キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(日岡だより)

2002年4月

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2002/4/28

  (「日岡だより」第17号)

人生マラソン、笑って走りましょう  

 私が毎日、電話でお送りしている「ワッハッハ元気が出る電話」という番組があります。どんなお話をしているのか、一昨年のものですが、話しているままをテープ起しして、左記にご紹介します。

 ハーイ、「ワッハッハ元気が出る電話」の釘宮義人でございます。きょうもご一緒に笑いましょう。ワッハッハッハッハハ、もう一度、ワッハッハッハッハハ。さあ、もう一度、ワッハッハッハッハ。

 これは笑いの訓練、笑いの練習であります。ですから、大きく口をあけて、息を一杯おなかに吸いこんで、おなかをゆすって、大きな声で、ワッハッハッハと笑いましょう。

 何も、こうした笑いを年がら年中、また毎日一日中しなさいというのではありません。そのように大きな声で笑っていなさいよと、お勧めしたいのは山々ですが、実際にはそうも行かないでしょう。

 心の中でクスクスと笑い、あるいは低い声でウフフ、オホホと笑うのでも、よいのですよ。ホッペタがゆるんで、顔だけで笑っている。それでも良いのですよ。

 人は時には泣き、また時には怒ったりすることもありますよ。イエス様だって時には怒ったり、泣いたりしてますよね。でも、たいていは、にこやかに微笑んでおられたと思います。また時には欣喜雀躍、踊り上がって喜ばれたに違いありません。(ルカ10:21参照、ここで「喜びあふれて」と訳された言葉は原語ではそういう喜びをさす言葉なのです)。

 就学前の小さいお子さんがたは1日に400回笑うというアメリカでの統計があります。同じ統計に出ていますが、大人は1日に10回しか笑わないそうです。ところで、イエス様は「あなたがたは幼子のようにならなければ天国に入ることはできない」と仰せられました。逆にいうと、大人でも幼子の真似をして、1日に400回笑う癖がつけば、それだけでも天国に行ける資格はありそうです。

 人生の長丁場、マラソンのような長丁場を、こうして毎日笑うことによって、楽しい勝利の人生を送ることができるのです。

 せんだって(このお話をしている時は、ちょうどシドニーのオリンピックで高橋直子選手がマラソンで優勝したころでした)、新聞で小出監督が話していました、高橋選手の練習の時、「直子、ニコニコしているんだぞ、ニコニコ笑ってるんだぞ」と言い聞かせていたそうですが、それが私に非常に印象深くありました。

 高橋選手は苦しい練習のさなかにも、あたかもすでに優勝したもののように優勝台に登って金メダルを右手に高くあげる姿を心に描いて、ニコニコして走ったことでしょう。

 聖書にこうあります。「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは……、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」(エレミヤ29:10)。

 これは人生のマラソンで、小出監督ならぬ、私たちの人生の監督である神様が励ましてくださる言葉です。私たちに「平安と将来と希望を与える」と。

 高橋選手が練習コースを走っている時、小出監督がそばで叫びます。「直子、ほら、金メダルだ。優勝台だ。喜べ、笑え。ニコニコしろ。ほら。直子、笑おうやないか」。

 同じように人生のマラソンの長丁場を走っている私たちに、イエス様は「ほらニコニコしろ、金メダルじゃないか。ほら、金の冠を与えるよ、そら、ニコニコして、今日も走ろう、お前の人生を走ろう、ワッハッハッハッハッハ」と励まして下さるのではないでしょうか。(「ワッハッハ元気が出る電話」2000年9月28日発信)

 

 

み言葉を唱えよう  

 市川益子先生はすばらしい方である。埼玉県の行田市と東京都の三鷹市にユニークな保育園を経営しておられる。いろいろ書きたいのですが、間違った観察や想像で書いてはいけないと思って、これまで書くのを我慢してきたのです。

 ところで最近、こんなことを先生から聞きました。私がかつて聖書のみ言葉を唱える祈りの仕方を申し上げたことがあったのです。なんでも良いと思ったらすぐ実行する先生です、それをさっそく始めたのですね。同調される方も多いそうです。

