キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報掲載・今週のメッセージ)2002年8月
2002/8/25
(「日岡だより」第34号)
胎児から死に行く人々にまで
昔からの信徒の方々にはなじみ深い信仰の友、林正貴兄が帰天されてから、もう12年になります。その林兄のお姉さん、新田千代さんが、先日の8月22日の朝、逝去されたことを、次男の照男さんや三男の道典さんが知らせてくれました。そして林正貴兄の時と同じように、キリスト教式の葬儀をしてほしいとのご依頼だったのです。私は喜んでお引受けしました。
その夜、さっそく前夜式です。私ははたと困りました。新田千代さんには時おり、お会いして祈って差し上げたこともあります。私の祈りに答えて、「アーメン」と応じてくれることもありました。しかし、それ以上、突っ込んで信仰をお奨めしたことは無かったし、また彼女の信仰を確かめることもしませんでした。
私は自分の伝道者としての怠惰さと不忠実さを今さらのように恥じ、かつ申し訳なく思いました。そしてこの方のなきがらの前で葬儀説教することの難しさに悩みました。却って、見ず知らずの未信者の方の葬儀のほうがやりやすいのです。いつぞやの中尾姉の甥御さん三ツ橋継也君の場合がそうでした。大分郡庄内村というお神楽や仏教の盛んな土地柄ですが、多くの会集の人々が感動してくれたものです。
*
聖書ははっきり告げています。
「一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっている」(ヘブル9:27)と。
そのさばきとは、「信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰な者は罪に定められる」(マルコ16:16)ということです。
最近、信仰を持たなかった者が死後に救われる可能性はあるのか、という問題がキリスト教世界に大きく問われるようになりました。特に、レムナントの久保有政先生が大胆に言い始めてからですが、この久保先生の宣言も、前述のマルコ16:16のお言葉によれば、全く否定されるように見えます。でも、遠藤周作流に言えばつぎのような言葉が出るでしょう。
「生きている間イエス様の福音に全然接する事が無かった人、しかも山上の説教級ほどではないにしても、一応、立派に清く正しく生きて来た人が、天国の門の前で、イエス様を知らなったばかりに、門前払いを食うとは、あんまりではありませんか。いくらなんでもイエス様の愛の御心に相応しくないと思いますが」。
かつて大阪の聖会で、こうした質問をチョウ・ヨンギ先生に、ある人がしたのを私は覚えています。その時、チョウ・ヨンギ先生はその質問を一蹴しました。「信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰な者は罪に定められる、と聖書にあるでしょうが」とおっしゃるばかりでした。質問者は黙って椅子にしゃがみ込みました。
逆の例ですが、10年ほど前、別府のカウンセリング講習会で田中信生先生が、キリストは愛の方です。生きている間、不幸にして十字架の福音を聞いた事が無いまま死んでしまった人にも、なんらかの救いの道はあると思いますね」というようなことを言ったのです。ところがこの講習会に参加していた飯塚の上田展生先生が、先ほどのマルコ16:16を持ち出して強硬な反論的質問をされました。
その時の田中先生の応答は実に巧妙でいつの間にか上田先生が言い負かされたように見えました。もっとも、よくは覚えませんが、たぶん絶妙な弁証法的止揚論理で上田先生に答えたのだったと思います。私はその田中先生のディベイト風の返事に一種の快感を覚えましたし、また講師に対してめげす臆せずに、なんども抗議していた上田先生にも好感を持ったものです。
これは難しい問題です。内村鑑三先生は晩年、「万人救済説」に傾いていたそうです。「すべての人は神様の愛により、いつかは必ず救われる」、という説ですから、先生はたぶん不信者の死後の救いを信じたわけでしょう。内村先生はこう言ったそうです。
「この罪深い僕が救われたのだから、神様はどんな人をも救いたもうよ。神はすべての人が救われることを望んで居られるのだから(第一テモテ2:4参照)。うん、神様はなんでも出来るのだからね」。
