キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)

2001年9月

2001/9/30

多事多端恩寵無限

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 「多事多端、恩寵無限」という言葉は、以前よく求められると、私が下手な字で色紙にしたためた言葉であった。やや気取った言葉なので、今は書かない。しかし、この言葉のように、この旬日、何と多事多端であったことか。睡眠の時間もままならない日がつづいたが、しかし、神様からの恵みと祝福の大きかった日々でもあった。それらのことを書き流そうと思う。

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 今来たばかりだが、リバイバル新聞9月30日号の第1頁が良い。まだ2頁以下は読んでいないのだが、この第1頁。まず神奈川県相模原市の諸教会が「自分の教会だけが成長すればいい」という姿勢を棄てて、「相模原全市、地域の救いのために一致して伝道活動を始めた」という先頭記事が私の心を打った。大分でもこの姿勢を打ち出して行きたい。

 もう一つの記事。米国同時テロで突入直前の機内から一人のクリスチャンが電話局に電話をいれ、交換手にハイジャックされている状況を細かく説明したあと、「あなたはイエス様を信じてますか」と問いかけ、そして詩篇23篇を一緒に読み、そして祈ったあと電話が切れたという。こういう実話が出て来るところ、やはりアメリカだなあ、とうらやましくなる。どちらかと言うと、アメリカに対して冷めたくなりやすい私だが、この記事には粛然とした。また日本の伝道に更に熱心になりたいと誓った。

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 さて、私の周辺から取材したい。まず尊い老婦人の逝去があった。9月20日(木)だった。別府市の三井勝代さんをK病院に訪ねた時、姉妹は酸素吸入をしていて呼吸が荒い。急性肺炎だと聞いていたが、病状の厳しさを感じた。

 その時、私は彼女の意識の底の、更に深い神層意識に語りかけたのでした。(神層意識というのは私の造語ですが。いわゆる潜在意識の更に深いところにある意識をさしています)。

「勝代さん、私の言葉を聞いてください。一度だけあなたのお声を私は聞きました。最初あなたを訪ねて祈った時、意識の無いはずのあなたが声をあげて『ありがとうございます』と言いました。そばにいたお嫁さんの啓子さんも、びっくりしたものです。しかしその後、あなたの言葉を私は遂に聞くことなく、言葉の交わりは出来ないままに過ごしてきました。今日はもう一度、あなたの深い意識にお話します。どうぞ、私の言葉を聞いて下さい。次の機会にも私の申し上げること、イエス様のお話を、霊の耳で聞いてください。大事なお話ですからね」。

 翌日の9月21日(金)、ご子息の敏嗣兄から電話があった。「先ほど、母が息を引き取りました」。私は「あっ」と言い、しばらく声がなかった。そして気をとりなおして、お通夜の準備をしつつある葬儀場に急いだ。

 葬儀場に着くと、三井勝代さんの遺体があった。そばに敏嗣兄姉夫妻と敏嗣兄の兄上の文勝兄が、そこに居られた。私は勝代さんの顔覆いを除けて、神様に祈り、そして勝代さんがそこに生きて居られるかのように語りかけた。

「三井勝代さん、あなたは今、地上を離れて、天に向かいつつあります。聞いてください。あなたは天国に行かねばなりません。私が何度か、あなたが意識を失っている時にも、イエス様の言葉をお話ししてあげたでしょう。聞いていましたか。心に聖書の言葉が残っていますか。残っているでしょう。イエス様があなたを救われます。あなたの罪をすべて赦し、清めます。さあ、大丈夫です。輝く天国の門にむかって急ぎましょう。天使たちも迎えてくれますよ」。

 実は、私も行ったこともない天国への道をお導きするわけだから、聖霊様の導きを信じた上で、油汗を流すほどに真剣に語る。こうした私の言葉の内容は、その場だけの聖霊様の言葉だから、公表しにくいし、私もよく覚えていない。

 とにかく生前、信仰を持っておられたかどうか確認できない姉妹を天にお送りしたい一心で、こうして祈ってお見送りをしたわけだが、そばにおられた敏嗣兄姉夫妻と文勝兄も感激して喜んで居られた。ほかに誰もいない。三人のクリスチャンの遺族だけが居られたということ、これも感謝でありました。

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 9月24日(月)、この日は振り替え休日だったので、この日を利用して、近くの公園で野外礼拝と焼き肉大会をおこなった。

