キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報とともに毎週発行する「日岡だより」)

2003年8月

2003/8/31

(「日岡だより」第87号)

「ありがとう」と言いましょう    

 先日、某新聞のコラムにさわやかな文章が載っていました。ドイツにおられるご長男の家族を訪ねて2週間滞在された方の寄稿です。そのドイツの町で、散歩に出れば木々は美しく、環境を汚す看板や電線は無く、後からくる女性に道をゆずると「ダンケシェーン」(ありがとう)と挨拶される。向うからくる自転車に道を空けると又、「ダンケシェーン」。心あたたまるドイツの旅でした、と言うのでした。

 日本で、むかし島根か鳥取でしたか、有難や爺さんと呼ばれた老人がいた。何事にも「有難い、有難い」と喜んでいるからです。村の青年がいたずらした。庭の踏み石にあった爺さんの草履を隠してみた。爺さんが縁側から降りようとすると草履がない。爺さんはニコリとして、「やあやあ、草履は歩けば歩くほど減るが、足の裏は歩けば歩くほど厚くなるそ、有難い、有難い」と、はだしで庭に出て行ったそうです。

 「常に喜べ、絶えず祈れ、凡てのことに感謝せよ」(テサロニケ前書5:16〜18文語)。

 この言葉はクリスチャンならずとも、どなたにも文句のない人生訓だろうと思います。聞くだけで、「うん、そうだな。いいこと言うな」と誰しも思うことでしょう。しかし、さあ実行しようとすると、これはなかなか困難です。

 それでもまず、一番に最後の言葉、「凡てのことに感謝」、これを心がけて、このことが出来るように祈りつづけてみましょう。そうすると感謝せねばならないことが次々に思い出されて、そして喜びも湧いてくるのですよ。

 


宅間守君を救いたい   

 付属池田小事件の宅間守という人を宅間君と君づけで呼んだら、多くの人から異和感をもって不審がられると思います。しかし、私は敢えて彼を宅間君と呼びたいのです。殺されたお子さんたちの親御さんがたを思えば、宅間君などと呼ぶのは忍びないものがありますが、私の思うところをしばらくお読みください。

 こう申し上げるのは、あの宅間君がイエス様の救いに預かってほしいからです。そのためには彼の寿命がほしい。無期刑になって刑務所の独房にはいって、どなたか良い牧師さんの信仰指導を受けるようになってほしいのです。

 「そーんな? あいつ、牧師さんが甘い説教したら悔い改めるような男かいな。あのふてぶてしい態度を見ろよ。それとも先生、あの宅間を説得して信仰に入らせる自信があるとでも言うんですかい」、とご注意を受けるかもしれません。

 そうそう、先日の法廷での宅間君の態度を見ると、私にも彼を救いに導くような自信はありませんね。しかし、私は神様を信じます。神様には出来ないことはないのですから。

         *

 イエス様が十字架にかかられて以後、2千年近くたっていますが、未だにお約束どおり、主は地上に現れて下さいません。なぜでしょうか。イエス様は忍耐して待って居られるのです。

 第二ペテロ3:9に、こうあります。

「ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」。

 「いやいや、そうは言ってもね、あの男は救えないね。あれは、絶対、悔い改めしそうにないもの。待ってもムダだよ」とは、イエス様は言うはずがありません。イエス様は彼の悔い改めを忍耐して待って下さると私は信じています。

 私はこう考えます。あの、裁判の場になっても、てんで反省しない。遺族にむかっては暴言を吐く。絶対俺はびびっていないぞ、早く死刑にしてくれ、などと言う。

 こういう男をむざむざ死刑にしてしまってなるものか。それでは、主の長いご忍耐に対して申し訳ない。これが私の理屈です。多くの方々には可笑しい理屈でしょうね。でも、クリスチャンの方々には分かってほしいと思います。

         *

 宅間守という人は、「人間」を研究している者には希代の「珍種」と言うべき人です。こんな無神経な、人情ゼロな、良心欠如、死の瞬間まで「悲しみ」や「思いやり」をあざけって、世を去って死ぬ時も、まさに地獄へ真っさかさまというような人物、イスカリオテのユダ以来、人類史上珍しい例でしょう。こういう人物は、学問上の研究材料としては、見過ごしできない貴重な存在です。

 まして、イエス様からご覧になれば、なんとかして救いたい。こういう人間、アダム以来の人類の罪伝承の結果とはいえ、なんとかして救ってやりたい、そういう人種です。この宅間守の生まれや育ちを、イエス様がご覧になれば、可哀そうなことばかりかもしれません。

 土壇場になっても、死を賭して意地をはっている彼に、そうせざるを得ないウルトラ・ニヒリズムがあるのでしょう。その冷たい心はは如何にして育ったのか、思えば可哀そうです。

 可哀そうと言えば、こういう視点はなりたちませんか。今回の事件以後、裁判に至るまで、いや今後も引き続き、最も可哀そうなのは、宅間君の両親ではなかろうかということです。

 それは例の長崎の12歳少年の親についても言えます。彼らは世に身の置場が無いようです。そういう子どもを育てたバツだよ、と言えば、それまでですが、今の時代、こういう子どもが育ってくるについては、親の責任は勿論として、その時代の親たちの社会全般の連帯責任と言いたい面があります。

