キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)

2000年4月

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2000/4/30

武士道とキリスト道と霊性     

       一、「武 士 道」

 クラーク博士が札幌農学校(北海道大学の前身)の校長を辞めてアメリカに帰る時、別れを惜しむ学生たちが見送りにきて、いつまでも帰らなかった。先生は山の峠を越える所まで来て、馬上から叫んだ。「さあ、ここで別れよう。少年たちよ、キリストにあって大志を抱け!」。

 これが正確ではないが、私の記憶にある有名な「ボイズ・ビー・アンビシャス」の出所である。「キリストにあって」という言葉が、ひろく世間に流布されているこの名句から落されているのは残念である。

 内村鑑三先生はその著「後世への最大遺物」の中で自ら問うて答えている。「誰にでも後世に記念として残せる人生はどんな人生か。金でもない。名誉でもない。事業でもない。それは『勇ましくて高尚な人生である』」と。クラーク先生の「ビー・アンビシャス」という言葉とまったく符節が合う。内村先生はまさしくクラーク先生の弟子です。

 札幌農学校で内村先生との同期に、新渡戸稲造先生(そのお顔は今の五千円札にのっている)がおられるが、実はお二人ともクラーク博士に直接には会ってはいない。しかし本当に良きクラーク先生の弟子だったと言うべきでしょう。新渡戸先生が英文で書いた本に「武士道」という本があります。最近、その翻訳が出ているということを拡大宣教学院の永井院長先生からお聞きしたのです。私はこの本の名前ぐらいは知っていましたが、まだ読んだことがなかった。ところが翌日、仙台駅に行ったらキオスクにこの本がありましたので、早速買ったことです。

 考えてみると、明治時代のクリスチャンたちは、みな武士道精神にキリストの福音を「接ぎ木」したような連中ばかりです。先にあげた内村鑑三しかり、新渡戸稲造しかり、植村正久しかり、海老名弾正しかり、中田重治しかり、川合信水しかり、その他多士済々。(実は「接ぎ木」という考えは歴史上、時々出てくるのでしょうか。2世紀か3世紀の教父クレメンスは「ギリシャ哲学にも旧約聖書に似た価値がないわけではない」などと言っているそうです。)

 「接ぎ木」という言葉は、この際、はなはだ重要な言葉です。ローマ11:13〜24を読んで下さい。パウロは旧約におけるユダヤ人の特権に異邦人が「接ぎ木」されて、神の民とされたのだと述べています。

         二、キリスト道

 この小見出しを見て「前述の『武士道』というのは分かる。しかし『キリスト道』とは何ですか。そんな言葉は聞いたことがない」という人もあるでしょうね。たしかに、「キリスト道」なんて言葉は広辞苑にも出ていません。私の造語ですが、しかし私の仲間の伝道者の中には時々この言葉を使う人もいます。私は思うのです。出来たら、「キリスト教」と言わず「キリスト道」と言いたいと。そのほうがキリストを信じる者の信仰を言い表すにはふさわしいと思うのです。

 聖書では、使徒行伝(9:2)を見ると、クリスチャンを「この道の者」と呼んでいる所があります。同じく使徒行伝一八・二五等に「この道、主の道、神の道」などと何回も出てきます。キリスト教をキリスト道と言い直すことは、あながち誤りではないのです。もちろん、今となっては日本語としてはなじみにくいですが。

 明治時代、日本人の手によって書かれた英語の本で、世界的に広く読まれたのは、内村鑑三の「余は如何にして基督信徒となりし乎」と、岡倉天心の「茶の本」、それに新渡戸稲造著「武士道」の三冊です。この中でも外国では「武士道」が一番読まれたか、とも思います。

 当時のルーズベルト米大統領が、この本を愛読して大の日本びいきになり、日露戦争で日本の後押しをしたのだという噂もありますし、かの発明王エジソンもこの本で大いに啓発されたなどとも言われます。ともかく日本人の声価を大いに高めた本です。

 数年前、奈良本辰也さんが新しく翻訳され、三笠書房から出版されていた。実はそれを前述したように永井信義先生に紹介され、そして仙台駅で発見して買ったのです。私は東北新幹線で読みふけりました。

