キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報とともに毎週発行する「日岡だより」)2003年10月
2003/10/26
(「日岡だより」第95号)
主の御名を呼ぼう
一、まず集会を重んじよう
信仰生活で最も大切なものは原則的に言うと祈りです。しかし、今回は私たちの信仰の成長をはかるためには、まず集会を重んじよう。そして初心の方の祈りの実修として「主の御名を呼ぼう」ということを今回の結論としたいのです。
祈りは人間の生活でいうと呼吸に例えることが出来ます。呼吸が出来なければ人間は即座に死んでしまいます。だから理屈から言えば第一に大切なものは呼吸です、しかし現実には大抵の場合、空気は現にあるのですから、実際に本当に必要なものは食物、いや殆どの場合食物もそこにあるのであるから、本当に必要なものは家(貸家でもよい)と衣料か?、いや、それも備わっているのが普通だから、究極的に必要なものは暖かい家庭であるということになるのです。しかし、この暖かさの無い家庭(?)が案外多いのです。
さて、私たちクリスチャンの信仰生活にたとえると家庭は教会です。呼吸を祈祷、食物を聖書にたとえることが出来る、だから、原則的には祈祷と聖書が信仰生活に必要である。しかし教会の諸集会に出席しさえすれば、その必要は、ほぼかなえられます。だから私は言います。「クリスチャンはまず集会を重んじなさい」(ヘブル13:25)と。
集会には主日礼拝を始め種々の集会がありますが、そこでは、必ず祈祷と聖書の朗読がなされるでしょう。それに加え賛美、聖餐や愛餐、また信仰の証しや奨励等の交わり、また聖霊の賜物の分かち合いなどが持たれるでしょう。
主日礼拝ならびに諸集会において、次の事を肝に銘じたい。「霊と真実をもって神様を礼拝し」「信徒が互いに愛し合う」集会であるのなら、イエス様が喜んで下さいます。強いられるまでもなく、つとめて出席しようではありませんか。そこに最も効率の良い礼拝と交わりと学びがあるのです。
二、集会参加の利点教会の諸集会には当然礼拝や信徒の交わりが持たれる。人はすべて怠惰に落ちやすい欠点を持っているので、個人的礼拝の時間をともすれば失いやすい。また自分から進んで、信徒の兄弟姉妹たちとの霊的交わりを持とうとは、なかなかしないものです。その結果、しばしば霊的栄養欠陥に陥る。
そうした危険を防ぐために出来るだけ集会に出席することをお勧めしたい。集会に出席することにより、必然的に信徒として必要な霊的空気と食物、つまり祈りと聖書の学びをすることになるからである。そして又、信徒お互いの交わりにも加わる事ができる。
これは神の最大の戒め「神様を愛し、また隣人を愛せよ」というお言葉に些かでも添い、また更に高い境地への飢え渇きや伝道への熱心さを呼びさまされることにもなるのです。
集会出席の大きな利益の一つは、そこで信仰の模範を見ることが出来る、ということである。より深く、より高い信仰の指導者や先輩に直接ふれて、それを見聞きするのは多く教会の礼拝や諸集会、また信徒の家庭集会においてです。
しかし、このことは教会の牧師にとっては大きなジレンマです。自分自身をふくめた全教会員の霊的向上と深化を計るために、自分が自分以上の模範者にならねばならない、とも言えそうなことですから。ご聖霊様が牧師自身を導いて下さると言えばそれまでですが。
私は手近かな解決策を持つ。教会の外より優れた講師メンバーを何度も招くという手段です。これが成功でした。永井明先生や手束正昭先生、平野耕一先生等々、こうした先生がたを私どもの教会にお招き出来たことは、本当に光栄であり、また喜びであり、また成功でした。教会員の方々のみならず、牧師である私自身、大変な利益を受けました。今後とも優れた先生がたを多くの機会を掴えてお迎えしたいと思います。
三、聖霊の磁場を求めよ聖霊による伝道ないし信徒の訓練には身辺的接触(タッチ)ということが必要である。とオーラル・ロバーツが言っていると聞いたことがある。
この頃は通信教育が盛んで、私もご他聞に洩れず英会話だの書道だの、やったことがある。多少の効果はあったが、ここというキメ手というか、ツボが掴めない。武道、スポーツ、芸技芸術、それぞれ通信教育では難しかろうと思う。
信仰の学びにおいて、良書が沢山あるのはよいことだが、本を読むだけで信仰を成長・刷新させるのは不可能だとは言わないが、大変である。はっきり言うと、最初の義認の信仰を持つまでは聖書と本を読むだけで行けると思う。しかし本だけに頼るとき、特に義認の信仰は甚だ思弁的なものになりやすい欠点を持つ。故に、苦労はするが、変な指導書は無くてもよい、聖書一本で求道するほうが、霊的、実践的信仰には入りやすいのである。
