キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)2000年12月
2000/12/31
信仰生活テクノロジー(?)
リバイバル新聞の最近号にT君兄弟のことを書きました。少々、つけたして、ここに再掲載します。一人の少年のことのように書いてありますが、本当は小学校6年生と中学3年生の兄弟のことです。
先日、2学期が終わって学校から通知表をもらって帰った。その内容がご両親は嬉しかった。さっそくそれをファックスで私に送ってくれました。そこにある、担任の先生の総合所見は以下のとおりです。
「何事も真面目で誠実に取組んでいます。感心させられます。××委員としての仕事ぶりも、行事や係の活動や毎日の掃除態度等、前向きに取組んでいます。級友の誰に対しても穏やかですし、また明るく、また労をいとわない積極的な姿に、周りの友達も良い影響を受けています。何かを発言すると、きっとクラスのみんなが明るい顔になります。授業も毎時間、楽しんで学習しており、各教科の先生がたもT君の授業態度がすばらしいと褒めてくれています。」
お母さん言わく、「この子たちは幼稚園時代、お宅のお子さんはきっと落ちこぼれになるだろうとか、将来かならず、いじめられっ子になるなどと言われて、私も落ち込みました。その子どもたちが、こんなに先生方に褒めて貰える明るい子になろうとは夢みたいです。ペンテコステの日にバプテスマを受けてから、また釘宮先生から授業を受ける態度を教えて頂いてから、子どもたちはすっかり変わりました。感謝です。」
もともと、成績の良いお子さんだったかと思いますが、それでも前の学期までは多少の問題があると書かれていました。その子どもたちが、この2学期では担任の先生が手放しで褒めています。嬉しいことです。私は特に「授業も楽しんで学習しており」という言葉に「そうだろう、そうだろう」と大いに喜んだことです。
T君は今年のペンテコステの日にバプテスマを受けました。これが何より彼を勇気づけ、変化させたようです。家庭においても、素直で快活で積極的な性格傾向が、ますます著しく伸びたようであります。
そして、もう一つの原因があるようです。お母さんも言っているように、私が彼らに「学校で授業を受けるコツ」を教えたこと、それだと思います。その日から1か月ほどして、彼らに聞いてみたら「先生の教えてくれたとおり実際に学校でやっているよ」と言っていました。私は感心しました。実際、こういう一種の行動療法的指導には一般に人はなかなか実践的には従わないものです。「これは良さそうですね。やってみます」などと言いつつも、なかなか実行しない人が多いものです。しかし、この兄弟はすなおにすぐ実行してくれました。
*
その実行方法とはこういう簡単なことです。
教室で授業を受ける時、先生の教えることが理解出来たならば、「うん、うん」と大きくうなづきなさい。よーく分かった時はニッコリ笑って、もっと大きくうなづきなさい。先生が面白い楽しいことを言った時など、「ワッハッハ」と笑いなさい。しかし、先生の教えていることがよく分からない時は、首をかしげて「えっ?」という顔をしなさい。
というようなことです。これを一か月、二か月つづけると、先生は彼に興味と親しみを持ち始めます。また、「えっ?」という顔をした時には、もう一度丁寧に教えてくれるようになるでしょう。
しだいに、先生は彼の教室に来るたびに彼を意識し、この学級に来ることを楽しみにするようになると思います。そこまでは彼らには教えませんでしたが、とにかく彼ら自身、授業が非常に楽しくなるに違いないと思っていました。これが授業を受ける秘訣です。
それにしても、ひとつ問題があります。男の子が教室で簡単にニッコリ笑ったり、誰も笑っていない時に真っ先に「ワッハッハ」と笑えるでしょうか。これは女の子には割合やさしい方法です。けれど男の子でも、平素から「ワッハッハ」と大きな声と大きな身振りや仕草で笑う練習をしておくと、いつの間にかとっさにニッコリ、また「ワッハッハ」と笑えるようになります。私の言う「ワッハッハ」のトレーニングです。