*
それにして、一度もイエス様の福音に触れたことのない不幸な人には、あるいは最終の救いの道を造ってくださることもありましょうが、少しでもイエス様のことを聞いていた人、一度でも牧師の説教を聞いたことのある人、しかし、イエス様を信じなかった人。たとえば今回、逝去された新田千代さん。この方々を天に送り得る説教することは至って難しいのです。
しかし、ただ一つの救いの道があります。それはペテロの第一の手紙3:19のみ言葉です。「こうして、彼(キリスト)は獄に捕らわれている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた」とあります。
ここで「獄」というのは陰府のことです。そして使徒信条に、キリストは「死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがり…」とあるとおり、三日間陰府に下って福音を語られたのです。その福音の余韻は今もなお、陰府に脈々と伝えられていないだろうか。この福音を信じて赦されて陰府より天国に上げられる人はいないでしょうか。又、こんなみ言葉もあります。同じくペテロの第一の手紙4:6です。「死人にさえ福音が宣べ伝えられたのは、彼らは肉においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神に従って生きるようになるためである」と。
又、パウロはこんな不思議な言葉を残しています。「(旧約聖書の詩篇に)こう言われている。『彼は高いところに上った時、とりこをとらえて引き行き、人々に賜物を分け与えた』。さて『上った』と言う以上、また地下の低い底にも降りてこられたわけではないか。降りて来られた者自身は、同時に、あらゆるものに満ちるために、もろもろの天の上にまで上られたかたなのである」(エペソ4:8〜10)。
ここで言う「とりこ」とは、かつて陰府に捕らわれていた人たち、しかし今や主イエス様は陰府にいて福音を信じた者たちをサタンから奪還して、ご自身の新しい「とりこ」として連れて上り、天にまで帰られることをさす二重の意味があると考えるのです。
*
聖書によると、旧約の時代の死者はすべて陰府に行ったようです。ヤコブもダビデもそう言っている。しかし、新約の時代になってからは、イエス様を信じたものはすべて天上のパラダイスに行く(ルカ23:43、第二コリント12:4参照)のです。
しかし、全天全地に満ち満ちたまう主は、今も地下の陰府にも下って行かれる(詩篇139:8参照)、そして救いの御手を伸べたもうのではないでしょうか。
でも、これ以上、主の救いについて憶測を加えることは不謹慎だと思います。死後の不信者の救いが可能かどうか。一人一人について私たちがきめる事は出来ません。しかし、愛する者のために主の救いを期待し、主の憐れみを願うことは許されると信じます。
特に私は、死に臨んでいる人々に向かって、主の福音を語って聞かせ、また取り成しの祈りをすることは善いことだと信じています。
かつて、大分市明野のカトリック教会にヨキエルとう神父さんがいました。この方が私に語ってくれました。「私の国・ポーランドの田舎では信者が死ぬと、教区の神父が行って、その死んだ信者の耳を掴んで叫ぶのです。『おおい、天国に行くんだぞう』って」。
この言葉に私にインスピレーションを受けました。それ以後、私は死んだと見える人にも、その肉体のあるかぎり、その人の耳元でイエス様の福音を語り、天国へのいざないを語るのです。「間違った道、多くの人が行く広い道、曲がった道に行ってはいけない。狭いけれどまっすぐな道、前方に明るい天国の門の輝きが見えるような道に進みなさい」とお導きするのです。
なんだか行き過ぎたお導きのようにも感じますが、こうせずにはおられません。私は実は、母親のおなかのなかの胎児の赤ちゃんにも祝福の言葉を語ります。また、臨死状態と思えるかたがたのためにも、福音を語らずにはおれません。「伝道は胎児の時から、死に行く時まで」、こう私は信じているのです。(く)
【あとがき】