私は確信する。霊的な信仰刷新の道を進もうとするとき、それはしばしば拡大的ラセン状に向上する。時おり質的にレベルアップする。そのためにはサンダー・シング流に全く主にある孤独を守って、ヒマラヤの麓にでもこもるのもよかろうが、たいていの人はそれは困難。善き集会、善き指導者のもとで霊的磁場に触れることが何より善いのです。
集会を重んじなさい、という大切さがここにもある。だから、この点では前述の「集会を重んじよ」と言うのと理由がちょっと違う。ここでは尋常な集会のことを指すのではない。傲慢になることを恐れるが、現在の日本では濃厚な霊的磁場を保つ集会はそれほど多くはない。また私たちの教会が常に濃厚磁場を呈しているとは言えない。しかし少なくともそのことをいささかでも体験し、また追及している教会であるとは断言出来る。善き集会は善き接触の場であります。
とは言うものの、聖霊の磁場を個人的に持つことは可能です。それは祈りと瞑想によって可能です。どうぞ自己訓練を励んでください。野球の選手は監督やコーチの訓練を受けます。優秀な選手はその外に自主トレーニングをします。自主トレーニングを励んでおくと監督やコーチの指導がよく理解できるし、又あまり苦しくないのです。
たとえば、初心の方々に一番やさしい訓練として、お祈りの一例をあげます。「イエス様、アーメン」と呼び掛けてください。何度も、何度も繰り返して呼び掛けてください。
戦前、橋本鑑という先生でしたが、「福音的称名序説」という本を出されました。当時その本に大いに示唆を受けました。聖書とバルトの神学書を引き合いにして、なかなか説得力がありました。誰も気づかれるでしょうが、これは方法論としては法念や親鸞の念仏の影響を受けています、橋本鑑先生がどうだったかは存じませんが、私としてはそうなのです。
法念さんの言い方でありますが、この「イエス様アーメン」をいつも唱えなさい。もし忘れたら、忘れたことを苦にしないで直ぐに「イエス様アーメン」と言いなさい。この直ぐにということが大事で、思い出した時、その思い出せたことを感謝して、直ちにイエス様のお名前を呼ぶのです。「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」(ローマ10:13)のでありますから。
私がまだはっきり信仰を持っていない時でしたけれど、この祈りで随分助かりました。それは戦時中の福岡の刑務所の中でした。食糧不足で立っても居れない極度の疲労の中で、この「イエス様」と呼び掛ける祈りを続けることでちょっとした奇蹟がおきました。意地の悪い看守でしたが、私はその看守の好意を得た(創世記39:22)のでありました。
「イエス様アーメン」という言葉で冥想をなさるには、声は出さないで心の中で「イエス様アーメン」と唱えるのが良いでしょう。一例として、吸う息で「イエス様」、吐く息は長い息にして「アーメン」と唱えることをお勧めします。できるだけ長く繰り返してください。「イエス様!」という思いが、あなたの体一杯に満ちわたるとよいのです。そうならなくても結構です。あせらず継続して実行してください。
四、「主の御名」について(1)イエスというお名前は天使をとおして神様がヨセフに示されたお名前です(マタイ1:21)。
(2)そのイエスというお名前の霊的な意味はインマヌエル、「神われらと共にいます」という事です(マタイ1:23)。
(3)旧約聖書の出エジプト記の3:12では、神様はモーセに「わたしは必ずあなたと共にいる」と約束され、すぐその後にモーセの求めに応じてご自身のお名前をお明かしになられました。「わたしは、有ってある者」というのです。これは勿論、エホバと称せられる聖名の霊的意味であります。
創世記の中で神様が人間らしくふるまったり、また天使とも見誤られやすい出現の時には、必ずと言ってよいほどエホバと書かれています。モーセの時までは誰も、つまりアダムでもアブラハムでもそのお名前を知らなかったのです。
ユダヤ人たちは後に主のお名前を尊ぶあまりに度が過ぎて、そのお名前を忘れてしまい、ただ主とお呼びするだけでした。ローマ社会では主という名称は皇帝だけのものでありまして、その他の人が用いると反逆罪でした。(ただしユダヤ人に対しだけは、その宗教的使用だけが許されていたそうです)。
(4)ですから初代教会の頃、イエス様を主と呼ぶことは2つの意味で大変なことでした。第一にそれはイエス様をエホバの神様と同一視することなので、ユダヤ人の憎悪を受けました。またローマ社会の国家権力に楯つくことでもありました。