 やっと20名くらいしか集まらなかったが、実はこれでも私の教会としては上出来だったと思う。なんと残念なことであるが。

 ちょうど手頃な集会室があって公園事務局が喜んで貸してくれる。そこは秋の自然色豊かな高尾山という全山森に覆われた小さい山である。私は詩篇を選んだ。「山も林も鳥も獣も木々も主を賛美する」その詩句を読み、賛美を歌い、そして「ワッハッハ」と声高く笑った。

 自然を見て美しい無垢なものとして賛嘆するのは日本人一般の気分であるが、聖書の自然観は違うのです。この自然(被造物)はすべて人間の犯した罪の巻き添えを食って、虚無と滅亡に陥って苦悶している。人間の救いを待ち望んでいるのだと言う(ローマ8:17〜22参照)。

 この人間の救いのためにイエス様は十字架のにかかられ、肉を裂き、尊い血を流された。その血と傷のゆえに私たちの罪はゆるされ、また病も癒されると聖書は告げている。このようなメッセージを私はしたことである。

 この礼拝の後、キャンプ場に出て楽しい焼き肉大会である。私はこれまで青年部の人たちが焼き肉会をしたりするのを好ましくは思っていたが、自分が参加したことは無かった。今回直接参加して見て、これはすばらしいと思った。

 私の畏友浜田空林さんのシャボン玉教室を称して、彼の友人O氏が言ったそうだ、「なるほど、大人も爺婆も一緒に喜べるものでなければ、本当に楽しいっていうもんじゃないんだな」。まことに名言である。焼き肉大会はまさしく、みんなで喜べる。

 焼き肉大会に触発されて、私は「プロジェクトY」などと言い出したのであるが、それは今号の巻頭短言を読んでください。(この日、私は自宅に帰ってひげを剃り落したのでした→表紙写真)。

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 9月28日の夜、市内の東洋ホテルで辻本友子姉のピアノコンサートがあった。私はA姉と娘と一緒に出席した。元来、私はこういう場は嫌いである。滅多にゆかない。しかし、辻本友子姉の催しだけは好きである。

 よく会費を払ってまで、あれだけの人数が集まると思うが、それも友子さんの人柄であろう。もちろん、ピアノそのものがうまくなければ、だめであるが。しかし友子さんのピアノには、しろうと私は言いづらいが、とにかくテクニックを越えたものがある。あたたかさ、明るさ、力強さ、そうした心を洗うものがある。今回はいみじくも「癒しの音楽を」と言っておられたが、そうした意図は十分とげられた思う。

 マズルカでは、私は楽しくて思わず「ブラボー」と叫びそうで困った。ところで、ショパンの「葬送行進曲」の時、姉妹がスピーチされた。

 ちなみに、友子さんのコンサートはこのスピーチがよいのである。自信をもって堂々と語るが、押しつけがましくない。下手な牧師の説教より余程よい。そのスピーチで言わく。

 「人は死にます。ここにおられる方も皆死にます。この有名なショパンの曲ですが、この機会に死について思いをひそめましょう。死を考えることは生を考えることです」と。

 私はつい、私の十数年まえに大分合同新聞に連載した「死を考え生を考える」という私のエッセイを思い出した。まさに「死を考えることは生を考えることです」。感動をもって、会場を出る時、ちょうど居られた辻本姉の手を取って固く握ったことです。

 会場から出ながら、私はこの一文の冒頭に書いたハイジャックの中の一クリスチャンの死にひんしての伝道、あるいは三井勝代姉への死の直後の私の伝道、こうした尊い死、一度限りの死に思いを馳せざるを得ませんでした。

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 この2か月半、東京の秋川から赤坂律子姉が牧師宅に来ておられた。信仰を学びに来られたと言われるが、なるほどそうだろうが、私の所で、どのていど信仰の学びを提供できたか、あやしいものです。ともあれ、この日曜日で我が家を辞し、別府のご親族の家に親戚の集まりがあって行かなくてはなりません。心惜しく、かつ淋しいことですが、同姉を送り出します。