すこし難しいことを書き過ぎたかも知れませんが、ご容赦ください。本当はイエス様を信じる者だけが救われる。この方以外に救い主はない、という立場と、神様は絶大の愛の方。神様が一人残らず全人類を救われる、という立場との矛盾の緊張関係を孕みつつ、一つになっている、そういう立場を説きたかったのです。本文中に弁証法的止揚論理と書いたのが、そのことです。信仰の世界は最後には理論では割り切れません。その矛盾を解くのは、信仰と愛と祈りです。8月23日の葬儀の最後の時、イエス様を仰ぎ、天上の林正貴兄の霊と天使たちを招いて、千代さんの霊に向かい天国への道を進むよう励まし、また祈ったことです。(く)
2002/8/18
(「日岡だより」第33号)
リピーターの多い教会
大分にジョイフルというファミリー・レストランがある。20年ほど前に当教会の近くに第一号店ができた。値段は安いし、メニューが安定している。雰囲気もなんとなく親しめる、従業員がよいのであろう。
当時ニュージーランドから来た神癒伝道のメルカム先生と一緒に、よく食事に行った。先生は何よりも、ジョイフルという名前が好きだった。
このジョイフルが、その後、どんどん発展して、九州中に出店して、目を見はったものだ。
その後、更にもっと、全国的に店がふえた。私が理事長をさせて頂いている拡大宣教学院は、仙台市の北、20キロくらいの所だが、そこに行く途中、大和町だったか、ジョイフルの店舗ができたという。学院の名誉院長の永井先生もジョイフルのファンだから、私に教えてくださったのである。
先日、学院に行った際、私は目を凝らして車の窓の外を見ていて、ついに見つけた。「あっ、ジョイフルだ」と子どものように、はしゃいだものである。
東京・あきる野市の秋川集会に行くと、「先生、近くの青梅にもジョイフルが出来ましたよ」と言う。青梅マラソンや吉川英二文学館がある青梅市である。
大阪の泉大津の古林先生からもメールが入った。先生の近く、泉大津か岸和田か、そこにもジョイフルが出来たという。ジョイフルさん、やってますねえ。
*
実は、先日ジョイフル本社に電話しました。あることを聞きたかったのですが、その前に余分なことを教えてもらった。聞くと今、全国に550店舗あるんだそうだ。社長は穴見さんという。この穴見さんのヴィジョンと計画力と実践力が凄いと思う。あの暖かい店の雰囲気は、この方の人格の現れであろう。
本当に聞きたかったのは、先日の新聞のことである。その前日、山口県光市のジョイフルに突然、拳銃を持った男が入ってきて、一人の男性を射殺した。客の叫び声を聞いて店長はすぐフロアに飛び出し他の従業員といっしょにお客さんを外に誘導したそうだ。幸いに他に被害者はなかった。
興味を引いたのは、その翌日の新聞に載った記事。その時、居合わせたお客さんたちが、警察に参考人として呼ばれ、その時間も相当かかったらしい。
その人たちの中で、まだ食事を取っていなかった人たちは別として、他の多くのお客さんたちは代金の支払いにもう一度ジョイフルの店に来てくれたらしい。
店ではお客さんの誠意に感激して、代金は受け取らなかったそうであるが、さもあらん。
この新聞記事を読んで、私は「いい話だなあ」と思った。もっとくわしい事情を知りたかった。そこでジョイフル本社に電話したのである。会社の人は言う。
「私どものほうは、価格も安いですから、ご来店が日常生活の一部になっていらっしゃるような方が多いのです。そういう方々は代金を未払いのまま帰ったのでは、またこの店に食べに来るとき、気持ちが悪くて、来れやしないよ、ということもあるらしいのです」。
「なあるほど。それにしても、山口県の光市のみなさんや、ジョイフルの皆さん、光っていますねえ」
と私は、ややお世辞もあるが、言ったものです。
商売では、もう一度来てくれるお客さんをリピーターというけれど、如何にリピーターを多く獲得するか、それが商売繁盛の秘訣であると言われる。
教会も新しい人にたくさん来てほしい、いわゆる求道者という言い方をするが、求道者でなくてもいい、好奇心でもいい来てほしい。そしてもう一度、いいえ、2度も3度も来てほしい。リピーターになってほしい。
そのためには、私ども教会は、温かい教会、楽しい教会、元気のいい教会、奇蹟が起こる教会、人生の質問に答える教会。そんな教会になりたい。勿論、最も肝心なことは、おいしい、おいしい、そして栄養たっぷりの神の言葉の「お食事」を差し上げること。再度やってくるリピーターが多くなることでしょう。