(5)旧約聖書ではエホバの神様は大抵の場合、まさしく「人と共にいます」方でありました。(2)と(3)を併せて参考にしてください。イエス様こそ、エホバの神であるとも言えます。
(6)イエス様を主(つまりエホバ)とお呼びすることは、前述のとおり、ローマ社会とユダヤ社会の二重の監視の中で、実に命がけのことでありました。まさしく「イエスは主である」と言うことは聖霊によらなければ到底できることではなかったのです(第1コリント12:3)。
(7)そのイエス様はすべての罪と問題、矛盾・葛藤を肯定的な事態に変質なさる方です。私はイエス様を絶対肯定者と呼びます。私はイエス様を一切の問題よりの救済者として信頼するのです。第2コリント1:19、20をお読み下さい。
(8)イエス様のお名前をお呼びするとき、彼は徹底して忠実な方であられるので、必ずご自分の名を呼んだ者の所に来られるはずです。忠実な僕は主人の声に駆けつけ、良き母親は子供の母を呼ぶ声に走りよります。まして主はご自身のお約束に忠実です。愛する子らの呼び声を聞いて来てくださらないことがありましょうか。「御名を呼ぶところに臨在あり」と言いたいのです。ローマ10:13を参照しましょう。「イエス様アーメン!」
(1986.6.29〜8.7の間の週報に連載されたもの。加筆訂正削除あり。<く>)
2003/10/19
(「日岡だより」第94号)
祈祷の秘訣
祈祷について、有名な本は例えばE・M・バウンズの「祈祷の目的」です。この本の初版は1925年(大正14年)、名著です。同じ著者の「祈祷の力」も有名です。このバウンズの本には祈祷の英雄というか、祈りの鉄人というか、そういう人たちが山ほど出てきて私たちを発奮させますが、また時に「我々には及びもつかない」というわけで気落ちさせることもあります。
知る人ぞ知る、祈りと瞑想の人だった桜井信市先生が夜行列車に乗っていて、この本を読んでいると。「一夜、8時間祈っていて、まだ祈り足らないと泣きながら部屋から出てくる」というような凄い人物の記事があった。さすがの桜井信市先生も「これはたまらん.バウンズの奴、くたばれっ」と、その本を列車の窓から投げ捨てたと言う。
今と違って窓ガラスの上げ下げができる汽車ポッポの時代です。桜井先生一流の逆説的表現とは思うが、その気持ちは私には分かる。
「ジョージ・ミューラーの祈り」という、あの2千人の孤児を養ったジョージ・ミューラーの伝記はよい本であるが、その彼の祈りの実際についてだけ編集した本があった。これもよかった。10年ほど前、早天祈祷会でこの本を毎朝少しづつ朗読してみなさんに聞いてもらったことがある。
また、「祈りのハイド」という本がある。18世紀から19世紀にかけてインドにつかわされたアメリカ人宣教師だ。彼は本のタイトルのとおり、祈りの人であった。
私が注目させられたのは、彼がある時、祈っていて神様から「笑いの霊」を与えられたという。彼は、我らの神はイサク(笑い)の神であると言い、又、箴言8:30によって、神の家の子は「毎日喜び、いつも御前で楽しむ」のは当然である、と言っている。このように、祈りが高揚して「笑い」になることがある。これは私の意見だが、この笑いは一種の瞑想に近づくような気する。
*
11月17日(2001年)だったが、私は3時に目が覚めて、4時になって祈るために会堂に行った。講壇の前のカーペットに坐ると、思わず笑いが込み上げた。
「ワッハッハハ」。私はイエス様に申し上げた。「イエス様、ありがとうございます。実は昨日はいろいろ嫌なことがあって、愉快ではありませんでした。体も疲れ果てて、ご承知のように早く寝てしまったのです」。「そうだったね、だから今朝は早く起こしたのだよ。どうだ、嬉しいだろう」。「はい、嬉しいです、しかし、××さんが家出しているようです。もう冬も近いし寒くなりました。金もない筈です。どうしているでしょう」。「大丈夫、安心しなさい」。
こうして笑いは対話の祈りさえ生みました。××さんはK君の女房である。昨夜、私はK君の家に行って酒に酔っぱらって寝ているK君を叩き起こした。女房が家出をしている、酒を飲むどころではないではないか。私はきつく叱ろうと思ったが、思いなおして彼のうちにある酒の悪霊に向かって「出て行け」と命じたのです。
その時、女房の××さんは家にいなかったので、たぶんK君に愛想をつかして家出していたのだと私は思ってしまったのです。
翌朝、前記のように「ワッハッハ」と笑って祈っていて5時になった頃、その××さんが会堂にはいってきました。いつもの早天祈祷会の時刻より早い時刻であるのに。「やあ、あんた、家に居たのかい。家出したのじゃなかったのか。ありがとう、ありがとう。ワッハッハハ」と、私は笑った。