 実はちょうど、同姉が居られる間、私の妻が転倒して体を痛め、痛みのため不自由になっていましたから、家事のお世話など、いろいろご加勢くださって、感謝でありました。

 私が大阪から、拡大宣教学院、東京と旅に出ている間、私は心配しつつも、安心して旅ができたのも、そのお陰です。感謝な事でした。

 妻の痛みは不思議な痛みでありました。家族も皆さんも一緒に祈ってくれました。医学的検査もしましたが。何よりも今、神様の力が働いて、妻は癒されています。本日、私の語ろうとしている「み言葉の力」もその一つです。 

 

2001/9/23

新創造の時来たる 

 アメリカの同時多発テロのことは、先週、この週報で書きたかったです。残念ながら、旅行中でして、私に原稿を書く時間の余裕がありませんで

 あのニュースを聞いたのは旅先の9月12日未明、自宅の妻からでした。「あなた、アメリカが大変ですよ。テレビを見て下さい」。

 早速テレビのスイッチを入れました。あの惨事です。アメリカの繁栄と気位の高さに、イスラム過激派の憎しみが爆発しているように見えました。

 そして又、私はそこに近代文明のバベルの塔が崩壊するのを見ているような気がしました。文明は、それ自体善でも悪でもない。善い事に使われてこそ、善い事になるのです。

 アメリカ人は悪人ではない。しかし、気のいい善人である。気のいい善人の欠点は、悪人の悲しい淋しい部分が見えない事である。しばしば気のいい善人は金持ちである。これが彼らの目を曇らせる。貧乏人の苦労が分からないのだ。

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 今、自由世界から批判の目をもって監視されている感のあるアフガニスタンの事ですが、先年このアフガニスタンに行ったことのあるK氏ご夫妻から、昨日こそ聞いたのです。あの国の貧窮というものは想像を絶するという。

 土地をみても、殆ど何も生えていない。日本の戦後のあの飢餓状態など問題にならないほどの悲惨な飢餓のなかで、あの国はこの数世紀を過ごしているのではないか、と言う。

 かの国の宗教や法律が「目には目を、歯には歯を」式に、実に苛酷であるのも、そのせいではないか、と言う。たとえば軽い犯罪者でも簡単に裁判らしい裁判もせず、腕を切断したり、脚を切り落したりする。

 だから、気の食わない外国にたいして、簡単に残酷な大量虐殺的テロをできるのも、彼らにとっては殊更に不思議なことではないのかも知れない、と言うのです。

 ともあれ、そのような貧しい国に対して、「報復だ」「戦争だ」と高飛車に恫喝するアメリカ大統領の言う口調には私はどうしても同意出来ません。

 もちろん、アメリカ人の立場に立ってみれば、あの憤慨と興奮ぶりは十分理解出来る。無理もないと思う。しかし、ここはもっと冷静になって、熟考してほしい。

 巨象が蜂から鼻を刺されて激高し、蜂を踏みつぶそうとして、蜂の巣を捜し求め、ついには興奮のあまり、森全体の木々をぶったおしてしまう、というような非喜劇になりかねないと、私は心配するのである。

 更にまた、あの高層ビル倒壊の画像や、今後起こり得るアメリカの報復攻撃を見て、世界各地の異常心理の個人や集団や階層の中から模倣犯的暴力事件が起こりはしないか、それが私の心配です。

 たとえば日本国内で、幼児誘拐や少年殺害事件等が起こると、すぐ単純なキッカケで模倣的暴力行為が起こることがある。同様に何の関係のない連中が理性を逸し、興奮し、狂信的に立ち上がって、細菌散布や、サリン投下などを始めたら、どうなるか。

 世界は騒然として、殺伐な混乱状態、百鬼夜行の状態となる、文明も文化も崩壊する。

 かくて、社会は秩序を失い、救いようのない破綻の時代が来るのではないか。これが、あのニュースを見た時の一番の心配だった。

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 しかし今、私たちに迫っているのは、ノアの洪水でも、バベルの言語撹乱でも、ソドム、ゴモラの硫黄の火の雨ではない。

 民と民と、国と国との戦争のニュースを聞くだろうが、それで終りではない、と主は言われる。今回は「国と民との」戦争のうわさであるが、それでも終りではない、

 飢饉がおこり、地震があり、迫害がおこり、にせ預言者も起こるであろうが、それでも終りではない(マタイ24:3以下参照)。

 多くの艱難の後、主が雲に乗ってこられる時が来る。マタイ24:29以下を読んでください。最大の善いことが起こるのです。信仰をもって最後まで耐え忍んで待ちましょう。 まずクリスチャンが第一番に悔い改めましょう。自分の罪や汚れもさる事ながら、世界のすべての民族、国家の罪の連帯責任を負うて悔い改めるのです。その時、神様の憐れみの新創造の業が人類に始まるでしょう。 

