キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)2000年1月
2000/1/30
死から起きあがったパウロ
−使徒行伝第14章19〜28節−今はなきマンガ界の王者、手塚治虫の傑作の一つは「火の鳥」の中の一篇「黎明篇」だと、思います。これは何度か書きなおされているようですが、私の好きなのはその初版のものらしいのですが、彼が描く「火の鳥」は人格的宇宙生命の象徴でして、その宇宙創成期における活動の物語には本当に心が踊されます。しかし、それは何と言っても東洋的宇宙生命観でして、私たちクリスチャンには物足らない思いがします。とは言え、あのような思想の深い、雄大な構想のマンガがキリスト教界にあらわれないのは非常に残念です。
手塚治虫の描く「火の鳥」とは永遠の生命の象徴です。しかしイエス・キリストは単なる象徴などではないのです。真実、永遠の生命者なのです。ゆえにイエス様を内に宿す者は、同じその生命を宿します。
もちろん、ヘブル9:27にあるように、人間には「一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けること」は定まっていますから、永遠の生命の真の實現は天国において起きます。しかし、私たちの内に宿っているイエス様の御霊は私たちの死ぬべき体をしばしば、この地上において生き返らせてくださるのです。その力が私たちの肉体に現われるのが病気の癒しです。病気とは肉体の一部分の死でありますから。
畏友、故・桜井信市先生は実際に医師も死亡と診断した患者のために祈って、その死者がよみがった経験をしたそうです。残念ながら私にはまだそういう経験はありません。しかし、神様のみ心であれば私にも同様の奇蹟を体験させてくださると信じます。
でも、そのように一度は復活した人も、再び死にます。イエス様によってよみがえったラザロさえも、ふたたび墓に入ったはずです。永遠の生命の具体的顕現は天国において見ることが出来るのです。その日を待ち望みましょう。その日は近いのです。
*
さて、小アジヤのルステラの町で起こったことです。パウロが足の歩けない男の足を癒してやりました。その奇蹟を見て、町の人々が使徒たちを神様だと呼び、彼らのまえに犠牲をささげようとしました。使徒たちは驚いてそれを止めさせま、そして町の人々に唯一の真実の神様を信じるように説いたのです(使徒行伝14・8〜18参照)。
かつて、イエス様を「ホサナ、ホサナ」と歓呼して迎えたエルサレムの群衆たちは数日たつと、イエス様を「十字架につけよ、十字架につけよ」とののしる始末でした。同じように、ルステラの人々もまた、他の町から押しかけてきた煽動者たちに難なく惑わされて、なんとパウロを石打ち(私刑)にしました。そして、死んだと思ってパウロの体を町の外に引きずり出した、と聖書にあります。(この傍線の箇所が微妙でして、繰り返しパウロの死体を引きずり何度もその死を確認したと読める文法です。更に、確認という言葉は外見だけからの判断、実はうっかりした判断、という感じの言葉です)。
このパウロの反対者たちや、その煽動にのったルステラの連中がパウロの死体を城外まで引きずって行くあいだ、パウロの弟子たちは恐らく、こわごわと後ろの方から見え隠れしてついて行ったことでしょう。パウロの体を城外のゴミの捨て場にほうり出し、のら犬の餌にでもなれとばかり、手をはたいて去って行く暴漢たちの姿が見えなくなってから、弟子たちはやっとそばに寄って来たことでしょう。弟子たちはパウロを取りかこんだと聖書にありますが、さぞや心配もし、落胆もし、しかしまた気を取りなおし、そこで心を一つにして祈ったことでしょう。
その時! パウロは起きあがったのでした。そしてスタスタと町の中にはいって行ったのです。弟子たちの驚きが目に浮ぶようです。