そこへ中野兄が来た。彼も長いこと早天祈祷会に来ていなかった。昨日、妻から厳しく言われたらしい、「明日は必ず早天祈祷会に出なさいよ」。実は最近、中野兄は体が異常に弱っている。医者に行っても、はかばかしくない。ますます、悪くなるのである。そういうわけで、彼も今朝は重い足を引きづって来たのであろう。中野君、必ず癒されるよ、ね。
*
その翌日の早天祈祷会は私たち夫婦と、相良姉がきただけの3名の祈祷会だったが、どうしてどうして、淋しくなんかはない。ちょうど、ジョン・R・ライスの「祈りの秘訣」という本があったので、その1頁を読んだ。弱冠20歳代のジョン・ライスが、日照りで苦しむ農村地帯の教会で集会をもったそうだ。彼は祈った。
「神よ、24時間以内に雨を降らせてください」。その祈りに神様は答えてくださった。数十日にわたるカンカン照りの枯れ果てた作物の上に、豪然と雨が降り注いだのである。
「そのような雨を今、今朝のこの祈祷会に注いでください」と、私は心に祈ったのでした。
雨といえば、雲のことを私は思った。実は、昨夜、妻と話し合ったことの一つに、「雲消し」のことがある。
以下の記事を読むクリスチャンの方々は怪訝の思いがするだろうし、あるいは異端ではないか、悪魔の所業ではないかと、つまづきはしまいかと心配もするのだが、この際、公開する。
仏教詩人の坂村真民さんは「念ずれば花開く」と言うが、「念ずれば雲消える」と私はいう。
空を見上げて、じっと念じていると、雲が消えてゆくのです。(これにはニューエイジの人たちは大いに気に入られるる事だろうなあ)。ところで、実は妻から聞いて驚いた。妻は40年も前から面白半分に、この雲消しをやっていたという。そのうちに雲を増やすことすら覚え、そして雲を増やしているうちに神様からの言葉を聞くようになったという。
そうしたことのおかげで、「あの貧乏や困難で苦しんだ時代を乗り越えて来れたのです」と妻は言う。あの頃、信仰一筋はいいが家庭のことは全然顧みなかった私は、頭をかいた。
この雲消しは、やってみれば簡単。誰にもできるし、精神集中のよい訓練になる。
*
実は40年前のこと、先師手島先生に、「先生、祈祷の秘訣はなんでしょう」と質問したら、先生は言下に「それは、君、精神集中だよ」と言われた。神学的な答えを期待していた私は、あまりにキリスト教離れのした実技的な答えにびっくりしたことを覚えている。
「祈祷の秘訣」というような本にはいろいろな実例、奨励が載ってはいるが、「精神集中」などという奨めは滅多にない。しかしこれは重要です。例えば、「熱心に祈れ、長く祈れ、飽かずに祈れ、徹夜で祈れ、断食して祈れ、異言で祈れ」、こうした祈りの奨めは、実際上の結果としては、最後には精神の集中を生む訳です。それなら最初から精神の集中の訓練をしたらどうだ、手島先生はこう言いたかったのでしょう。
アブラハムは天の星を見、イサクは野を歩きました、このイサクの個所で、英訳聖書はしばしば「瞑想する」と訳しています。我らの永井明先生が常にご励行なさる「ウォーキング・プレヤー」(歩行祈祷)も、それです。これらは実技的に、しかも割合に容易に実行出来る瞑想法と言えます。(散歩が欝病によい所以です)。
ワッハッハの呵々哄笑。念じて雲を消す。歩行の祈り。すべて祈祷の秘訣の一面と言えましょうか。<く>
(2001.11.18.の週報より再掲載)
2003/10/12
(「日岡だより」第93号)
恵みに生きて律法に死ぬ
上 木 則 男
私は5月11日(2003年)の主日礼拝後、早速、釘宮先生が執筆された「信仰の確かさ」と題した小冊子を買い求めて自宅へ戻り、自分の部屋でこの本を読みあさりました。
読んでいるうちに、その6頁の、「イエス様を信じるとは、イエス様のお言葉を実行して、善い人、清い人になるという事ではありません。イエス様を私の心に迎え入れ、私の心の中でイエス様に生きて頂き、もはや私が自分を生きる事をやめる、これがキリスト信仰です」。
この文章が私の目の前に大きく立ちはだかり、私の心を捕えて離さなかったのです。この文章を何回も何回も繰り返し読んで理解しようとし、心で捉えようとしますが、このような事を繰り返せば、繰り返す程、悶え、苦しみ、今日まで、自分が築いている信仰の確かさに対しての不安、恐れ、焦りが生じ、私は愕然とし、震えおののいていました。
このままでは信仰の破船になってしまう、早く今の自分に、ハッキリした信仰の確信を頂かなくてはいけないと責められ、神様、私は今日までの信仰に対する生温さ、信仰に対する自我の働き、自分という自分が生きていた事、怠惰さ、傲慢な私をどうか、お赦しくださいと、涙ながら必死になって祈りました。
*