 

仲秋周遊の記

 この9月10日、JRで大分を立ちました。山陽新幹線の岡山におりると、倉敷の小橋先生ご夫妻が迎えてくださる。骨の髄まで喜びに満たされている先生ご夫妻を見ると、私も思わず笑って笑って、心が踊りました。フランス料理のぶどうの木舎(薮原夫妻)にご案内下さる、壁に本田弘慈先生の「信望愛」のご揮毫が光っている。
 その夕刻、大阪へ向かう。12日まで大阪での「ペンテコステ・聖霊100年祭」に出席。先輩、同輩、後輩の皆さんにお目にかかり、心はずむ。時代が変革しつつある実感に打たれる聖会でした。21世紀の日本キリスト教界の曙を見る感じです。最終日、13日の夜の聖会の終わり、永井信義先生の賛美で盛り上がりました。
 この夜は、堺市の長男宅に行き、一泊。彼のマンションの外容が例のアメリカの世界貿易センターに似ているので、苦笑する。
 翌日、東海道新幹線、東北新幹線を乗り継いでゴスペルタウンへ。翌朝は拡大宣教学院の入学式。新入生5名、大阪の聖会から帰ったばかりの永井信義院長先生の懇篤で情熱的メッセージに列席の者すべてが心を燃やされました。新入生諸君よ、「※啄(そったく)同時」の機微を掴んで欲しいものです。私は理事長として、式典の最後の祝祷を務めさせて頂き、感謝!
 14日、学院を辞して上京。羽田空港に行って三女を迎え、大崎駅前のインターネット式ホテルに泊まってみる、面白い。
 15日午前、福生市の瀧沢兄宅にて秋川集会。そのあと、秋川駅そばの赤坂邸改築の現場に行き、聖書を地中に埋めて定礎式。み言葉の上に家を建てる心である。12月には3階鉄骨コンクリートの新築ビルで、盛大なクリスマス大会ができるでしょう。
 16日、日野市のリバイバル新聞社を訪問、いつものことながら、スタッフの方々に歓迎され感謝にたえない。礼拝説教をさせて頂き、谷口編集長と米同時テロのことなど歓談、教えられること多し。
 午後、三鷹市のI先生にお会いする。市内を一巡、祈らせていただく。緊急の要あり、羽田空港に行きフライト、帰分する。8日間の旅の途次、お世話になった方々に心から感謝する次第。今回はアメリカの同時多発テロ事件が重荷になった。しかし、これらのことを通して、神様は更に善きことをなさることを確信した。私のテロ事件の感想は上記をご覧あれ。

   ※は「口(くち)ヘンに卒の字」

 

2001/9/16

尊敬される老人 

 昨日は敬老の日でした。

 この敬老という言葉は、よく考えてみると、大変すばらしい言葉であります。

 「お年寄りを大切にしよう」。「お年寄りをいたわろう」、という言葉はよく聞きます。 しかし「お年寄りを尊敬しよう」という声は余り聞きません。

 旧約聖書に、こうあります。

 「あなたは白髪の人の前では、起立しなければならない。また老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である」(出エジプト記レビ記19:32)

 このように聖書は、私たちが老人を尊敬しなくてはならないと、教えているのです。
 大切にする、いたわる。というだけではこれは弱者に対する道徳ですね。もっと年老いた者に対する謙虚な心構えがいるのです。

 ところで私自身、既に老人期の一歩手前です。ですから、次のようなことを考えるのです。「どうしたら私たちは尊敬される老人になれるだろうか」と。

 私の親しいYさんは今年73歳で元気でピンピンしています。今も現役で部下の若い人たちに尊敬されています。同じように私たちが年を取るなら、あんなふうに年を取りたいものだと思うのです。

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 アメリカのニュヨーク州の田舎にグランマ・モーゼスというおばあさんがいました。彼女は79歳までは普通の農家の主婦だったそうです。80歳になってから絵を描きはじめました。

 素朴な美しい農村風景でした。その絵をある画商が買って帰り、世間に紹介しました。彼女の絵は評判になり、アメリカはもちろんヨーロッパに於いてでさえも一流画家として遇されるようになりました。