 市川先生はみ言葉を大きなカードに書きました。カードのみ言葉は一枚一枚違います。それを幼い園児たちに渡し、読みかたを一人一人に口移しで教えてあげたようです。そうして何度も何度も繰り返し唱えさせるのですが、園児たちは非常に喜ぶそうです。文字を読むことは幼い子どもたちにはあこがれですし、だから読めるようになると大喜びなのですね。

 先日は近郊にピクニックに行ったそうです。その時、途中の電車の中で園児たちは口々にみ言葉を唱えて、乗客のおとなたちを驚かせました。

 「ああして唱えた聖書の言葉は、あの子どもたちの脳裏に残って、いつか彼らの生涯を変えるだろうと信じているんですよ」と先生はおっしゃる。

 いわゆる「告白の力」の一つです。聖書のみ言葉を何度も大きな声で唱えることは、祈りでもあります。「み言葉にはあなたがたの魂を救う力がある」、これはヤコブの手紙1:21下の聖句ですが、この聖句の微妙さは「魂」の働きの特殊性にあります。

 聖書では魂は霊とは違います。魂(心)でイエス様を信じ、それを口の言葉で告白すると、霊の救いが成就するという真理、ローマ10:10の「心に信じて義とせられ、口に言い表して救われる」とパウロの言葉がそれです。 

 


【福音春秋】

◆…イエス様は一匹の迷える羊を捜すためには、99匹の羊を残して行かないだろうかと言われる。残した99匹は誰が面倒を見るのであろうか(ルカ18:12参照)。かねて雇ってある牧夫たちがそれを見るのである。これは間違いない。しかし、もし牧夫たちがいなかったらイエス様はどうするであろうか。しばしばこれが、私にとっては重大問題になる。
 教会のメンバーの中に迷える一匹の羊のような人がいる場合、私はその兄弟もしくは姉妹をどこまでも追い掛けて行って助けてやるべきだ思う。そうすると残った99匹の羊はどうすればよいのか、ということが、それが私にとって問題になる。彼らを無責任に放りっぱなしにしておくわけにはゆかない。
 その時、私はこう決断する。その迷える一匹は主イエス様に任せる。そして私は99匹のお世話をさせて頂く。迷える一匹は見殺しにせざるを得ないということになる。これは、実は99匹を任せることのできる牧夫を育ててこなかったこと、つまり霊的指導のできるスタッフを育てていなかったことが私の怠惰であったのである。明らかに私の責任問題である。主よ、赦したまえ。
 ◆…先週もこの欄で書きましたが、マルコーシュ・パブリケイションの笹井社長の書いた「キリスト教と天皇(制)」を読んで、私は明治天皇の特質を思った。私は以前、この天皇様の和歌集を持っていた。天皇の和歌は御製というが、明治天皇の御製は非常に闊達なのである。上手下手は問わない、無類のひろやかさである。この方の資質の良さが分かる。この方の御製の一つ、好きな歌がある。
 「あさみどり、すみわたりたる大空の広きをおのが心ともがな」というのである。私はこの歌を読んで、はっと気がついた。明治天皇の心の孤独を。よく言われることだが、「社長ほど孤独な者はいない」と。天皇という逃れることの出来ない職業(?)の孤独さを思う時、この御製にこもる明治天皇の心の広さを求める切実さが私に伝わってくるのである。
 宣教師フルベッキは明治天皇にキリスト教を伝えたらしい。私の思うのに、明治天皇はキリストの十字架の信仰までは至らなかっただろうが、天の父なる神を信じるところまでは行っていたのではないか。しばしば明治天皇の御製に「目に見えぬまことの神」などという言葉が出てくる。明治天皇の孫である小林牧師はこれらの言葉によって、明治天皇はクリスチャンだったと言う。その気持ちも分かる。この方が「天」を仰ぐ時、特別な感情があったのではないかと私は想像するのである。
 西郷隆盛の「敬天愛人」という言葉の不思議さもその辺にある。こういう思想はまったくキリスト的である。ルカ15章の18節や21節で放蕩息子が父なる神のことを単に「天」と呼んでいる。この放蕩息子の物語はイエス様の創作である。天とは正に父なる神をさす。
 フルベッキ宣教師が長崎にいた時、西郷どんもこの宣教師の聖書講義を聞いたという話もある。「敬天愛人!」、皇太子の内親王さんのお名前を思い出すが、どうか皇室に福音の光が差し込みますように。