         *

 よく、年配の人が「今の若い奴らは……」と言います。しかし、今の若い人たちの親たちは終戦前後に生まれた人たちです。その又、親たちは戦前の「神国日本、討ちてし止まん」の時代の人たちです。彼らはほとんど、「神国日本、八紘一宇」を信奉し、終戦になっては虚脱状態に陥り、民主主義や組合運動、そして買い出しや、闇市、金儲けに汗まみれになった人たちです。こういう人たち、つまりこれを書いている私などの時代です。

 実に、我々の時代が生み落とした、我々の時代の申し子が宅間君です。この宅間君を救いに導く責任は私たちの時代にあると私は信じます。だから出来るだけ彼を生かして、悔い改める機会を与えたいということです。

 かつて書いたことがありますが、紀州藩に親殺しで捕まった男がいた。この男が言う。「人の親じゃねえやい。俺の親じゃねえか。俺の親を俺が殺して何が悪い」とわめいているという。紀州のお殿様が嘆いた、「そんな男が領内にいるとは、藩主の余の過ちじゃ」、そう言って、その男を生かしておいて、藩校の儒者たちに人倫の道を教えさせた。

 数年か、10数年かたったでしょう。その男、お殿様に願い出た。「あっしは極悪な人間だあ。親殺しの大罪をやっちまった。どうぞ、打ち首でも何でも、殺してやってくだっせえ」と言ったそうです。殿様は涙ながらに、その男に死刑を命じたと言います。

 今、宅間君にこういう死刑を与えたいものです。

 

2003/8/24

(「日岡だより」第86号)

「幸福宣言」しましょう   

 人にはもともと「幸福である」権利があるのです。旧約聖書を読むと、しばしば神様はきびしく人間を責める方に見えます。これはしかし、人がそもそもサタンの言葉に乗って、神様の愛と信頼と、そのお言葉に背いたからです。

 神様はもともと、人類に対して幸福宣言をされた方です。「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」(創世記1:28)と。この幸福宣言にもかかわらず、みじめな状態になっている人間ですが、今一度、神の御子イエス様の前に謙虚になって悔い改めるならば、イエス様は「幸いなるかな、心の貧しき者、天国はその人のものなり」(マタイ5:5文語訳)と、人の幸福を再宣言されたのです。この神様の宣言を受け入れましょう。

 「はい、私は幸福になります」とイエス様を信じて口で言う時、その日から私たちの幸福が始まるのです。日本人は、これを言霊(ことだま)の力と言いました。自分で口にする言葉には力があるのです。まして神様の言葉を語る時、力があります。

 さて、多くのクリスチャンの方々が案外、不幸をかこっています。なぜでしょうか。神様の「幸福宣言」を知らないからです。聖書を読んでいても「幸福宣言」に気がつかないのです。

 でも、今こそ、これに気づいてください。クリスチャンの方々も、クリスチャンでない方々も知ってください。神様は、あなたの幸福を約束します。あなたも今、「はい、私は幸福です」と早速、応答して宣言してみましょう。不幸意識を振り捨てて思いきって「幸福宣言」してみましょう。あなたは必ず幸福になります。

 


 「霊性に生きる」   

 「霊性に生きる」とは、去る8月18日、由布院聖会で語られた加藤常昭先生の2回にわたる講義のタイトルです。私は、特にその第1回の講義に大いに共感しました。

 霊性という言葉は、2年ほど前から拡大院長の永井信義先生からも、よくお聞きした言葉でした。この言葉は最近特に世界的にも関心を持たれているようで、先生からナウエンなどの良書も、ご紹介頂きました。

 霊性という言葉は、ちょっと分かりにくい言葉ですが、加藤先生はこれを明解に説明してくれました。人間の存在様式を図式化すれば(これは私がよく述べる所ですが)、「霊、魂、肉」の円形の3層図にすることができます。中心が霊、その外側が魂(これは心、精神と言い替えてもよい)、その外側にあって物質的外界に接するのが肉(これは肉体および感覚的部分をも差します)と呼ぶことができます。

(霊性という言葉を日本で最初に使ったのは仏教の禅学の鈴木大拙氏です。「日本の霊性」という英文の本があるはずです。またキリスト教界では植村正久牧師です。霊性とは肉性、精神性に対置する言葉です。)

 クリスチャンが「霊性において生きる」とは、私たちクリスチャンが霊において、如何にして聖別されるかということです。よく「きよめられる」とか、「聖潔」とか言いますが、それは私たちの霊性がキリストによって聖別されることをさします。

         *

 ヨハネ福音書17:16〜17はイエス様の最後の祈りの一部でありますが、こうあります。

 「わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。真理によって彼らを聖別してください。あなたの御言は真理であります。」(この聖書の個所の前後を省略しましたが、大切です。ぜひ皆さん、後で読んで下さい。)