イエス様がてんかん風の幼児をいやされた時、その子が一時死んだようになりました。多くの人が事実死んだのだと思ったのです。しかし、イエス様はその子の手をとって起こしてやると子どもが立ちあがったのでした。ヤイロの娘が病んだときも周囲の者はみんな娘は死んだと言いました。しかし、イエス様は「いや、眠っているだけだ」と仰せられました。パウロがトロアスのある家でメッセ−ジを語っているとき、3階の窓ぎわにいたユテコという青年が居眠りをして地面に落ちてしまいました。その時、人々はその青年は死んでしまったとおもいました。しかし、パウロは彼を抱きあげて言いました。「いや、騒ぐことはない。まだ命がある」。次の朝には青年は生き返っていたのでした。
ここで2つのことを学びましょう。
第一は、取り巻く弟子たちの祈りの力、ということ。彼らの敬慕するパウロ先生が石打ちで殺され城外に引きずり去られる後を恐る恐るついて行くような気弱い弟子たちであったにしても、その彼らがパウロを取り囲んだ時、パウロは起きあがったと聖書にあるのです。その時、及ばずながらも弟子たちの懸命な祈りがあったのだと私は思います。弱い弱いと自分でも情け無く思いながらも、出来るだけのことはするのです。「駄目な私たちです」、と卑下するあまり、敵の去ったあとも祈ることもしない、そういう態度が一番いけません。
第二はパウロの信仰です。「生きていてイエス様を信じる者は死ぬことがない」(ヨハネ11:26参照)という信仰です。暴漢たちは繰り返しパウロの死を確認したことです。しかし、それは外がわから見た仮の現象でした。パウロは外面では死んでいるように見えながら内側で生きていたのです。第二コリント4:16、17でこう言います。「たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである」と。
*
パウロはこの時の体験を終生忘れなかったと思います。このときの迫害経験を後にテモテにむかって述懐しているほどですが(第二テモテ3:11)、それはまた、パウロが「見える肉の命よりも、見えない霊の命に目を注ぐ」という大確信を与えられた時であっただろうと思うのです。
地図を見ればわかりますが、デルベという町はパウロの故郷タルソに近いのです。しかしパウロはたとえ小児的望郷の念にかられたとしても、それを断ちきってまだ数日前の迫害の血の匂いも乾かぬルステラやイコニオムへと、立ち戻ってくるのです。これは驚くべき英雄的気迫です。
思うに、このパウロが再び帰ってくる第一の目的は、残してきた弟子たちを、まず力づけることです。パウロには弟子たちを力づける生命力に満ちあふれていたのです。そして「たとえ多くの苦難を経なければならないにしても、必ずや私たちは天国に入れる、これは当然の諸君の特権である、信仰を持ちつづけなさい」と励ましたのです。
パウロの第二の目的は、各教会に長老を立てることでした。多くの日本の教会では力もない長老が立てられてその弊害に苦しんでいるのです。よき信者、よき役員を育て、諸教会を堅く立てあげねばなりません。実は、その時すでにルステラにはパウロの終生の弟子テモテがいたと思います。
(1990年1月21日の週報より再掲載、使徒行伝第40講)
2000/1/23(1/16に加筆修正して再掲)
日本宣教のため愛の一致の祈りを
一、ボンケ牧師による大集団回心
昨年のリバイバル新聞の12月19日号で、「今、世界のキリスト教界に驚嘆すべき奇蹟が続々と発生している」、と書きました。ところが、今回、更に驚くべき奇蹟的集会のニュースに接しました。
それはラインハルト・ボンケ牧師によるアフリカのナイジェリアでの6日間の集会で起りました。延べ215万人が集まり、イエス様を受け入れた人が110万人になったという、ちょっと信じがたい数字です。加えるに十数万人が異言を語り始め、また大量の癒しの奇蹟も起ったというのです。(リバイバル新聞2000年1月16日号第一面を参照)。
いよいよ奇蹟の世紀が来たのでしょうか。それはともかく、前記の新聞の記事で見逃せないのは、現地の教会がかつてない一致を見せたということでした。この特別集会のために350の教会が「共に働く」という明確な誓約を交わしたといいます。この諸教会の「明確な誓約」による一致こそ、今回のボンケ集会大成功の原因の重要なポイントの一つだったに違いないと思います。
二、日本の明るい実業家たち?