 彼女は101歳でなくなる日まで一生の間、1600枚の絵を描きつづけたそうです。

 私は思います。人生はそのものが一枚の画布ではないでしょうか。私たちがどのような絵を描くか、それは私たち自身の夢、思考、信仰と、それによる行動によります。

 ブラウニングは言いました。

 「さあ、わしと共に老いて行こう。これか らこそ、最善が起こるのだから」。

 老年期を迎えて尚もブラウニングは、この宣言を叫んだのです。私たち、老人も、若者たちも、ブラウニングと同じように叫びたいものです。「これから最善が起こるのだ」と。

 さあ、私たちの人生の画布を堂々たる構図と色彩で描きあげよう。私たちは聖霊様の応援を得て、そのことが私たちに起こり得ると信じましょう。聖霊が臨む時「若者は幻を見、老人は夢を見」(使徒行伝2:17)るのです。今、平凡な人物に偉大な事が起こります。

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 以上は1984年9月12日の当時の電話番組「テレホン世の光」の原稿です。さて、私はロス神父のことを思い出しました。偉大なる人生の終焉の姿を見ることが出来ます。

 ロス神父はカトリックのある会派の神父さんで、ある大教区の教区長をつとめていました。ある日、突然、脳梗塞で倒れました。近くにあったカトリックの病院が、他の会派でしたが、そこ入院しました。次第に病状は悪化し、遂には意識不明となりました。ベッドに寝たきりの状態です。

 その会派で問題になりました。このままでは、あの病院にも気の毒だ。すこし遠方だが、私どもの会派の病院がないわけではない。神父様を引き取って、私たちの病院にお送りしようということになりました。

 さてその病院に行って、そのことを申し込みました。喜んでくれるかと思いきや、
「とんでもない。ロス神父様を私たちから取り上げないでください。ロス神父様がおられるお陰で、私どもの病院の医師も看護婦のシスターたちも、患者さんたちも、他の職員一同、それのみか、臨時の働き人にいたるまで、明るく、いそいそと働いておれるのです。

 あの方は植物人間のようですけれど、生きておられます。輝いておられます。あのロス神父様は、今この病院の宝です、どうぞお願いですから、神父様を私どもから取り上げないでください」。

 病院の人たちの言葉に、迎えに来た人たちは返す言葉もありませんでした。感動して、目は涙で一杯になりました。 

 

原語で聖書を読もう

 今週は聖書を原語のギリシャ語やヘブル語で読もうという主張です。実は恥ずかしいのですが、私はヘブル語は駄目なのです。青年時代に私の通った教会の牧師が、「君、ヘブル語はやる必要ないよ。むつかしいばかりで、大して役にたたない」などと言われ、こういう都合のいい忠告はすぐ聞いてしまう。一代の失敗でした。
 ギリシャ語だけでも、しておいてよかったです。まだ戦争中のことで、聖書は長崎書店が写真版で出してくれた。敗戦間近の市内バス(木炭車だった)に乗りながら、ヨハネ伝の第一章を暗唱していたこと思い出します。
 暗記と言えば、聖句の暗唱をするなら、日本語聖書の聖句でなく、ギリシャ語の聖句を暗唱するとよいと思うのです。「えっ、まだ、ギリシャ語は少しも勉強していないのに」と反問する方もおられるでしょうが、かまいません。カタカナで教えて貰って、単語の意味も、文法もよく分からないままでも、ぼつぼつ覚えるとよいのです。(そのうち文法でも勉強して下さい)。
 それだけでも、マタイや、マルコや、パウロやヨハネが書いた文章を、その息づかいを現になぞれる訳ですから、考えただけで皆さん、興奮しませんか。あなたの恋人がフランス人で、彼女(or彼)からラブレターが来たら、人に翻訳してもらった文章で満足できますか。ぜひ、原文のフランス語で読みたいと思うでしょう。
 英語の読める方は、英語で聖書を読むと感じると思いますが、日本語で読んでピンと来ないところが、英語で読むとよく分かることがあります。ローマ人への手紙などは特に日本語訳では分かりにくいですが、あれを読んでわからない人は、頭が悪いのではなくて、翻訳が悪いのです、呵々。
 尤も、翻訳が悪いと言っても、日本聖書協会の翻訳委員会の勉強が足りないのではない。出来るだけ原意を損なわないようにしようとするからです。カント哲学の翻訳が難文なのと同じです。読みやすく意訳するよりも、正確に訳そうとして直訳的に訳すからです。
 英語は文法的にヨーロパ語のギリシャ語にどこか、似ているのでしょうか。そこにくると、日本語は世界の言語分布では異端児ですから、ヨーロッパ語になじまないのだと思います。ともあれ聖書を原語で、ジカに学びましょう。
 