 新渡戸先生に言わせれば、日本人の道徳的精神的鍛錬の基礎は武士道にある。それはまとまった本にはなっていないが、隠然たる家庭教育の根幹であった。その第一は「義」である。「義を見てせざるは勇なきなり」と言い、「卑怯なことはするな」というようなしつけは田舎の無教育な母親でも出来た。(平成の今日では、この新渡戸先生の言葉には昔日の感を覚えますが、そのことは今回は書きません。)

 武士道とは、つまりかつての日本人がこれによって育ち、これによって生き、これによって死んだ、基本的道徳意識です。狭隘な点もあったし、欠点もあった。好戦的な偽愛国者どもに悪用もされた結果が危険視もされ、戦後の行き過ぎた民主主義によって見捨てられてしまったように見えます。今の日本人のどこにも武士道精神なんか残っていないように見えます。しかし悲観しないでよいのです。希望はあります。

     三、真のクリスチャンの霊性

 これも永井信義先生に教えていただいたことですが、今、アメリカや日本の少壮の牧師や神学者の方々の中に(あるいは年配の方々にも)熱心に「真のクリスチャンの霊性」について考究している人たちが居られる由。ペンテコステの方も居るが、福音派、教団、バプテスト、ルーテル、そして聖公会、カトリック、そしてギリシャ正教の教職の方々まで。

 霊性という言葉はまだ私にはよく分からないのですが、とにかくキリストに全く似た全人格的霊的成熟さをさすのでしょうか。それはいわゆるホーリネスの人々にはお手のものの土俵かもしれませんが、その土俵を一応投げ出して、他教派の先生方と意見を交換しつつ考え直して行くところに深い謙遜さが伺えます。聖霊充満のペンテコステ派も瞑想修道院の伝統の厚いカトリックも、プロテスタントの牧師さんたちと一緒にやろうとする。その熱意を買いたいです。

 ひとしく熱意をもって求めているのは、主イエス様に似た霊の高さ、心の深さ、言葉と行為の義と愛と聖の成熟さでしょうか。それは、参加するすべての方々が自分の現状に満足できないで、もっと徹底した神の人になりたいからでしょう。その熱望によってこそキリスト教の全教派が、形態によらず、神学や教理によらず、ただキリストに似せられたいという希求の故の一致を生み出して行くに違いないと思えます。ここに世界の教会が本当に一つに成れる可能性、期待が見えます。至福千年紀を迎えるにふさわしいステージが、世界のキリスト教世界に出来つつあるのではないでしょうか。真のエキュメニカルの希望が持てるのです。

 さて、ここで私は日本人クリスチャンとして、たとえば先に述べた武士道精神のような日本人の特質の上に、キリスト道精神が接ぎ木されて、渾然として出来上がる精神性、私たちの真の霊性が生まれるのではないかと期待するのです。かつての武士道精神がキリスト道精神に昇華されて、新しい霊性を生むのです。 

2000/4/23(イースター)

復活のキリストにふれた人々     

 紀元33年か35年の頃です。使徒パウロは当時の文化や学問の中心地ギリシャのアテネで、多くの学者や知識人たちに囲まれていました。パウロは熱心に「神が死人の中から一人の人を甦らせられたこと」を語り始めました。彼は続けてこう言いたかったのです、「みなさん、この方こそ、人類の救い主イエス・キリスト様です。彼を信じましょう」と。

 しかし、聞いた昔のアテネの人たちは現代の日本人などより、よほど理性的でした。「なに? 死人が復活した? そんな阿呆な迷信噺なんか、これ以上、聞いておれるか」。そう言って散って行ったのです。

 とにかく、パウロは死人の復活を語ってアテネ伝道を失敗したのです。しかし、キリストの十字架と復活は、パウロの信仰の中心点です。また、パウロは事実、復活されたキリストに本当にお会いしていたのです。彼はこう言っています。「多くの弟子たちが復活のイエス様にお会いしているが、主は最後には私のような者にも現われて下さったのです」と。

 その次第はこうです。まずイエス様の死と復活のことですが、イエス様は十字架の上で本当に死なれました。私たち全人類の罪の身代わりでした。しかし、三日目に墓からよみがえり、四十日の間弟子たちにお会いになり、そしてオリーブ山から天にお帰りになったのです。

 しかし、そんな事はかつてパウロには信じられませんでした。のみかはイエス様を信じる信仰は悪魔の教えのように思えました。パウロは猛烈なキリスト教嫌いになりました。精力的に彼はキリスト教徒迫害に身を投じ、外国にまで出かけました。その旅の途中で、突然イエス様が光の中に現われたのです。パウロはぶっ倒れてイエス様のお声を聞きました。「パウロ、パウロ、なぜ私を迫害するのですか」。