 だから霊性において「聖とされる」ということは、律法的に、外的行為や言葉において、麗しく清く自分で修養努力して立派なクリスチャンになる、と言うことではない。

 哲学者の森有正氏が言ったそうだが、「私たちの霊性の一偶に聖霊が接触して、眠っていたかのような、枯死した私たちの霊性を生き返らせてくださる」ということ、これが真理による聖別です。また神の御言による聖別です。

 私はこう考える、「神の御言による聖別」とは、聖書の言葉を用いて、あれこれと自分の魂を詮索し、検討して、自分を清い魂に仕上げようとすることではない。それは決して悪い事ではありません。クリスチャンの自己修練の一つに、そういう「霊操」(=「霊の体操」イグナチウス・ロヨラの著書)があってもよいのですが。

 しかし、ここで私が指摘したいのは、聖霊様の働きにより神の言葉が霊性の一隅に触れて、霊性が一変に質的変化を生じる聖霊経験のことです。この経験によって、人の霊性は一変するのです。

         *

 ヨハネ福音書3:3でイエス様が仰せられた「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言う言葉は以上の経験のことです。

 牧師や伝道者のすすめに従って、イエス様を信じ、イエス様を心に受け入れてクリスチャンになった、という時、多くの場合、その人は神の国の市民権を受け、終わりの日のイエス様の審判の前に義人として恐れなく立てる身分を頂いたということであって、新しく生まれて神の国を見たということにはならない。

 義人としての身分、天国の市民権を受けたことを「新しく生まれた」と言う言い方は決して誤りではない。しかし。「新生」という言葉は、もっと厳密に使いたいというのは私の偽りない心である。もちろん「回心」と言っても良いのだが。(以上、文責は私にある。 釘宮)

 


「聖霊の賜物」について   

  第一コリント第12章と第14章はパウロの聖霊の賜物についての大切な、かつ詳細な解説です。こんなに親切な文章はほかにはない。この2つの章の間に第13章の「愛の章」があるが、愛は趙ヨンギ先生によれば、聖霊の賜物ではなく、道である、と言うのです。これは趙先生の達見です。

 さて、第一コリント第12章の冒頭に「兄弟たちよ、霊の賜物については、次のことを知らずにいてもらいたくない」とあるが、この「霊の賜物」というのは誤訳です。ここは単に「霊のこと……」と訳すべきなのです。

 つまり、「神の霊によって語る者はだれも『イエスはのろわれよ』とは言わないし、また、聖霊によらなければだれも『イエスは主なり』と言うことはできない」とありますが、ここで「聖霊によって」という場合と、「聖霊を受ける」と言う場合と、「聖霊に満たされる」という場合と、また「聖霊に満たされている(聖霊に満たされつづけている)」という場合と、「聖霊の油注ぎを受ける」という場合とを分別して、理解しておきたいというのが私の考えです。

 この第12章の1節から3節までは、「霊について」の解説であって、「霊の賜物について」の解説ではないのです。そして、4節から「霊の賜物は種々あるが……」と、賜物についての分類や解説がはじまります。また「愛の章」の第13章を飛び越して、第14章では特に問題を起こしやすい、預言や異言の問題を取り扱うのです。

 コリントの教会は妙な教会でした。聖霊の賜物については異常に達者な信者が多かった。そのくせ、倫理性や品性において異教徒にもないような愚かしい誤った人たちが多かったようです。

 第14章の初めに、「ことに預言することを、熱心に求めなさい」とあります。預言という賜物は最近、よく聞かれます。伝道初期の頃の私には、よく預言的発言がありました。しかし、その後、個人預言など差し控えてきました。

 ところで、私は信徒の皆さんが、会衆にむかってでも無く、(昔よくO姉が礼拝中に預言しましたね)、なおまた対人的にでもなく、自分自身に向かって預言することを与えられるようにと、心ひそかに願っています。

 前文の「霊性に生きる」の中で、クリスチャンの霊性の一隅に聖霊が触れるということを書きました。イエス様の父なる神さまへの祈りのなかで、「真理、すなわち神の言葉をもって彼らを聖別してください」という言葉がありました。これは、信徒諸兄姉の内なる心の中で起こる一種の預言ではないだろうかと思うのです。

 聖霊の賜物として、神様からの預言の言葉が既に信者である者たちの霊性にタッチする時、私たちの霊性は「回心」します。これは初めの「新生」ではなくて、第2次の「聖霊経験」なのです。ホーリネスの方々はこうした聖霊経験を第2次までに限るようですが、私はこれは何度あっても良いことだと思っています。

 使徒行伝では「聖霊の満たし」は繰り返し起こっています。仏教徒ですが白隠は言う。「我、生涯において大悟せること三度、小悟、数知れず」と。「喜び」の回心、「知恵」の回心、「聖化」の回心、何度あってもよいと私は思うのです。

 

2003/8/17

(「日岡だより」第85号)

天国の喜びを今日に生きる   

 お盆は本当は旧暦の7月15日である。だから本来、お盆の夜は月が満月になる。盆踊りは満月の下で輪になって踊るのである。

 輪になるというのは、古代の日本人にとっては大事な村の儀式である。輪になって仲よくする、これが和(=輪)である。部落も村も町も、国や役所の諸機関も、人々はみんな輪を作って話し合う。話がすんだら輪になって踊るお祭りだ。そこに古代日本の政(まつりごと)がある。