この8月13日から16日まで沖縄の名護市で持たれた聖会に参加させて頂きました。大分からは10名行きました。今、後悔しているのは、もっとたくさん大勧誘しておけばよかったのにと言うことです。
会場は沖縄の名護市にある真喜(まき)祈祷院です。世界宣教教会の盛本兄姉ご夫妻が長く祈りに祈って与えられた祈祷院です。費用のすべてはご夫妻の尊いご献金によってまかなわれました。正に信仰の所産です。
この尊い祈祷院で4日間の聖会が持たれて、素晴らしい実を結びました。というのは、最後の聖会のあと永井先生が献身者を募られると、約40か50名の志願者たちがぞくぞくと前に出てきて立ったのです。
今回の参加者は100名前後でした。それほど大きい聖会ではなかったのです。その中で4、50名というと、約半数の決心者を生んだことになります。
時に若い人たち、中学生たちが多かったのは、希有なことではなかったでしょうか。沖縄の方々がよく言う「リバイバルは沖縄から」という言葉もあながち誇張ではないという気がしてきました。
*
参加者は主に九州各地のイエス・キリスト福音の群の諸教会から約50名、また地元の4つの教会の共催で各教会から約50名の参加を得てかなり大きな聖会だったとは言え、昨年のキックオフ聖会とは規模がまったく違います。
しかし、こういう小さな聖会はいいなあ、という感想は先生がた、誰もが持ったと思います。会衆の心が一致する、ザワザワしない。賛美も祈りも深まります。そして先生がたのメッセージも良かった。私(釘宮)のメッセージも結構良かった(?)だろうと思いますが、中山先生の伝道と癒しの証しにも目を見張りました。
特に凄かったのが永井明先生のメッセージ、勢いがあり、張りがあり、突きがある。元気がよい、パフォーマンスも大きくて先生の年齢を感じさせない。
しかし、それよりも重大なことは聖霊様の臨在です。会集席にいる私は、そくそくと迫る聖霊の注ぎにアーメンの声を出せないほどでした。
先生の強みは絶対の確信を持っていることです、それは福音の豊かな喜び、そしてみ言葉によるよろず実現突破の信仰と希望にあります。特に開拓伝道にかかわる情熱と信念は特筆すべきです。先生のメッセージは神学でもない、方法論でもない。先生の熱い、熱い、スピリットが貫かれています。
次に、欠かせないご報告は高森博介先生のメッセージです。先生は「私たちの戦いは血肉の戦いではない。霊の戦いである」という言葉にはじまるエペソ人への手紙の第6章12節から始めて17節に至る神様がくださる霊の武器について話されました。
先生は実に力強く、確信に満ちて、特に神のみ言葉の告白について語られた。私たちの心こそ戦場です、とも言われた。私の特愛の言葉の一つですが、先生の口から聞くと、明確で力があり、説得力があり、私の心がビリッとしたことです。
失礼ですが、ぜひ言いたい、「高森先生は成長されたなあ」。これはしかし、決して失礼な言葉ではない。成長しない木は死んだ木です。生きている木は必ず成長する。そこ、かしこに変化を見せます。言葉に、行動に、顔色に、何げない仕草に、変化を見せます。
高森先生のメッセージを聞いていると、先生のメッセージに今までにない覇気を感じた。名句が機関銃のように飛び出す。嬉しくなってしまいました。
こうしたメッセージが私たちの群れを風媚するように祈る。牧師も信徒の皆さんも変わる。教会が変わる。胸をわくわくさせて大分に帰ったのです。
←サガリ花の記念植樹
2002/8/11
(「日岡だより」第32号)
元気に生きる秘訣
私はよく聞かれる。「先生、お元気ですね」。私は皮肉でなくて、しばしば、こう答える。「はい、元気そうに見えるそうですね。嬉しいですねえ」。
私は生来、体の弱いタイプでしたから、右の言葉は私の実感です。私は生まれた時、医師から「このお子さんは血管が凝固する難病です。2、3週間しか生きられないでしょう」、と宣告されたそうです。
その時、私の父は断食徹夜の祈りを続けて、私は奇蹟的に癒されたのです。私はこの話を子どもの時、何度も聞かされたので、その後、自分の生きているのが、何だか儲けもののように思う所がありました。