【雑報】

4月21日の甲斐博之兄と田口敬子姉の結婚式は永井先生が進行係を務めてくださって、ベテランの先生の好リードで私の司式も無事に終り、感謝でした。教会の結婚式は未信者の方々にもたいてい喜ばれ、また感動して頂けるものですが、今回も両家のみなさんや友人のみなさんにも喜んで頂けたと思います。ご結婚のお二人の豊かなご祝福を心から祈ります。

 


 

2002/4/21

  (「日岡だより」第16号)

「愛」について    

 中学生の頃、英語の時間で、牛をカウとだけ覚えていたら、その後、カウは雌牛のことで、牡牛はブルというのだとか、いやキャトルという言葉もあるらしいとか、子牛にはまた別の言葉があるのだとか、聞いて頭が混乱してしまったことがあります。

 そう言えば羊もおとなはシープですが、子羊はラム。その他、聖書の国イスラエルでは羊の名もほかに三つ四つあるような気がします。

 とにかく、国や民族によって、彼らと関係が深いもの、興味あるものの名称は、殊に細かく分類されるもののようです。

 日本ですと、魚です。ブリは出世魚と言って大きくなるにつれて名前が出世します。大分ではヤズ、ハマチ、シュントク、ブリと言うんだそうですが、明石地方ではもっと分かれて七つくらい名前があると聞きました。

 そこでギリシャ語ですが、ギリシャは哲学や詩文の国ですね。それにふさわしく知的な文学的な言葉では、上記の牛や羊や魚のように分かれるのです。

 聖書に頻出する愛という言葉は、ギリシャ語では四つあります。その中の二つが聖書に出てきます。 ヨハネによる福音書21:15〜17の個所で、復活されたイエス様がペテロに「あなたはここにいるほかの人たちよりも私を愛するか」と問われた時、最初イエス様はアガペーという言葉で「私を愛するか」と問われるのです。すると、あの受難の夜、カヤパの官邸でイエス様を「あんな人、知らねえよ」と否認したペテロは、その心の重荷で素直に答えられません。「私があなたを愛することはあなたがご存じです」と言ってしまうのですが、その「愛する」という言葉はフィレオーという言葉です。

 先のイエス様の「愛するか」はアガペー、愛すべからざる者をも愛する愛、死を賭しても愛する愛、そういう神の愛なのです。ところがペテロの「愛することは」の愛はフィレオーとう愛、これは一般的友情の愛です。けっして悪い言葉ではないが、アガペーに比しては愛の次元が低いのです。神の愛に比べ、人間の愛にとどまります。

 他の二つの愛は聖書には使われていませんが、一つはエロス。もう一つはストロゲンと言います。エロスは性愛を示す言葉ですが、プラトンなどはもっと良い、真理を愛する愛、などという時に使っているそうです。もう一つのストロゲンは肉親の愛です。親が子どもを愛する愛です。

 ストロゲンの愛は、アガペーには劣りますが。友情のフィレオーやエロスの愛にまさります。ストロゲンの愛はイエス様が命を賭して人を愛する愛に似たところがあります。特に母親が子どもを愛する愛は崇高なものです。こうした母親の愛はアガペーの愛によほど近い真実と愛情があります。

 でも、母親の愛は自分の子どもにだけ注がれます。他人の子どもに向かいません。これがストロゲンの愛の限界です。しかし、神様はご自分に背く者にさえ切なる愛を注ぎたもうのです。

 

 イエス様は「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と仰せられました。この愛は言うまでもなくアガペーの愛です。この命令のあとに続けて主は言われます。「人、その友のために命を捨てる、これよりも大いなる愛はない」。

 母親は子どものためには、命も捨てて愛する、ストルゲンの愛です。しかしイエス様の愛はご自分を殺そうとする者をも愛する愛です。「このようにあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と、主は言われるのです。

 もっともここでは、イエス様は私たちに「敵をも愛しなさい」とは言っておられないことに気がつきます。もちろんそれが理想です。しかしここでは弟子たちにむかって「あなたがたがお互いに愛し合いなさい」と言っておられるのです。お互いにと限定している、ここは面白い所です。

 この聖書の個所は最後の晩餐の席上におけるイエス様の決別説教の一部です。聞いている者たちは親しい12弟子たちだけです。彼らに互いに愛し合いなさいというのは自然なことだとも言えます。

