キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)

2001年7月

2001/7/29

主にあって日増しに新しい力を得よ 

 昨年はマラソンの高橋直子選手でしたが、今年はシンクロナイズド・スイミングの立花美哉、武田美保の金メダル、日本中を湧かせましたね。

 井村というコーチさんがなかなかの人らしいですが、この井村コーチに鍛えられた武田選手に一時、危機があったそうです。アトランタ五輪が終わった19歳の秋、

 「先生(井村コーチ)に何を求められているか分からないで、ただボーッと泳いでいるだけ。何とか叱られないようにミスをしないようにと練習をこなしていると、先生から『あかん』と怒られる。そんな時、立花選手が何度も繰り返し技をしみこませている姿を見てハッとした。『立ちどまらない気持ち』というものを感じたのです」。

 私は打たれた。「立花選手の何度も繰り返し技をしみこませている姿」を見たということや、武田選手の悟ったという『立ちどまらない気持ち』ということに。

 信仰の成長もそれに似ていると思った。じっくりと立ちどまらずに、聖霊様のみ業を私たちの魂やからだにしみこませるのである。こうして、毎日少しづつ成長する木のように、信仰も成長するのです。

 もちろん、一瞬に受ける霊的革新(コンバーション)ということもある。私はこれを一生にただの一回の経験とか、二回だけのこととは思わない。生涯に何度もあれかしと思う。仏教の人ではあるが、白隠も言う。「我、生涯に大悟すること三度、小悟数知れず」と。しかし、

 立ち止まらないで、ゆっくりと木のように成長する信仰の成長というものがあるのです。これは忍耐を学び、傲慢を防ぎ、聖潔を内に蓄える秘訣だと思います。

           *

「主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる」(イザヤ40:31)。

「たとい、わたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」(第二コリント4:17)。「わたしが来たのは羊に命を得させ、豊かに得させるためである」(ヨハネ10:10)。

 だから私は毎日自分に言い聞かせるのです。「私は主にあって日増しに新しい力を得る。日増しに豊かな命を得る」と。霊的にも、精神的にも、肉体的にも、新しい力を得、豊かな命を得ようでありませんか。 

 

2001/7/22

首相の靖国参拝 反対の投書あり 

 先日、大分県の地元新聞、大分合同新聞の投書欄に「総理大臣は公人、靖国参拝は許されぬ」という投書が載った。(地元の新聞という事に注意したい、朝日新聞ではないのである)。

 こういう趣旨であった。「靖国神社に参拝したい」と小泉首相は言っている。外国が何と言おうと、自分の信念を貫くと言った、妙に肩を張ったものを感じる。「祖国の永遠の平和の基礎となられた英霊……」といった戦争賛美の心が小泉さんのどこかにあるのではないか。信教は自由であるから、神道を信じている人が靖国神社に参拝したとて誰もとがめはしない。しかし、総理大臣が参拝するとなれば、これは許されることではない……、と論旨明瞭である。

 投書した人は大分県緒方町の菊地紀雄という六十一歳の方だ。「偉いなあ」と思う。「失礼だが、緒方町はけっして小さな町ではないにしても、それでも田舎です。ああいう投書をしたら周囲の反響は大変でしょう」と電話したら、「そのとおりです」というお返事だった。こういう投書は、クリスチャンたる私たちが、もっとなすべきことであった。こうしたことに怠惰であってはならない。私は日本国を愛する故、尚さらこの事を声高く言いたい。

       *

 書き添えたいことがある。日清、日露の戦争より、第二次世界大戦に至るまで、多くの日本の兵士たちが祖国と天皇陛下のためと信じて、死んで行った。少なくとも建前はそうだったし、若い人たちほど、それを純粋に信じて死んで行った。その死を私は尊いと思っている。

 私自身が非常に純粋屋だから、私と反対の天皇信仰一点張りの純粋屋とはウマが合った。共に激論しつつ涙を流し合ったものです。 加藤一雄というキリスト教の牧師にして天皇信仰という不思議な人もいた。これも日本宗教史では特筆すべきことであろう。

 私自身、天皇陛下の宣戦布告をお諌めしようとする諌死の意識もあって自殺を図ったのだが、人は嗤うだろうが、諌死の思想は吉田松陰から来る。陛下に心からお詫びしつつ最後の睡眠薬を飲んだ、そういう私でもあったのです。 

 