私はかつて実業界にいた時、企業主としてよく通産省等主催の研修会などに参加しました。そこで自得した講師と仲よくなる方法です。二次会になるときまって一流の講師たちが私の前にきて、壇上からは聞けない先生方の裏噺を話してくれたものです。これは、信徒の皆さんが牧師の説教はともかく、講義を聞く時の秘訣と言っていいかもしれません。
*
こういう話が信仰と何の関係があるのですかと、いぶかる方もおられると思います。もちろん、これは信仰の中心ではありません。信仰の中心は、簡単にいえば、 まず聖なる神様の前に立って己(おの)れの罪人たることを深く自覚することです。次に十字架のイエス様の前にぬかずいて罪の赦しを頂くことです。 そして神様の聖霊を受けて霊的力と聖潔をいただくことです。霊的力を受けると力ある伝道ができます。
最後には聖霊によって全く清められて神様の栄光の内に天に凱旋することでしょう。これが信仰の中心道だと信じます。
ところで、先日の礼拝説教で、最後に、ついお金の話になりました。たしかにお金は悪魔の発明したものかもしれない。しかし、教会やクリスチャンは、これを聖化できる。私たちがお金を使う時、この金は必ず世に出て行って、あらゆる場面でこの金を使う人たちをきよめ、エゼキエル書の聖所から流れ出る水ではないが、この金にふれるものは、すべてが生きる。そうして30倍、60倍、100倍になって帰ってくると信じましょう。そのように祈りましょう。そのように告白しましょう。と言って、「ワッハッハ」と何回も笑って告白したら、会衆から爆笑と拍手が一斉におこりました。確かに我々が天下のお金を清めて経済界に送り出すならば、世界の経済は聖化されるという信仰が湧いたことです。
こうした実技的方法論めいたこと、これは産業界のテクノロジーに似ています。戦後の日本の産業の繁栄はいわゆるカイゼン、技能のカイゼンのみならず、工場管理マネージメントのカイゼン等に寄るところが大きかったと言います。資本の効果が大きくカイゼンや技術革新によって拡大されたということ、私たちの信仰の効果を大きく増大、拡大、強化、増殖させる実践的秘訣に似たものがありそうです。こうした実技的勧告は真摯な信徒諸兄姉や教職先生方の顰蹙を買うかもしれませんが私の真意を汲んで頂けると感謝です。
2000/12/24
ベツレヘムの星と博士たち
「処女がみごもって神の独り子を生む」、これにまさる奇蹟はありません。これに比しては小奇蹟ですが、この大奇蹟にともなって次々と不思議な事件が起ります。ベツレヘムの郊外の羊飼いたちの前に天使たちが出現し、その賛美が空に満ちました。それから次に、東方の国から博士たちがイエス様を拝しに訪れてきました。
彼らを導いたのは不思議な星でありました。マタイ福音書2:1〜12に、博士たちの記事が載っています。博士たちが、その国で見たという「ユダヤ人の王がお生れになった」ことを示す星、どんな星だったのでしょうか。彗星の動きや、土星と金星の異常接近などを指すのでしょうか。現代の天文学で、そのように推測もできるそうです。でも、
博士たちがエルサレムに近づいた時、彼らを導いた星は一時姿を隠したようです。あるいはその星が動かなくなったのか。とにかく博士たちは行くべき道に迷ったことが聖書を読むと分かります。そして、彼らがヘロデ王を訪ねたのち、再びその星が彼らに現れ(あるいは動き始め)、彼らは狂喜しました。聖書にこうあります。「見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった」(マタイ2:9)。これはどう考えても通常の星ではありません。
私は実は、人には眉つばものと思われるかも知れませんが、戦前の少年時代と、戦後50年代に空飛ぶ円盤を見ています。戦前に空飛ぶ円盤を見たという記録は正式には世界にないと思います。それはいわゆる火の玉現象でもなく、流星でもありませんでした。私の見たのは、ゆっくりと弧を描いて飛ぶ小皿くらいのオレンジ色に輝く物体(?)でした。