 こうしてパウロは心底、嫌いだったキリスト教徒になります。パウロは否応なく復活のキリストにお会いし、信仰一筋の人になったのです。

              *

 ところで、二十世紀初頭インドに生きたサンダー・シングという人がいました。この人は東洋の聖フランシスとでも言いたい人です。このサンダー・シングも最初はキリスト教を嫌って、街頭で聖書を焼いたりして気炎をあげていました。

 しかし、彼の内心には深い霊的不安が満ちていました。ある夜ヒンズー教の女神に祈りました。「女神様、今夜、私に現われて下さい。そうでなければ、私は明日の一番列車に飛び込んで死にます」。

 祈っていると、大きな光の中にイエス・キリストが現われました。言われます。「お前は私をどうして迫害するのか。私はお前を救おうとして来たのだ」。その一声でサンダー・シングの魂はひっくりかえります。彼は瞬時にクリスチャンになります。パウロに全くよく似ています。

 もう一つ、似た例を日本の私の肉親のなかに捜しましょう。私の父のことです。私の父は明治から昭和初年まで生きました。大正の頃でした。実の兄からいじめられ、病弱の上、商売は倒産し妻は実家に連れ戻され、遂に自殺を覚悟しました。しかし、たった一つ「すべて重荷を負って苦労している者よ、私のもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」という教会の看板の言葉が気にかかりました。

 遂に教会に行って見ました。ここで解決できなかったら、もう自殺しようと思ったのです。

「牧師さん、あっしは正直一本、まじめに、夜も日も一所懸命に商売しましたが、兄や親族に嫌われ、商売も妨害されて、倒産してしまいました。今はもう死ぬばかりです。神も仏もあるものか、です。先生、神様って本当に居るのでしょうか。私に神様を見せてください」。

 牧師さんは驚いたでしょうが、その時、牧師さんは、こう答えました。「釘宮さん。キリスト教では、信者さんが自分でお祈りができるのですよ。お寺さんや神社ではお坊さんや神主さんがご祈祷料をとってお祈りしてあげていますがね……。釘宮さん、自分でお祈りしてごらんなさい。必ず神様がわかります」。

 父は牧師さんからお祈りの仕方を教えてもらって家に帰りました。さっそく、破産して商品など何一つ残っていない倉庫に入って祈り始めました。もう夜でしたが、蝋燭の火もつけませんでした。

「キリストの神さん、私はあなたを知りませんが、祈ったら来てくださると牧師さんに聞いたので、今祈っています。神様、今夜中にお出でになってください。今夜来てくれなかったら、あしたの一番列車に飛び込んで死にます」。

 このように祈っていると、一時間ほどして父はあたりが火事になったのかと思ったそうです。暗いはずの部屋が明るいのです。びっくりして見回すと、床も壁も天井も金色に輝いているのです。体が震えつくような神々しい感じが部屋に満ちています。神様が居られる! 思わず、

「神様あ……」と叫んで、平伏していたそうです。

 父はその時から強固なクリスチャンになりました。酒も煙草もやめました。グチを言わない、不平を言わない。正直、実直、勤勉は以前からのことですが、それを見よがしにしない、自慢しない、皮肉を言わない、そういう人になりました。

 そこで、それまで会っても挨拶もしなかった兄に会うと思わず目に涙がにじみました。懐かしさがこみあげたのです。「兄さん!」。その声に優しさと真実さが溢れていました。

              *

 兄は驚きました、「どうしたんだ、あいつは?」。「教会に行っているそうですよ。ヤソ教になったらしいです」と、教える人がいました。兄は学生時代、キリスト教の雑誌を友人から奨められたことがありました。「こんなもの、弱い奴が見るものじゃ。俺はこんなもの、いらんわい」とその雑誌を放り捨てました。しかし、今度は違います。この弟の愛のまなざしに心が開きました。聖書を開いて読み始めたのです。

 彼は短い間にイエス様を信じる人になりました。父の最も良い理解者となり、最後には温泉の町、別府で療養する費用も出しました。父は再婚し私が生まれました。そして父の使命は終わったのでしょう、数年して父は天に召されたのです。