「ワッハッハ」 と笑いましょう 

 最近は、新聞などに時々出るようになりましたが、よく笑うとナチュラルキラーという免疫細胞が増えて、癌などをやっつけるそうですね。逆に黙って難しい講義でも聞いていると、そのナチュラルキラーが減ったという検査結果もあるそうです。

 そこで、癌の患者さんを寄席にお連れして、漫才や落語を聞いて貰う。なるほど、ナチュラルキラー細胞が確実に増えている。そういう報告が時々健康雑誌などに載っております。だいぶ前から知られていることです。

 こうして楽しい話を聞きに行くとか、喜劇を見に行くとかして大いに笑わせてもらう。これは受け身の笑いですね。これも良いのですが、私が提唱するのは、受け身の笑いではなくて、自分で笑いましょうと言うのです。 自分から「ワッハッハ」と笑いましょう、と言うわけです。「笑う練習」です。この「笑う練習」をつづけていると、だんだん心の底から本当に喜びが湧いて来る、そしていつのまにか、いつも嬉しい、楽しい、ニコニコした人に変わってくるということです。

 朝、起きた時、夜、寝る時、ベッドの上で、「ワッハッハ」と笑うんですよ。おなかをかかえて笑ってください。一向に嬉しくなくても、可笑しくなくても、愉快でなくてもよいから。そう、作り笑いでよいからい「ワッハッハ」と笑うのですよ。

 真剣に(と言えば可笑しいですが)、本当に真剣になって、力を尽くして「ワッハッハ」と笑ってくだされば、さらに良いのです。すると、すこしは、心のどこかでチョッピリ楽しい気分が湧いて来るはずです。その愉快な気分を守り立てて、もう一度、「ワッハッハ」と笑うのです。それを繰り返していると、次第に笑う声も大きくなるし、そして笑いが本物の笑いになってくるのです。

 どうしてもうまく行かなかったら、「ワッハッハ、元気が出る電話」を聞いてください。私が毎日新しいお話をしています。聞いているだけで、次第に笑えてくると思います。番号は 097−551−4154です。

 実は、急にそれほど、うまく笑えなくてもよいのです。練習ですから、最初はほんの小さい声で、あるいは心の中だけの笑いでもよいのです。それを繰り返し、毎日つづけていると、次第に上手になってきます。

 すべて練習ということは、やさしいことから始めて、除々に難しいことに挑戦し、繰り返し、繰り返し、毎日、練習を継続してゆくうちに上達するのです。

           *

 〔付記〕

 ところで「継続は力なり」といいますね。継続はむつかしいものですが、ちょっとしたコツがあります。まず3日つづけて下さい。なんとかやれるものです。次の目標は3週間です。3週間やるとだいぶ自信がつきます。次は3か月です。たいていの稽古ごとや訓練は3か月で一応ものになります。3か月で脳の神経繊維の成長が決まるのです。そして3年継続すると、身についてきます。その人の性格や行動傾向がきまります。ゴロ合わせのようですが、それを更に3十年も続けると、その人の人格を形成してしまいます。

 なお、特に初期の頃、うっかりして、1、2度、忘れて休むことがあったとしても気にしないで、あたかも一度も休まなかったかのような顔をして練習を継続すると良いのです。これも案外大事なコツです。

 笑いは信仰ではありません。しかし、信仰生活の助けになります。「ディボーションー」や「信仰の告白」に次ぐ、信仰のための良い訓練だと私は思います。 

 

2001/7/15

雨をも降らすエリヤの信仰 

 先日、7月13日の昼、埼玉のA姉から電話があって、「先生、最近は関東は雨が一滴も降りません。気温は39度の暑さ、もうたまりません。祈ってください」とおっしゃる。私はさっそく電話で祈りました。祈っているうちに夢中になります。と言っても簡単な祈りです。

「アーメン」と声高く叫んで終わります。

 午後、私は用事があって、外出していました。4時頃、家に帰ると、妻が言います。

「Aさんから、電話がありましたよ。雨が降りましたって。とても喜んでいましたよ、何かあったのですか」

 私は妻に事情を説明しました。その時、同じく関東の東京・秋川のほうから電話がありましたので、

「関東は雨がないんだってねえ」
「ええ、もう一か月降りません。温度が高くて、ちょうど建築しているんで、働いている人たちは大変です」
「そうでしょうね、ところで、ちょっと聞くけど、そちら、今さっき雨が降らなかった?」
「いいえ、ちっともふりません。どうかしましたか」