 

 アガペーの理想の姿としては、「あなたがたは敵をも愛しなさい」とイエス様が山上の説教でおっしゃったとおりです。しかし今、主は少なくとも弟子たちに対し「お前さんがた互いの間でアガペーの愛を守りなさい。今、世を愛して私は十字架の死を受けようとしている。この愛を知ったあなたがたが互いに愛し合うことは、さほど困難なことではあるまい」、こう言っておられるのではないでしょうか。

 このヨハネ21:15〜17で大事なことはこれです。アガペーの愛で愛せよという、たいへん実践が難しいはずの命令を、主は「私があなたがたを愛したように」といって愛の実例を示し、彼らがその愛を受けとめて、その実存的愛をエネルギー源として自分のものにするならば、それを再発信して互いに愛し合うことは容易である、という親切な勧告に換えてくれているのだと言うことです。

 

 この親切なイエス様の奨励を、今日、結婚式をあげられる甲斐兄弟、田口姉妹のお2人に差し上げたい。「お互いに愛し合いなさい」という命令や、奨励ほど結婚なさる2人に相応しいおすすめの言葉はない。 

 実はこの原稿は最初は「幸福な結婚の秘訣」という題で書こうとしてワープロに向かったのです。しかし、書き始めたらこんな文章になってしまいました。でも、これで良かったと思っています。

 幸福な結婚の秘訣は主にある愛です。「私があなたがたを愛したように、あなたがたも愛し合いなさい」と。然り、だから私たちも主を愛するのです。み言葉を愛するのです。聖書を家庭の宝にして下さい。聖書のみ言葉に従って生活してください、問題が起ったら聖書に帰りなさい。そして2人で祈るのです。手を取り合って、会話的に交互に祈り続けることを覚えて下さい。必ず、お二人の幸福な結婚は永遠に続きます。天国に至るまで続きます。 

 


【福音春秋】

◆…去る4月14日、東京秋川に行きました。もっとも今はあきる野市ですが、赤坂家が立派なビルを建てて、階下が喫茶店になっています。近い将来、ここが教会になる日を夢見ています。今、4家族が一緒になって礼拝を守っていますが、外から新しい求道者のあらわれることをねがっています。
◆…4月15日、同家を辞して立川にマルコーシュ・パブリケイションの笹井社長を訪問。永井先生の肝いり、古林先生の編集を買って出てくださっての出版準備中の私の近刊書のご相談もあってのことだが、最近のキリスト教出版の低調さを聞いて憂えざるを得なかった。なお、笹井さんの近著である「キリスト教と天皇(制)」という本をもらった。この本は帰路、ANAの機中で読んだが、内村先生の名が出ては泣き、原田美実先生の名が出ては快哉を叫んだ。ともあれ、この天皇制の本はぜひ多くの人に読んで欲しい本だ。
◆…日野市のリバイバル新聞社を訪問。谷口社長に会う。私の「ワッハッハ元気が出るコラム」の原稿のことで、ちょっと傾向を変えたいと言ったら。谷口さん言わく、「いいですね。癒しのことや悪霊出しのことなど、読者からの問い合わせも多いのですよ」と、私に「それを書きませんか」と言わんばかりでした。
 ところが、その夜、都心に出てホテルに泊まった時、留守宅の妻から電話があって、「Aさんのところに行って祈ってきました」と興奮気味です。聞けば、Aさんはもともと豪快な人です。近年、全身に癌腫瘍を23個所もかかえていますが、ビクともしなかった人です。ところが今回、その腫瘍マーカーの数値が異常に高くなっていたので、奥さんが心配そして妻に電話があったらしい。妻は驚いて早速お訪ねして祈ってさしあげたというのです。
 私は知っていますが、こういう時の妻の祈りは真剣ですし、私より時間もかけます。気力も使います。そうした祈りの結果でしょう。Aさんの顔が明るく元気になってニコニコ喜んでくれたというのです。格別に、全く癒されたというのでは無いのですが、私の妻が大胆で雄々しく祈ってくれたらしいことに感謝しました。信仰の祈りに、必ず主は答えてくれるはずです。
◆…こうして翌日、私は九州の我が家に帰ってみると、机上には倉敷のK先生からの手紙が待っていました。先生は半年ほどまえから、原因不明の病気、非常に心配でした。昨年9月、大阪での聖霊百年祭のころ、一度お訪ねしてオリーブ油を塗って祈ったことでしたが、先月末にも、病室に電話が通じましたので、電話で祈って差し上げたことです。「祈って差し上げた」と言っても、前述の妻もそうだったと思いますが。病気に対しては、私は「病気よ出て行け」と命令するのです。そして「病気の退散」を宣言するのです。その結果を手紙してくれていたのです。
 「先生、癒されました、完全に癒されました、先生、感謝、ワッハッハッハ」と絵入りの手紙です。上記のAさんも、このK先生にも、まだ詳しくは聞いていませんが、とにかく谷口さんがふと漏らして期待されたような癒しの実績が現われたので喜んでいるのです。
    