後日のようにニューエイジまがいのチャネル遊びのまだ出ない頃です。アダムスキーの資料など、真面目でした。そのアダムスキーの本に偵察用空飛ぶ円盤の説明がありましたが、以上の博士たちをベツレヘムの家畜小屋まで導いて、その屋根の上でとどまったという親切丁寧な案内星は、そのような偵察円盤でなかったかと、私はよく思ったものです。
実は埼玉県入間市で伝道をしておられる木村後人先生も、このベツレヘム案内星は並の星ではないと考えられたらしい。そしてこれは信仰をもって見なければ、見ることのできない「神の存在の深みから、もたらされた異象」ではなかろうかと、その月刊紙に書いて居られる。実は、その木村先生の月刊紙「原福音」12月号に、見逃しがたい近代の記録が載せられていたので、次に転載します。
*
1918年11月のある夜、欧州の西部戦線(世界第一次大戦)の一角では、両軍の小部隊が一寒村を挟んで膠着状態に陥っていた。兵士たちは緊張した面もちで銃を握りしめ、幾日もの間、塹壕生活を強いられていた。その時、戦場の上空に、突如、まばゆい光を放つ一つの星が現れたのである。それは両軍の兵士たちをあかあかと照らし出した。
彼らは最初、敵の新兵器かと思い、恐怖におびえていたが、その光は少しの危害も加えないばかりか、かえって冷え切っていた兵士たちの心身を暖め、ただ燦々と降り注ぐのであった。
それだけではない、その星は敵味方の上空をゆっくりと行き来しはじめたのである。兵士たちはその動きを、ただ呆然と眺めていた。
ところがそうしているうちに、彼らの心から次第に敵愾心が消え去り、反対に忘れかけていた人間らしい友情のようなものが心の底から甦ってきたのだ。それは、まるで母親が晩の明かりをともし、暖炉の火をかきたて、愛する息子たちを抱いているように思われたという。(後に兵士たちの一人が、そう述懐している)。
ふと気がつくと、両軍の兵士たちは、何のためらいもなく銃を置き手を振りながら、塹壕を出て行き、戦場の中央で互いにしっかりと抱き合ったという。もはや、それをとどめる者はだれも居なかった。
彼らの頬は涙にぬれ、その心は不戦の誓いとともに、心は平和への希望と勇気に満ち溢れていた。彼らは互いに別れの挨拶を交わしつつ、一人一人なつかしい故郷へと帰って行った。
(註・月刊「原福音」は〒358-0004 埼玉県入間市鍵山3−2−4 原福音イエス・キリスト教会 木村後人先生の発行 送料共100円)*
さて、神学的にむつかしいのは、ここに出てくる東方の国の博士たちのことである。この人たちはマギと称せられる。普通、占星術の大家のように説明されるが、実はもっと幅のひろい学者たちであった。もちろん彼らは星を見て、占うことをしていたが、占いということも現代のクリスチャンが忌み嫌うほど悪質のものでもなかったらしい。(ヨセフも杯で占っていたと聖書にあるが、彼らも王宮に仕え、天下国家のことを判断していたらしい。庶民一般の運勢判断などはしなかったと言います。日本でも戦国時代の真田幸村は天文を見ていたと言いますね)。
この人たちは、たとえばペルシャのゾロアスター教の祭司たちかもしれないが、こういう人たちがイエス様のご誕生の場面に麗々しく登場するとはどういうわけだろう。異教を絶対嫌悪するキリスト教の伝統のなかで、これは説明も解釈もむつかしい問題です。
ちょっと余談ですが、つけ加えますと、私は青年時代、青年によくあるように厳密主義者だった。人生には、単なる厳密主義では解きにくい問題が多い。こうした異教問題もそうです。たとえば戦争問題も……。