 ははあ、雨が降ったのはAさん所の地域だけだったか、と思ったことです。これ以上、情報はつかんでいないので、くわしくは分かりませんが、とにかく、神様に祈ったら、さっそく雨を降らせていただいた、それは確か。それもどうもAさんの地域だけらしいのです。

「ウヒャー、エリヤと同じじゃないか」、私は驚きました。ヤコブの手紙5:17,18にこうあります。

「エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈りをささげたところ、3年6か月のあいだ地上に雨が降らなかった。それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた」。

 実はA姉はこれまでも、よく合唱団公演のこととか、友人の病気のこととか、お子さんがたの学校のこととか、なんでも率直に祈りを求めて下さる方だった。そして必ず、その良い結果を喜んで報告してくださっていた。なるほど、これだ。私は気がつきました。 そうだ、神様に祈って、その結果が出たら、すぐ喜んで神様に報告する。こうすると、祈りが聞かれたという記憶を累積できます。いわゆる「成功の記憶の法則」の拡大的応用です。確信的祈りを保持する秘訣ですね。 

 

「成功の記憶の法則」 

 前頁の最後に「成功の記憶の法則」という言葉を書きましたが、どういう意味でしょう。あまり聞くことのない述語ですが、たぶん60年代だったかと思います、ある本で読んだのです。誰の本だったかもう忘れてしまいました。

  「成功の法則」などという一群の本、ナポレオン・ヒルの本などにでも出てきそうな述語ですね。

 ナポレオン・ヒルと言えば、私はこの人の日本最初の翻訳を戦前に読んだものです。こういう傾向の本は当時では本当に新鮮でした。戦後、立木勝氏(後の大分県知事)にお見せして大変喜ばれたことがあります。

       *

 さて、「成功の記憶の法則」という言葉は、分かりやすく言えば、「成功した経験は長く記憶できる。失敗した経験はすぐ忘れる」と言ったらよいでしょうか。ちょっと、一般の経験には反する感じもしますが、こういうことなんです。

 ここでいう経験とは、たとえば体(からだ)に覚えこむ記憶のことだと言えばよくわかります。

 自転車や水泳が良い例です。特に私たちのような戦前の人間は、自転車といい、水泳といい、ずいぶん苦労して覚えたものです。

 自転車など何べんも転んでやっと覚えました。現在の子どもたちが車輪の横に補助車をくっつけて、自然に運転を覚えてしまえる、そういう便利な物は無かったのです。

 水泳もそうで、先輩の上級生から無理矢理、川べりから突き落されてアップアップしながら覚えたものです。そのようにして、自転車なり、水泳なりを、一度そのコツを会得してしまえば、相当年を取ってまで覚えています。「すずめ百まで踊りを忘れず」ということです。

 しかも、自転車の練習でも、水泳の練習でも、あれほど転んだり、溺れかけたりした経験は肉体には残りません。つまり、自転車に乗って「ほら、昔のように転んでごらん」と言われて、転ぶことはできません。まして泳ぎですと、溺れる真似や演技はできても、実際に溺れるということはできません。

 水に浮かんで泳げるコツは一度体得すると一生忘れられません。泳げなかった時のことを印象として記憶していても、溺れるコツ(?)を忘れてしまっているのです。

 以上のような例で「成功の記憶の法則」ということを悟ってください。

       *

 この記憶を、経験を経ていないうちに記憶(?)として先取りする方法が、前述のナポレオン・ヒルなどがいう成功の秘訣です。何事にしろ、まだそれが起こっていない時に、成功し、達成し、勝利している感覚を、先に脳裏に植えつけてしまうのです。これは聖書にある信仰の法則でもあります(マルコ11:24参照)。

 運動選手なら勝利して喜びあっているイメージを心に描く。営業マンなら、見込み客との契約に成功してお客さんも一緒に喜んでいる姿を想像する。

 こうしたことを普段の心の習慣としておくのです。万事、成功し、勝利する心構えを普段から持つということです。信仰の世界でも同じことです。

 ちょっと変則の場面をお見せしましょう。あなたの奥さんの風邪のために、あなたが祈ってあげたとする。そうすると、本当に癒された。

「やあ、不思議だなあ。偶然、熱が引く時だったんだな」

などと、冗談にでも言ってはいけません。こう言いなさい。

「やっ! 癒された。神様、感謝です。私の祈りを聞いてくださいました。バンザイ。ハレルヤ!」と叫ぶのです。いい機会ですもの、こうして、癒しの成功の記憶を脳裏に叩き込むのです。