【雑報】

本日(4月21日)、礼拝後、甲斐博之兄と田口敬子姉との結婚式を行います。延岡市より来たっての結婚式です。ご祝福を祈ります。▼4月25、26日に持たれる八王子市でのカヤンジャ先生の聖会に妻と連れだって、出席する予定です。▼5月16日、拡大宣教学院の卒業式です。私も出席します。長い間、私も理事長として名前だけのふつつかな務めでしたか、今回をもって辞任するつもりです。実は80歳になったら辞めさせていただくよう永井先生にお願いしてあったわけです。▼教会では4月27日、成人科の潮干狩りです。4月29日は伝道委員会主催の野外礼拝と焼き肉大会です。催しは今年も展開中です。 


 

2002/4/14

  (「日岡だより」第15号)

ガンジーのこと  

 これまで本紙の名を「日岡通信」としていましたが、どうも堅苦しい感じがします。それで先週から「日岡だより」と改題しました。要するに、今後は私の個人的気分にしたがって、自由に書いて行きたいという事です。さして役にたたない刷り物になりそうですが、ご勘弁ください。

 気分というと軽々しいですが、しかし、私は軽快な感じが好きなのです。出来るだけ軽快な気分で書きたいのです。この「感じ」ということで、最近たいへん感動した文章がありました。

 それはガンジーのことにふれて、その秘書が言った言葉です。ある時、ガンジーがロンドンで咄嗟の演説をしたそうです。すばらしい演説でしたので、興奮した新聞記者たちが、その秘書に聞いたそうです。「ガンジー氏は何の準備もなく、メモ一つ用意せず、どうしてあんな見事な演説ができるのか」。 秘書は答えました。「彼は考えていることと、感じていることと、言っていることと、行っていることと、それらがすべて一致しています。ですから、彼はメモがいらないのです」。

 秘書はにっこりして、つけ加えたそうです。「私やあなたがたは、しばしば、あることを考え、それと違うことを感じ、また別のことを言い、さらにまったく違う別のことを行おうとするのです。それで、たえずメモやファイルが必要となって来るのです」と。記者たちは頭をかいた。

 少し、この批評がきびしいとは思ったが、私はやはり同感した。考え(思い)と、言葉と、行為との間に、もう一つ「感じ」を挿入したところに新鮮さを覚え、かつ驚嘆した。そして恐怖すら感じた。ガンジーという人物は畏怖すべき人物であった。

 

神経症を癒すには   

 先日、「ウツ病を治してほしい」という女性が来られた。会ってみると、この人はウツというより神経症に近いと思いました。そう告げたら、医師にも、そうも言われたことがあったと言う。

 私は医師ではないし、カウンセリングの専門家でもないが、私自身が若い時、脅迫観念で苦しんだので、その人の苦しみがよく分かるように思ったのです。たぶん昔、脅迫観念と呼んだのは、今の神経症のことだろうと私は思うのです。

 私は信仰を与えられ、それが明確なキリスト体験でしたから、それだけでも脅迫観念ぐらい治りそうなものですが、恥ずかしいことに現実はそうは行きません。しかし幸いに、その時、私は刑務所の中でしたが、倉田百三の「治らずに治った話」を読んで森田療法のことを知り、森田療法の考え方と私の信仰とが重ね合って、すっかり快癒したのです。

 そうした経験から、他の精神科の病気と違って、神経症は病気ではないと思うようになりました。病気でないなら、それは何か、それは考え方の癖、あるいは感じかたの習慣であると思いました。