 これは、私のいい加減な想像であるが、しかし教会も夏の満月の夜に輪を作って天国踊りを踊ったらどうか。これが私の提案です。

 先週の本紙では、だいぶ日本のお盆を冷評風に描いてお見せしたが、あれは私の趣味ではない。私はもっと日本伝承を大事にしたい。

 そうそう私は、神社のお祭りのお神楽が好きである。私は今でも机をたたいて大分地方のお神楽の囃子の拍子をとることができる。

 また、たとえ仏教的行事であっても、ご先祖が霊界から子どもたちの家に帰ってくるという民族風習は、クリスチャンの私にとっても何か懐かしい気持ちがする。

 先日、倉敷の小橋先生が天に召されて、そのご葬儀があった。火葬に行くバスの中で近親の遺族の方から聞いた。

 先生は去る7月26日、突然目を開いた。そして元気な声で朗々と話し始められ、家族の人たちと歓談されたという。ちょうどオーストラリアから帰っていた長女の方も心残りなく楽しく団欒できて、みなさんびっくりするやら、喜ぶやらだったそうだ。

 私は、この事は先生の奥様の朝子先生からお聞きしていて、だいたいの事は知っていた。実は私が先月22日に先生の病床を訪ねた時、主から迫られて思わず「小橋先生、3日待ちなさい、3日目にあなたは立ち上がります」と意識のなかった先生に向かって宣言したものです。

 実際には3日目ではなく1日遅れて4日目だったですし、また体も完全に起き上がる事はできなかったようですが、しかし、非常に元気を回復されたようでした。

 初め、21日でしたが、奥様から「主人が危篤です。昏睡状態です。祈ってください」と、聞いたのです。私は翌日、倉敷の中央病院に行って前記のように回復宣言したのです。

 26日でした。奥様からの電話。「先生」と私に呼びかけます。「主人が復活しました」、「復活?」、復活ってなんだろう、あッ、小橋先生立ちあがったのだな、と一瞬思いましたね。とにかく奥様のお声が元気でした。そう言えば、

 先生が「天に召されました」という時の奥様の電話のお声も元気でした。私は思わず事態が飲み込めないまま、「感謝でーす。おめでとう」などと電話で叫んでいました。あとで「先生は亡くなったんだ」と気がついて「わーっ」と涙がほとばしり出たのです。

 ともあれ、あの26日以来、数日間ベッドの上で小橋先生はお元気だったそうです。ご家族の皆さん、先生を囲んで歓談風発、楽しかったそうですね。何だか、そのこと分かります。

 先生は「ワッハッハ」の元祖でご本家、私はその家元の名を継いだんですと、よく言ったものです。この先生が天国の扉をちょっと開けて天国の「ワッハッハ」を見て聞いて、地上に持って帰ったのではなかったか。

 さよう、クリスチャンは天国の歓喜を前倒しして地上で天国の前味を味わわせくれる人でなくてはならない(仏教では、お盆に霊界から地上に帰ってきて、残した家族たちに平安を与えるのかも知れないが)。そこで、

 小橋先生は召天の一歩手前、一度天国まで出かけて行って垣間(かいま)見た天国の麗しさ、平安と、歓喜を、奥様を初めお子さんがたに伝えに帰って来て下さったのではないか。

 こんなことを言うのは、半ば私の無責任な空想ですが、知る人ぞ知る先生の例のマンガ調はがきと、また奥様の「主人が復活しました」とのお言葉が、私に以上のような空想を呼び起こしたのでした。

         *

 天国はクリスチャンのふるさとです(ヘブル11:16参照)。普通、ふるさと とは自分の生まれたところです。しかし天の故郷は特別です。そこは、確かにクリスチャンの霊が新しく生まれた場所です。しかし、まだ行ったことのない所ですから、こう言うのは不思議ですが、私たちの「懐かしいふるさと」なのです。

 小橋先生の葬儀を終わって新幹線で大分に帰る時、フト私の口をついて出た歌がありました。「父が待ち、徳伯父が待ち、母が待つ、御国恋しき、今ぞひと息」と。(徳伯父とは釘宮徳太郎、私の信仰の師、無教会の豪傑みたいな人です)。

 私はもう81歳、今、ひと息で天国に行けそうな年齢です。それを思うと日蓮上人ではありませんが、「歓喜の中の大歓喜」です。

 歓喜と言えば、本紙の別刷りにしました、大分福音キリスト教会の木村智子さんの「聖霊経験」の証しを読んでください。聖霊による大歓喜です。リバイバル新聞7月27日号に載っていました。この証し、本当に感謝でした。

 かつては山田姉妹が、またトロントでは永野先生が、苦しいほどに笑いころげた笑いの賜物です。また草加の天野先生による私どもの教会の聖会で、全員が動物園のようにワイワイ笑って踊った、あの歓喜の集会を思い出すのです。

 リバイバル新聞のこの証しを読みましょう。これはまさにキリスト教の凄さです。このコピーを、すぐ大阪にいる釜ケ崎にいるホームレスのH君に送ったら、彼から早速電話があった。

