キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)

2001年3月

2001/3/25

愛の手に握られて

  一、戦時中の刑務所の中で

 戦争中のことです。私に召集が来ました。私は絶対非戦主義者でしたから、どう考えても戦争に行く気にはなれません。逃避的抵抗ではありますが、睡眠薬を飲んで自殺を図りました。しかし、自殺は失敗しました。私としては恥ずかしい事件でした。この結果「兵役法違反」と「出版言論集会結社等ニ関スル取締令違反」で懲役一年の判決を受けました。今、考えると不思議なほど軽い判決でした。そして福岡の刑務所に送られたのです。

 刑務所の中では、私は最初の3か月間、一般囚の人たちが行く軍事用航空機のジュラルミン工場で働かされました。その後、戒護課長に呼ばれて、禁固並の厳正独居房に移されたのです。

 独居房では、鉄のドアが1日に6回開きます。3回の食事、1回の便器出し。それに朝晩の点検。点検というのは看守の前で裸かになって手や足を振って、口をアアーンと開ける。違反の金具や薬品などを身につけていないか、検査されるわけです。囚人がわも慣れてしまっていて、毎日の儀式のようなものでした。

 鉄のドアには手が差し入れられるくらいの小さな穴があります。小物や手紙などの配布がある時、ここから雑役囚(兵隊の班長に似ている。看守がわりに囚人たちをみかじめする役目。当然みんなから怖がられ、嫌われるのが普通)が入れてくれるのです。冬はこの小穴から風がはいって来て寒いのです。刑務所の中では、冬に火の気が無いのが一番つらい。

  二、私の名を呼ぶ声がする

 ある日のこと、突然「ヨシト」と私の名前を呼ぶ声がしました。刑務所はすべて囚人番号ですから、名前を呼ばれると、何事がおこったかと飛び上がるほどびっくりします。声は例の差し入れ口からです。のぞいてみると私を呼んでいるのは、私がもと居た工場の雑役囚のMさんでした。そのMさんが、

 「ヨシト、俺はこんど、ここに来たんだよ。さあ、手 を出せ。俺の手を握れ。頑張れよ。ここは何より体が 大事や。コーリャン飯は少なかろうが、辛抱して、よ く噛んで、ゆっくり食えよ、ええか。死んだら何もか もおしまいじゃからな」

という。刑務所のなかで雑役囚に好意を持たれることは地獄で天使に会ったような気分です。まして「手を握れ」という彼の破格な愛情表現の初々しさに私は嗚咽しました。今でもそれを思い出すと涙が出ます。彼の声と手の温みを今でも思い出すのです。

  三、「主は私の右に居られる」

 詩篇第16篇はダビデ王の詩篇ですが、その8節に、

 「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右に居 られるので、私はゆるぐことがない」。

とあります。これは、いつも主の臨在を覚え、主を尊び、主を賛美し、主と交わる。そこに敬虔の日々があるという信仰生活の奥義なのですね。

 ダビデが「主を前に置いた」と言っているのに、なぜ次に「主は私の右に居られる」と言うのでしょうか。

 そこで、ヘブル語を調べると「私の右」は「私の右手」が正しいのです。なるほど、そうだ、主は彼の前に居られ、右の手を出して「ダビデよ」とダビデの手を取られたのですね。そして「ダビデよ、強くあれ。雄々しくあれ」と仰せられるのです。アーメン!  
          (「恵みの雨」1995年8月号掲載の旧稿より)

 