 

2001/9/9

選択の信仰と、信念の信仰  

 今回の21世紀キックオフ九州聖会でのコン・ヒー先生の説教の簡単な紹介を、第一聖会から第四聖会の分まで、この週報でしてきました。先週の週報で「第三聖会」としたのはミスでした、「第四聖会」が正しかったのです。さて、最後の第五聖会では、「選択の信仰と信念の信仰」についての説教でした。

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 アメリカにはアーミッシュという超保守的キリスト教集団があります。今でも自動車を使わないで馬車に乗って移動する、そんな生活を頑固に守っています。

 その頑固さの故に、時にはアメリカの法律に従い得ないことが起こります。その結果、ある時、集団の長老が法律に問われました。

 この時、アメリカの最高裁判所は、宗教者の信仰を選択的信仰と信念的信仰に区別して審査し、長老の信仰は信念的信仰であると認めて、彼を無罪と判決したというのです。

 さすがアメリカです。こういう司法判断が過去の日本にあったなら、さしずめ兵役を拒否した私なども、たとえ、それが戦争中だったとしても、罪に問われ、刑務所に入れられることはなかったかもしれません。

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 選択的信仰とは神様を信じてはいるのだが、社会生活の現場では、妥協的姿勢をとることです。国家の政策や法律を恐れ、世間の評判や視線を気にするからです。

 信念的信仰とは、正しい信仰に立って、世間や、国家や、政府の権力を恐れないで、神様の御心に沿った正しい行動をとる、そういう信仰です。

 私の母が、戦争中、部落の区長さんが伊勢神宮のお札を配ってくると、はっきり断りました。彼女は平気な顔をしていました。

 私が非戦主義の結果、捕えられた時、参考人として警察に呼ばれましたが、「私の息子は聖書の教えに従ってやったことですから、悪いことをしたと思っていません」と言って、警察を唖然とさせたそうです。

 日ごろ、気の弱い母でしたが、こういう時、信念的信仰から外れることは無かったのです。母には夫・釘宮太重や、義兄・釘宮徳太郎の聖書信仰の影響があって、自然体のまま、的を外さないところがありました。 

 

 

信念的信仰を持つ為には 

 前述の中で私の母の信仰の秘密はその素朴さにある。つまり、愚かなのだ。戦時中のような逼迫した時代には意識的にせよ、無意識にせよ、愚かにならなければ、権力や世間の趨勢に巻き込まれてしまう。

 私の母は、つまり愚かであった。時代の流れを知らず、聖書の教えに従って、戦争はしてはいけないと思いこんでいた。警察の刑事さんも怖くなかったのである。

 まったく愚かになりきって幼子ように神様に信頼する時、人は強い確乎たる信念的信仰を持ちます。こう言えば簡単ですが、これは並の知恵のある人には難しい。人類はエバ、アダムの時に知恵の実を食べてから、無用の知恵がありすぎて、愚かな人になりえない。愚かに徹することは至難なことです。

 この愚かな道とは別として、信念的信仰を持つためには、二つの道があります。

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 この強い信仰を持つ第一の道は神様の声を聞くことにある。神様の声には権威と力がある。神様が私の魂に「平安なれ」と言ってくださると、即座に私の心は平安になるのです。 神様が私に、「この仕事を始めなさい」と言われると、それを聞いた私はとたんに一切の障碍に打ち破って一事を始めるのです。

 神様の声を聞いて人生の道を開いて行く人は幸いです。しかし、いつも神様からの御声が聞こえるとは限らない。しかし、強い信仰や勇気、神の知恵を必要とすることは、人生にしばしば起こります。そこで、

 第二の道、それは言葉による信仰の育成です。神様の言葉や、聖書に沿った撰練した言葉を、自分自身に言い聞かせる方法です。

 私はこの方法を金田福一先生から学びました。金田先生の言うところでは、これはマルティン・ルターの本にあったのだそうです。

 最近、私が自己育成のために使っている言葉は「私は主にあって日々、新しい力を受ける」という言葉です。ある信徒さんには「私を強くしてくださる方によって、何事でもすることができる」(ピリピ4:13)、このみ言葉をさしあげたことです。(下段参照) 

 

何事でも することができる?