それにしても、20歳の時には例の非戦自殺事件です。幸いに失敗して生き返りましたが、考えると私は20年ごとに死にかけているような感じがします。
40歳代で喘息です。最初往診にきた医師はサジを投げて、どこか他の医者に行ってくれと言う始末。その時は、亡くなった林兄がかかりつけの病院に頼み込んでくれて、その病院でやっと息ができるようになりました。非常手段でモルヒネを打ったのです。
60歳の時は心筋梗塞です。教会の講壇で説教を終わって最後の祈りの最中、肺臓の組織がきれぎれに千切れて、激しい祈りの息で吹き飛んで行く感じでしたが、その時、胸がギュッと締め付けられ、息が苦しくなり、「あ、心臓がやられたな。ここで僕は死ぬんだな」と思ったものです。しかし、気分は非常に平安だったのです。死に対する恐怖感はまったくなかったのです。「信仰のお陰だなあ」、と思いました。非常に感謝でした。
そして今日、80歳です。ちょうど60歳の心筋梗塞の年から数えて20年目ですが、非常に元気です。
今後、霊的には古い私は死んで、残る生涯は元気一杯、新しい勝利の生涯を生きたいと思っています。
*
元気に生きる秘訣は信仰にあります。幸いに、私たちは信仰の基礎であるイエス様の十字架の贖罪を信じています。「いつ死んでも感謝です。このまま天国に行けます」と言える信仰を持っているのです。
しかし「私は健康である」、「私は裕福である」、「私はには知恵がある」というような信仰、こうした積極的な信仰に欠ける人が多いのです。そして、人はその人が信じているような人になるものです。
私は若い時、貧乏が好きでした。いわゆる清貧というやつです。聖フランシスのように、良寛さんのように、ガンジーさんのように、生きたかったのです。
そのくせ結婚して子どもまで生れる。「結婚したのが間違いだ」と、よく非難されました。でも、私は親も妻も子どもも抱えた上でも、なお清貧に生きる信仰を持ちたかったのです。「清」のほうは失敗でしたけれど「貧」のほうは成功したと言うべきでしょうか。
たしかに貧乏しました。しかし、さして恥もかかず生きて来れたのは、やはり信仰の故だったでしょう。
さて、健康の信仰を持つために必要な信仰。これはチョウ・ヨンギ先生の提唱が抜群です。チョウ先生得意の「三拍子の福音」です。次のみ言葉を心に刻みこんでください。
「愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている」
(ヨハネの第三の手紙2節)この手紙は使徒ヨハネが、彼の愛した信徒のガイオにあてたものです。このヨハネの第三の手紙を読むと、ガイオという人は多分地方の無牧の教会の牧師代理者か?、という感じの人です。この人は「真理に歩む人、愛の実行者」でした。しかし、健康にすぐれなかったのか、と想像します。
このような真摯な人物が、とかく健康にすぐれないということは、よくあることです。イエス様に似て、他の人の弱さをになうということもあるからです。
仏教の維摩経に「仏も病むことあるか」という意地の悪い質問に対し、維摩が「仏も慈悲心によりて病む」と答える所があります。真実と愛をもって人々に仕えているうちに病を得る。そういうことはあり得ます。
しかし使徒ヨハネは言うのです、「あなたが健康であるようにと祈る」と。これは、神の霊感によって書かれた聖書の一部として残されている言葉でありますから、ヨハネの祈りであってヨハネの祈りではない、イエス様の祈りであると考えて良いのです。
然り、この真実にして愛の人なるガイオのために、イエス様が祈っておられるのです。ガイオがもし、このことを信じるならば、それだけで直ちに彼の健康は回復するでしょう。
*
先に上げた聖書の言葉をもう一度、解説したいと思います。少々くどいのですが、ご勘弁下さい。
最初の「愛する者よ」という言葉、これを直訳すると「愛せらるる者よ」となります。そこを私は「神に愛せられる者よ」と読み込みます。だから、私はここを「ガイオよ、あなたは神様に愛されている者だ、そのことを、自覚し、信じなさい」という意味の呼びかけの言葉として読むのです。
原文において、次に続くのは「あなたがすべてのことで恵まれるようにと祈る」という言葉です。そして更に「健康においても恵まれるように」、という言葉が続きます。なお、最後に又、