厳密主義で言えば、「戦争は人を殺すことである。だから戦争は罪悪である。だから戦争は絶対反対という三段論法。トルストイの『イワンの馬鹿』式に敵国に蹂躙され、戦争に負けても、戦争には加担しない」という。ガンジーもそう、一流の無暴力主義です。マルチン・ルーサー・キングもガンジーに倣ったのですね。これは抑圧された団体や小さな国家では、困難はあるがまあまあ採用できる原理です。反対に大きな組織や国家の首長ともなると難しい。内村先生が日露戦争がはじまると、その非戦論を公には展開しなくなった。けっして卑怯だからはない。内村先生には説明しがたい葛藤があったと思う。
聖書は単なる厳密主義ではありません。厳酷倫理でもありません。地上が悪魔の主権で覆われている以上、どうしようもない矛盾がこの世にある。天国が来なければ解決できない問題が山ほどある。大正年間、作家の倉田百三が性欲のエゴイズムを説いて、非婚論を述べた。厳密主義者には非常に魅力的である。「非婚論を実現させたら、人類は滅んでしまうではありませんか」と問うたら、これまた厳密主義の雄たるガンジーは「その故に人類が滅びるのなら、それはそれでいいではありませんか」と答えたそうだ。凄絶なる正論であるが、実用的でない。
「不正なる富を用いてでも友を作れ」(ルカ18:9参照)というイエス様のお言葉は不思議な言葉である。聖書特有の曖昧主義である。安易に私たちの生活に汎用すべきでないことは明らかだが、聖書の倫理が小児的厳密主義に陥らないよう用心されるイエス様の配慮も見えるような気がする。パウロの結婚論などもそうだが、もっと研究が必要である。
ともあれ、不正なる富、不正なる権力、偽善の戦争の横行する世において、正しきは主の御心のみ、主の平和の星よ、我らに宿り給え!
2000/12/17
森本先生の絶叫と笑い
この原稿の締切り日が目前になったのでリバイバル新聞のスタッフに電話、「今晩原稿を作りますからね」と安心してもらって、ふと机上を見ると冊子小包がきている。開けてみると「写真集・山谷の母、神の愛を叫ぶ」とある。プロ写真家荒井志朗氏の作品だが、「やったあ」と私は思わず叫んだ。出るべくして出た写真集だ。もうクリスチャンなら誰でも知っていよう、森本春子先生の山谷での活動の写真集である。フリーライターの野口和子さんの簡単な森本春子先生の紹介文も載っている。
まず、最初に書いておきたい、特に家庭に青少年をお持ちの方は、ぜひこの写真集を求めて、いつまでも持っておいて下さい。こういう視覚から入ってくる強烈な印象は成長期にある若い人たちにぜったい必要だと思うからです。
四年前、真菜書房から出した先生の名句短言集「聖霊(愛)は奇蹟の原動力」という本の序文に、私はこう書かせてもらったことがある。
「お若いとき美声であったそうであるが、今はガラガラに枯れてしまったそのお声で絶叫する。説教台をたたき、奇蹟的な体験談で会衆を感嘆させたり笑わせたり、そして、み言葉でしめくくっては、また次の話題に移る。休むことを知らず、予定時間はとっく過ぎていても、止まらない止まらない(カッパエビセン…)」。
その後、もう一つの自伝風の本が出ている。「愛の絶叫」と題して、やはり野口さんの編著です。この本の序文も乞われてこう書いた。
「いま日本で、いや世界で最も必要な人。こんな人が生身で、今、日本に生きているのか。この方は日本のキリスト教界が世界に誇りうる希有な存在である。どこに居ても、誰に向かっても、神の聖霊と愛に活かされキリストの救いを絶叫してやまない。云々」
絶叫、絶叫とつい書いてしまいますが、絶叫という言葉は、実際に先生の説教や講演を聞いた人なら、誰でも同感するでしょう。まさに先生の語り口は絶叫です。そして、酒に酔って礼拝にきた山谷特有のホームレスのおっちゃんのホッペタを平手で叩いたり、ドスをもって脅迫する暴力団の親分に「殉教は覚悟の上だ」と、その親分をちじみ上がらせたり、悪霊を追い出す時のキッとにらみつける様子など、これはもう百軍を叱咤する将軍の風情です。まさに豪傑です。ところが、
この絶叫に次いで、もう一つの特徴が、先生の笑いです。底が抜けているように「カンラ、カンラ」と笑う。徹底して神様を信じ、命をかけて隣人を愛してきた山谷の母・森本春子先生は、屈託なく豪傑笑いするのです。