 この父の兄こそ、私に平和非戦主義を植えつけた剛毅な信仰の人です。この伯父は霊的光やイエス様の幻を見たりするような特別な経験は一向に持ちませんでした。しかし、彼もまた復活のイエス様にお会いした人であったに違いありません。彼は日本が軍事国家として硬化してゆく当時、はっきりと平和主義を打ち出しました。彼の個人雑誌は政府から発行禁止を受けましたが、キリスト教関係では初めての事です。

 ところで、それから十年。私はこの伯父の影響もあり、非戦論と徴兵忌避で検挙され、刑務所に入りました。毎日のようなアメリカ軍による空襲下の独房の中で、私はひとり座して聖書のお言葉に触れ、イエス様の死による救いを信じました。私の古い人は既に死んでいることを一瞬に悟りました。私はその時、自分が復活のイエス様にお会いしたことを心に堅く信じざるを得ませんでした。 (「ちから」誌2000年4月号掲載)

2000/4/16

パウロのエペソ伝道に学ぶ       
    −使徒行伝19:23-41、その他により−         

 アルテミスの女神はエペソの守護神です。その女神をまつる神殿は壮大なもので当時の世界七不思議の一つでした。またエペソ市民の誇りでもあったでしょう。日本人の伊勢の皇大神宮のようなものです。その神殿の模型を信者たちが参詣のついでに買ってかえる習慣でもあったのでしょうか。あるいは日本の各家庭によくある神棚のようなものでしょうか。この頃はショッピングセンタ−などの日用品売り場に安売りしていますがね。

 この神殿模型を造る業者たちがパウロの伝道の拡大に恐れをなしたのでしょう。「このままでは、アルテミスの大女神のご威光に傷がつき、われわれの仕事も損害を受ける」と言って、パウロならびにクリスチャン排撃大会を開いたのです。

 その騒々しい群衆叫喚などの模様は聖書にくわしいので読んでください(標題サブタイトル参考)。ルカは一体にこういう群衆行動の描写が簡潔で鮮明です。この記事の中で、エペソをふくむアジヤ州の州議員たちにパウロに厚意的な何人がいたということや、やはりパウロの味方でしょうか、一人の行政官僚が出てきて群衆を解散させてしまう巧みな言辞が記録されていますが、当時の異教都市において、こうした味方を得るほどに、パウロの紳士的、友誼的な生活があったことが伺えます。こうして、有力な人士たちと交際することについてパウロには落度がありませんでした。かつまた、

 市役所の役人が「この人々は神殿を荒すものでも、守護の女神をそしるものでもない」と証言するとき、だれも反論できなかったように、パウロの対異教的言動は慎重であったらしいことがわかります。

 一般市民のいる前で、特にその宮を信仰する人々のいるところで、その宮に向かってつばきを吐き、罵倒するような非礼な行動はつつしむべきです。昔、ある都市で町かどのお地蔵さんを海になげこんだ若い牧師がいたと言います。その熱心さは理解できますが、その熱心さには慎重な配慮、つまり知恵が足りないのです(ロ−マ10:2参照)。

              *

 さて聖書を開いて、このエペソ伝道の記録つまり使徒19:1〜41、また使徒20:18〜35によるパウロのエペソ教会の長老たちにたいする惜別説教により、パウロのエペソ伝道の特徴を学びましょう。

 第一は、聖霊様による力ある伝道です。身につけた手ぬぐいを病人にあてるだけで病気はいやされたとあります。そして信徒たちは数億円分の悪魔(異教の教義類や特にオカルト関係の?)の本を焼き捨てたのであります。まことに福音は言葉ではなく、力です。

 第二は、そのような力づよい伝道をすると同時に、パウロは謙遜のかぎりをつくし、涙を流して伝道に身を挺しました(使徒・20:19)。パウロという人の性格を想像するとき、謙遜ということ程、彼にほど遠い徳目は無いように思えます。一見する所、彼は傲頑な人間です。

 その彼が、当の相手の信徒の長老たちにむかって、自分のことをこのように自分から進んで明言することは不思議なほどです。これは恥知らずの高ぶった自慢ではありません。長老たちに対する教育という面もありましょうが、たぶん、自分でもいぶかしく思えるほどエペソにおいて謙遜であった事について、感謝の思いが深かったのではないでしょうか。