「あなたの魂が恵まれていると同じように」と続いて、文脈としては、この言葉は初めの「すべてのこと」や「健康」の祈りにかかるのです。まとめて説明しましょう。「すべてのこと」と言うのは、ガイオに関する包括的な前提的な祈りの課題です。
その中心課題は彼の「健康」です。これらをすべて「恵まれる(別訳・成功し繁栄する)ように」と祈る時、それがどのくらい恵まれることを期待できるのか、それはあなたの魂が恵まれるように……、と言うのです。
この「ように」という言葉は、実は「……同じ程度に」という意味です。ですから、ガイオの「魂が恵まれていると同じ程度に、すべてのことに、特に健康において恵まれるように祈る」、それがここの聖書の正確な意味です。
*
さて、魂とは霊とは違います。霊は人格の中心、その人自身です、神に最も近くつながることのできる場です。魂は心とも訳されます。人間の存在様式を描けば三層図になります。
同心円を3つ描いてください。その中心が霊、その外がわが魂(心、あるいは精神活動)、そのまた外側、つまり一番外がわが、肉(体、感覚、罪の宿りやすい所)となります。
私たち(ガイオも)の霊は、すでに救われて、神様に愛されています。だからガイオは「愛せられる者よ」と呼びかけてもらえるのです。そのすでに神に愛されている基礎の故に、私たちは(ガイオさんも)、その魂、つまり心、あるいは精神活動においても、恵めれ、成功し、繁栄し、元気、意気盛ん、何事にもくじけない強い精神力を持ち得るのです。「その魂の強さに比例して、それと同じ程度に、あなたの健康も恵まれる、すべてが恵まれるぞ」、と言うのです。
ヨハネの祈りは、約束の祈りです。約束の祈りは、その通りに実現するという信仰の祈りです。ですから、私たちはこの第三ヨハネの2節のお言葉に従って、こう祈りましょう。
「神様、私はあなたの絶大な愛に愛されています。ですから、私の魂は恵まれます。私の魂が恵まれているように、私は同じように健康になります。そうです。私は健康です。そしてすべてのことに恵まれ、成功します。繁栄します。勉強がうまく行きます。家庭もうまく行きます。伝道もうまく行きます。アーメン」
もちろん、このとおりの言葉でなくて結構ですが、これを本気で祈ってください。神の御心にかなうことを祈るならば、かならず聞かれます。そして私たちの魂が恵まれるように、私たちの健康が恵まれるように、私たちのすべてのことが恵まれるように祈る、そのことは第三ヨハネの2節のお言葉のとおりなのですから、神様の御心にかなう言葉です。安んじて祈りましょう。これぞ、「ヨハネの祈り」です。(2001,7,22「テレホン聖書」より
【福音春秋】
今週8月13日から16日まで、沖縄リバイバル夏期聖会です。当教会からは釘宮牧師、永井牧師ほか9名が参加します。聖霊様が豊かに臨まれて、画期的聖会になりますよう、お祈りください。参加した人たちが恵まれるだけでなく、送った人々、すべての者に恵みの潮の波が打ち寄せてくださるように願っています。▼当教会の主日礼拝説教テープ、木曜日の祈祷会説教テープも出来ています。お希望のかたはお申込みください。一巻送料込み、500円。この8月8日の祈祷会の説教は「神の慈愛と峻厳とを見よ」。ひどい不道徳な信徒に対するパウロの対応に学ぶ。
2002/8/4
(「日岡だより」第31号)
み言葉を口ずさもう(二)
初めに安利淑という女性の方のことを書きます。大東亜戦争(補註*)の時代です。彼女は韓国の大邱市で女学校の教師をしていました。
日本政府の厳しい神社参拝の命令があって、学校は校長以下、不服ながらもその命令に従いました。しかし安利淑さんは抵抗します。ただちに彼女は官憲に追われます。彼女はけっして雄々しいタイプではないのです。しかし、イエス様に対する忠誠心がそうさせるのである。彼女は「この町で迫害されたら、次の町に逃げなさい」というイエス様のお言葉に従って、北鮮の町のお姉さんの家に逃がれます。
そこで驚くべき信仰の人、朴寛俊長老という人が訪ねてくる。一緒に日本に行って、当時の日本帝国議会の議事堂で傍聴席からチラシを撒こうという。
「日本はこのまま罪を犯し続けるならば、神は硫黄の火を日本全国に降らして審かれるであろう。日本よ、悔い改めよ」と言う趣旨のチラシである。