ところで、ある人が聞いたそうです。先生が私(釘宮)について気に入っている第一は、私のワッハッハの「笑い声」だと言われたそうです。私にとって、これほど嬉しい褒め言葉はなかったですね。ワッハッハハ。
*
以上がリバイバル新聞用に書いた私の拙文であるが、紙面の都合でこれだけしか書けなかった。森本先生は生来の一本気質から、万事を信仰一筋、あらゆる難関を突っきって来た経験と確信、勝利感。そこからくる楽天主義、微塵も恐怖なしに見える。サラリとして感情の尾を引かない、男性的に胸の中がからっぽの感じだから、笑いの声が一段と明るく、聞いていて気分がいいのである。
だから、どんなにきびしいことを言っても、叱っても、怒鳴っても、笑い声一発で、聞いている者の気分がいっぺんに解消する。
「主にあって喜ぶことは私たちに安全なことである」(ピリピ三・一参照)という言葉がなんとなく分かる。笑い声で一切の緊張した感情が消えるのだから。
「森本先生だからこそ、これができる」と言えば先生から叱られよう。でも、私たちには中々こうしたサラリとした感情処理がうまくゆかない。一度むしゃくしゃすると、感情のしこりが残る、簡単に笑えない。しかし、
私たちでも可能なやさしい方法がある。気分がスッキリしなくてもよい、一応「ワッハッハ」と森本先生の真似をして笑うのである。「善いことは真似でもせよ」と、よく崔子実先生が言ったが、本当です。大いに笑って、問題にぶっつかるのです。突破できたら、もちろん感謝、もう一度「ワッハッハ」。失敗しても「ワッハッハ」と笑って懲りない。これを繰り返せば森本先生級に物に動じない人に必ずなる。
「夢・ひこうせん」の
大平裕子さん(写真掲載)
上記は地元紙の大分合同新聞に載った記事であるが、身障者の自活共同事業としてよくやっておられるな、と思う。この写真にちょうど写っているが、私どもの信仰の友であり同志である大平裕子姉は、この「夢・ひこうせん」の有力なスタッフである。
裕子姉はもともと福島県の出身、しばらく関東の施設にいて、それから私どもの東京集会である秋川の赤坂家にお世話になり、そして遂に大分にきた。大分にきて、もう15年になる。
身障者の身で淋しいことも多いと思うが、教会の交わりと、この「夢・ひこうせん」など一連の施設を育てている障害者のグループの存在が姉妹の自立を助ける大きな支えになっていると思う。
私の牧師としての反省であるが、裕子姉を助けて下さっているこの障害者のグループの方々に対し、これまで尊敬と親しみが足りなかったなあと思った。そして、
イエス様の教えに従い、神様を愛する者として、私たちは自分を愛するように、私たちの隣人をも愛さねばならない。まして、この身近な「夢・ひこうせん」の方々を自分たちの経営する店のように愛し盛りたてて行かねばと思ったことである。
2000/12/10
あなたがたは地の塩である
あなたがたは世の光である先週の週報に書きましたが、アフリカのナイジェリアではボンケ先生のクルセードで340万人が救われたと言います。そこへ持ってきて某権威ある預言者の預言では、ベニー・ヒン先生が日本でクルセードを開き500万人の収穫を主は与えると言われたと、云々。
ベニー・ヒン先生に500万人与えられる方は、私たちの大分県に5万人与えられると考えても、計算上は少しも可笑しくないと思うのです。
5万人と言えば、今、出来つつある大分のサッカー競技場がちょうど頃合いの会場です。私は考えた。大分県は再来年ワールドカップ、その受け皿に造っているのがこの大競技場だが、四国からのアクセスとして豊予海峡鉄橋があるならば、大分への交通網、中国と四国と九州のクローバーの葉状になって、大分は中心の目にになる。
もし大クルセードを大分で開くならば、会場として大分のサッカー場は打ってつけである。
そこで、この豊予海峡鉄橋だが、この構想は早くから大分県知事平松さんのビジョンとして打ち上げられている。この構想には反対も多い。平松さんの提唱する豊予海峡鉄橋なるものは、あのバカでっかいサッカー競技場と共に大きな税金のムダ使いである、という反対の新聞投書もよく見る。