 これはしろうとの独りぎめですから、専門家の方からはお叱りを受けるかもしれません。しかし、そのように考えたほうが実際的治療にあたっては、有効ではないかと思っているのです。

 さて、先日来られた、その女性の方には、まず信仰を求めるようにすすめたことです。教会の礼拝に出席しなさい。3か月も続けると信仰が分かってきます、などとも言ってあげた。それにつづけて具体的なすすめもしました。これがまた専門の先生方からは、お叱りを受けるかもしれませんが、以下のようなことを言っておすすめしておいた。それらをみんなまとめて番号をつけると、こうなる。

 (1)信仰。 (2)私の「笑い」の実践。 (3)自己命令法、あるいは自己説得法等。 (4)アファーメイション、特に聖書の言葉の告白。 (5)楽しいイメージ(右脳療法)。 (6)散歩。 (7)腹式呼吸法(私は岡田式をやった)。

 (2)から(5)までは、私の「誰でも出来る心の強化法」を読んでくださると、分かる。

 (6)の散歩は、ウツや神経症にどうも効果があるらしいことは経験からわかっている。特に朝の散歩が良いようである。旧約聖書でイサクが荒野に出て散歩をしていたとあるが、英訳ではたいてい散歩ではなくて、「瞑想」のために出ていたとある。

 昔の預言者や使徒たちはしばしば旅行をした。当時の旅行はすべて徒歩旅行である。徒歩やジョギング、マラソンはしばしば精神状態をハイにする。私は生理学はしろうとであるが、多分ふくらはぎの二重筋肉の神経が、脚の運動によって交感神経の失調を正常化するのだろうと思っている。

 (7)の「腹式呼吸」というのは、呼吸の霊的重要性から当然考えられる分野である。人によっては、ヨガや禅を想像して、東洋宗教への傾斜を心配するだろうと思いますが、もともと「息」は「血」にまさって命そのものなのである。創世記では「アダムは神の息を吹き込まれて生きた人になった」とある。 ご復活のイエス様は弟子たちに息を吹きかけて、「聖霊を受けよ」と言われた。ペンテコステの時には「風」のような音を聞いたとある。ヘブル語やギリシャ語では息も風も霊も同じ言葉である。霊は人間の根本的命である。

 息を整えるとは血液の流れを整え、内臓の働きを整え、神経の働きを整え、そして精神活動の働きを整える。そうするとき、内なる人の霊の働きが正常に精神活動に浸透し、思いや感覚や感じや気分に秩序ある軽快さを与え、心身ともに、その生活を活発化するのである。

 もちろん、霊的、内面的、信仰の訓練にまさって、これらの修練的な分野を推奨するのではない。特に聖霊様が働いて、人の内も外も一挙に変革する時の、見事な力(ドゥナミス)にまさるものはない。だから、

 聖霊と火のバプテスマを求めよ、と力説する以上に良いことはない。異言の祈りを推奨する以上に良いことはない。しかし、まだ信仰を持っていない人、信仰の初歩にとどまって居る人に、即急の癒しを必要とする人、そういう方々には以上のようなお勧めをしたいのです。ご参考にして下さい。 

 


【福音春秋】

 ◆…これまで幾つか、「私の想い出」を書いたことがある。今日ちょっとしたことがあって、今、はやりの「自分史」めいたをまとめようかと思ったのである。それと言うのも、今日はびっくりしたことがあった。午後、何気なく我が家の玄関を出て、止まっていた自動車の人に挨拶した。するとその人が、「あ、釘宮さんじゃないですか」と言う。「あなたのことをワープロに打って、本にしかけているのですよ」とおっしゃる。

 何分、唐突のことだから、私は返事を失う。「釘宮さん、あなたは終戦直後、大分駅の付近で戦災孤児の世話をしたでしょうが」。「そうでしたね」、「あの頃のあなたの新聞記事など資料集めて、今整理している所です」。「……?」、「あなたは財産を捨ててかかって、無私の奉仕で戦災を孤児を養っていた。感激しましたよ。大分県の歴史には載っていますが、ほとんどの人は知りませんよ。特にこの地域の人には知って欲しい。私は今、そう思ってワープロでまとめているのです」。私は思わず、声をあげた。「一体、あなたは誰ですか」。