「先生、これはどんなことですか。これは本当にあったことですか」。私は答えました。

「これこそ本物。こういう驚くべき変化が君にも起こるよ。さあ、まずイエス様を信じるんだ。君の失敗だらけ、傷だらけ。醜い罪や汚れを赦してくださるイエス様を信じよう。そして求めよう。こういう聖霊の賜物、恵み、力、歓喜、性格の大変化、人生の方向転換が起きるよ」と言ったものです。

         *

 実はH君には、もっと具体的にはホームレスのような最低の生活から自力で這い上がるために、以下のようなお勧めもしたことでした。今日の説教題は「キリストの所まで下りてきなさい」。この主題にも通じますが。

(1)イエス様の12弟子たちの最低生活の実行。聖フランシスの行乞巡礼。日本流に言えば、「下座奉仕」の最低位の生き方。イエス様の十字架の所まで下って、悔い改める。

(2)イエス様の十字架の救いを信じる。難しく言えば、義認信仰を掴む。この信仰自体聖霊のお力添えがないと体得できない。

(3)次は上記の聖霊経験、これを求めなさい。熱心に、断食して。徹夜して、求めなさい。イエス様はおっしゃる。「求めよ,さらば与えられん」(ルカ11:13参照)。

(4)この上で、みんなで仲よくやる。つまり一斉集中行動、みんなで一緒に歌おう。笑おう、告白しよう。リバイバルを求めるのです。大分が、日本が、世界が変わります。

(5)そこで、まずあなたが変わりなさい。あなたが変われば、世界が変わる。

 

2003/8/10

(「日岡だより」第84号)

日本民族とお盆   

 産経新聞のコラムに石原慎太郎東京都知事の「日本よ」というコラムが時々載る。この8月5日の同コラムに小さい挿入句があって、私の目をひいた。こう書いてあったのだ。

「日本民族は決して単一血統の民族ではない」、と。

 これは、私が昔から言っていることだが、最右翼(?)と見られている石原氏がこれを言ってくれると、非常に強力な味方である。この人は言うことがはっきりしていて、私は好きだ。石原氏は言う。

 「日本民族のルーツはシナ、朝鮮、モンゴル、西アジア、さらに大洋州のメラネシアにまで及ぶに違いない。これらの混血した子孫が狭い日本列島にひしめきあっているわけだ。これが日本民族である。アメリカ合衆国の『合衆国』を正確に訳せば『合州国』が正しいと思うが、日本こそ実は、本当に『合衆国』ではないか。」(以上、ほとんど石原氏の文章をなぞって書いたつもりだったが、少々私流に文体を変えてしまった。石原さん、ごめんなさい)。

 この辺は、類推すればイギリスが日本に最もよく似ているかもしれない。何故なら、ヨーロッパや北アフリカからイギリスへの民族流入は、やはり日本と同様、多かっただろうと思うからである。両国とも、大陸にくっついて、ちょっと離れている。その先にはもう島はない。それぞれの大陸からの難民、流民が流れついて、ここに来て落ち着く、もう行き先はない。そこで互いに結婚し、あとからやってるる渡来人も仲間に入れ、文明、文化を共有、交換し、そこで他に比類のない新民族文化を醸成する。ハイブリッド効果である。

            *

 私は戦前、ある学者が考古学的なものにまでさかのぼって、また平安朝、鎌倉期、江戸期へと下って、人の遺骨をしらべ、特に頭蓋骨の研究をした論文を読んだことがある。

 それによると、日本人の頭蓋骨は、形が千差万別、時代が下がれば下がるほど更に個々違う。これは世界に珍しい現象だそうである。どこの民族でも、その民族らしい頭蓋骨の形に一種の統一性があるのが普通であるのに、日本人にはそれがない。彼はその発見を天下に向かって叫びたかっただろうと思う。「日本民族は世界一の雑種民族である」と。

 しかし、そのことは当時の日本では大きな声で言いにくかった。当時の国策では「日本民族は世界に冠たる特別に優秀で純血な単一民族」でなければならなったからである。

            *

 古来、日本人の霊性の特徴は、しろうとの私には難しい問題だが、一つはその「死んでも生き返ってくる死者の魂」への恐怖ではなかっただろうかと思う。

 もう一つは古代の神社の祝詞(のりと)によく出てくる「高天原(たかまがはら)に神詰まります神」という言葉、八百万(やほおろず)の神のことです。

 初めの「死んでも生き返ってくる死者の魂」を怖がっていたことは、当時の死者の骨が脚を折って葬っていることで分かる。生き返って歩いてくるのを恐れていたからです。

 これは後世になっても、日本の幽霊には脚がない理由である。シエークスピアの戯曲では幽霊の足音がする。日本では足音がするはずがない。

 日本人が「鎮魂」というのは「自分の魂を静める」精神修養のことではなくて、「自分に悪さをする死人の魂を静める」宗教儀礼をさすのである。それが梅原猛教授が創唱した「法隆寺は聖徳太子の鎮魂寺」説です。

