キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)2001年10月
2001/10/28
散らされて行った人々
使徒行伝第8章を学びましょう。「使徒行伝」とは、ちょっと分かりにくい言葉です。多分漢訳聖書の影響です。新改訳では「使徒の働き」、新共同訳では「使徒言行録」と訳しています。使徒とは初代教会のトップメンバーのことですが、この使徒行伝は決して使徒たちだけの事を載せるのではありません。
言わば第二級の弟子たちの言行録も記しています。例えば使徒行伝第6、7章のステパノ。使徒たち顔負けの尊い偉大な生涯です。
この第8章はステパノの殉教をきっかけにエルサレムのクリスチャンたちに大迫害が起こった。そして使徒たちを残して、多くのクリスチャンたちが地方や仲の悪いサマリヤに散らされて行ったという記事で始まります。
今の言葉で言えば難民です。故郷を追われ、家を捨て、財産を捨て、親族と分かれ、知らぬ遠隔の土地をさすらう、流浪の民です。
彼らは力尽き、嘆き、行く先々の住民たちの憐れみを乞いつつ、悲惨な運命を呪ったでしょうか。いいえ、違います。彼らは「御言葉を宣べ伝えながら、めぐり歩いた」とあります。ああ、なんという積極思考、大胆思考、プラス思考、陽転思考、初代教会の信徒たちはめげませんでした。
なぜでしょう。財産を失っても、親族たちと分かれても、故郷を失っても、彼らにはイエス様が居ました。死んだイエス様ではなく、活きたイエス様でした。そのイエス様が彼らの内に居られました。
*
せんだって大阪の聖霊百年祭で大川従道先生が、かつてベニー・ヒン先生がなさった聖霊様の働きの説明を復習していました。私も松戸の会場で話されたベニー・ヒン先生の同じ内容の説教を思い出しました。あの時、
「聖霊様はあなたと共に(with you)、あなたの内(in you)に、あなたの上に(upon you)居られます」と、ベニー・ヒン先生は語ったものです。
聖霊様はイエス様ご自身でもあります。特に聖霊様が人格的に濃厚に働かれる時、イエス様のご人格が、いよいよはっきり見えてくるのです。
あなたと共に(with you)に居られる方は、あなたを励まし、あなたを助け、慰めます。
あなたの内(in you)に居られる方は、あなたに平安を与え、喜びを満たし、聖霊の力を働かせます。
又、あなたの上に(upon you)居られる方は、あなたに行く先を示し、あなたに権威を与え、あなたを機関車のように引っ張って行くのです。
*
前述した第二級の弟子たちと称する人たちの中から、あのステパノのような人が出ました。また、ここではピリポが活躍します。彼らは使徒行伝第6章に出てくる食卓に仕える人たちです。つまり貧しいやもめたちの食料の配給にたずさわる人たちでした。しかし、彼らは「御霊と知恵とに満ちた人たち」(使徒行伝6:3)でした。これは、今日の教会での執事と呼ばれている職責の始まりでした。
ピリポは散らされて行った先々を転々としたと思いますが、ついにサマリヤにたどりつきます。サマリヤの人たちとは、もともとユダヤ人でしたが、他民族と混血したので、純粋のユダヤ人たちから嫌われ、軽蔑されていました。いわゆる近親憎悪の法則が働くのでしょうか(ヨハネ4:9参照)。仲が悪いと言うより、当時のクリスチャンたちにとっては、「彼らは呪われた民だから、彼らが神様の祝福、イエス様の福音に浴し得ようとは、到底考えられない」人たちだったのです。
しかし、サマリヤに落ちついたピリポは、そのサマリヤの人たちに対して心からの愛が湧いたのです。それは神様による聖霊の愛です。彼は異邦人やサマリヤ人たちは決して救われる筈は無いという先入観を払い落しました。(ちょうど、救われる筈なんかないと思っていたヤクザの連中に伝道して、ミッション・バラバを生み出したアーサー・ホーランドに、ピリポは本当によく似ています。)
サマリヤの人たちの間に大いなる喜びの声があがりました。ピリポの伝えた力ある伝道のお陰でした。悪霊が出て行き、難病が癒されました。迫害で外国まで散らされ行ったことは決して無意味ではなかったのです。