       *

 ついでに書きますが、癒しなどの、奇蹟をも呼ぶ確信的信仰の秘訣、また法則はこれです。それはマルコ11:22〜25です。

  大胆な目標を持つことを恐れないことです。イエス様はかえって、それを奨励されます。(ノーマン・ビンセント・ピールの言う「大胆積極的信仰です)。

  その目標をコトバにして、大胆に口にし、はっきり言い続けてください。そうすると「これは出来る」と言う可能性の信仰が湧きます。(ロバート・シューラーの「可能性の信仰」です。)

  次に、それを獲得した絵を心に描き、イメージをしっかり持ちます。すると「既に得たり」という信仰(チョウ・ヨンギ先生)が湧いてくるのです。 

 

2001/7/8

恐れるな、語りつづけよ  

 最下段に2001年6月7日の朝日新聞「天声人語」を複写しました(省略)。読んでください。ああ、こういう人も日本にいたのですね、私にはこんな勇気はなかった、と残念に思ったことです。

 戦時中の私は内村鑑三やガンジーやロマン・ロランの影響によって、絶対非戦主義者でありました。内村先生の言う、「非戦論のゆえに日本が戦争に負けたとしてもよい。平和主義のゆえに遂に戦争に滅びた国があったということで世界の歴史に残るであろう、名誉なことではないか」というような極端な発想法、一徹な青年期の私の心は却って燃えたものです。

 ともかく、私は非戦論を少数の前では語ったし、親しい友人には手紙もした。もちろん秘密の手記も少々書いた。それらはみな警察で私の起訴の証拠となった。

 その当時、私は外に出て大胆に語りたかった。街頭で日蓮上人のように辻説法したいと何度か空想した。

 しかしそんな勇気はなかった。イエス様は言われた。「くらやみで聞いたことを明るみで言いなさい。部屋の中で聞いたことを屋根の上で言いなさい」。また神様はパウロに言われた、「恐れるな、語りつづけよ、黙っているな」。まさしく江川卓さんは、ロシア兵に向かって、恐れず語りつづけたのではなかったか。

 けれど私は沈黙を守ったままでした。卑怯でした。もちろん、あの時代にはすでに印刷出版の自由は無く、秘密印刷の資材も紙すらも無かった。それでも電柱に張り紙くらいは出来たのではなかったか、と今にして思うのです。ところで。あの戦争の真っ最中、

 不思議な人物が出ました。私はついにその人を見ることはできませんでしたが、戦事中のあの緊迫した世相のなかで、毎夜、毎夜、大分市中を歩いて「この戦争は負けるぞう、この戦争は負けるぞう」とわめいて通る男がいるといういうことを聞いたのです。

 今の人には不思議でしょうが、当時の国民の戦争気分はそういう声にびくともしません。「一億一心、お国のため」戦争邁進の時代、そんな狂人のたわごとに動揺する人は一人もいません、それがあの時代です。

 私は彼を羨みました。私も狂人になりたかった。狂人にでもなって、「戦争をしてはいけない。正義の戦争なんかない。鬼畜米英などと言って敵国を呪ってはいけない。日本は神の御心に沿って正義の道を進みさえすれば、人間も国家も同じだ。神様が守ってくださる。日本よ、正しく生きよ。日本よ、神の御心に従って歩め」と叫びたかったのです。終戦の夜、私は祖国に対する愛の徹底しなかった事、神の正義に服する勇気の無かった事など泣いて神様に詫びたことです。 

 

 

續・闇の中から、光照りいでよ  

 先週の「闇の中から、光照りいでよ」という文章は途中で穴を空け、最後の15行は私的思い出を語って余りに唐突、私の作文の失敗でした。ミスというよりエラーです。手束先生にも失礼なことになってしまいました。以下、ややこしいけれど修正文を書きます。

 先に紹介したようにケネス・ボールディングは、人類の歴史を文明前と文明と文明後に分ける。石器時代を越えて農業革命から文明の時期が始まり、これが一万年ないし五千年つづいて、現代はその最後に来ている。ボールディングは「二十世紀は文明から文明後へと変革の時代である」と言っています。