大胆にもそれは実行された。彼らは、ただちに捕縛される。そして安さんは朴寛俊長老とは別扱いで、日本内地や朝鮮の警察の留置場にたらい廻しされます。
日本の国策たる戦争に反対する女、しかも生意気な朝鮮人女め、当時の警察や刑務所の官吏たちが、如何に暴虐とみだらな好奇心をもって、安さんに襲いかかるか、想像にあまります。どのような迫害にあっても不思議ではない。このようなきびしい状況のなかで、安女史は平安であった。奇蹟的に守られ、一瞬も信仰を崩すことはなかった。
その秘訣は聖書にあったのです。彼女は幼い時から信仰の篤いお母さんに導かれて、聖書を殆どを暗記していた。特に福音書とか、詩篇とか、ダニエル書とか、完全に暗記していたらしい。
だから、同囚のクリスチャンたち(彼女は牢獄の中で囚人の人たちを信仰に導いた)に聖書を手にして読んで聞かせるかのように、宙で聖書の言葉を語ることができたのです。(釘宮言う、私も若い時、「この聖書一冊が私の命。この聖書さえあれば、私はひるまないぞ」などと力んでいたが、留置場や刑務所にはいると、途端に聖書がない。ああ、しまった。聖書を暗記しておくべきだったと悔やんだ事である。なお、安利淑著、待晨社発行「たといそうでなくても」を参照。教会の図書室にありますから、お読みください)。
さて、文章を改めたい。実は前号の「み言葉を口ずさもう」に、すこしつけ加えたいのです。
もう一度、ヨシュア記1:8の「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もこれを口ずさみなさい」(私訳)という言葉を、ご一緒に考えましょう。
前号の終わりに、「み言葉を繰り返し暗誦する」ことをおすすめしました。この「み言葉暗誦」を繰り返し励行すると、次第にみ言葉が私たちの魂に浸透して、一日中、み言葉が通奏低音のように心の底に響くようになる、ということを書いたのでした。
そうすると、み言葉が言語中枢に宿って、どんな時にもみ言葉が胸に込み上げてくる、そんな風になるのです。この聖書の「昼も夜もこれを口ずさむ」とはそういうことです。
このようなことが起こりはじめると、私たちは、聖書に記されたすべての律法を守り行う事が出来はじめます。すばらしい人物に作り変えられるのです。
この7節には「すべての律法を守り行い、これを離れて右にも左にもそれてはならない」とあります、こんな驚くべき命令が、決して不可能ではなく、私たちに可能なことになってくるのです。
なんとも重大なヨシュア記の提言です。神様は最初、きびしい命令をヨシュアにしているようですが、その後で、ちゃんとその達成と成功の方法を教えてくださっているのです。説明しましょう。
み言葉の暗誦が基本です。み言葉を暗誦するためにはみ言葉をまず記憶し、何度も繰り返して暗誦できるように、記憶してしまわなければなりません。(記憶のことは前号でちょっと書きました。またくわしく書きます)。暗誦と言っても、低い小さい声ではなく、口ではっきりと唱える習慣をつけるのです。
そうすると、いつしか、み言葉が心から離れなくなります。気がつくと、いつもみ言葉を口から離さないで、み言葉を口ずさんでいる人になっているのに自分で驚くでしょう。
この結果は大切です。私たちは次第に確実に、「右にも左にもそれず、み言葉を忠実に守り行える人」になって行くのです。単なる、体の行動だけではありません。言葉も、感情も、心のありかたも、思いのすべても、一切が変わって行きます。なぜなら、心の中、思いの中を、み言葉が占領するからです。そして意志の方向が聖別され、意志の決定力が強くなり、自己マネージメントを効果的に行える人になります。
その結果、私たちは「することのすべてにおいて、繁栄し、栄える」成功の人になるのであります。
同じ真理を私たちは申命記第30章で学ぶことが出来ます。「あなたもあなたの子供も共にあなたの神、主に立ち帰り、わたしが、きょう、命じるすべてのことにおいて、心をつくし、精神をつくして、主の声に聞き従うならば、あなたの神、主は……、あなたを栄えさせ、数を増して先祖たちよりも多くされるであろう」(2節から5節まで)。