なんでも実行が大事
G君は私の同級生である。彼はまだ現役でがんばっている。ちょっと彼に頼みたい事があって彼の事務所に電話したら、なんとも彼の声が弱々しい。私の頼んだのはホンの小さな用なのに、「今日はできないよ。明日にしてくれないか」と言う。「おい、どうしたんだ。病気かい」と聞くと、「うん、年を取ってから時々こうなるんだ。気持ちが落ち込んでしまって」と答える。私は電話で言った。「よし来た。その落ち込んだ気分を元に戻すのに、良い方法があるんだよ。教えてあげるから、よく聞いてくれ」と念を押して、私は説明した。▼それは、いつも私の言う「セルフコマンド法」でして、くわしくは私の「だれでもできる心の強化法」という小冊子に載せてあります。こうです、「自分の心に向かって『私の心よ、元気になれ。明かるくなれ』と命令するんだ。何度も何度も、自分の心に言って聞かせ、はっきりと命令するんだ。人の心は内側で対話する二重構造になっていて自己対話できるんです。これは人間だけに出来ることなんだぜ」と、かなりじっくり説明した。二、三回は繰り返して説明をしたと思う、とっさのこととて、あれで分かってもらえたかなあ、と私も心配だった。しばらくして他の用事が起きて、再び電話をしなければならなかった。受話器を手にして声を待っていると、彼の元気のいい声が返ってきた。「いやあ、元気になったなあ」と言うと、「ありがとう。あの時、教えて貰った方法で、すっかり元気になったよ」との返事。あまりに、あざやかな変化なので、私もびっくりしてしまった。もう一度、彼に原理を説明しましたが、あとで私の小冊子「だれでもできる心の強化法」を送ってやったことです。▼このG君の大変すばらしかったのは、私から教えてもらった方法を、すぐ実行したことです。「ワッハッハハ、笑えば必ず幸福になる」にしても、今回の「だれでもできる心の強化法」にしても、これを聞いて、「すばらしいですね。本当ですね。よい方法ですね。感心しました。」と相槌を打ってくれる人は多いのです。しかし、すぐ実行してくれる人が少ない。特に「ワッハッハハと笑いましょう」などは、私の方法を聞いたら、すぐに実行できる筈のことなのです。しかし、これを実行する人が少ない。実行すれば必ず効果が上がるのですがね。
2001/10/21
報復は神にあり
今回のタリバンのテロと、これに対するアメリカの報復攻撃について、考えているうちに日本のかつての戦争の歴史を思い出した。
私は、あらためて日清戦争や日露戦争を調べてみた。意外にも日本という国は早くから隣国の韓国に食指を動かしていたことが分かった。西郷隆盛の征韓論は、どうも本気ではなかったかという気がする。
日清、日露の二つの戦争は、簡単に言えば清国(中国)やロシアと日本との間で行われた、韓国の乗っ取り合戦だったのだと言うことができる。もちろん、日露戦争においては満州(中国の東北地方)のほうが大事な獲物だっただろうが、よその国を独り合点で我が手中におさめようとする、厚かましさ。この帝国主義的貪欲さに駆られての戦争であったという点で日清、日露は同じことである。
日清戦争は日本海軍の不意打ちから始まり、宣戦布告は一週間たってから為されている。おやおや、真珠湾攻撃の際、日本の宣戦布告が遅れたのは在米大使館の迂闊か、怠惰さのせいだと世間では言われているが、案外これが日本外交の体質で、何かの思惑があったのではないかと、私はあらためて思った。
*
先だってハワイで死んだ張学良氏が西安事件を起こして蒋介石を抗日戦線に駆り出したのは1936(昭和11)年12月のことです。その翌年7月7日に蘆溝橋事件で支那事変が勃発した。その1年後に通州事件と言って、河北省の首都の通州で日本人虐殺事件が起こる、これが支那事変が拡大の一途をたどるきっかけになったと思われる。暴虐支那を懲らしめてやれ、という論調が毎日の新聞の紙面を飾り、国民を戦争に駆りたてることになる。 後に日本の重爆撃機が重慶や武漢、南京を襲い、爆弾を無数に投下する。その爆撃の様子は当時の映画館のニュース映画によく出たものである。日本国民はそれを見て、みんな快哉を叫んだ。中国の人民が可哀いそうだと言ってうつむいて見ていたような軟弱な日本人は、私だけだったかも知れない。