−わたしの思い出−   

刑務所という所はなんと言っても、一般の世界とは違います。思いもかけない経験をします。戦時中も刑務所は案外、清潔な所でした。食事も量が少いといっても当時としては精一杯の量だったと思います。▼さて、私は判決を受けて後、最初の3か月間はジュラルミン工場での仕事だったことは、上記にちょっと触れました。これは一日中立っている仕事でしたから、やはり当時のコーリャン飯では体が疲れ果てて、頭がボーッとかすんでくるほどでした。困りました。この時、私は橋本鑑という牧師先生の「福音的称名序説」という本を思い出したのです。▼橋本先生は京都にある修養団体・一燈園でヒントを得たらしいのですが、毎日、常に、「イエス様、ハレルヤ、アーメン」と唱えなさいというのです。これが「絶えず祈るということだ」というのでした。先生は「主の御名を求めるものは救わるべし」という聖書の言葉にもとづき、またカール・バルトを神学的に引用して説明もしていましたが、とにかく、要は実行です。朝も昼も晩も「イエス様、ハレルヤ、アーメン」と念佛ならぬ、イエス様の称名を始めたのでした。それが不思議に先生の信仰を深めたという証しでありました。▼私はそれを思い出しました。さっそく試みました。作業台でジュラルミンのナットの頭を削りながら「イエス様、ハレルヤや、アーメン」と心の中で唱えつづけていました。そうすると第一の効果は時間を忘れることができるということでした。称名しながら作業にも精が出るのです。気がつくと思いもかけず、時間がたっています。そうしたある日、突然担当看守から声がかかりました。ある工場内での役目を与えてくれたのですが、それには特別に食糧給与のおまけがつくのです。つまり看守は特別に私に食料の配慮をしてくれたのでした。▼私にとって嬉しい褒美でしたが、それ以上に嬉しかったのは、次のような事でした。刑務所という所は非常に時間がたたない所です。仕事にやりがいを感じない暗い雰囲気が満ちています。そのような中で私は「生きがい」を感じられ始めたのです。これはイエス様の御名を称名するご利益(?)ではないかと思いました。刑務所の中で受けた神様の恵みの最初の経験でした。 

 

2001/3/18

新しい舌をいただく

 ある雑誌で、ロバート・ユーインという方のインタビュー記事がのっていた。読んでいるうちに、このユーイン先生が若いとき吃音であったこと、その吃音がある聖会で預言的癒しを受けてまったく吃りが治ったなどいうことが書いてあった。

 私は嬉しくなった。というのは、私も幼年時代から青年前期にいたるまでひどい吃音であったから……。

 聖書を読むと、モーセも吃音であったらしい。昔のことはともかく、現代の大伝道者オーラル・ロバーツやベニー・ヒンも若い時、吃音であったという。

 吃音でありさえすれば、ああいう霊的大人物になれるとは思わないけれど、我が同士を得たわけで、やはり嬉しい思いがする。今回またその同士を一人知ったわけだ。

 私は幼年時代から吃りはじめ、そのお陰で特に十五、六歳頃にはまったく陰欝な人間になった。その上、その頃読んだキェルケゴールの本に、彼が憂欝かつ深刻な顔をして、うつむいて散歩している写真があった。

 「ああ、このように人生を深刻そうに生きるのはカッコいいなあ」と思った。

 そして、できるだけ下を向いて悲しそうな顔をして歩く癖がついた。本当は、人にどう見て貰えるかが、それが私の第一の関心事であったような気がする。

 しかし、この姿勢は私の吃音に輪をかけた。いや、吃音だからこそ、こういう姿勢をますますひどくしたのかも知れない。ついに負いきれなくなった。

 親友A君の厭世感による自殺や、それに誘発されて私自身の罪悪感がのしかかってきた。当時の日本の戦争に対する非戦主義的葛藤もあった。兵役を避けて自殺を試み、失敗して入獄する。そして遂にイエス様に触れる。 イエス様のみ言葉が私の魂をつらぬき、私は回心する。天来の喜びが私を満たし、そして限りなく深い平安が来た。そして吃音が殆ど癒された。

 その後、私は爆発的異言を神様から頂く。ぶっ倒れて三十分ほど立ち上がれなかった。その後、気がついたのは私の吃音は完全に癒されていたことである。異言は舌を解放する。なるほど異言という言葉はギリシャ語では「舌」だが、まさしく、新しい舌が私の口に与えられたらしい、おしゃべりな牧師になってしまった。 
(リバイバル新聞2000.6.18.「ワッハッハ元気の出るコラム」より転載)

 

 

王や高官のために祈ろう

 

  一、えひめ丸事件に処して

 えひめ丸の沈没事故に関する新聞記事も、ぼつぼつ静まって来たようだ。一時の日本国内での騒ぎぶりじゃ並大抵ではない。森首相への風当たり、冷笑ぶりも常軌を逸していたと思う。

 一時、本紙の巻頭短言にも書いたが、あのえひめ丸衝突事故を危機管理などと煽り続けた新聞に私はまゆをひそめた。遺族の方々には悪いが、あれを危機的問題と捉えるのは行き過ぎであると言いたい。総理大臣が正面に乗り出すほどの問題ではなかったと思う。外務大臣クラスでよかったのである。