 こうして日本に仏教がはいって来たとき、仏教は先祖たちの「魂静め」をする宗教として好都合の教になってしまったのではなかったか、これは私の仮説ですが。

 第二は、八百万の神々が「神詰まり(かんづまり)」して仲良くしている霊的力学が次の事を可能にした。つまり続々と流入してくる難民たちを平和に迎え入れる為には、多数の異民族との雑婚を奨励したアレキサンダー流もあるが、それ以上に各民族特有の神々を迎え入れ、すべての民族神を統合するハイブリッド神学が必要である。その受入れ機能が「神詰まり(かんづまり)」ます神々の大包和力にあったのである。

 八百万の神々が一個所に「神詰まり(かんづまり)」して一体となる。ここから「和」の精神が熟成される。この神学を使えば、部族統制も、官僚マネージメントも上手にやれる。

 聖徳太子が憲法の第一条に「和」の精神を持ってきた所以である。「和」の精神の土台は八百万の神にあった。聖徳太子が神道と仏教を一つにまとめ、国民精神亀裂の危機をふさぐには、この方法しかなかったのだと私は思う。

            *

 お盆はインドで発生したと言っていいが、日本では独特の展開を示した。もともと「盆」の原語は「ウラボンエ」である。その意味は「逆さ掛け」である。釈迦の弟子の目蓮が地獄に行ってみたら、彼の母が地獄で「逆さ掛け」の責め苦にあっていた。彼は釈迦に母の救いを求めた。釈迦は彼女のために三宝にご供養をせよ、と言った。目蓮は早速三宝に対してご供養をささげた。それに習って、今、多くの仏教徒はお盆にお坊さんを招いてご供養をする。(三宝とは「仏法僧」をさす。仏法を悟り、それを求め、その教えに従う修業僧たちのことを言う。)

 お盆の行事は日本では、特に古いしきたりも生きる田舎では、懐かしくて、うるわしい行事である。多くの日本人は夏の熱いさかりに、うちわで脚の蚊を追いながら墓参りをし、本家の仏前に座って、死んだ祖父や祖母や父や伯父などを偲びながら平安な気分を味わう。(この気分だけは一応、日本にきている外国からの宣教師先生方も理解してほしい。)

 お盆の行事の可笑しいのは、お盆がくると迎え火を炊いて先祖霊を迎える。先祖霊は懐かしい自宅の仏壇に帰ってくるわけだ。ところがそれから家族はそろって墓地に行って、今はご先祖の霊は居ないはずの墓にお参りする。なしか?(何故か?)

 お盆がすむと先祖の魂の皆さんを名残惜しくお送りする。そして家に帰って仏壇の仏さんにお参りする、そこには先祖の仏さんは居ないはずと思うのだが、日本人はそこを一々気にしない。万事鷹揚に、曖昧に処する所が日本である。

 それでも神仏礼拝と言って、一応神と仏を別にする。しかし、ほとんど同じだと思っている。仏壇は下にあって、上の天井の脇に神棚がある。神棚はホームセンターで安く買える。仏壇は異常に高い。この辺も万事鷹揚、曖昧。なしか?

            *

 日本人が陰府から生き返って来る死者の霊を恐れたことは初めに書きましたが、以上のお盆の行事をみると、それが全く様子を変えて懐かしい麗しい、心やすまる故郷の行事になってしまっていることに注意したい。

 京都の町に疫病がはやり、雷があちこちに落ちて朝廷の大事な個所をも燃やしてしまう。「これは菅原道真さんのたたりや」と市民がおびえたそうだが、そういう死霊(しりょう)への恐怖が、実は今も脈々と生きている事実に、ちょっと考えたら気がつく。あのお盆の良い気分は一過性の幻覚であったのかと思う。この日本人の霊意識の二重性は興味深い。

 市井に隠れているが、厳然として生きている霊媒宗教に目を止めよう。お稲荷さん、お不動さん、あちこちの生神様。

 「何故かしら、訳のわからぬ息切れがする。頭が重い。娘が長い病気、なんやろ」、こう言って不安を抱えた人たちが、行ったものです。昔、当教会の場所から海のほうに半キロほど、「高城のお稲荷さん」と言って有名なお稲荷さんがあった。大変、繁盛(?)しました。その前には旅館さえあった、前日からきたクライエント(?)たちが泊まるのです。

 大阪の国際福音教会の西原先生は言っていたが、お稲荷さんのよいところはカウンセリングの答えが具体的であいまいでない点。「ああ、あんたには3代前の爺さんにいじめられた巡礼娘の呪いがついとる。あんたとこの裏の山を登って1丁程行ってごらん。子どもの頭ほど石がある。その石をあげると、一文銭が2枚あろう。それを持って帰って。油揚げに乗せてあんたとこの仏壇に上げてごらん。病気は一辺に吹っ飛ぶわい」という。「行ってみたらそのとおりやった。油揚げ、そなえたら一辺に治った。やっぱ、お稲荷さん、油揚げ好きやわあ」てな話です。