こうした無差別爆撃は通州事件における支那人の民間テロに対する日本の過剰報復であったと言えよう。後にドイツが対英戦争において、ロンドンに対するロケット弾攻撃を始める、この都市に対する無差別爆撃は、日本を見習ったのであろうか。一般市民を犠牲に巻き込む戦略爆撃というものは支那事変における日本軍の発明であったかと思う。
さて後に、日本はアメリカに対し、不意打ちの真珠湾攻撃をした。これは日本外交の体質ではなかったかと先に書いたが、これに憤激したアメリカは日本にたいし過剰報復をする。日本重要都市、東京を含め、我が大分市をも含め、絨毯爆撃をやる。最後には広島、長崎の原子爆弾。これは、れっきとした国際法違反である。過剰報復もいいとこである。
さて、日本の支那事変の際の日本軍の対都市、部落戦略は三光作戦と言って、「焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす」というのである。それを日本天皇の名においてやったのだから、酷なほどの天皇制批判が中国から出るのも尤もなことである。
この三光作戦を知ってか、知らずにか、まったくそっくりにアメリカが真似したのが、ベトナム戦、カンボジャ戦であろう。そしてその報いが、先日の世界貿易センターなどに対して行われたタリバンの自爆攻撃である。勇ましい、悲壮な、愛国者たちの命を賭しての悪魔の国アメリカへの体当たりである。
これに対し、またアメリカは過剰報復をしようとしている。こうして繰り返される残虐な人類の自己破滅本能は、どこまで続くのであろうか。
*
以上、近代の戦争録を振り返ると、痛ましくも虚しくなる。日本の役割をアメリカが繰り返そうとしているとも見える。ともあれ、
聖書を開こう。実は旧約聖書は皆殺し作戦賛成に見える。これは聖書を読む者にとってショックである。しかし新約聖書に帰ろう。
「剣にて勝つ者は剣にて敗れる」、これはイエス様の言葉。「右の頬を打たれれば、左をも向けよ」とは余りにも有名な言葉。しかし、危機に際しては、見せかけの剣を買い求める事をも弟子たちに勧められた。これは意外である。使徒パウロは言う、「善をもって悪に勝て」、「報復は神に委ねよ」と。
平和の花を開かせよう
この10月12日にノーベル平和賞が国際連合とアナン事務総長とに贈られた。ちょうど米国同時テロ事件で世界が怒りと困惑と不安で渦を巻いている最中です。なんと、間が抜けているというか、間が悪いというか。賞を出したほうも貰ったほうも、もじもじしているに違いないと思うのですよ。
こうしたゴタゴタには、よくアメリカ前大統領のカーターさんが私設平和特使として出かけたものですが、今回は顔を出しません。あるいは、カーターさんでも、荷が勝っているのでしょうか。
報復率先派にしても、もしくは平和解決派にしても、如何なる手段を用いて対抗しようとも、絶対解決してみせるという自信が持てない。相手方が生物テロや、化学物質テロなどで見境無く反撃してくると、当方は手詰まりになりはしないかという、自信喪失に落ち入らざるを得ません。そこで、
さあ、神様を信じている人たちは神様に、そうでない人たちでも善意で理性のある人たちだったら、せめて船井幸雄氏などがよく言うグレートサムシングに心を集中して平和を念じたらどうでしょう。
念? そう、雲を見つめて念じると雲が消えることをご存じですか。そういう不思議な力は、船井さんも認めているところです。
今こそ世界の信仰と善意の人々が、この世界の危機を乗り切るため、平和を祈り念じるべき時ではないでしょうか。 (2001。10.20発信「ちょっとひとくち通信」第25号より転載)*
坂村真民氏という仏教詩人がいます。この方のお母さんが坂村氏に言って聞かせたという言葉があります、「念ずれば花開く」と。一部の真面目な実業家や企業家に喜ばれている言葉です。キリスト教的に言い直せば「祈れば花開く」とでも言えましょうか。そう、祈って、平和の花を開かせよう!