 第三は、熱心さです。これはもう、前項の謙遜とはちがってパウロの持ち前の気質であります。それが輪をかけて拡大強化されていたに相違ないのです。要するに、気質というものは、善い気質はますます強くされるし、悪い気質は形をかえて善い気質に吸収され、更に新たに善い性格に造り変えられるものなのです。

 第四は、その熱心さのゆえに与えられる異教徒の反感と、妨害です。これは他の町々では、もっと激しい迫害となりました。

 このエペソでは、あの神殿模型業者の大集会に、パウロは駆け込もうとして弟子たちにさえぎられ、事なきを得ました。それはパウロにとっては残念なことであったろうと察せられます。弟子は師匠の気持が分かっても、やはり師匠の身の安全を守ることが大切、師匠をとどめるのは当然のことでしょう。しかし、神に仕える者は、本来、問題に真っ直角にぶっつかって行くものです。問題から逃げてはなりません。

 パウロにすれば、あの神殿模型業者のクリスチャン排撃大会には弟子のガイオやアリスタリコが捉えられているはずです。死なばもろともです。そういう気概がなくて、どうして師匠と言えますか。

 第五は、信仰の教えを余すところなく、公衆の面前でも、家のなかでも、夜も昼も涙をもって、教え、又さとした、という点です。この点、特に私(釘宮)は足らないものを覚え、信徒の諸兄姉に申し訳なく思います。什一返金や伝道実践、聖潔の教え、あるいは再臨論などについて、もっと突っ込んだ勧めや教えをすべきでした。

 パウロはテモテにこう、おごそかに命じています、「……よく教え、責め、戒め、勧めなさい」(第二テモテ4:2)と。気質の温和なテモテに対しては、パウロは特に「責め、戒め」と書かざるを得なかったのだと察します。逆に言えば、信徒の諸兄姉は牧師に責められ、戒められることを嫌がらない事ですね。

              *

 第六は、パウロは身を処すること、金銭的に非常にきびしかった、という点です。少々、度がすぎている時もあります。

 特にコリントの教会にたいしては、「あんたがたから金をもらうよりは死んだほうがまし」というような言いかたをします(第一コリント9:15参照)。実は、それだけパウロはコリントの教会には遠慮なくものが言えたとも言えます。しかしパウロはピリピの教会からは何度も伝道資金をもらっています。パウロの金銭処理は自由自在さはどうです。

 このミレトでの説教で「受けるよりは与える方が、さいわいである」とのイエス様の言葉を引いています。これは福音書に出ていません。イエス様の言葉が、福音書以外の箇所で載せられている稀有な例です。

 このイエス様のお言葉は私の伯父・釘宮徳太郎の特愛の句で、私の脳裏に深く染みこんでいます。若い時、無償奉仕の伝道活動は私の生きがいでした。今でも、牧師謝礼をできるだけ少くしてもらうのは、そのせいです。これはかえって、心ある信徒のかたの心を痛めたり、また他の教会に比して肩身の狭い思いをお与えすることにもなっているようですが、かんべんしてください。

 私は若いとき、まず金がなければ伝道ができない、という伝道界の風潮にたいして疑問を抱きました。けだし、当時の私は厳酷主義に過ぎていました。もっとも、若い時はそうしたものです。聖フランシスにあこがれ、具体的には一燈園の西田天香さんの「無一物中無尽蔵」の生活に倣ったこともありましたが、やっと「金銭を捨て、いや金銭から逃げた生きざまを越え、富に仕えず(マタイ6:24参照)、富を支配する生きかた」に気がつき始めたのは、だいぶ後のことであります。  
(1990.6.10主日礼拝メッセ−ジ後半に加筆再掲載)

2000/4/9

 キリストの福音と諸宗教           
    −使徒行伝19:23〜41を下敷きにして−             

 世のなかにはいろいろな宗教があります。常識的にはキリスト教も、その諸宗教の中の一つです。でも、私は「キリスト教は宗教ではない」と言いたいのです。キリスト教は宗教ではない。キリスト教は福音であります。キリスト教は宗教以上のものである、と言いたいのです。もちろん、世間から見ればこれは独りよがりな発言に見えましょう。でも、私たちクリスチャンはぜひとも、この認識を持っておきたいのです。

 もっとも、一般の宗教が皆低級でつまらん、と言っているわけではありません。日本の無教会の先生がたには、日本の古い仏教の祖師たちの信仰を旧約時代の信仰になぞらえる人たちもいました。宗教的愛国心のあらわれの一種でしょうが、その心情は私も分かります。ともかく、高度の宗教には多くの学ぶべき面があるのです。しかし、てんでお話にならない悪霊宗教は更に数多くあるわけですが。