今年の元旦の本紙の第一頁全面に滝元明先生のメッセージが載りました。その中で某実業家が先生に語る言葉があります。
「先生、日本のクリスチャンや牧師さんたちは、どうしてあんなに暗いのですか。それにくらべると、私たち日本を動かしている実業家たちは明るいですよ。それは、彼らがいつも日本のことを考えて働いているから明るいのです」と言ったそうです。もちろん、我々日本の牧師の中にも明かるい牧師はたくさんいます。
しかし、この某実業家の言葉の示唆するところは大きいと思います。彼ら「日本を動かしている実業家たち」は必然的に彼らの思想や考慮の視野に日本や世界の経済動向を入れていると思います。日本や世界の経済の前途に明るい希望と見通しを持てなければ企業活動をする元気も無くなってしまうでしょう。反対に明るい見通しを持てば、心も明るくもなるし、そして積極的な経営姿勢も持てるというものです。
ですから、彼らは自分自身をごまかしてでも、世界や日本の経済見通しを「明るい明るい」と自分に言って聞かせなければ不安で企業活動ができるはずがありません。
三、牧師も世界や日本の伝道に明るい希望を持とう
牧師も然りです。自分の小さな教会や教派の盛衰ばかりに心を向けていると、いつしか他教派や他教会ともいじけた関係になります。もし、これからの世界と日本の福音宣教をどうしようかと考えるなら、世界と日本に対する神様の宣教計画を信ぜずにはおられません。そうすれば自ずから、世界と日本の宣教の未来に対し明るい希望を持たざるを得ません。でなければ祈る勇気も無くなるでしょう。
ダビデは彼の家系に対する神様のお約束の言葉を聞いて、彼は「祈る勇気を得ました」と告白しています( サムエル7:17参照)。
そこで必要なことは、各教派、各教会の一致した宣教姿勢です。ナイジェリアの現地の教会が、かつてない一致を見せて、今回の特別集会のために350の教会が「共に働く」という明確な誓約を交わしたという事実を見習うべきです。
さあ、私たちは何をなすべきでしょうか。「我々は一致して日本大宣教のために働きましょう」と檄を飛ばすのでしょうか。そんなことで日本の教界の「一致」体制がとれるでしょうか。各教会や教派の皆さんが集まって協議会を開くのでしょうか。それとも断食祈祷会を開く? そんな招集をだれがするのでしょうか。他に何か方法はありますか?
「それは祈るしかありません」という声がどこからか、聞こえてくるようです。そのとおりだと思います。しかし、これまでも日本リバイバルのために多くの熱い祈りがささげられてきました。そのくらいでは駄目だったのだと言うのでしょうか。 否、否!