こうしているうちに、5月14日の私の日課の聖書個所ローマ人への手紙6章1〜11節を朗読しなさいと示され、読んでいました。読んでいるうちに、私の心に聖霊様がお働きになり聖霊様に満たされ、熱いものを感じました。
そして、今まで、み言葉が何を語っていたのか、ボヤッとしていたのが、はっきりと私の心に働きかけ、み言葉の意味を心につかむ事が出来ました。
ローマ人への手紙6章1〜11節の中で。私は聖霊様によって罪の事が示されました。
罪というものが罪を犯しているのであって、罪に捉われる必要はないと示され、律法において人は律法を完全に守る事が出来ないから、恵みにあって律法に死ぬ事だと示されました。
以上の事で、イエス様の真理をいただいている以上、自分は自分の心のとり繕いをしなくてもいいのですよと、神様(イエス・キリスト様)の愛に触れる事が出来ました。
そして、2千年前に私たちの為に自ら十字架にかかられたイエス・キリスト様のこの事実、この原点に戻る事だと示されました。
*
以上のような事を神様から頂き、恵み、真実の神様の愛、聖霊様のお働きを通して、信仰の確信を頂くことが出来ました。
そして神様が私に用意されていた不思議な導きが2つ備えられていたことに気づきました。
一つは釘宮先生が執筆された「信仰の確かさ」の小冊子を読ませて頂いた事。
二つは5月14日の私の日課の聖書個所がローマ人への手紙6章1〜11節だった事。
これらのことは私の信仰の確かさを頂く為に私に用意された神様のみ業だったと確信する事ができました。
以上、神様の恵みが頂けたのは、毎日私のために早天祈祷会における牧師先生、牧師夫人、兄弟姉妹がたの祈りにささえられた故だと思います。心から感謝します。
これからも聖霊様に満たされつづける自分でありたいと思います。アーメン。
〔添え書き〕
上木兄から良い証詞をもらって喜んでいます。その確信の日の直後に書いたこの手記は尊いものです。言葉としては洗練されていない面もありますが、こういう時の文章はそういうものです。書き直すと、却って真実を欠くということになりやすい。まずいところに価値があるということです。
だから、そのままで編集しました。兄弟から「本日は礼拝を欠席せざるをえない事情がある」旨、届けを貰っていたので、ご当人が照れないですむために、今日がいいなと思って紙面にしました、などと書くのは余分なことですね、呵々。
さて、教会の礼拝の確立は、礼拝参加者の信仰の確立にかかっています。そして各自の信仰の内面が清く大らかにイエス様に根づけられて、それが表面化して力動的な礼拝が捧げられる、その時、礼拝は確立すると言えましょうか。そのためにも、今回の上木兄のような信仰の確信を求めてほしくあります。(標題は私が選びました。釘宮)【 時 事 片 々 】
最近は、新聞のニュースには振り回されるばかり、特に国内の社会面はひどい。「おれおれ詐欺」は地元の大分県で老女が2百万円だまし取られたとか、連れ去り、閉じ込め、殺人も残酷な仕打ち様々で、これらの犯罪が日常茶飯事です。
しかし、胸が明るくなる、そして胸のつまるような話もあります。ある男が時効になった殺人事件を刑務所のなかで告白した。殺された人は湖に放りこまれていて、当時の警察では自殺だろうと処理されていた。それが他殺と分かった。殺された男性のお母さんがその犯人に刑務所に面会に行った。こんな事は珍しいそうだ。
「どうして殺すようなことになったのか」と聞いてみると、「あんたの息子さんに、ある女の電話番号を聞こうとしたが、どうしても教えてくれん、それで殺した」。
そのお母さんはそれを聞いて喜んでいる。
「息子は人のために命を捨てたんやな。よかった、よかった。いいことを教えてもらった。ありがとう」と礼を言ったそうだ、殺したほうの男はびっくりして椅子から立ち上がって、「すみませんでした」と初めて詫びを言ったという。
この記事を読んで、先に書いたように私の心は灯がともったように明るくなり、しかしこのお母さんの悲しみを思って胸がつまった。
殺人事件の被害者の遺族が「犯人の奴。極刑にしてくれ」という記事はよく目にする。無理もないと思う。しかし、私は暗然とする。先日、宅間被告の死刑判決で遺族の一人が沈んだ声で記者に語ったそうだ、「人の死を喜ぶ自分が悲しい」と。こうした言葉を取材してくれた記者に感謝した。
人の死を扱う時、新聞も、テレビも、特に週刊誌など、乾いた文章や興味本意の言葉で記事にしないで、哀悼の心と厳粛な人生観を覗かせてほしい。
*
驚かされたのは熊本の牧師という人のセクハラ事件で、既にその被害者の女性の言いぶんは認められて金銭で賠償の判決があったという。世間一般の人でもキリスト教の牧師とセクハラという言葉は、すぐには結びつかないだろうと思う。まして同職の私であってみれば、情けないやら、憤慨するやら、いろいろ考えた。