 ◆…聞いてみて驚いた。私は本来熟知しているはずの人であった。しかし、もう30年以上も会っていない。あの終戦直後の私を見ていた人とは全く想像も出来なかったのです。

 私はあの頃、餓死覚悟で戦災孤児の世話に乗り出したのだ。マッカーサーが「食糧不足で日本人は100万人は餓死するだろう」と言った時です。労働運動は皇居に向かって赤旗を振った。「天皇よ、米をよこせ」と言う訳だ。そのころ、昭和天皇さんはマッカーサーに命をかけて食糧援助をもとめたとい美談が後に分かった、そういうことのあった時代です。

 私は考えた、「日本人は100万人は餓死するのだろうか。なるほど、ちょうどいい。日本のクリスチャンは100万人だ。われわれクリスチャンが全員メシを食べないで餓死すれば、残る日本人は私たちの身代わりになってクリスチャンになるだろう。そうして必ずリバイバルが来る」。これは全く短絡的だが私は真面目だった。母に言った。「母ちゃん、握り飯を作ってよ。駅に行って、戦災孤児たちに食べさせるのよ」。「そんなことをしたら、私たちはどうなるの」、「かあちゃん、僕たちは死のう」。「また、そんな無茶なことを言うて」と母はサジを投げた感じだった。

 この話題は時々書くことなので、詳しくは省くけれども、こうして私のしばらくの戦災孤児収容の仕事がはじまる。いわば、大分市や大分県の福祉事業の神話時代である。正式な文書には残っていないし、私も写真や記事を残すことを嫌った。私はその頃、24歳の若さであった。

 


あとがき

今回はだいぶ特殊なことを書いたようです。本文に書いたように、気分に乗って書いているので、こんな文章はイヤだよという方もおられよう。そういう方はどうぞ遠慮なく断ってください。郵便を断るのは簡単で、そのまま封筒の上に「受取拒絶」と書いた附箋をつけてポストに投函すれば良い。▼私はかつて私の感謝を込めた長文の手紙を矢内原忠雄先生に送ったら無用の原稿と思われらしく、「受取拒絶」で返されてがっかりしたことがある。先生の本によって、随分血湧き肉踊る経験をさせられたから、一返は御礼申し上げたかったのに、残念だった。▼この「日岡だより」の記事はインターネットでホームページにも、メール・マガジンにも載せます。それらを見てくださる方が、本紙の郵送をお断りになられるのは、もちろん歓迎です。またご感想をお寄せくだされば幸いです。▼私の身辺のこと。今日あたりは東京に居ます。本紙が郵送で届く頃には九州に帰っているでしょう。私は大いに元気で感謝ですが、妻は昨年夏の転倒の後遺症があって、やや体調不順です。かつて乳癌も肺癌も見事に癒されましたが、今回の傷の癒しがゆっくりしています。何かの神様の御心を感じます。いらいらしないで、じっくり神様の御導きに従う時でありましょう。主の大きな祝福を祈っています。ご加祷、感謝! 

 


 

2002/4/7

  (「日岡だより」第14号)

 

「わが主よ、わが神よ−トマスの信仰告白−」  

 

 東京の板橋に誠志会病院という癌の免疫療法で有名な病院がある。この病院のことについては書きたいことが山ほどあるが、今回は割愛します。

 この病院には最初、池袋で伝道しておられる金炳坤牧師に連れられて行ったのでした。その時、もう一人、韓国からいらっした金聖浩牧師も同行したのです。その誠志会病院で伝道集会をするためでした。 この病院には礼拝室があるのです。日本には珍しい病院です。この病院の院長、岡田信良先生の信仰の発露です。

 その夜は、患者さんたちが大勢集まりました。まず金聖浩牧師が、次に私が立ちました。金聖浩先生の説教の通訳には金炳坤先生が立ちました。

 金聖浩先生の説教が実に面白かった。特に印象に残ったのは先生の奇抜な体験談であった。

 

 その体験談というのはこれです。先生はかつてインドに行かれたそうです。インドには、使徒のトマスが伝道に行ったという伝説がある。

 インドは霊的に沼地のようなところで、幾ら土や石を放りこんでも埋まらないような底なしの所です。 パウロやペテロがヨーロッパで成功したようには華々しく成功しませんでした。しかし、同じ1ミナで10ミナもうけた者にも、5ミナもうけた者にも、同じ祝福のお言葉をかけたもうのは主のみ心です。いや、その苦労にたいしては、更に大きないたわりの言葉や、お誉めの言葉を後でこっそり賜るかもしれません。