 今、二十一世紀にはもうボールディングは居ません。二十一世紀は我々の時代です。今、その変革期を過ごして居ます。変革を乗り切る際に起こるであろう障害を、ボールディングは四つ予想しました。 1.戦争、2.経済破綻、3.人口増加、4.エントロピーとカオス、これはまさしく過ぎし二十世紀の問題でありませんでしたか。教育や道徳や環境問題の終末的破綻の渦中にあって、私たちは今、文明の終焉、特に 4.のエントロピーとカオスを見ているわけです。私も手束先生のお話を聞きながら、心わななく思いをしました。

 ボールディングはこういう危機を乗り越えるためには、「知識と学習」という道具が必要だと言っているそうです。これまでボールディングの説を忠実に祖述してきた手束先生は、ここでボールディングに反旗をひるがえします。「いいえ、こうして危機を乗り越えるためには知識と学習どころではない。聖霊の臨在と働き、神のみ言葉で奇蹟が起こるのだ」と。ここの所は先号の本文に書いておきましたね。

 私が書き落したのはボールディングの「知識と学習」のことです。すみませんが、読者は先号の本文を読み返してほしい。手束先生が創世記第一章二節を用いて、「混沌の上を覆う聖霊の働きの中で『光あれ』とみ言葉を発せられると光が現われた」、というご説明をされる記事の前に、ボールディングの「知識と学習」を挟みでこんでください。最後に、私は書き加えたい。

 ボールディングのような知恵者も、霊的信仰がないと、ここで弱さを見せたが、でも「知識と学習」という言葉は悪くはない。確かに聖霊による知識が必要なのです。愚かな者は神はないという。本当の知識は神を恐れるところから始まる。そして、学習とはみ言葉の実行に始まる。信仰の実践である。人類よ、信仰を強め、繰り返しみ言葉を宣言しつつ、前進せよ。聖霊様の働きは汝を助け、人間の作りし文明時代をくつがえし、神の国を招来を急がせて下さるであろう。 

 

2001/7/1

闇の中から、光照りいでよ 

 先週の6月27日の夜の「ペンテコステ・聖霊運動100年祭決起大会」は、かねてお知らせのとおり、日本キリスト教団高砂教会の手束正昭先生を招いて行われた。親しい諸教会からも集まっていただいて60名ほどの参集となった。60名ほどとは少々、少ない感じであるが、「決起大会」と言うと初心の方々は遠慮する向きもあったであろう。

 それかあらぬか、手束先生のメッセージ内容もやや高度だったが、当日の会集には適宜だったと思う。私も大変、興味深くお聞きした。

 最初、先生から示された聖書テキストは創世記第1章1〜5節である。この聖句でどういうメッセージをなさるのかな、と多少いぶかしく思った私だったが、後でなるほどと思った。そのことは又あとで書きます。

 ともあれ、当夜の先生のお話を中心に私の補足もまじえて書きます。

               *

 ケネス・ボールディングという経済学者がいる。1910年にイギリスに生まれ、後にアメリカに帰化した人らしい。今も生きて居られれば、90歳のはずであるが、ご存命であるかどうか、つまびらかではない。

 この方が「二十世紀の意味」(偉大なる転換)という論文を1964年に発表している。

 人間の歴史は進化論的に言えば、何万年間かの考古学的時代を経て、農業革命から地方集落、都市文化等の文明時代に移って来た野である。それ以後の人類史は、文明の各時代を順序に追って行くフォームで語られる。しかるに、ボールディングという人は大胆である。人間の歴史を文明前と、文明と、文明後と、大きく三つに分けて見せる。中間の文明期が一万年ないし五千年続き、それが現代に至る。

 ボールディングが人類史を返り見る視線は雄大である。つまり、農業革命から現在にいたる一万年ないし五千年の期間を一括して文明期とする。そしてかつて、石器時代から農業革命に大転換したように、今や文明期から文明後に転換しようとしているというのである。文明後という言葉は脱文明、あるいはポスト文明と呼び変えてもよいだろう。この人類史を大きく三つに分けて見る巨視的歴史観に私は驚嘆し、感銘した。

 さて、ここでボールディングはこの二十世紀を、人類の二度目の偉大なる転換の最中と見る。それが彼の本に「二十世紀の意味」という題名をつけた理由である。しかし、私はそれを訂正したい。二十世紀で文明の終焉に向かう。転換するのは二十一世紀である。シュペングラーがかつて「西洋の没落」と言って西洋人の度肝を抜いたが、ボールディングは「文明の終焉」を問うて人類の覚悟をうながしたのである。