 みんながみんな、こんな具合にうまく行っているはずもないが、似たことはここかしこで起っているでしょう。

            *

 私は実は30十歳代、伝道者としては放浪生活を数年つづけた経験がある。今思えば随分危険な道を通った。古神道の師匠の家に2、3月居候して霊修業のまねごとをしたこともある。私が個人的に会得していた呼吸祈祷法や、イメージ祈祷法などはそこで再確認できたし、記憶法を学び、霊舞や霊言法等の実技面を覚えた。その頃、霊媒の人たちとも、よく交際したもので、彼らにも人格的には良い人がおり、また逆に悪い人もいた。しかしいずれにしろ、サタンの子分どもの手に操られての霊覚判断や霊障払である。背後の悪霊同士が互いの乗っかっている人物の過去や家系を探るのだから、これは何でもないことである。そこで、前節に書いたような預言めいたことも容易に出来るのである。

 民数記22章以下を開くと、異教の預言者バラムのことが出てくる、この人は意外に善人で霊能はすぐれ、預言は立派なものに見える。しかし、最後には彼の隠れた貪欲が現れて、イスラエルの民を不品行の罪に誘惑する。ついにはヨシュアに殺される(ヨシュア13:2参照)のだが、バラムは一見善良な主の預言者にさえ見える。しかし彼は悪魔の配下で、しかも高級な手下だったのだ。もっと研究したい人物だが、今回はスペースが足りないので、割愛する。

 要するに世の霊媒者たちが、如何にすぐれた予言をし、解決策を教え、一見いかにも謙遜に、また無欲に見えたにしても、結局は悪魔演出の舞台上で演じているに過ぎない。

 聖書はこのバラムを占い師とも呼んでいるし、また霊媒者を口寄せとも呼んでいる。即ち、申命記18:10、11に「また、占いをする者、卜者、易者、魔法使い。呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、師人に問うことをする者があってはならない」、とある。彼らのもとに行く者があれば神はその人を民の中から断ち滅ぼす(レビ20:6参照)ともある。

 日本人の多くの潜在意識に横たわるものは、先祖霊への畏怖である。お盆祭りや何年忌ごとの仏事をしないとバチが当る。こういう祟(たた)りを恐れている。世間も、世の識者たちもこれを「祖先崇拝」と呼ぶ。しかし、私の家などは牧師の家だから当然、仏壇もなく神棚も無い。しかし何のバチも当らず、家庭円満、万事好調、これは唯一の神、全知全能の父なる神のご加護による結果に違いない。この神は実に「あらゆる父と呼ばれているものの源なる父(エペソ3:15)、私たちすべてのものの父である。この方を礼拝する私たちこそ、本当の祖先崇拝者なのであると言えるのです。

 

2003/8/3

(「日岡だより」第83号)

タダイのエデッサ伝道と景教、空海   

 今回は12弟子の1人、タダイにまつわる伝説について述べたいと思う。伝説と言っても、権威あるキリスト教史家エウセビオスの「教会史」に出ている物語である。ちゃんとした史実であると思って間違いない筈だ。

 タダイはキリストの12弟子の名前の中では10番目か11番目に記されている人で、どちらかと言えば、見栄えのしない人である。しかし一度だけ「主よ、あなたはご自身をわたしたちにあらわそうとして、世にあらわそうとされないのはなぜですか」(ヨハネ14:22)とイエス様に向かって質問した弟子である。そのことをヨハネがわざわざ書き残したのは意味が深い。この時、イエス様も喜んで重要な発言をお返しになっておられるのです。

 タダイという名前はたぶん愛称です。「母の胸」というアラマイク語らしい。もう一つの名があって別の写本ではレバイと書かれている、その意味は「心」だと言う。弟子仲間で、彼がどのように思われていたか、察することができる。

 このタダイが初代教会の時代、後世に多大の影響をあたえる宣教活動をしていることを、エウセビオスの「教会史」に見るのである。その記事をかいつまんで以下に紹介したい。

          *

 当時、ユーフラテス河の向うの国エデッサの君候である、アブガルという人が不治の難病にかかっていた。彼はユダヤの国のイエス様の事を聞いて、イエス様に書簡を書いたのです。

 「(挨拶を略す)あなたは薬や薬草を用いずに治療をなさる由です。聞けば、あなたは盲人の目を開き、足なえを歩かせ、ライ病人を潔め、汚れた霊や悪鬼を追い出し、長い患いに苦しむ者を癒し、死人をよみがえらせたそうです。私はこのことを聞いて、あなたはまさしく神様であるのか、あるいは神の子であるのかと考えました。どうぞ、わたしの所へご足労くださいますように。」

 加えて、この君候はユダヤの不穏な様子を知っていることや、こちらは安全です、などという後続文を書いているが、それは省略する。それに対するイエス様のご返事があるのです。

 「私を見ないで、私を信じたあなたは幸いです。『私を見た者が私を信ぜず、見ない者が私を信じ、かつ生きる』と、私について書かれているとおりです。

 さて私は、近く私が遣わされた使命を成就せねばなりません。その使命を成就したら、私を遣わされた方のもとに私は上げられます。私が天に上げられた後、私は私の弟子をあなたのもとに遣わします。そしてあなたの病を癒し、あなたとあなたと共にいる者たちにも生命(ゾーエー)を与えるつもりです。」