 さて、宗教とはなんでしょうか。英語ではレリ−ジョンと言って「再結合」という意味です。人と、神もしくは真理、永遠の生命との結合というような意味を持っています。多分にキリスト教的用語です。

 日本で言う「宗教」の宗は「大本、中心」という意味ですから、「宗教」とは、人生もしくは宇宙における中心の教えという意味になります。けれど、これだけ雑多にいろいろな宗教が世のなかにある現状では、どれが中心やら、大本の教えやら、分かりかねますね。

              *

 様々な宗教と言われているものを簡単に分類してみましょうか。

 第一は「宇宙精神」に目覚め、これに帰依しようとする宗教です。物質的天文学的宇宙ではない、霊的宇宙の霊性、あるいはその法則に目覚め、一体化することを求める宗教です。釈尊の開いた原始仏教など、この型のなかでも代表的なものだと思います。

 第二は、崇高で雄々しい道徳観で貫かれた「人間、いかに生きるべきか」を説き、実践を強調する賢人たちの残した道です。孔子とか、ソクラテスとか、そういう方たちの教えです。

 第三は、成功と幸福を獲得するための心の考え方と、その実技の伝授です。もっとも、これは最近は書籍やテ−プによる商業製品が市場に出回り、実際的な人物としての指導者が至って少ないように思います。

 以上、第一、第二の型は人類の過去の歴史が残した最大の遺産であり、大いに参考にすべき面があります。さて、私たちクリスチャンが実際にこの社会に生きるときに、第三の型を実技的に応用するならば、その効用は評価できます。積極心理学とか、イメ−ジ暗示法などがそれです。この第一、第二、第三の型は、聖書全巻、預言と律法、箴言やイエス様の教え、使徒たちの教えのそこかしこに発見することができます。

 第四以降は、いわゆるご利益宗教、あるいは地霊宗教です。まず、悪霊を、それと知らず拝んでいる宗教。沖縄のユタ、東北のイタコ、その他さまざまの拝み屋さん、シャ−マニズムです。しかし、これらの霊媒さんには案外善い人がおられて、祈願依頼者のいわゆる悪因縁を受けて病気がちな生涯、不和な家庭に苦しんでいる例がよくあるのです。

 あるいは又、土地の神と言われるもの。これは先住民族のたたりを恐れての祭紀が多いのだろうと思います。イスラエルにおけるバアルの神、日本の出雲神社など、その一例です。

 また先祖を祭る行事等。これを先祖崇拝と美化して称することが多いですが、その起源は先祖のたたりを恐れての「魂鎮め(たましずめ)」であることがしばしばです。真実に祖先を愛し、敬うことは麗しく、また善いことであります。また日本では天皇礼拝、聖書時代のロ−マでは皇帝礼拝、これは人民を呪縛する国家装置に変化することが多い。どれほど、これに真のクリスチャンたちが圧迫され、殉教して行ったことか分かりません。しかしパウロはこの国家主権を重んじ、従順であるよう信徒たちに勧めていることは注意すべき事です。

 最後に、まだ日本では現れていませんが、アメリカなどにはあらわな悪魔の教会があり、悪魔礼拝が行なわれているということを聞きます。

              *

 これらの宗教にたいしてキリストの福音とはなんであるか。

 聖書をとおして啓示される「天地の創造者なる唯一の真実の神」は、人格を持ちたもう方です。人格という言葉はペルソナというラテン語を明治時代に訳した言葉ですが、どうもその真意を十分の一も訳しきれません。特に神様にあてはめたときは人格ではこまります。神格とでも言いなおしましょうか。

 人間の人格とは、各個人において永続的に不変で、他の誰とも替えがたく、自覚的主体的に、その人に存在する統一的意識です。分りやすく言えば、「あなたと呼ばれて、ハイと答えるあなたの内なる人」です。

 神様が人格を持ちたもうということは、神様は私たちの呼ぶ声に答えてくださる方ということです。

 信仰とは、一般には宇宙精神ないし、その法則にめざめ、それに一体化する禅宗的悟り、あるいは身命をとして真理の道を行くソクラテス的生きざま、ないし巧みに霊的に心理的に成功的・幸福な人生を獲得する技術獲得、というように思われがちです。しかし、それにあきたらず、それを乗りこえ、それを放棄してでも、さらに求めてやまない世界、神の愛と真実の世界を求めること、それが私たちの信仰です。