当の牧師は「無実である、控訴する。真実を明らかにしたい」と言っているそうだ。私もその牧師は無実であると信じたい。如何に程度の低い牧師でも、そんな低俗な過ちを犯すはずはないと思うからである。
でも、それが無実である場合、すなわち「冤罪」だが、そういう時、クリスチャンの対処の仕方には、特に牧師であれば、もっと違う道があるように思う。すぐに「控訴」では本当の解決はつかない。
奴隷のヨセフは主人の妻に言い寄られて拒否したとき、逆に主人の妻はヨセフに暴行されかけたと讒訴(ざんそ)した。ついにヨセフは弁解もできず、牢獄に落されたが、彼はそこで大いに祝福されたのである。
無実の罪で誤解され、弁解も出来ない恥辱にあうことが時にはあろう。しかし、すべてを知り給う神様を信じて忍耐して待つがよい。神様はかならず恥辱を払い除き、名誉を回復させてくださる時がくる。(参考聖句として第一コリント6:7をご覧になってください)。
仏教のお坊さんの話だが、白隠和尚のお寺の有力信者の娘のおなかが大きくなった。父親が怒って「相手の男は誰だ」と聞くと、「白隠様です」という。日ごろ父親が尊敬している白隠様なら許してくれるだろうという浅はかな知恵だが、父親は本当かと思って寺に駆け込んで白隠和尚に怒鳴った。
「なんてこった。お前さんも生くさ坊主だったか。生まれた子どもは、お前にくれてやるわい」。
やがて生まれた子どもを本当に寺に持ちこんだら、
「そうかい、そうかい、これがわしの子どもかい」
と言って受けとったという。それから白隠さん、赤ん坊をおんぶして村中をまわって貰い乳をしたという。さすがに、その子を生んだ娘さんは心責められて本当のことを父親にも打ち明け、和尚に詫びを入れたそうです。
「そうかい、そうかい、これがわしの子どもかい」、これは並の悟りでは言えまい。あの厳しい白隠の墨画を見ると想像もつかない春風駘蕩ぶりである。しかし、牧師たるもの、これに負けては居れないではないか。
*
イランという国は9・11で一挙に知名度を上げたと言えばおかしいですが、とにかく何かしら文明度の低い、暴力横行の国に思えていた、そこへノーベル賞ときました。
それは、シリン・エバティさんという女性弁護士さんです。「へえ」と思わず口から漏れますねえ。あのテロ百貨店のような国で、女の人が弁護士? 第一この国にまともな弁護士なんているの、といぶかるくらいの偏見ならぬ浅見の持ち主の私ですから、西アジア宣教の先生がたは呆れるでしょう。
冗談は抜きにして、あの国で権力に抗して「非暴力で人権活動」を貫き、今回ノーベル平和賞を受けることになったというのです。このシリン・エバティさんに心から感動をもって、お祝い申し上げたいと思います。
非暴力思想の起源はイエス様です。この思想がキリスト教国で生きず、却って非キリスト教国で生きているということの皮肉さ、残念です。かつてはインドのガンジー、今このエバティさん。もっともアメリカでは黒人ですが、マルティン・ルーサー・キングがいましたね。(拡げれば、アフリカ伝道のアルバート・シュバイツアーなどもそうでしょうか。日本では非戦論の内村鑑三をあげたくもありますが)。<く>
2003/10/5
(「日岡だより」第92号)
私の信仰の棚卸し
拡大宣教学院の機関誌「マグニファイ」の9月号に金本啓子先生の2期生として在学中の証しが載っている。私は当時、時おり学院に伺って集中講義をしていた頃だから、その頃の啓子さんをよく覚えている。ある時クラスを見回して一つの質問をした。そうしたら牧師でも気がつかないような聖句が章節共にピシャリ啓子さんから跳ね返って来たものです。
その啓子さんが、今回の「マグニファイ」に書いてあるのだが、私はハッとした。それは、学院での祈りの訓練の中で、「異言で祈る祈りが、本当に主との深い交わりに導かれていくことを体得した」というのでした。正直に言うと、この祈りの境地を、私はまだ知らないなと思ったのです。
そう言えば、ずいぶん前のことですが、永井明先生が車の中でふと思いついたように私におっしゃったことがあります。「先生の教会は、もっと異言の祈りをしっかりやると、もっと成長しますよ」。私は「はあー、そうですか」と聞き流してしまったような覚えがあります。
私とて、異言の祈りのうましさを知らないわけではありません。しかし、これ以上、どうしようもない、といささか諦めの心境でした、そのまま時間は経過してきたのですが、そのことを今回、思い出しました。
これが、私の「信仰の棚卸し」の第一です。
*