 もちろん、あの時、森首相がその知らせ受けて、そのままゴルフ場に居たのはまずかった。どうもこの方は言動が軽いのが欠点であろうが、しかしそれが一派閥の親分であり得た所以ではなかったか。それを承知で彼を総理に押しだした輩の責任を問う人はいない。

 当時、アメリカ側では日本と如何に対処しようかと頭をかかえていた時だ、幸いにも当の日本では森総理いじめで上を下への大騒ぎ、アメリカとしてはさぞ面白かったであろう、またゆっくり考える余裕もできたであろう。日本としては国辱的な時期であった。

 両国が慎重に善後策を交渉しなくてはならない時、日本がわでは首相の足を引っ張り、笑い者にし、無能者扱いしている。どんなに出来のわるい代表者であろうと、この一件が済むまでは我慢して、この人を助け、名誉を守り、良い結果を得られるように努力するのが周辺はもとより、新聞諸社に求められる自制心ではなかろうか。今回の各新聞の森さん扱いには本当に愛想が尽きた。

  二、新聞に惑わされるな

 特に日本人は新聞に弱い。新聞に書いてあることは皆本当だと信じる。アジア・太平洋戦争の時がそうだった。夜、銭湯に行ってみると、みんなその朝の新聞そのままに歓呼したり悲憤慷慨している。 戦争中とちがって、今はまさかウソは書くまいけれど、書くべきことを書かないことがあるようだ。 大分で言うなら製鉄会社の粉塵で奥さんがたは洗濯ものが汚れて困っている。そういうことは新聞に出ない(先日一回だけ出たが)。 芸能欄やスポーツ欄に、こまごまと芸能人や選手たちのゴシップや家庭問題等、記事が出る。

 ところが、バブル経済の起りは何だったか、その崩壊について。あるいは最近のデフレとは、不景気とは何か、解説が本当に不親切である。中国の日本の教科書検定問題についても、及び腰である。 以前は熱帯雨林の開発について相当論陣を張っていた、最近はひと声も上らない。そして毎朝の新聞には、その熱帯雨林のパルプで作ったであろう上質紙に印刷された広告が片手で抱え上げられないほど折り込まれている。新聞はなぜか、黙っている。

  三、王や高官のために祈ろう

 聖書にこういう言葉がある。「すべての人のために、また王と、すべての高官たちのために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。私たちが信仰深く、品位を保って、また安らかに、平穏に、一生を過ごすためです」(テモテへの第一の手紙二・一)。

 これは使徒パウロが信徒たちにあてた手紙の一節ですが、当時すでにクリスチャンに対し迫害は始まっていましたし、ローマ皇帝や高官たちも決してクリスチャンにたいして好意的ではありませんでした。

 そして間もなく大迫害が起るであろうこともパウロはしばしば預言警告しました。にもかかわらず、すべての一般ローマ国民をはじめ、皇帝や地方の分封の王たち、またすべての高級官吏たちのために、願い、祈り、とりなし、感謝をささげることを勧奨しているのです。

 これは何たる不思議な、そして底抜けの愛というか、誠実さというか、キリスト教の社会倫理が現わされています。そして実はまた、社会の実態をよく見抜いた現実的勧めだったとも言えます。どんな悪い政府や政治機構でも、それが無いよりは在った方が社会の安寧、秩序のためには良いからです。

 あのヒットラーのナチス政府であろうと、それが無くなったら正に百鬼夜行、やはりナチス政府でも、あったほうが良いのです。

 そしてどんな時にも、主を信じてささげる祈りは、万事を解決する力でありますから。 

 

2001/3/11

道徳では人は救えない

 

   一、エジソンさんでも、この程度

 「テコの原理まではわかった物理学」、という句が新聞の川柳欄に出ていました。まさに私のことです。エジソンが「電気とはなんぞや」という研究に取りついていたら、一生は失敗だったろう、という話があります。ところが彼は「この電気というものを使ったら何が出来るか」と考えた。そして白熱電球を発明したのだ、と。

 今、日本でノーベル賞に一番近い男といわれる中村修二博士が、最近「考える力、やり抜く力、私の方法」という本を出しました。その中の名言「あなたはアインシュタインにはなれなくてもエジソンにはなれる!」