               *

 ボールディングは言う、この文明期を乗り越えてポスト文明に向かうとき、次の4つの落とし穴がある。

 第一は戦争。第二は経済破綻。第三は人口増加。第四はエントロピーとカオス(混沌)である。この四つをクリアすることを怠って、愚鈍のままに放置すると、人類は滅亡するほかはない。

 かつてのキューバ危機のように、一触即発、核爆発による地球壊滅の危険が人類をおびやかしたことがある。フルシチョフが愚かだったのか、ケネディが偉かったのか、そこは国際外交の秘密性で、よく分からないが、とにかく戦争の危機は回避された。昔とちがって、現代の戦争は地球を壊滅させる。

 経済破綻。人口増加も大きな問題だが、それは別として、最後にボールディングがあげるエントロピーとカオス(混沌)とはなんだろうか。エントロピーとはもともとは熱力学の用語だが、万物は秩序から無秩序へ、崩壊へ向かうという定理である。すべての物はエントロピーに向かう。これは万物は進化するという進化論的神話に拮抗する法則である。知る人ぞ知る。進化論学者と思われていた竹内均教授が先年「エントロピーの法則」という上下の二巻の本を翻訳した、どういうことだろう?

 ボールディングの恐しい洞察は、人間の営む文明の結末はカオス(混沌)であろうということ。これこそ環境論者のいう所である。環境論は次の時代を差す鍵語であろう。単なる膏薬や注射の程度の環境改善ではエントロピーの速度には追いつけないだろうとは誰にも推測出来る。

               *

 私(釘宮)は想起する、先にあげた手束先生の選んだテキストの創世記第1章の2節だが、ある聖書学者は、これは初めに神様が宇宙を創造されて後、サタンの反逆によって地球が荒らされてカオス(混沌)に陥っていた状況の描写であると。これは甚だしい独断的解析ではないかと思うが、ある種の説得力を持っている。ともあれ、

 創造の初期に、地球は形なく、むなしかったというのは異常である。しかし、そういう状況から神様は新しい創造を起こされる。前記の一部の学者の独特な解説に従えば、これは再創造ということになる。

 創世記第1章2節では、その渕の闇の上を神の霊が覆っていたという。その覆うという言葉は鳥が羽ばたきするような活動的な言葉だと聞いたことがあるが、とにかくそのような聖霊の働く場所に、神の言葉が「光あれ」と発せられると、光が現われた!のである。

 ここで手束先生が力説される。神の言葉が成就するのは、まず、そこに聖霊様の臨在があるからだ。聖霊様の臨在のあるところに、神の言葉を語られる時、新しい事態の発生が起こる。奇蹟が起こる。

 手束先生の言葉に、私は貴重な理解を得た。聖書にこんなイエス様のお言葉がある。たとえば「あなたがたが私の名によって祈るならば、何でもかなえられるであろう」と。しかし、現実は何度祈ってもかなえられない。そういうことが起こる。哀れである。イエス様が嘘をいう筈は無い、そう思うけれど、祈りが聞かれない事に落胆する。こういう経験は、どなたにも数多くあろう。ああ、そうだったのか、聖霊様の働きのないところで、いくら約束の言葉を宣言してみても、それが実現しない、そういうことなのだ。

               *

 実は、この原稿を書いている日の前日、昔の日記の中に私の古い数枚の原稿を発見したのです。思い出しました。1980年1月28日の朝のことです。そこに書いてあったのは、私の妻の病気がますますひどくなり、私の祈りが一向に聞かれません、という私の嘆きでした。私は会堂に行って神様に向かって不平をぶちまけ、神様に叫び、文句を言い、床に泣き伏して祈ったとあります。

 「神様、あなたの約束を信じ、妻の病気は癒されると断言し、信徒のみなさんに広言してきました。それが一考に癒されず、ますますひどくなっています。妻が可哀想ですし、心配です。それに私のメンツは丸つぶれでありませんか。神様、どうしてくれます」。

 その時、神様は静かに語りかけてくださった。「闇の中から、光が照りいでよ」(第2コリント4:6)と仰せになる神様からの光でした。

 「全知全能の我を信ぜよ」と。突然、神様からの言葉です。それまで疑いと恐れで一杯だった私の心に、言い尽くせない平安と喜びが湧いてきました。聖霊様の働きとしか言うほかはない、あの日の朝でした。 

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