グレートサムシングという言葉は、知識人の間で最近よく使われます。キリスト教的唯一絶対神は信じられないけれど、人間以上の宇宙の秩序とか第一原因者とか、そういう存在は無ければならないと考えている人たちです。
私たちはグレートサムシングではなくてグレートワンを信じる。いやオンリーワンなるイエス・キリストを信じる。私たちの罪のために死んで下さった、この方以外に救いは無いと信じるのです。
2001/10/14
平和を作り出す人たち
「幸いなるかな、平和を作り出す人たち、
彼らは神の子とよばれるであろう」
(マタイによる福音書第5章9節私訳)今、世界の目はアメリカのタリバン征伐に注がれている。征伐と書いたのは奇矯かもしれないが、私はブッシュ大統領のタリバン報復攻撃を見て、「これはまさに桃太郎の鬼が島征伐だ」と思ったからである。もっとも、ブッシュ氏自身は今、「えらい時に大統領になってしもうた」、と心につぶやいているかも知れない。とにかく、大変である。
私は、こうした国際問題、とくに中東問題にくわしくはない。しろうとらしい独断と偏見で語らざるを得ないのだが、先日の祈祷会でも語ったのである。その内容を簡単だが日記に書いたので、そのまま以下に引用しておきたい。
*
「アメリカに対するアフガニスタンの憎悪は、ユダヤ対アラブの対立に原因があると思う。その基因はヨーロッパ人のユダヤ人排斥心にある。欧米諸国がユダヤ人のパレスチナ帰還を助けるという美名に隠れて、1948年にイスラエル共和国建国を企図したのが、この紛争の始まりではないか。そのアメリカ、イギリス、ヨーロッパ諸国を、パレスチナから追い出されたアラブ人たちとその周辺のイスラム圏諸国が憎むのは当然である。それが今回のテロ事件の真の原因なのではないのか。
だから、この紛争が解決するための聖書的方策は、 まず異邦人がイエス様を信じて救われるその数が満たされること、 そしてユダヤ人がイエス様を信じて救われ、 異邦人とユダヤ人との間の敵意の垣根が取り払われる。 その時はじめて、異邦人(つまりアラブの人々)とユダヤ人との間に平和が到来し、彼らは共存、共生、共栄するのである。(エペソ2:14〜17とローマ11:25、26参照)。
その観点から見ると、今、世界でメシアニック・ジュウ(ユダヤ人クリスチャン)が増えているのは、すばらしい兆候である。それは、ユダヤ人ではない異邦人たち(日本人も当然含まれる)の救いが完成へ近づいている神様の予定の成就の日が来つつある証拠ではないのか。
だから今、真の解決策は、まずアメリカの大統領がへりくだって悔い改め、欧米人の永年のユダヤ人蔑視と迫害を陳謝した上で、「さあ、私たちは『和解と共生』を確立しよう」と会談を持つことだと思う。その時、中東問題は歴史的解決を始めるのではないか。
さらに、その日の祈祷会では、私は次のような突飛なことを語った。
「日本人にはユダヤ人に対する排斥と迫害の歴史がない。かえって親近感すらある。まず日本人たる天皇陛下が悔い改めてクリスチャンとなり、キリストの平和を心に体験した平和特使となり、前述の聖書的政策をかかえて。両陣営の首脳に説得に行かないだろうか。」
出席はたった11名の少数の祈祷会ではあったが、私は日本人のすべてに語る意気込みで語った。私はイザヤ、エレミヤ的預言者ではないけれど、少なくとも内村鑑三先生や藤井武先生流の預言者の群れのはしくれであると思った。まさにドン・キホーテ的であるが。
以上が私の日記の引用である。顔が赤くなる文章であるが、青年期の私に似ている。日本人全体を相手に「斧に向かう蟷螂(とうろう・むかでのこと)の如く」立ち向かう意気込みである。
*
今の日本では、産経という新聞は誰が読んでも分かる右翼的な新聞である。いわゆる平和主義に対していどみかかるような論調である。その新聞に最近「ウン?」といぶかような投書が載った。この10月11日の朝刊、投書者は堺市の75歳の女性である。言わく
「戦争は絶対悪、どんな理由にせよ、起こしてはならない。報復という名の第三次世界大戦がはじまるのではないか、と懸念せざるをえない。戦争を世界から一刻も早く無くなそう。人が人を殺すのは罪悪であり、聖戦なんて有り得ない」とあった。
産経が、こういう投書を採用するところに、今回のタリバン事件が如何に世界の知性に取って難題であるかが分かると思う。逆に、朝日新聞の投書欄ではしばしば、反朝日(?)的投書が見受けられる。これは案外数も多いので、わざわざここに挙げないが、「今回のあのような一般市民を巻き込む暴暴虐なテロはなまやさしい話し合いなどで片ずくはずはない。軍事行動をけっして良いとは言わないが、このまま放っておけば第二、第三の破壊テロを生むだろう。自衛隊派遣もやむなし」と言うのである。こうした読者の反応を取り上げるのは朝日としては珍しい。