しかし、祈りについて、一つの提案があります。
四、教会の一致を祈ろう、愛をもって祈ろう
最近、ある訪問伝道の名手の方から執り成しの祈りの秘訣を聞いたのです。それは「相手の方のために真実と愛情をもって祈れ」と言うことでした。「真実に祈る」ということは、主の真実にゆだねつつですが、心の底から本音で祈ることです。
「愛情をもって祈る」ということは、「愛」に「心情」を込めることです。祈りは、もともと、そうあるべきでしょうが、主知的な信仰に慣れている多くのクリスチャンたちの祈りには感情がこもりません。
18世紀、シュラエルマッヘルが「信仰は感情である」と言ったそうですが、それに反対して「信仰とは意思の問題である」というわけで理性的な信仰が昂揚され、感情的祈りが軽蔑された時代がありました。今もそうかも知れません。しかし困難や大問題に処する時、感情のこもらない祈りは確信を生み出せないものです。
前述の「ある訪問伝道の名手の方」のお話でしたが、この方は訪問先を訪ねる前に、何日もかけて祈るのです。その相手のかたの名を呼び、顔を思い出して、祈るのです。涙を流して祈るのです。こうして祈るとき、愛が湧いて来ます。愛の感情は自分で作り出せるものではありません。自然に湧いて来るものです(雅歌2:7参照)。しかし、このように祈っていると、愛の感情が心のなかに湧いてくるものなのです。
そこで、最後に言いたいのです。特に隣の教会のために、仲の悪い教会のために、意思の疎通しにくい教派のために、その先生方のために、真実と愛情をこめて祈りましょう。かくて、私たちは本当に愛し合うことができ、本当の一致を生み出すことでしょう。
ペンテコステ教会も、日本キリスト教団も、カトリック教会も、聖公会も、バプテスト教会も、福音派も,その他の諸教会も互いに愛情を込めて祈りましょう。これまで、会っても目をそむけていた牧師や信徒を思い出して、悔い改めて祈りましょう。
まず、この愛の一致の祈りが生まれ始める時、日本の教界に変化がおこると思ます。今、多くの教会で祈っているのは、正直のところ、自分の教派や教会の教勢拡大、自分たちの信徒の信仰成長だけではないでしょうか。却って他の教会、特に隣の大きな教会をねたんだり、小さな教会をさげすんだりしてはいないでしょうか。
日本全体のリバイバルを本気で求める時、他の教会、特に隣の教会の成長が気がかりになり、本気で成長を執り成して祈るようになります。そこに各教会の一致が始まると信じます。そうした愛の一致による互いの祈りが、これからの最終リバイバルを迎える基礎になるのではないでしょうか。
(リバイバル新聞2000.1.21号に掲載したもの、少し加筆)
2000/1/16
最終リバイバルを期待しよう
教会の一致の祈りによって
一、ボンケ牧師による大集団回心
昨年の12月19日号のこのスペースで、今、世界のキリスト教界に驚嘆すべき奇蹟が続々と発生している、と書きました。更に今回、奇蹟的集会のニュースに接しました。臭気の臭気の臭気亜のいてついに上回る奇蹟が起っている。アフリカのナイジェリアで起った大集団回心と異言と医療的奇蹟です。(本紙の先週号第一面を参照)。いよいよ奇蹟の世紀が迫って来たと思いました。
ラインハルト・ボンケ牧師による6日間の集会で、延べ215万人集まったそうです。そしてイエス様を受け入れた人が110万人という、ちょっと信じがたい数字です。
前記の新聞の記事のなかで、私の見逃せないことがあった。それは、現地の教会が、かつてない一致を見せたということです。この特別集会のために、350の教会が「共に働く」という明確な誓約を交わしたといいます。この教会の真剣な一致こそ今回のボンケ集会を大成功させる原因の重要なポイントの一つではなかったでしょうか。
二、日本の明るい実業家たち?