 ピリピ人への手紙4:13の聖句を、私はよく説教の中で引用します。「私を強くしてくださる方によって、何事でもすることができる」という、有名な個所です。
 ここの個所を説明する時、私が注意し、また強調する点の第一は「何事でも」という所です。この所を英訳聖書では anything だったり、あるいは all things 、又は、everythings だったりしますが、私は、everythings が適訳だと思っています。
 私は、英語に自信はありませんが、all things の場合、その全体を一つにまとめて「すべて」と言っていると思うのです。
 everythings の場合は、一つ一つの各個の物事を個別に分けて指しながら、「すべて」と言っているように私は思うのです。私は教会の皆さんに、こう説明します。
 「私を強くしてくださる方によって、何事でもする出来る、と言っても、その『何事でも』は宇宙全体の何もかもすべて、というようなことではない。『小さな事、大きな事、あなたが対処するその一つ一つを、個別に、状況に応じて、すべてを』を為すことができる、ということなんです」と。
 実は原典のギリシャ語聖書を調べてみますと、ここのギリシャ語は「パス(すべて)」 ですが、この言葉は単数で冠詞が付いていないので、「一つ一つ、バラバラで、すべて」という意味だそうです。
 私の感はあたっていました。つまり漠然と「全体の何事でも」ではなくて、私たちが直面し、対処すべき具体的なすべての一つ一つの事柄や、状態、(英語訳ではコンディションなどと訳してある)に対して、「私はできる」とパウロは宣言するのです。
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 「私を強くしてくださる」という個所の原語も大事です。英語で直訳すると、「エンパワー」です。ここのフレーズを私なりの下手な英語で訳すと、こうなります。
“I can do everythings in Him who enpowering me" 。
 このエンパワーのパワーはギリシャ語で「ドゥナミス」です。ダイナマイトという言葉の元になったギリシャ語です。これは元来、潜在的力ではなくて。外に現れ出る力をさす言葉だと言います。神の力が私の内に入力されて、「ほら、今、爆発するぞ」とでもいうことでしょうか。パウロの体験がにじむ言葉だなあと思います。

 

 

2001/9/2

義の太陽なるキリストを仰げ  

 西田国雄先生という無類に明るい愉快な牧師先生がいらっしゃる。この先生が創案された伝道用トラクトがある。伝道用というより、信仰決心ガイドと言いたい所ですが。

 一人の人が太陽に背を向けている絵がある。その人の前の地面に影が落ちている。それを先生は人の罪にたとえる。太陽は神様です。

 その人は太陽から逃げても逃げても、自分の影(罪)は自分の目の前にある。歴然と見えるのです。これから避けることは出来ません。 解決はただ一つ、太陽のほうに向きを変えることです。影はその人の後ろに回って、全身が太陽の光に包まれるのです。

 彼は喜んで、太陽のほうに走り寄って行きます。もし彼が太陽の真下に来て立つなら、影は彼の足元に踏まれて、見えなくなる。

 神様の真下に来て、神様を仰ぎ見ましょう。あなたは神様の光を浴びて、自分の罪を見ることはない。罪はあなたの足の下に踏みにじられているからです。

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 神様のほうに心の向きを変えるということ、これが教会でよく説かれる「悔い改め」です。実はこの悔い改めという言葉は、翻訳として少しまずいのです。

 悔い改めという言葉は原語でギリシャ語の「メタノイア」です。心の方向を転換させることです。この心という言葉は殆ど知性をさします。決して霊的な深い厳しい内面経験を差す次元の言葉ではありません。

 単純に素直に、心を神様に向け、口で「イエス様を信じます」と告白して、すなおにバプテスマを受ければ、救われるのです。

 多くの場合、人は心で「悔い」ても、行いを直ちに「改める」ことが困難のようです。時にはそれが出来る模範的クリスチャンもいますが。多くのクリスチャンは、「心で回心する」にしても、「行いが改まりません」。これが多くのクリスチャンの悩みのはずです。

 そんな信仰も神様の光を受けつづけて行くうちに次第に変化します。また時には聖霊によって急変します。遂に、心の深みまで造り変えられてボーン・アゲインするのです。 

 