 とにかく、今もインドには伝説ですが、そのトマスの教会があるそうです。そして、そこにトマスの手が腐らずに残っているというのです。

 それを知った聖浩先生は、そのトマスの手の指にさわりたいと思ったのです。しかし、その教会の管理人が許してくれません。

 聖浩先生はその時、神様に「許してください」と祈ったと思いますが、その管理人にアメリカ紙幣で10ドルを掴ませました。管理人は聖浩先生に聖トマスの指にさわることを許可しました。

 聖浩先生は歓喜して聖トマスの指にさわりました。感動で涙が出ました。その体験談に礼拝室は湧き上がりました。私も控えの椅子から立ち上がって、その聖浩先生の手を握ったものです。

 「先生。私にも先生の指にさわらせて下さい」。 みんな、どっと笑いました。しかし、なぜ、トマスの指にさわっただけで聖浩先生はそんなに歓喜するのでしょう。なぜ私が聖浩先生の指にさわろうとしたのでしょう。

 それはトマスの指は復活されたイエス様の手や脇にじかにさわった人だったからです。ですから、トマスの指にさわった人は間接的にイエス様の傷跡にさわったことになるのです。その聖浩先生の手を握った私は、間接の間接でイエス様の傷を受けられた手や脇に触れたことになったことになるのです。

 

 ヨハネによる福音書20:26〜29をお読みください。イエス様の御復活の日曜日の、次の日曜日のことです。

 この日、弟子たちはまた家のなかにいました。戸はみな閉ざされていましたが、そこにイエス様は物質を貫いて部屋にはいってこられました。そしてみんなの中に立って、「平安なれ(シャローム!)」と挨拶されました。そしてトマスに言われたのです。

 「あなたの指をここにつけて私の手を見なさい。 あなたの手を伸ばして私の脇に差し入れなさい。 信じない者にならないで信じる者になりなさい」。

 思わず、トマスは叫びました。

 「わが主よ、わが神よ」。

 イエス様は言われました。

 「あなたは私を見たので信じたのか。見ないで信 ずる者は幸いである」。

 この聖書の記事で分かりますように、トマスはイエス様の手や脇の傷跡に触ってみて、驚いてイエス様の御復活を信じたのです。

 実はその一週間前のこと、イエス様のご復活の日です。戸を閉めて閉じこもっている弟子たちの部屋にイエス様がはいってきて、ご自分の御復活の体をお見せになった時、そこにトマスは居ませんでした。 後になって十人の弟子たちが「イエス様がよみがえられた」と興奮して語り合っている時、トマスが帰ってくると、イエス様の復活のことで部屋中が湧き返っていました。トマスは部屋に戻って、他の弟子たちの興奮振りを見て「おい、もっと冷静になれよ」

とたしなめたわけです。そして言いました。

 「イエス様が本当によみがえられたというなら、 僕はそのイエス様の手の釘あとを見、僕の指をそ の釘あとにさし入れ、また僕の手を先生の槍で裂かれた脇に差し入れてみなければ信じられないな」

 トマスは勇気のある人でした。ヨハネ11:16によると、イエス様に危険が及びそうな時、「おれたちも行って、先生と一緒に死のうではないか」という人でした。

 だからみんながイエス反対派を恐れて外に出れないで居るとき、何かの用事を果たすため、あるいは市内の情報をさぐりにでも出て行ったのでしょうか。とにかくこういう非常の時に一人で外出しているのですから、勇気のある人と言わねばなりません。

 でも、勇気のあるトマスはまた、合理主義の人でした。死人がよみがえるなどということ、たとえイエス様のことでも信じられなかったのです。

 ところでイエス様は、そのトマスが一週間前に言った不信仰な言葉をそのままに折り返して、ご自分の傷跡をお見せになるとははユーモアですね。

 先々週はしゅろの日曜日、イエス様のエルサレム入場の日。先週はもちろん復活節でした。そして今日の日曜日はトマスの信仰告白の記念日です。

 「わが主よ、わが神よ」、これこそ完全な信仰の告白です。まさに、イエス様こそ、私たちのただ一人の主、私たちの神様だと呼べる方なのです。 


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