 神様とは唯一純粋、最善の人格性をもって、ご自身が造られた被造物一切を真実をもって愛される方です。特に人間に対してそうです。逆に言えば、人間は神様に愛されなければ、本当に生きている確かさ、充実した喜びを持ち得ないのです。アウグスチヌスが言った「人は神に造られたので、神に帰るまでは平安を得ない」という言葉のとおりです。

 普通、真理とは箇条書きに書きしるすことができる静止的な冷たい法則のようなものに思っている人が多いでしょう。しかし、本当はダイナミックに愛が働く動的な迫りです。神様からくる、波打つような迫りです。芸術や自然の美の前から立ち去りがたい感動、その作品や自然から襲って来る美の生きた波動を受けるのに似ています。

 私たちが、ひとたび神様の愛を受けるならば、それを聖霊を受けるといいます、言わば神様の霊的愛の血液の動脈をぶちこまれたという感じで、そうです、私は青年の日のある秋の夕暮、その神様の血液を注ぎこまれたという感覚に酔いしれて、寝ても醒めてもイエス様の名を呼びつづけたものです。宇宙を手のひらに握っておられる神様からの、その迫りくる愛の力に打ちひしがれて歓喜に燃え、かたじけなさに泣くという喜び、それは乙女に愛されて身も心も燃えたつ青年の心に似ています。

 神様は人間の原形です。人間は始祖において罪を犯し、その遺伝的罪性によってその原形を損なっています。神様はある意味で最も人間らしく、余りに人間らしく、究極の理想像における人間の愛をもって、その私たちを愛してくださるのです。私たちはこの愛に活かされ、神様を愛し返し、また隣人を愛するのです。単なる愛ではありません。キリストの福音です。(1990,6,10、主日礼拝メッセ−ジ前半を再掲載)

2000/4/2

大収穫を期待しよう      

    一、涙をもって種まく者は

  「涙をもって種まく者は、
  喜びの声をもって刈り取る。
  種を携え、涙を流して出て行く者は、
  束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。」             (詩篇126篇5、6節)

 これは若い時の私の特愛の詩篇でありました。青年期特有の悲調好みの情感も見られるからでしょうか。伝道を「種蒔きと刈り取り」にたとえれば、この箇所はまさしく伝道の苦労と喜びを歌っています。

 ところが、ここにイエス様の驚くべきみ言葉があります。

 「弟子たちよ、今やお前たちは苦労せずして伝道できる時代に来てい る。『一人が蒔き、一人が刈る』という俗言があるが本当だよ。先人 が苦労して種を蒔いた、その実をお前たちは今、刈り取ることが出来 るのだよ。」(ヨハネ4:36〜38)

 ……さて、日本という国は早くよりキリスト教の伝道を受けながら、未だにリバイバルを経験していない数少ない国です。このキリスト教でいうリバイバルとは案外むつかしい言葉です。もちろんリバイバルソング(古い流行歌の復活)のことではありません。

 個人的な信仰の回復のことをリバイバルと言ってもいいでしょう。しかし、本当は単なる信仰の回復ではなく、信仰の状態が一段も二段もレベルアップして、燃えるような霊的沸騰を感じる、そういう変化です。

 そのような変化が一教会や一集団にみなぎって感動、感激、昂揚、活気があふれ、歓喜一杯になる。伝道が盛んに行われるし、また回心者がぞくぞくと生まれる。信者同士の愛が互いに湧き、涙ながらに抱き合っている姿があちこちに見られる。

 更に、個人の間で、道徳的大改心が起こり、悔い改め、正義への転身、社会への大影響が起こり始める。親子、兄弟、嫁姑の間の敵意の解消、家庭や学校や会社や、そして社会全体に精神的革命が起こる。怪しげな商売は勿論、居酒屋や芝居小屋までなくなったというのは、かつてのイギリスのウェールズやアメリカのニューイングランドなどであった。

 つまり地域的広域的霊的大変化が起こるのです。そして、昨年のこの週報で書きましたが、ある地方では畑の作物が普段の収穫にくらべて2倍にも3倍にもふえるという信じられないような奇蹟まで起こるのです。 ……さて私は思います。日本にも、いよいよこうしたリバイバルの時が来るのではないか。長い間の先輩クリスチャンたちの労苦が今や報われて、私たちの手で大収穫の実績をあげる時が来ているのではないかと。