この前半の命令に続いて、後半の約束が告げられています。この神のお約束の賜物を獲得するために、この神の命令のすべてを実行できる人になろう。そのたための具体的な方法を、神様は親切に教えてくれます。それが申命記第30章の14節です。
「この言葉(律法つまり聖書)はあなたに、はなはだ近くあって、あなたの口にあり、またあなたの心にあるから、あなたはこれを行うことができる」
多くの人たちは、こう言います。「旧約聖書はきびしい律法で固められていて、近寄りがたい。厳しい命令。容赦しない裁き。右にも左にもそれず、み言葉を守り行える人になんて、なれるはずがない」。そう言って、退くのです。
しかし、ここに「あなたがたは、これ(律法)を行うことが出来る」という神様の約束の言葉があるのです。そのために、聖書が「いつも近くに」ありますか。
(あなたの聖書はいつもあなたのそば近くにありますか。タンスの上にあって埃をかぶっていませんか。鞄の中や押し入れの中で眠っていませんか)。
聖書がいつも手元にある人は幸いです。もっと幸いな人は、いつも聖書の言葉が口にある人です。これは、いつも暗誦できる人です。そして口にある言葉は、そのまま心に溶けこむのです。
聖書66巻を通読しましょう。できるだけ沢山聖句を暗記し、暗誦しましょう。そして繰り返し、繰り返し暗誦しましょう。これはもう、瞑想です。瞑想と言っても、ひたすら坐って無念無想ではない。聖書の瞑想です。マルティン・ルターは言いました。クリスチャンに大切なことは「祈り、瞑想、試練」であると。瞑想が聖書瞑想であることを前提として、このルターの言葉を謹んで聞きましょう。(く)
【補注*】
大東亜戦争というのは、日本がそれまで支那事変と称して正式に戦争と認めなかった軍事行動を天皇の名において宣戦布告して継続した戦争行為の名称である。アメリカでは太平洋戦争というが、日本としては東アジアの非圧迫諸民族の解放を唱えて始めた戦争である。大東亜戦争という名称はなるほどふさわしい。もっとも、大東亜解放という建前は美しいが、本音はいわゆる東亜の盟主としてアジアに覇権を握りたいだけのことであったことは明白である。なんと言っても石油がほしかった。国家というものは、そういうものである。▼後進諸国を植民地にして世界に君臨している欧米の後を追って、黄色人種国家としてはただ一国、帝国主義国家の仲間入りをしたい、それだけのこと。そういうわけで、大東亜戦争などという言葉は恥ずかしくて口にもしたくなかったが、太平洋戦争という言葉もまた、気に食わない。アメリカにとっては戦争は太平洋だけだったかもしれないが、日本人は多くの血をアジア大陸に流したのである。だまされたとは言え、我が忠勇なる日本兵士たちは当時の大衆的軍歌「露営の歌」という歌の一節、「東洋平和のためならば、なんで命が惜しかろう」と思いこんで死んで行ったのだ。▼しかし、かの日本政府の建前的な大東亜解放宣言は世界歴史の流れに沿っていたと言うべきだろうか。日本の正直な兵士たちの祈りが聞かれて、日本の敗戦後、東南アジアの諸国家の独立が樹立されたのは、慶賀すべき事だと思う。私は日本首脳の偽善的本音も知っているので、大いにくすぐったい思いがするのであるが。▼愛国心というものは利己心を国家大にしたものに過ぎない。しかし、当時、純真に政府の言うことや、特に一部の国粋主義者のいうことを信じきっていた少数の誠実な愛国者たちもいた。その人たちを嗤うことは絶対出来ない。(く)
【時事雑観】
最近、急に「住基ネット」(住民基本台帳ネットワーク)の記事が新聞に出始めて驚いている。私はうかつにもこれまで気がつかなかった。かつて「国民総背番号」制を平和運動の敵として、大きな声で危険視していた時代が夢のようである。そういう観点では、今「住基ネット」問題が論ぜられていない。これも私には分からないことである。▼某大国では世界中の通信網から情報を盗聴しているという噂も聞く。先年、高校生がアメリカ国防省のコンピューターから面白半分にデータを盗み出した時代だ。今は、デパートやスーパーなどのお得意先メンバーカードの登録からでも一般市民の情報を探索するのは容易な時代なのかもしれない。ともあれ、「有事法」と「住基ネット」を併せて考える新聞にお目にかからないが、そんなものだろうか。私の考えすぎでしょうか。(く)
過去のメッセージIndex 今月のメッセージに戻る