今年の元旦のリバイバル新聞の第一頁全面に滝元明先生のメッセージが載りました。その中で某実業家が先生に語る言葉がある。「先生、日本のクリスチャンや牧師さんたちは、どうしてあんなに暗いのですか。それにくらべ、私たち日本を動かしている実業家たちは明るいですよ。彼らはいつも日本のことを考えて働いているから明るいのです」と言ったそうです。もちろん、我々日本の牧師の中にも明かるい牧師はたくさんいます。
しかし、この某実業家の言葉の示唆するところは大きいと思います。日本を視野に入れ、また多分世界の経済動向を考慮に入れざるを得ない実業家たちは、日本や世界の消費行動の前途に明るい希望と見通しを持てなければ経済活動をする元気も出なくなるでしょう。反対に明るい見通しを持てば、心も明るくもなるし、そして積極的な経営姿勢も持てるというものです。彼らは、自分自身をごまかしてでも、世界や日本の経済見通しを「明るい明るい」と自分に言って聞かせなければ不安で企業活動ができるはずもないいことです。
三、牧師も世界や日本の伝道に明るい希望を持とう
牧師も然かりです。自分の小さな教会や教派の盛衰ばかりに心をむけていると、いつしか他教派や他教会といじけた関係になります。もし、世界と日本全体の福音宣教の将来に眼を向けるなら、世界に対する神様の宣教計画を信ぜざるを得なくなります。また日本に対する神様の宣教計画を信ぜざるをえません。そして世界と日本の宣教の未来に明るい希望を持たざるを得ません。でなければ祈る勇気も出ないでしょう。
ダビデは神様ら神殿建築のお言葉を聞いたとき、彼は「祈る勇気を得ました」と告白しています。
ただし、私たちのがわで必要なことは、各教派、各教会の一致した宣教体制です。ナイジェリアの現地の教会が、かつてない一致を見せて、今回の特別集会のために350の教会が「共に働く」という明確な誓約を交わしたという事実を見習うべきです。
さて、ここで「さあ、我々は一致して日本大宣教のために働きましょう」と檄を飛ばすのは簡単です。しかしどうして「一致」の体制がとれるでしょうか。各教会や教派の偉い方々に集まってもらって協議会を開くのでしょうか。それとも断食祈祷会? そんな招集をだれがするのでしょうか。
「それは祈るしかありません」という声がどこからか、聞こえてくるようです。そのとおりだと思います。しかし、これまでも日本リバイバルのために多くの祈りがささげられてきました。そのくらいでは駄目だったのだと言うのでしょうか。そういう指摘は、これまで祈ってきた先生方や兄姉たちに申しし訳ないことです。
しかし、祈りについて、一つの提案があります。
四、教会の一致を祈ろう、愛をもって祈ろう
最近、ある訪問伝道の名手の方から執り成しの祈りの秘訣を聞いたのです。それは「相手の方のために真実と愛情をもって祈れ」と言うことでした。「真実に祈る」ということは、心の底から本音で祈ることです。なお且つ、主の真実にゆだねて祈りましょう。
「愛情をもって祈る」ということは、愛情とは、「愛」に「心情」を込めることです。もともと、そうあるべきでしょうが、主知的な信仰に慣れている多くのクリスチャンたちは、祈りに感情がこもりません。
18世紀、シュラエルマッヘルが「信仰は感情である」と言ったそうですが、それに反対して「信仰とは意思の問題である」というわけで理性的な信仰が昂揚され、感情的祈りが軽蔑された時代がありました。今もそうかも知れません。しかし、感情がこめられない祈りは確信に至らない事が多いのです。
そして、最後に言いたいのです。私たち教会は互いに愛し合いましょう。特に隣の教会のために、仲の悪い教会のために、意思の疎通しにくい教派のために、その先生方のために、心をこめて祈りましょう。
カトリック教会のために、日本キリスト教団のたに、聖公会のために、愛情を込めて祈りましょう。これまで、会っても目をそむけがちだった牧師や信徒を思いだして悔い改めて祈りましょう。
まず、この愛の祈りが生まれ始める時、日本の教界に変化がおこると思ます。今、多くの教会で祈っているのは、正直のところ、自分の教会の強勢拡大、自分たちの信仰成長だけではないでしょうか。却って他の教会、特に隣の大きな教会をねたんだり、小さな教会をさげすんだりしてはいないでしょうか。