    二、日本の霊的土壌の変化

 明治初年の頃は宣教師が「愛」という言葉を使うと、聞いている聴衆がクスクス笑い出す始末だったと言います。「愛」という言葉はまだまだ好色的な言葉だったのです。この点、西郷隆盛という人はキリスト教的な意味に近い使い方をします。「天の心をもって人を愛せよ」などと言っています。不思議な人です。それはともかく、この「愛」という言葉は明治後期では、もう倫理的な品位の高い意味で使われます。キリスト教の影響と言わざるを得ないでしょう。

 同じように、「神」という言葉もまた、八百万の神様の一つにすぎず、石でもキツネでも神様にしてこれを拝んで少しも不思議に思わなかったのが日本人でした。しかし、現在ではとにかく「唯一絶対の創造者なる神」という観念を多少とも理解しているように見えます。これらは、すべて明治以降の長い間のクリスチャンたちの信仰実践や、ミッション・スク−ルなどによる啓蒙のお蔭かと思います。先年、ある新聞の調査で「あなたがもし何かの宗教を信じるとしたら何教を信じますか」というアンケートを出したら、「キリスト教」と答えた人たちが36%もいたということです。潜在的クリスチャン予備群が36%もいるわけです。

 これは私たちクリスチャン自身、予想もしていなかったことでした。もうクリスチャンが大挙して生まれても、おかしくない時がきているのです。刈り入れを待つばかり、その時は近いということです。イエス様は言われます。

 「あなたがたは、刈入れ時が来るまでには、まだ四か月あると、言っ ているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言う。目をあげて 畑を見なさい。はや色づいて刈り入れを待っている。」
                    (ヨハネ4:35)

 最近の教会式結婚式のブームはどうですか。信者でない人々の結婚式が増えています。このまま行くと、キリスト教結婚式の司式者が不足して二流のホテルあたりでは偽物の牧師が現われはしないかと心配です。 実は、「次にはキリスト教式葬儀が盛んになるだろう」と、先日もT先生と話したことです。昨年、当教会のN姉の勧めで未信者の甥御さんの葬儀を私が司式しましたが、九州の一農村地域に大きな感動と衝動を与えました。結婚式と違って葬儀は誰もが人生の最重要問題「生死」を考えざるをえない場と時です。今後、キリスト教式葬儀は次第に多くなるでしょう。日本の霊的土壌は変わって来ています。未信者の葬儀について神学的理論装備と実践的配慮の準備が急がれる時だと思います。

    三、今や、大収穫の時

 驚くべき増殖率、有り余るほどの収穫を期待するのは天国の法則です。「種蒔きのたとえ」、「パンだねのたとえ」、「五つのパンと二匹の魚の奇蹟」、「網が裂けんばかりの大漁の奇蹟」等々……、イエス様は豊かな収穫を明示しています。

 イエス様は葉ばかりが繁って実をみのらせないいちじくの木を呪いさえしました。神学や社会運動や福祉事業に沢山の葉を繁茂させながら、(それはもちろん善いことですが、しかし)伝道の実をみのらせないキリスト教界の教会や牧師、信徒を主は何と言われるでしょう。

 収穫の法則をマタイ9:35〜38により、4つのポイントをもって学ぶことにしましょう。

  収穫は主のあわれみによるのです。私たちも又同様に、愛により伝道に出るべきです。競争心や「やったるでぇ」意識による伝道は所詮、善い実を結ぶことはできません。

  収穫は多いが働き人が少ないのです。さあ、みんな収穫の働き人になれるよう、そして収穫の場に派遣していただくよう主に祈りましょう。  収穫の主人は神様です。ルツはボアズの畑で安心して落穂を拾いました。なぜでしょう。その畑の主人であるボアズの好意を受けていたからです。私たちは神様に愛されている存在です。私たちの出て行く先の土地の大地主は神様です。安心して行こうではありませんか。

  収穫は喜びであります。実際、十年も前のことですが、「刈り取り伝道」と称して街頭伝道に出かけて行ったチ−ムの皆さんの喜びようはどうでしたか。伝道は楽しく愉快で、最も充実した人生を与えてくれるのです。(1987.3.8の主日礼拝メッセ−ジを基に加筆)

 

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