しかし私は思う。とにかく、このサッカー競技場と豊予海峡鉄橋は大分大クルセードのために大いに役立つ。神様のために日本リバイバルを期待する熱望する私たちの願いにたいしてまさにピッタリの施設です。 私たちは大いに平松知事のビジョンを応援し、その実現を神様に祈りたいと思うのです。
大分市にキリシタン殉教公園やキリシタン関係の銅像がたくさんある。元大分市長・上田保氏の私費ないし肝いりで出来た。上田さんは平松さんの義父、そして共にカトリックの信徒である。どうか、銅像どころでない、大リバイバルのためご貢献願いたいものである。そう思って、豊予海峡鉄橋もり立て運動をやってしかるべきだと、ひとり私は心を燃やしている所である。
*
さて、私は今78歳、10年すると88歳、米寿である。喜寿の祝いを大々的にしていただいたのは昨年のことである。多くの先生方や信徒諸君からのご祝福をたくさんいただき、たいへんな名誉なことであった。米寿には、その第2回目をしようという声もないわけではありませんが、その機会に私は牧師の職を引退することを神様にも皆さんにも許してほしいと思っているのです。
先日、大分県下の聖霊派というか、そうした仲のいい先生方との月例祈祷会がある、その祈祷会で先生方に頼んだ祈りの課題の一つは私の後継者づくりについてであった。私は現在、永井明先生のおかげで名前だけでも拡大宣教学院の理事長である。この学院出身者の中から次代の牧師を選ぶことは十分見込みがある。また、無理を言ってイエス・キリスト福音の群の牧師先生の中から、どなたかを招聘することも可能性もあるかもしれない。
しかし、できればこの教会の中から次代の牧師を起こしたい。いや、主に起こしてもらいたい。それが私の願いです。
私は永井先生とちがって、こうした未来構想、未来への視点のまったく下手な人間である。先のことに関して全く目が行かない。後継者問題など、もっと早く考えるべきこと、いや祈っておるべきことだったろう。しかし私にはそういう能力が欠けているらしい。ノホホンと坊ちゃんそだちに育ったせいであろうか。
生家での母の溺愛と、店の番頭さんや店員さんが良い人が多かったから、ぬくぬくと青年前期まで成長してしまった。それからは無我夢中で戦中戦後を刑務所と戦災孤児と伝道で生き抜いてきた。生かされるままに生きて来て、自分で道を開いたという実感がない。将来を真剣に考えたのは今回が初めてと言えるであろう。
先に書きましたが、10年すると私は米寿の88歳。「モーセは死にヨシュアが後を継いだ」と聖書は語る。私をモーセに喩えれば、だれがヨシュアになってくれるであろうか。会堂の基礎がやっと出来ました、というところで、私は引退して、ヨシュアになぞらえていい人にあとを譲ってゆこうか、などと考えています。
*
さて先週の巻頭短言に書いたように、本年の目標は「暫定」としたまま、もう年の暮になってしまいました。恥ずかしいことです。ところが永井先生のお言葉によって降って湧いたように会堂移転の提案が実は起きているわけです。かなり長期になるとは思いますが、これこそ具体的今後の目標です。
そこで今後の私たちの信仰姿勢の成長段階を次の聖書のお言葉で予想して見たいのです。
第一、「熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。」(ローマ12:11、12)
このみ言葉を第一期の指標聖句にしたいと思います。何をするにしても熱心さがなければすべてはむだです。今後の伝道と新教会の発展基礎造りのため、まず「熱心で、うむことなく、霊に燃え、……」と第一歩をはじめましょう。
これが来年以降、早速の私たちのとるべき姿勢だと思っているのです。 第二、「主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ。」「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。」(マルコ12:29〜31)