 これらはすべてエデッサの古文書保管所にあった。それに以下のシリヤ語の添付書類がある。

 「イエスが天に上げられたのち、弟子の一人タダイが使徒としてアブガルのもとに遣わされた。そこには高官たちが居並んでいた。部屋に入ると、大きな幻が使徒タダイの顔に現れた。みんなは仰天した。タダイは言った。

 「あなたは私を遣わした方を信じていました。だからこそ私はあなたのもとに遣わされたのです。もしあなたがこれからも、その方を信じれば、あなたの願いは聞かれます。主は、御父の御旨を成就されました。そして父のもとに帰られました。」

 アブガルは言った。「私はその方も、その方の御父も信じます。」

 タダイは言った。「私はその方の名において、私の手をあなたの上に置きます。」

 彼がそのようにすると、アブガルの病と苦痛はたちまち癒された。

 アブガルは言った。「これは正しく驚くべき神の権能です。お願いします。これらの他のこと、イエス様の到来について、その権能について、その不可思議な御業についてご説明ください。」

 次の日、タダイはアブガルに頼んでエデッサの市民のすべてを集めてもらった。そして語ったのである。

 イエスの到来について。その使命と、父から遣わされた目的について。その権能や御業。その方が語った奥義と、その新しい教え。その謙遜と従順。自らを低くし、ご自分の神性を無きもののごとくして十字架にかかられ、陰府に下り、世の初めから破られることのなかった(死と生の)壁を破って死人を復活させたことについて。そして、ただお一人でこの世にお下りになったが、大勢の者たちと天のみ父のもとに帰って行かれたことについて、語ったのであった。

 つづいて、アブガル王はタダイに金と銀を与えようとしたが、タダイはこれを断った、などということも書いてある。

 これらのことが起ったのはエデッサ暦第340年(AD30年頃?)のことであるという。

          *

 〔付記〕以上は私(釘宮)の少々粗雑な選択により週報旧号(1987.6.7.)に転載したものの再掲載です。このエデッサの町については平凡社の「世界百科事典」に、こう載っています。

 「この町は北西メソポタミアの古代都市。今日のトルコ南西部のウルファ市、古来交通の要衝。シリア系キリスト教の中心地であり、シリア語訳の聖書のほとんどは、ここで作成され、5世紀の半ば、この地に栄えたネストリウス派のキリスト教は、アジアの大部分に伝播し、中国では景教として唐の大宗の貞観9年(635年)、宮中に迎えられた」と。

 景教というと、空海を思い出さずには居れません。空海が入唐したの延暦23年(804年)のこと。当時は唐の首都長安で景教は盛んであった。今日、日本・和歌山県高野山にゆくと、大きな石碑のレプリカがある。題して「景教大流行の碑」とある。空海が長安から持って帰ったものかどうか知らないが、とにかく空海が唐に行って、景教の影響を大いに受けたのであろうという証拠の碑でもあります。

 私どもは考える。空海が唐で最も影響を受けたのは景教と呼ばれたキリスト教の異言ではなかったか。異言という宗教現象に似た現象は他の宗教にも無くはないのですが、その著しい例の一つが真言宗の「陀羅尼(だらに)」でしょう。これを空海が日本に持って帰ったに違いないのです。空海の唱えた陀羅尼がコトバとして幾つか残っているようですが、それが定形化して呪文となって流布しています。よく知られているのが「アビラウンケン、ソワカ」などでしょう。

 ともあれ、タダイのエデッサ宣教は大きく東洋、特に日本に影響を与えました。空海もあえて「陀羅尼真言」と言ったのですが、この陀羅尼さえ唱えれば病気も、あらゆる罪障も、悪運も消えると言ったのです。しかし、本当に「真言」を語れるのはイエス様だけです。「私は道である。真理である。命である」と仰せられたイエス様だけが、真の言葉、肉体となられた真の神の言葉なのであります。

 さて、この景教が古代日本の精神世界に如何に大きな影響を与え、霊的資産を残したか、戦前戦後、多くの識者たちが指摘してきたところですが、最近は特にその研究が精彩を放ってきているようです。このことについては、又ふれる機会があるでしょう。

〔あとがき〕 7月26日(土)、空路、東京へ。八王子市の野上兄姉を訪問。奥様の正子さんは元気だが、病気は厳しい。姉妹のために祈る。都心に戻り東京文化会館で立木稠子さんのリサイタルを聴く。途中で失礼して秋川にとんぼ返り、赤坂家にて八王子の松原さんを迎えての歓談は楽しかった。▼翌日、赤坂家にて主日礼拝、私の説教はいつもに比べて分かり良かったそうで、感謝。午後、滝沢タケ子姉を青梅の病院に見舞って回癒を祈る。▼28日(月),帰途につく。純福音立川教会にて泉牧師に初対面。師の祈りの霊に燃やされ、私も熱祷す。次に、吉祥寺に向かい、小羊チャイルドセンターの市川、川崎両先生と歓談、昼食に園の給食のうな丼がおいしかった▼羽田から大分への機中、泉先生の「イエス・キリストの大預言」を読む。大胆、奇抜、明晰、驚嘆する。<く> 

 

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