最近、よく分かったことは、悪霊追い出しについての私の認識が甘かったということです。私は20歳代に悪霊現象にふれました。それ以後、悪霊の追い出しについては、少々の経験があります。だから一家言を吐く事もあります。
しかし、悪霊について、いささか知っているつもりで、それを自慢げにしていたけれど、悪霊追い出しの本当の必要さは知っていなかったように思います。
最近、気がついたのは、ある人の癒しを祈っている時でした。私は突然、按手しながら、「この人より悪霊、離れ去れ」と一喝したのです。すると、病状がすっとよくなりました、もともと私は癒しのために「神様、この方の痛みが癒されますように」などとは祈りません。「イエス様のお名前によって命じる。この痛みよ、出て行け」と病気に向かって叱咤します。これは聖書的であると自負していました。今回の埼玉でのメル・ボンド先生の癒しでもそうでした。
でも、「悪霊よ、出て行け」と端的に責めたことは少ないように思います。これを聞く病気の本人が、「私に悪霊がいるのか」と恐怖したり、惑ったりするのを防ぐためでもあり、また「奇妙なことを言う牧師さんだな」と嫌われるのを恐れたからでもあります、呵々。
しかし、聖書を開くと、イエス様が12弟子を宣教に派遣する時、彼らを呼び寄せて「汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった」(マタイ10:1)とあります。
またマルコ16:17で復活されたイエス様が11人の弟子たちに仰せになっています。(11人というのはイスカリオテのユダが既に脱落自殺していたからです)。「信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し。新しい言葉を語り、へびをつかむでろう。また、毒を飲んでも、けっして害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」と。
こうした場合、常に病気の癒しの前に、悪霊追い出しが先行します。私は病気のいやし、つまり神癒については30歳前に、すでに確信を持っていました。初めはT・L・オズボーン先生の「キリストの癒し」という本で恐る恐るやってみたものです。そして癒しが成功した、有頂天になって天下を取ったみたいに喜んだものです。また実際、初めの頃は目まぐるしいほど、神様の栄光が現れました。
その頃は、手のひらにビリビリ霊的波動を感じましたし、その手のひらでレーダーのように病人の家を捜すことさえ出来たのです。この癒しの賜物についてはニュージーランド出身のマコロウレイス・メルカム先生が大分にしばらく滞在されたとき、先生の強力な賜物が豊かに私に移って来て、更に癒しの実績があがったかと思います。そうそう、脚伸ばしや霊倒の賜物をいただいたのも、その時です。
それはともかく、イエス様が12弟子派遣の際や、マルコ16章の復活の約束の言葉には、必ず癒しの前に悪霊追い出しの命令が、あたかも条件つきのように語られています。
イエス様の宣教の初期、弟子たちを地方伝道につかわされました、その第2軍に72人の弟子たちがつかわされた時、弟子たちは第1軍の12弟子たちに劣らぬ実績をあげました。その喜んだ報告の様子がルカ10:17に出ています。
その時イエス様は言われました。「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た」と。サタンは先に12弟子たちによって散々子分どもを打ちのめされたので、次にやってきた72人の弟子たちには強力な反撃を加えようとしたかも知れません。それを見越してイエス様が大親分のサタンに対し強烈な霊的権威を発動されたのでしょうか。そこでサタンは電光のように天から落ちたのに違いありません。
サタンはそれまで第2の天である霊界にいたと思いますが(天使たちは第3の天である天界にいます)、この時から地上の空中に降りて瀕死の状態でイエス様をのろいつつ、うごめいているのではないかと私は思うのです(エペソ2:2参照)。
ともかく、これまでは悪魔と悪霊に対する認識や対応が甘かった、これが私の第二の「信仰の棚卸し」です。
*
第三の「信仰の棚卸し」は、ホーリネス(きよめ)のことです。人はたいてい、幸福を求めます。安定を求めます。金や地位や名誉を求めます。異性の愛、安定した家庭、出来のいい子ども、事業や、会社や団体でのリーダシップ、事業の成功、学問研究の成功、芸術世界での栄光、冒険のスリル感、その他、様々の幸福を求めるものです。