こうした傾向は、産経にしろ、朝日にしろ、記事の公平さを世間に見せるために自社のポリシーと反する文章も載せているのだとも、説明はできる。しかし、今回はどうも、違う感じがする。どちらの新聞も迷っているという感じである。産経などは、平和思向の署名原稿をさえ、囲み記事で大きく載せている。これはなぜか。
つまり今回のテロ事件は今までのテロと違って一国の国内機能をおびやかす強力な破壊力を持っていた。まして病菌や毒薬を無差別に散布したり郵送したりすることが、もう起こっているではないか。そうなったら防ぎようなない。主戦論派でも平和論派でも、対処出来ない。どちらの意見に沿っても、防ぎようがない。産経も朝日も、自分たちの主張しているやり方では勝てない。防げないということをひそかに感じているのではないかと、私は思うのです。
*
日本人は意識して考えないようにしているようだが、今回の米同時テロの実行者は聖戦意識に殉じアメリカ帝国主義に抵抗しようと、自分の尊い命を捨てたのである。このことは日本人に、あの大東亜戦争末期のの神風特攻隊を思い出させる。命をかけた無私な行為というものは、感動的である。このことを、今の自由主義社会のマスコミは無理に無視し、忘れようとしている。けれども、ここまで徹底して攻撃をかけて来る攻撃意識、これは大変な相手であると認識せざるをえない。
ご婦人がたが「我が子を戦場にやりたくないから」私は平和主義だというのを、よく聞く。これは戦争というものを知らないから言うことです。あのタリバン社会だったら、母が子どもに「お前も早く飛行機の操縦を習って、アメリカのビルを叩きに行け」とでも言うことだろう。戦争中の日本には、そういう気強い、あっぱれな母親が幾人もいた。一発、原爆でも落ちてごらんなさい。国中に主戦論がワッと起こるのです。
今こそ、「平和を作りだす」人たちが必要になります。それは単なるやさしい善人のことではありませえん。敵意と敵意のはざまに立ち入って、両方の陣営からの責めぎ合いのなかで平和を創出する人を想像してください。イエス様はそういう人でした。聖書では仲保者と言います。現代の世界に、そういう人が出て来ないでしょうか。「世界人類が平和でありますように」と念じることも良いことです。しかし、そうした掛け声だけでなく、行為として平和を作り出す人たちが今、必要です。まず、あなたの日常生活の中で、その訓練をしてください。
2001/10/7
言葉には力がある
N君はしょっちゅう「腰が痛い、足が痛い、体がだるい、もう死にそうにだるい」と言っていた。私にも覚えがある。「だるい」というのが、案外つらい。
私が聾学校の教員をしていた頃だが、足がだるくて、たまらなくなったことがある。病院に行って診察を受けたら、医師は私に「脚気予備症」という病名をくれた。インチキくさい病名だなあと思ったが、ともあれ、N君の体のきつさは私には十分理解できる。
そこで、私は彼に「そのだるさや、痛さは必ず、なおるよ」と言って、彼に次の言葉で宣言するように勧めた。いや、勧めると言うより、命令口調で言ったものです。
「『主は生きておられる。私も生きます』、この言葉を五十ぺん、口を開いて大きな声で唱えなさい。言葉には力があるのだから、必ず、なおるよ」と。
一夜過ぎて、私は彼に電話を入れた。元気のよい声がはね返ってきた。
「先生、痛みも、だるさも無くなりました。『主は生きておられる。私も生きます』を五十ぺんどころか、百ぺんでも、二百ぺんも言いました。いやあもう、千べんでも言いたいほどです。気分が本当に良いのです」
ところが、そのあと早天祈祷会に来る途中、車を他家のブロック塀に衝突して、車体も、塀も壊してしまったというのである。しかし、彼は平静であった。ニコリとして、やってきた。礼拝のとき、証しして、言った。
「礼拝の時、証しなんか、照れたり恥ずかしかったりで、みなさんの前に絶対立てなかった私ですが、今日は平安で、というより喜んで前に出て立って、このように証し出来ますから感謝です。先生の言われたとおり、口で告白していたら、このように私は変わってしまいました。今朝、自動車で事故を起こしましたが、全然動揺もしなければ、気落ちもしていません、ハレルヤ」と言って降壇した。