このみ言葉を第二期の指標聖句にします。熱心に心を尽くして主を愛し伝道する、その熱心さが隣人を愛し隣人のために命の消耗を惜しまず社会に出てゆく行動的信仰に発展してゆくと言うことです。
初めは「地の塩のごとく」人の目にかくれて世の腐敗をふせぎ、善き味を引き出す塩の務めをしていますが、しかしやがて「世の光」として「善き行いを世に輝かす」大胆な社会奉仕に手を伸ばし、世の貧しい人々、苦しんでいる人々への奉仕活動に献身する教会になるということです。そう、社会につながる教会へと成長するのです。そして、
第三、「あなたがたは行ってすべての国民を弟子とするために、彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。」(マタイ28:19、20)
とイエス様のお言葉に従う宣教大命令の実践です。ここでは第二項で示された「世に出て行く」ことの目的が提示されています。それは信徒全員がイエス様のすべての教えを守り一人一人が全き弟子となって、イエス様の教えを完全に実践的に霊的に守り得る完全な人になるということです。それは彼らの人格の完成であり、栄光に満ちた地上天国の建設です。 (2000.12.7.祈祷会の説教後半)
2000/12/3
「湧き上がれ、心の井戸」
先週の27日、月曜日の西日本新聞だったが、この新聞は福岡市が根拠地だから無理も無い、その第一面にデカデカと出た記事が、「ダイエー、パ・リーグ優勝のパレード、一般市民が道にあふれて、なんと43万人」(もちろん写真入りで)と載っている。43万人! 私の町、大分市の人口がちょうどそのくらいで、福岡市は100万人は優に越えているはずですが、それにしても43万には呆れました。
ダイエーはパ・リーグではたしかに優勝したでしょうが、日本シリーズで巨人に逆転負けしてしまっている。かつての三原監督ひきいるライオンズがジャイアンツに逆転勝利したときと全く反対の場面を見せつけられて腹を立てているかと思いきや、43万人のパレードとは、ばかばかしい、と思うのは、福岡人、いや博多の人間を知らぬ人の言うこと。
博多の人間のお祭り騒ぎの好きなところが、ここに如実に出ているとつくづく思った。お祭り騒ぎというよりお調子者が多いのですね。大分の方言ではこういう人を「わき上がり」と言う。人目はばからず有頂天になって、騒ぎ立てる輩(やから)のことを言う。
こうした性格傾向は実は、元来、日本人の心に潜んでいるのだと思わずには居られない。徳川時代、この日本列島を何百万の人が、主人にも断り無く「ええじゃないか、ええじゃないか」と伊勢参りに飛び出して行ったことがある、「おかげまいり」。「抜けまいり」ともいう。
日本神話で天照大神が岩戸隠れをする。天下が真っ暗になる。神々が集まって神妙な協議をする。その時、アメノウズメノミコトという女性神が出てきてきわどい踊りをする。それが面白くてドッと笑い転げる。岩のなかに隠れている天照大神は面白くない。そっと岩の戸を開けてみた、という神話。(ここでいう神とは日本人の先祖たちである)。
民族神話はユングの言うとおり、その民族の潜在意識、その民族の秘めた性格と行動傾向であろう。日本人は本来は表面はつつましく遠慮深く内向的であると言われている。しかし案外、ラテン的軽薄な面があるのだろう。付和雷同、一斉に考えを変え、団体行動を変えられるのではないか。これはひょっとするとよい性質かもしれない。
*
その27日に、前日付のリバイバル新聞がきた。たいていは前週の土曜日に着くのだが、時々おくれて月曜日につく。(これが教会で週刊紙を取り次ぐ際の難点である。信徒各位よ、直接予約購読を乞う)。
26日のリバイバル新聞を見て驚いた。第一面にデカデカと、ボンケ先生のナイジェリアのクルセードで340万人が救われたと言う記事。驚いたァ………!