 実際、ある夫人が「エジソン先生、電気ってどんなものですか」と子どもを連れて行って質問したそうです。その時エジソン先生、答えて言わく。「猫のシッポを踏むと、頭のほうでニャーンと鳴くよね、それじゃよ」と言ったとか。

 まさか、エジソンの電気の理解がその程度であったとは思いませんが、しかし誰が答えたとしても、この程度を越えられないでしょう。

   二、タイプライターの修理は出来ても

 私は40歳代に一時、軽印刷屋をしたことがあるのです。そのころの軽印刷というのは、邦文タイプライターで製版して、主に冊子や資料などを印刷するのが仕事です。最初に思いがけない後援者が現れて、開業資金と整備済みの中古タイプライターを5台無償で送ってくれたのです(まさしく奇蹟、一篇の信仰物語りでした)。

 ところが、そのタイプライターの中の一台が、整備が不十分でどうしても動かない。私は半日苦闘して、やっと修理を仕上げました。鼻を高くしたものです。

 しかし、これが最近の電子機器に属するものだったら、てんで駄目だったでしょう。当時のタイプライターは単一機械の集合体でしたから、私でも出来たのです。

 単一機械とは、最初に書いたテコとか、そしてクサビとか、滑車のことです。古代の帝王は、万里の長城であろうが、バベルの塔やピラミッドでも、単一機械だけ、それと沢山の奴隷を使って、工事を完成させたのです。

 私は横に完全品をおいて、それを見ながら故障品をいじる。ちょっと気長に頭を働かせば、試行錯誤と忍耐とで、とうにか修理をやりおせたのです。しかし、

 これが電子機器だと、そうは行きません。大正生まれの私にはどうにもならない。お手上げです。

   三、この混乱期の人類を救う力はキリスト

 最近の17歳少年らの無鉄砲ぶりや、若い母親の非常識ぶりに、「戦後の家庭教育やしつけが駄目だったからだ。道徳教育が出来ていなかったからだ、教育勅語が無かったからだ。修身教科書を見直せ」、などという新聞の投書欄や、雑誌などで識者たちの評論がしきりです。

 しかし戦前には徹底して、しつけや、修身・道徳の教育を受けたはずの大人たちが、敗戦と同時に混乱のヤミ市時代に放り出されて、生きるだけでやっとでした。学校では教師たちが子どもたちの教科書に墨をぬらせたりして、他に為すすべはありませんでした。そんな親や教師たちにどんな道徳教育が出来たでしょう。ほとんど何も出来はしなかったのです。

 社会や人間教育の上で道徳論というのは、物理学で言えば単一機械のようなものです。単純な、見える世界での応用は理解しやすいですし、実際面でも役立ちます。私がタイプライターを修理できたように簡単です。同様に落ち着いた平穏な社会では、道徳と倫理、修身や教育勅語で青少年を教えるのに間に合います。しかし、非常事態、混乱期、百鬼夜行の世の中になると役立ちません。

 そうした荒廃した無法な世の中にでは、根源的な人間性の欠陥が露呈します。そこでは、度しがたい癒しがたい人間の弱点や罪と悪が噴き出します。それに面と向かうには一般の道徳的、倫理的、生き方講習会のような宗教では力が無さ過ぎます。こうした時、

 キリストの生きた生命力が必要です、源泉はキリストの十字架の死から来るのです。万物の創造者、唯一の神の独り子イエス・キリストの命をかけた捨て身の愛が、今も各人の人格に命をあたえ、人間改造のエネルギーとなるのです。キリスト教会の力の秘密です。

 やくざの世界まで落ち込んで、社会の屑のようだった人たちをミッション・バラバのように救い出せる、そのような力を発揮するのはキリストの愛と命です。

 単一機械の物理学に似た単なる道徳の教えでは、生身の人間は救えません。今も天に生きるイエス・キリスト様の霊的生命、聖書では聖霊と言いますが、その聖霊の力だけが、地上で迷い狂っている人類を救うのです。

 

2001/3/4

大いなる信仰を持て
− マタイ福音書第15章21〜28−

   一、「イエス様だって、いくらなんでも……」

 「イエス様だって、いくらなんでも……」と言いたくなるのが次の話です。ツロとシドンという外国にイエス様は出かけられた時、その地方出のカナンの女がイエス様に来て叫びつづけるのです。