日本全体のリバイバルを本気で求めるなら、明るい気分で、他の教会の成長にためにも本心で祈り始めるようになります。そうして教会の一致が始まると信じます。来世紀は最終リバイバルの世紀だと信じます。
2000/1/9
真実と愛情をもって祈ろう
昨年の暮、ある家庭集会のクリスマスに招かれました。そのご家庭では、ご夫妻が熱心に伝道しておられるのです。私のクリスマス説教のあとで、会食の時を持ちましたが、しだいにカウンセリング的歓談に変わってゆきます。
ある娘さんから「執りなしの祈り」についての質問が出ましたが、そのお宅の夫人が思わず身を乗り出すようにして口を切りました。
「あのね、そういう時、かならず真実と愛情をもって祈るのよ」
私はその「愛情」という言葉に心をひかれました。キリスト教用語としては「愛」が普通ですのに、なぜ「愛情」と言うのでしょうか。
そのような興味を抱くのには、ちょっとした理由もありました。それはあるカトリックの神父さんですが、その方は他宗教の人たちとも自由に付き合える方のようです。その人たちの交わりの中で、ある神道系の大学の教授が言ったそうです。
「キリスト教の日本での伝道がむつかしい原因の一つに、愛という訳語の問題があるのではないでしょうか。どうも、あの愛という言葉は日本人には硬苦しいですよ」
と。「そう言えば」、その神父さんが言うのです。「昔の日本のキリシタンの本では愛を『お大切』と訳しています」と。
*
さて、さきほどの家庭集会で夫人が言葉を継いで話してくれたのは、同姉が「結婚の世話を20組もしてきた」実例でした。私は驚きました。というのも、私は結婚の世話をするのは、その将来の結果が怖くて殆どしたことがなかったからです。彼女は言う。
「その方々の中で、不幸な結果になったカップルは一つもないのです。みなさんが幸福に暮らしています。そして私は、今もずっと、その方々が幸せであるように、祈り続けて居るのです」
そう言って思わず手を合わせて祈る様をしながら語る。その時、すでに声がかすれ涙をぬぐっている様子です。私はその姿を見て感動せざるを得ませんでした。ところで、私は質問しました。「そのもともとの結婚のお世話は、どのようにしてなさったのです?」。
姉妹は、一例を話してくれました。それは、男性のがわにも女性のがわにも、お互いに劣等感があって、当人たちは結婚の話には一向に乗ってくれそうもない。しかしこの夫人は、このお二人こそぴったりのカップルだと思えてならない。そこで、夫人は切に祈ったそうです。(この方が切に祈るというのは、それこそ真剣、先に言っていたように「真実の愛情をもって祈る」のですね)。そして、その祈りの結果、神様からこの結婚は必ずうまく行くとの自信が与えられたのだそうです。
そこで、自信をもって当人たちに、またその両方の親たちにも話を持って行きました。親たちは一応は喜んでくれます。しかし、本人たちが躊躇逡巡する。決心したり、また断ったり。それが3年もつづいたと言います。その間も、夫人は涙をもって祈り続けたというのです。あの手を合わせて涙ながらに祈る、あの姿勢です。真剣なのです。
「こんど会って説得するとき」、夫人は言います、「どう言ったらよいでしょうか、神様。み言葉をください」と祈るのだと言います。
「そうです、伝道の時もそうなのですよ、先生」と私に向かって説明する。「真実と愛情をもって祈るのです。神様、今から、あの兄弟を訪問します。どんな風に言ったらよいでしょうか。言葉も教えてください。使う聖書のみ言葉を教えてください、と祈るのです。そうして、神様から教えられた言葉で語る時、その言葉によって訪問した相手の方の心が開かれ、砕かれて、み言葉を聞いてくれるのです。聖霊さまが働くのですね。この人が、と思うような人が簡単に信仰にはいってくれるのです。そんなことが、よく起るのです」。
聞いていて、私は、「うーん」とうなってしまいました。結婚のお世話をする実例を聞いているうちに、いつしか訪問個人伝道の秘訣を教えてもらうことになっていたのです。
*