 

ラッパを吹き鳴らせ 

 私の事務室に「ラッパを吹き鳴らせ。聖会を召集せよ」と書いたA3の紙が貼ってあります。ヨエル書2:15の聖句を参考にして2年ほど前に私が書いたものです。

 この字を見て、永井先生が「まるで踊っているような字ですね」と言われました。どうも誉め言葉のようでした。恐縮しました。

 ちょうど、21世紀キックオフ九州聖会を控えていた頃でしたので、まったく時にかなった言葉でした。本当に街角でラッパを吹き鳴らしてでも、聖会に人を集めたいと思っていた頃でしたから。

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 ところで、今回のキックオフ聖会の第3聖会でコン・ヒー先生のメッセージが正に「ラッパを吹き鳴らせ」でした。

 むかし、イスラエルにはヨベルの年と言って、借金や奴隷を解放する約束の年がありました。その年が来ると、祭司たちが一斉にラッパを吹くのでした。

 イエス様の再臨は、神様が全世界に解放と自由を与える最終のヨベルの時です。その時、まず天使のラッパが高く響き渡ることでしょう。(マタイ24:31、第一コリント15:51、第一テサロニケ4:16参照)。

 神様は最初、モーセにこのラッパを与えて、ヘブル人のエジプト脱出を布告させ、以後、神様の解放宣言ラッパはヨシュア、サムエル、ダビデ、イザヤら預言者たち、そして更にその福音は主イエス様により確かなものとされて、ペテロ、パウロ、ルター、ジョンウェスレー等々と伝えられて現代に至りました。

 神様からの福音の知らせは、人の口をラッパとして、世界に向かって語られねばなりません。「耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ」(マタイ10:27)とイエス様は仰せられました。

 60年前の戦争の時、私は「すべての戦争は悪である、これを世に告げよ」と聖霊のささやきを受けました。しかし私は世を恐れて黙っていました。現代はともかく平和の時代です。福音を語ることに何の恐れがありましょうか。私たちはラッパとなりましょう。

 

 文語聖書音読のすすめ

  先年、鹿児島リバイバル・チャーチの佐多先生に案内されて、桜島を抜けて鹿児島湾周辺を一周したことがります。国分市のあたりだったでしょうか。部落公民館の軒下に「朝読み励行」と標語めいた紙を貼ってあるのを見ました。
  「先生、朝読みってなんですか」と、聞くと、このあたりでは昔の薩摩藩の教育の名残りでしょうか。毎朝、子どもたちは、教科書などを声を張り上げて、朗読するのだそうです。私は昔の私などの小学校時代を思い出して懐かしく思ったものです。
  誠信書房という精神科や心理学関係の本を出す出版社のプレビューという雑誌に外山滋比古先生が書いていた。「最近の小学校の国語教育で音読をさせないのは、どういう訳か。黙読が良いことで、音読は幼稚な読書法だと思っているのではないか」と疑問を呈している。
  昔、寺子屋で師匠は子どもに漢籍を教えるとき、竹の棒で文字をなぞりながら、口でもって語り聞かせ、子どもは耳で聞いたままを意味も分からず、同じ言葉を復唱するだけであった。それで自然に漢籍を習得していった。日本独特の国語教育法である。漢字の持っている象徴文字の功績もあるかと思うが、とにかく考えさせられることである。(英語を学ぶのも音読がよい、という最近の新聞広告を見ることがある。これも経験から  来る学習のコツであろう。)
  本紙の付録に月刊「サインズ」の紹介をしておいたが、その中で、大松幾子という方の「朗読文化のすすめ」というタイトルを載せておいた。これは非常に示唆に富む記事で、一読をおすすめする。これによると、読書の形態に、黙読、音読、朗読ということがあるらしい。私も初めて気づいた読書法のいろいろであった。
  本日の礼拝プログラムで聖書テキストの個所で、聖歌の「唱える詩篇」51を指定しておいた。これは旧賛美歌では「交読文」と言われていた所である。
  ここで、私が企てたのは、文語聖書の復活と朗読の採用です。そして、信徒のみなさんが、各家庭でのデボーションのとき、聖書を音読する習慣を身につけられるようにとの私の願いなのである。文語による聖書音読は聖書の内奥を探る絶好の探査機になると私は信じている。

 

 

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