「主よ、ダビデの子よ。私の娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます。私をあわれんでください」。

 しかしイエス様は冷たい。やっと言った言葉がこれです。「私はイスラエルの同胞のため以外には遣わされていない」。お前さんのことなど構っておれない、ということです。しかし、その女性はなおも取りすがります。

 イエス様は言い放ちます。「子どものパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。小犬に等しい異邦人のお前さんに投げてやるパンなどあるわけがない、と言わんばかりです。ところがとっさに、女は答えます。「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬でもその主人の食卓から落ちるパンくずは頂きます」。

 イエス様は思わず答えられました。「『女よ、汝の信仰は大いなるかな、願いのごとく汝になれ』 。娘、この時より癒えたり」(文語訳のマタイ伝15・28)。

 傍線の「大いなるかな」という個所は、他の邦訳聖書では「見上げたものだ」とか「立派だ」とか訳されていますが、原文ではメガサスというギリシャ語です。メガトンのメガの語源です。イエス様は「巨大(メガ)な信仰よ」と呼びましたが、実はこの女性の信仰が大きかったのではない、イエス様の受けた衝撃が大きかったのです。

 イエス様はこの女性の思いもよらぬ言葉に虚をつかれたと言えましょうか。そして感動されて「汝の信仰は大いなるかな」と言わずにはおれなかった。こんな称賛を受けた人は他にいません。この女性の熱心さはとっさに機転の言葉を生んで、イエス様の心を動かしたのです。

 

   二、「からし種ほどの信仰でも」?

 マタイによる福音書の17章15〜20を読んでください。そこには、てんかんの霊につかれた少年をイエス様がお癒しになる記事が出ています。弟子たちは、その子どもから悪霊を追い出すことが出来なかったのですね。そこに、イエス様がお出でになってその少年をお癒しになられる。弟子たちはイエス様に聞かずにおれません。「私たちは、どうして悪霊を追い出せなかったのですか」 イエス様は答えられます。

「あなたがたの信仰が足りないからである」

 私に言わせれば、この傍線の個所、絶妙な訳です。これは日本聖書協会の口語訳聖書の翻訳ですが、他の翻訳では多くは「信仰が薄いからだ」と訳してあります。昔からそういう訳でした。最近は「信仰が小さいから」と訳してある翻訳もあります。幾分ましな訳です。

 原語のギリシャ語ではオリゴスという言葉でして、数や量の少ないことを指すのです。この問答のすぐ後で、イエス様はおっしゃいます。

「よく言い聞かせておくが、もしからし種一粒ほどの信仰があるなら、この山に向かってここからあそこに移れと言えば移るであろう。このようにあなたがたにできない事は何もないであろう。しかし、このたぐいは、祈りと断食とによらなければ、追い出すことはできない」

   三、はて、小さな信仰でもよいのですか?

 これらの聖書の個所は非常に大事です。先に「あなたがたの信仰が足りないからである」とイエス様は言われました。そして「小さい信仰でもよろしい」とも言われました。ちょっと矛盾するお言葉にも聞こえます。この矛盾する2つの言葉をつなぐ言葉があります。

 「からし種一粒ほどの信仰でも、その種を撒けば百倍、六十倍、三十倍になる」という言葉です。イエス様は小さい信仰でも「それを殖やせばよいではないか」とおっしゃっておられるのだと思うのです。

 弟子たちは一般的な悪霊の追い出しの権威はすでにイエス様に頂いていました。また、各地の巡回伝道で成功もしていたのです。しかし、このてんかんの少年に限って失敗しました。なぜか、相手が特殊な扱いにくい悪霊だったのではないでしょうか。だから特別に「祈りと断食」をもって対処すべき悪霊として、イエス様が「このたぐい」と指摘されたのではなかったでしょうか。

 私たちは、このような扱いにくい悪霊や病気や、また困難に出会った時、敢えて挑戦し、突破して行きましょう。その結果、次々と信仰の勝利を経験します。そして小さな信仰でも、これを多く集めて束ねる。信仰は増殖され、強化され、大きく成長して行くのです。小さい信仰を軽んじてはいけません。(2001.2.18.主日礼拝説教)

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