私はしだいに「真実と愛情」という言葉が分かってきました。理屈っぽく言えば、こう言えるでしょう。「真実と愛情」とは、「愛」そのものの中身を二つに分解してみせたものであると。愛は厳しいほどの真実であり、また熱い涙をこぼすほどの愛情なのです。
一般にクリスチャンの「愛」は「真実」の面が強く前に出ることが多いのです。「情」に乏しいのです。「私はクリスチャンだから愛さねばならない」という義務感から来る意思的な力みが、却って相手には重荷になるのです。そして、あたたかい情感が感じられない。仕方なく義務的に応答はしているが、本当は親しめない。愛を感じないからです。
時折、生来、愛情の豊かな人が居るものです。うらやましいほど、熱い愛情を感じさせられる人がいるものです。しかし、多くの人は悩んでいます、「私には愛が足りない」と。
「私は愛していない人のために涙を流して祈るなんて、そんな偽善的なことはできません。だからやむ無く感情抜きで、必死で意思を働かせて祈っているし、また接してもいるのです。どうして、好きにもなれない人の為に、泣いて祈れるでしょうか。それは偽善ではありませんか。そんなこと、私は絶対できません」と怒りさえ込めて言う人も多いかもしれません。知性的で実直で融通のきかない、まじめなクリスチャンほど、こうなりやすい。これは非難ではありません。無理も無いのです。同情します。
*
しかし、私は思うのです。ここで、無理にでも、心に愛情を湧かし、泣きたいほどの気分を自分で作って祈っていると、そのうちに次第に本当に愛情が湧き、嫌な人が好きになり、本気で愛して祈れるようになれるのです。これは私がいつも言っている「意思をもって感情を征服する」技術です。技術という言葉はちょっと嫌ですが。しかし、これは実践心理学の問題です。(私の「笑えば必ず幸福になる」や「だれでも出来る『心の強化法』」をご参考に読んでください。愉快でなくても笑っていれば、そのうち愉快になる、という原則です)。
決して神様をだまそうとして無理矢理に泣く真似をして祈るのではありません。本当に心から愛情を込めて祈る人になりたいと決心して一所懸命努力するのです。その努力を神様は「お前は偽善者だ」と言って、お責めにはならないと私は信じます(第一コリント15:58下参考)。
無理にでも愛情をこめて祈る、熱心に祈る。祈っていると、本当の愛、聖霊による愛(コロサイ1:8)が湧く。そこに「真実と愛情」の祈りが始まるのではないでしょうか。結婚のお世話であろうと、伝道であろうと、信徒の兄弟姉妹のためであろうと、まずこの真実と愛情の祈りが大切です。家族のため、ある特定の人の為、祈らねばならないと気づいたならば、さっそく主の前に倒れこんで涙を流して祈ろうではありませんか。手紙を出したり、電話をかけたり、訪問したりする前に、まず主の前にひれ伏そうではありませんか(箴言16:9参考)。
2000/1/2
歴史を貫く神の時間
「去年(こぞ) 今年(ことし) 貫(つらぬ)く 棒(ぼう)の 如(ごと)きもの」(高浜虚子)
初めてこの句に接した時、私はギョッとした。グロテスクな感じがする。時間(これが時間だとすれば)をこんなふうに物象的に表現したのは珍しい。「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の虚子だが、不思議な人だ。
私が、この句をグロテスクに感じたのは、私がこの棒のごときものというのを、電柱か、いや、もっと大きな巨大な物体のようなエネルギーを感じたからである。その棒が闇夜からヌッと突き出てくるように感じたのである。これは人によってはもっと細い箸くらいのものに感じとるかも知れないが、それはそれで面白いと思う。
虚子はどういう感覚でこの句を作ったのか。時間を棒の如き物というイメージで捉え、それを見据えて、そう、写生したわけだろうか。私にはそうは思えない。この時間という奴が彼の胴体をも世界をもぶち抜いて行く、その実存感を年越しの鐘の音とともに感じたのでなかろうか。
この句の不思議さは捉えがたい時間というものを具象的に表現したことにある。歴史的にみても、これは珍しい時間感覚ではないか。
