ある液体の中で水は例外的です。それは生命体に対して無害、のみならず生命に絶対必要な液体です。水には高度の溶解力、浸透度があり、物を洗ったり清めたりするにに抜群の効果を持つ媒体であります。しかもそれは前述したように大量に地表に存在しているのです。

 こうした水の性質から世界中の多くの宗教が、昔からしばしば儀式としで水を使うのであります。日本の神道には「みそぎ」と言って古くから身も心をも清める儀式があります。

 1945年、パレスチナの死海の西岸の洞窟で、羊飼いの少年が古びた壷を発見しました。それが死海写本発見の始まりで、クムラン写本と言って有名であります。それはクムラン教団とも呼ぶべき修道団体のものであるらしく、彼らが熱意を込めて学んでいた旧約聖書や、またその団体の服務規則などでありました。そこで発見された旧約聖書は現存するどの写本よりも古い写本であり、そして現在私たちが所有している旧約聖書とほとんど異なるところの無い写本であったのです。

 さて、その中の修道規則に水で体を洗い清める規定がありました。それは毎日行わねばならない規定のようだと推察されています。彼らの日毎の悔い改めの儀式であったに違いありません。この修道団体はエッセネ派という敬虔なユダヤ教の一派とされていた集団であろうと学者たちは断定しています。

 そのエッセネ派から、バプテスマ(洗礼)のヨハネが生まれました。そして、このヨハネこそ「悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた」と新約聖書に記録されているその人であります。イエス・キリストも伝道開始にあたって、このヨハネより洗礼を受けました。ただし、すでにこのバプテスマのヨハネは、水を浴びることは生涯に一度だけで良いとし、毎日「みそぎ」をする必要は認めなかったのであります。

   三、バ プ テ ス マ

 誰にも分るように、キリスト教のバプテスマはこのクムラン教団、バプテスマのヨハネ、キリスト、という系譜を継いで現在にいたっているのです。

 現在、多くの教会では洗礼志願者の頭かひたいに少しばかりの水を注いだり、あるいは牧師の指で水をつけるだけにしているようです。

 私どもの教会では水をはった水槽にはいります。一度、受洗者は僅かの時間ですが、全身を水に浸します。その意図は一度「息を切る」ということにあります。こうして、古い自我が死んで新しいキリストの生命に復活する象徴的儀式ともなります。

 しかし又、ある人たちにとっては決して象徴的儀式であるにとどまらず、しばしば、「キリストわが内に生く」というような神秘的意識を経験します。又、時には肉体の障害が癒される人もいます。そのような特別の感じはなくても、確かにその時、聖霊様を受けるのだと私は信じています(使徒行伝2:38参照)。

   四、水 の 霊 力 ?

 しかし、水道の水や、川に流れる水が、どれほど清く美しくあったとしても、それに浸ったり浴びたりする効用で、その人の霊性や品性が清くなるというようなことがあるはずはありません。汗を落とし、泥をぬぐうというのとは全く次元の違うことですから。

 勿論その人や周囲の信仰により、物質としての水の「洗礼」が、その人の霊や心に影響を与え、その人の将来に決定的方向性を与えるということは大いにあるのです。上述したとおり、洗礼にまつわる奇跡的な例はたくさんあるのです。しかしそれは霊的な信仰の問題でして、水そのものに呪術的な魔力があるわけではありません。

 誤解を怖れずに言えば、洗礼はクリスチャンになるための不可欠な要因ではありません。死にひんした病人が信仰を告白した場合、洗礼を受ける時間的余裕がなければ、洗礼を受けなくても良いのです。砂漠で水が無かったので、水の代りに砂を頭にかけた神父がいたそうです。

 しかしそこに水があるのに、聖書にある言葉をもじって、「洗礼を受けても、洗礼を受けなくても、ともに問題では無い。ただ尊いのは新しく生まれることである」と言って、洗礼を受けないのは傲慢というものです。無教会主義の人たちがよくそう言うのですが。

 水という言葉は聖書ではしばしば霊的生命を意味します。この水の流れる所では、すべてのものが生きるのです(エゼキエル47:9)。イエス様は言われました。「だれでもかわく者は、私のところにきて飲むがよい、私を信じる者は、……、その腹から生ける水が川々となって流れ出るであろう」(ヨハネ7:37、38)。
            (1985.12.22.週報再掲載) 

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