「信仰の言葉を口で告白するだけで、こんなにも変わる。自動車事故を起こしたことさえ確信を再確認するきっかけになったからねえ」と、お互い、大いに喜んだことです。
「好き好き、大好き」
上に書いた「言葉の力」ということについて、たいへん参考になる楽しい愉快な記事を先々週の地元の新聞で発見したのです。
それは山元加津子さんという44歳の女性のことです。彼女は不思議に生れつき誰からも好かれる人でした。後ろに視線を感じて、ふと振り返ると、お母さんに抱かれた赤ちゃんが身を乗り出して笑いかけている、そんなことがよくあるのだそうです。
小さい頃から動物たちにも、そうだったそうです。犬や猫はもちろん、アフリカに行った時は小象も鼻をすり寄せて来たそうです。
こんなこともありました。JRの車中で屈強の男が怒鳴りながら隣の人に殴りかかろうとしている。加津子さんは思わず、その男に近づき抱き締めて、何事かをささやいた。すると男は涙をこぼし泣き笑いしながら止めた。今も、その男性とは文通しているそうです。
こんな加津子さんにも、時には苦手の人がいます。そういう時、加津子さんは心で「好き好き、大好き」と繰り返す、すると本当に好きになれるのだと言っています。これを彼女は「大好きパワー」と言うのだそうです。
先日、書店に行ったら、「わかもと、なんとか」という本があった。正確な名前は忘れましたが、小さなコッケイな本です。「わかもと」というのは戦前からある胃腸薬です。この薬の付録?に「わかもと、なんとか」という本があったそうで、人生日常の些半事の解決法が書いてあったというのです。
私は昔、少年雑誌の欄外にあった同じような短い記事を覚えている。その私の知っているのとまったく同じ答えも載っていました
「あくびが出そうになったら、どうするか。答は『舌で上唇をなめる』」といった調子です。事実、うまくゆきます。しゃっくりをとめる簡単な方法もあります。紙面がないので、ここでは書きませんが、こうした小さなコツは案外、人生に便利、また必要です。
くだらぬことを書いたようですが、「言葉の力」こそ、信仰実践上大切なコツなのですと言いたかったのです。山元加津子さんの言う「好き好き」もそのコツの一つですね。
〔テレホン聖書〕2001.10.2. 素直、タフ、練習
ベルリン・マラソンで女子世界記録を出した高橋尚子さんについて、小出監督がこんなことを言っている。「私の教えた子たちの中でも、あの子ほど素直に私の言うことを聞いてくれた子はいない。それにあの子の良いところはタフであること、そして練習を徹底してやったことである」と。
信仰においても、このことが言える。まず素直さ、子どものような素直さ、従順さ。師匠が黒を白と言っても従ってゆく素直さ。
次はタフであること。がんばること。よく先生がたが「がんばるのは信仰ではない。信仰とはただ委ねることである」と言う。その真意はよく分かる。しかし、神様にまったく委ねた上でがんばるのは、さらによいのです。
言い替えれば、全力をつくす熱意と忍耐である(第一コリント15:58八参照)。パウロの生涯はそれを示している。まったく委ねるとは、寝ていて棚から落ちてくるボタモチを待っている事ではない。忍耐は希望である。信仰をもって、目的意識を持って継続することである。
第三は練習である。練習とは、力まかせの全力投球ではなくて、適宜に力を抜く巧みな技を獲得するための訓練である(第一テモテ4:7下参照)。
イタリアの心理学者アサ・ジョーリが「意志」を論じて三つに分けてた。第一は正しい意志、第二は強い意志、第三が巧みな意志だという。この「巧みな」ということを言い出したアサ・ジョーリは実に偉いと思う。
巧みさを獲得するためには、ただ単に力んで、がんばればよいというものではない。師匠の技をよく見ること、師匠の言うことを素直に聞くこと、その上に「知恵」がいる。知識でなく知恵である。 第一コリント1:30の「キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられた」とあるところの、この「知恵」がなければ、熱心な練習もむだ骨に終わりやすい。少くとも効率が悪い。もちろん要領よくやって、怠けよ、と言っているのではない。それよりは愚かで一途な熱心さのほうが勝っているし、尊い忍耐の品性を作る。しかしなるべくならば、効率のよい努力をしたいものだ。「告白」や「イメージ祈祷法」等、具体的実技的な信仰の自己訓練は大いに重要であると私は信じている。
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