突っ込んで言えば、虚子が「棒のごときもの」と言っているもの、それは時間ではなくて、「宇宙の意思」、あるいは「神の意思、神の力」とでも言いたかったのかもしれない、すこぶる宗教的な感覚だ。
*
さて、最近の新聞で知ったことだが、あるアメリカの天文学者が「宇宙のある処に時間が逆に進行している場所がある」と発表している。どういうことなのか、私どもにはちょっと見当がつきませんね。
そう言えば、50年ほど前、当時のソ連のある科学者が「時間が万物を造ったのだ」と唱えたことがある。そう言えば、地球は一つの生物であるというニューエイジ風の学説を言い出したのもソ連の学者だった。唯物論絶対のソ連だったが、一時、異様な学説が出ることが多かったように思います。
キリスト教の時間論は、私は若いときにアウグスチヌスの有名な告白録で初めて接しました。「神は時間の中で万物を造りたもうたか、それとも神は時間をも造りたもうたのか」という設問である。その時、アウグスチヌスの結論は「神は万物を造られたのだから、当然時間も神が造られたのだ」、というのである。私はそのキリスト教神学らしい強引なレトリックに感心した。しかし、それだけでない。その時……、
時間は未来から現在に流れてくるという時間感覚を私は掴んだのである。孔子は黄河のほとりに立って言ったという、「逝くものは斯くの如きか」と。これは時間の外側に立って言っている時間感覚で、孔子としてあまりに凡庸である。天下の孔子だが、この点だけは惜しい。
自分を時間の流れの中に置いて見るなら、時間は未来から流れてきて、過去に流れ去って行くことがわかる。これが預言者が未来を見ることの出来る理由である。神の時間が歴史を貫くのである。その時間の上流に顔を向けて生きる人は、つまり未来を見て生きているのである。
「隠れたことと未来は、神に属している」(申命記29:29参照しかり、時間は神のもとから来る(使)。徒行伝3:20参照)。実は、神の意思が、神のエネルギーが宇宙と人間を貫いて時間を作って行くのだ。
ミレニアム! それは、いよいよ神の時が明らかに現われようとする世紀の幕開きである。最終のリバイバル、キリストの現存がまさにあらわに私たちと共にあって、私たちは神の子らしく栄光と清さと力に溢れて地上の各組織の王座を占める、キリストの千年の王国が実現する時がくるのではなかろうか。
*
私は「千年王国」の専門家ではない。少年時代、中田先生と内村先生が共同して再臨運動を起したことがあった。その時代、私は無教会の伯父の集会に出て千年王国のことを聞いた。私はイエス様がせまってくる気配をそくそくと感じて身震いした。聖霊感覚に似ている。その魅力で毎週、遠い伯父の集会に通ったのだという気もする。
だれも知っているように西暦紀元はキリスト紀元である。イエス様のご降誕の年を第一年とする。もっとも、学者によれば実際のご生誕は紀元前4年だろうという説もあるが。
以下、千年王国の問題について少しく私の思うところを述べる。実は千年王国問題はむつかしい。私も勉強を始めたばかりです。
アダムからアブラハムまで概算すると2000年、アブラハムからイエス様まで2000年、そして今日まで6000年です。1000年を1日に換算すると来年からは第7日目に入ることになる。そうすると、来年以降の千年間は安息日にあたることになる、つまり千年王国。ユダヤ人の一部の人たちは、そのように考えるらしい。私も賛成である。そうすると、
もうすぐ来る新しい千年を「千年王国」かもしれないと考えるのは、さして無謀なことは思えない。しかし、今のところ、キリスト教界の出版物でこのことにふれたのは、私の目にはただ一つしかない。なぜだろう。たぶん、エホバの証人アレルギーなのだろうと思う。
しかし、黙示録20章を基礎にすれば、王国思想は正しいと私は思う。しかし、エホバの証人の地上の楽園説には賛成できない点がある。エホバの証人のキリスト論については尚更、絶対に反対、怒りをさえ覚える。とは言え、彼らの王国待望の熱心さには、感心する。
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