アフリカと言っても、ナイジェリアはその中で最も人口の多い(たぶん6、7千万人くらい)、かなりの大国である。それにしても340万人とは凄い。こういう大量回心は歴史上、無かったことである。ああ、あたらしい時代が来たな。まさしく至福千年期だなと、私は興奮する。
そこへ持ってきて、そのリバイバル新聞の同じ号の裏面、つまり第二面の、そうそう、第一週、第三週は私の「ワッハッハ元気の出るコラム」あるところ、そこに大川先生の「石の枕」というコラムがある。そこに大川先生の書いた記事があった。言わく、「ビックリ預言」と題して。
去る11月17日のテレビ番組でロバート・ミッチェルという先生がベニー・ヒン先生にむかって預言したというのです。
「あなたのお働きが大きく変わって行きます。主はあなたを魂の救いのために豊かに用います。あなたは日本に行き、大きなクルセードを通して、500万人以上が救われるでしょう」。
その時、ベニー・ヒンは興奮して言ったそうです。
「自分は何年も前に日本にリバイバルが来る。私もその働きの中の一人になるという夢を見ました。しかし、これまで何度か日本に行きましたが、そのような大きなことは成就していません。しかし、主は私に言われました。『まだ終わっていない』と。今日、あなたがそのお言葉を確認してくれました」と。
その大川先生にベニー・ヒン先生から伝言があったそうです。「大川先生に会いたい。20日に中国からの帰りに中継の成田で5時間くらい居ます。来て下さい」。
日本でのクルセードの相談を大川先生にしたいというのでありましょうか。ともあれ、さあ日本に何が起るでしょう。
*
先に書いた「お陰まいり」のことを思い出してください。日本人は一挙に思想と行動の傾向を変える特徴があります。
明治維新というあの一種の革命騒ぎ、他の国だったら大内乱が起るところです。あの無血革命にひとしい「明治維新」というものに驚嘆と不可思議という疑問をいだかない外国の歴史家や国際評論家はいないと思います。廢藩置県と言って大名諸家、お殿様はこぞって自分の領地を天皇様に帰して喜んで東京に行って人質みたいに華族になりました。藩の財産や政治の諸機能や人材も備蓄も残っています。
そして明治維新から、わずか26年後には日清戦争。日清戦争の次には10年して日露戦争、また10年して第一次世界大戦に参加。ここで日本は戦争ボケしたのか、戦争をすれば勝つもの、そして儲かるものと思ったのか、今度は17年たって満州事変(日本特有の欺瞞語で宣戦布告をしない戦争のこと)、そしてまた10年して大東亜戦争(アメリカ流に言えば太平洋戦争)、そして遂に1945年、昭和20年の敗戦(日本政府に言わせれば終戦)です。
そして一挙に民主主義国家への方向転換、天皇陛下の人間宣言、とこのように身代わりが早いのです、なんと器用なことよ! と、人の国なら皮肉の一句も言いたくもなるところです。しかし、
これこそ日本人のいい所だと敢えて自認しましょう。「過ちを改むるに、はばかる所なかれ」です。昭和十年代の青年将校たちが「昭和維新、昭和維新」と言い暮らしましたが、皮肉にもアメリカに負けて本当に第二の維新が出来たようです。こうして、
恥ずかしげもなく方向大転換できる日本人の性格傾向に、聖霊様が火をつけて下されば、善いことに変わる。これまで「日本は伝道がむつかしい。日本人にキリスト教は向かない」など言ってきたのは無理もないが、しかし結局は無知であったということ、日本ほどリバイバルのやさしい国はなかったなどということが起りはしないか。フランシスコ・ザビエルによる布教大成功も、そのあたりに原因があったのかも?
皇室にキリスト教がはいり、NHKと朝日新聞が同調しさえすれば日本の総福音化は簡単に起る、こんなことを書いてしまうと、方々から叱られそうですな。「暴言、妄言は吐くな」と。
12月2日、大分市ではトキハ・デパートが造った超大型ショッピング・センターがオープン。付近は大混雑です。博多人種を笑えないような「わきあがり」ぶりです。日本のクリスチャンも聖霊により命の井戸から「湧きあがりたい」ものです。古いコーラス賛美がありましたね。「わき上がれ、心の井戸、……」 ! (2000.11.30.祈祷会の説教前半)
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