さて、私の母親は娘時代、冬になって九州では雪はなかなか降りませんが、それでも時には降ることがある。その時、「神様、この雪のように私を清くしてください」と祈りつつ、雪を洗面盥に入れて顔を洗ったそうです。人の心の深い所で、本当に望んでいるのは、この「心の清さ」ではないでしょうか。単なる幸福や平安ではないのです。
先日の新聞に往時の映画名監督・小津安二郎の評論が載っていましたが、ある作品の中で主演の原節子が「品行はなおせるけれども、品性はねえ……」というせりふがあったそうで、これこそ小津安二郎の言いたいことだったと言うのです。
品行という言葉は最近聞かなくなりました。むかし小学校で学年末に校長先生からもらう優等賞は「品行方正、学力優秀」とあったものです。品行方正とは普段の道徳的行いが大変良いということです。品行は努力で矯正できる。今でも非行少年を矯正院に入れて訓練すれば、品行方正になる可能性はある、しかし「品性はねえ……」、原節子が首をかしげるのである。聖書は「聖なる品性」を要求する。
「われ聖なれば、なんじらも聖なるべし」(第一ペテロ1:16)と主は言われる。これは当然な戒めであると、だれも腹の底でうなずける。しかし、いかにして腹の芯から清い人間になれるか。これがえらい困難である。
むかし岡山に太田静湖という方がおられた。静湖というのは尺八でも吹きそうな男性らしい名前ですが、実は女性の名前です。れっきとした牧師夫人でした、この方の「聖霊の経験」という小冊子が私の書庫の奥深く眠っていたので、最近引っ張り出して複写して海賊版を作りました、これを読むと、ホーリネス派の「きよめ」の信仰の聖霊経験が少し分かります。この冊子を読むと、太田夫人が飢え乾いて、飢え乾いて「きよめ」を求める、その切実さ! そして,ついに聖潔の確信を与えられる聖霊の経験、感動して涙が出ます。
*
私は神学にはしろうとですから、たしかなことは言えませんが。少なくともプロテスタントにおいては、信仰のありようは次の3つになると思う。
第一は、十字架による義認信仰一点ばり、これに真剣にはまり込むと凄い信仰になります。かつての亀谷凌雲先生がこれだった、金田福一先生も同様だったと言ってもいいかもしれない。私の父だって、そうだった、彼は火のバプテスマを受けたような入信体験だったけれども、教義的には義認信仰一本、というより、それ以外は知らなかったと思う。
第二は、きよめ派。一応、ジョン・ウェスレーを開祖とするメソジスト派、救世軍、しかし、中田重治先生やバックストン先生のひきいたキリスト伝道隊。その後のホーリネス教会は一時は燎原の火のごとく、日本全国に伝道の火が燃え上がった、明治20年だったか、大分メソジスト教会の除夜祈祷会のリバイバルは知る人ぞ知る、最近かなり有名になった。今のペンテコステ教会のわめき集会とさして変わらない。
第三が、私たちのペンテコステ派である。聖霊派ともいう、外の人は「異言派」と呼ぶかもしれない。如何にわめいたり、床をたたいたり、大きな声で賛美しても、異言がなければペンテコステ派とは言わない。
この三つを妥協せず、根本からそれぞれの特色が生き生きと生きて、しかも一本になっているというような信仰の在り方は出来ないのか。在り得ると思う。私はそれを追及したい。
私は以上のうち、「信仰義認」はよく分かっているのである。私自身、22歳の時の回心がそれであった。その時の経験は小冊子「信仰の確かさ」に書いておいた。確かな聖霊経験であった、忘れられるものではない。また、一種言うにいわれぬ自由感があるので、これは聖潔(きよめ)の経験ではないかと思いこむに違いないだろうと思う。
ホーリネス派で、信仰の順序を第一次経験、第二次経験と分ける時、第一次の信仰過程を通常の伝道カウンセリングによって「はい、イエス様を信じます」と告白して水のバプテスマを受ける、これが第一次。次に私のこの「信仰義認」の聖霊経験を体験すると、そこで、教義上第二次経験をしたことになる。一種言うべからざる自由感があるから、「これだ、これだ、きよめられた」と鬼の首を取ったような気になる。
ところが、本当に万事に向けて自由の律法を獲得したわけでないから、その足りない所を自己努力で補わねばならない。これがきよめ派の信仰が律法的だから駄目だという批判を招く原因になるのではないか、こう言ったら、金田福一先生も同感しておられた。ともあれ、
この「信仰義認」の信仰こそ、信仰の土台で、これ無くして、他の信仰はなりたたないと思うのだが、どうだろうか。ともかく、この「信仰義認」の信仰をまずしっかりと握ってほしい。しかし、瞬間的回心という聖霊経験でなくてもよい。大回りに、ゆっくりと信仰に至る人もある、これは内村鑑三やビリー・グラハムも明言している所なのである。<く>
過去のメッセージIndex 今月のメッセージに戻る