キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報とともに毎週発行する「日岡だより」)2003年11月
2003/11/30
(「日岡だより」第100号)
日本を救おう 世界を救おう
新聞を読むと毎日、目を覆うような記事です。祖母と母が4歳か5歳の幼児を殺したという、この記事には息を呑みましたね。普通、おばあちゃんと言えば、幼い孫は目に入れても痛くないほど、可愛いものです。それが、その可愛いはずのお孫さんを殺すというのですから、絶句します。こういう新聞記事は連鎖反応を呼ぶのでしょうか、次々に似たような事件がおこります。若い親が生まれた子どもを2人がかりで殺したとか、子どもが実の親を殺したとか、そんな話が連日のようです。
こんな日本は、これからどうなるのでしょうか。終戦以来、行き過ぎた自由主義のせいか、何をしても構わないと、無責任にやってきた親たちから、2代、3代と継いできた我が儘・自由人間3代目、それが今の親たちです。
この親たちに育った子どもたちは、これからどんな親になって行くでしょう。考えるだけでもゾッとします。こうした日本を変えるには、イエス様の聖霊の力、愛の力しかありません。
先日、高砂聖霊アシュラムに参加して、手束先生から「日本民族総福音化運動」の提唱を聞きました。私はその熱に浮かされて、次の日の福岡聖会では「日本を救おう、世界を救おう」と少々場違いの説教をしてしまい、後悔しました。昔、非戦論を心にいぶしつづけた愛国青年が今、再びその熱情を燃やし始めたのです。
非戦論(主義)と愛国心が、どう結びつくのか不思議かもしれませんね。普通、愛国心は「戦争をやれ、やれの主戦主義」に結びつくものです。しかし、私は内村鑑三流の愛国心で日本を徹底して神に献げようとした結果、非戦主義に結びつけられたのです。(興味のある方は図書館に行って内村鑑三全集を読んで下さい)。
現在の私は、かつての内村先生ほどの先鋭的な非戦論者ではありません。どこかの国から核ミサイルでも飛び込んでくれば、さすがの非戦論者も考えこむことでしょう(内村先生に申し訳ないですが)。このことは、もっとじっくり、考えて行きたい。
先日、NHKの「その時、世界が変わった」の番組でガンジーさんのことが出ていました。いわゆる「非暴力抵抗」という思想と実践に命をかけた「偉大な魂」の実像を見せてくれました。とにかく、ガンジーさんはこう言ったのです。「私は卑怯さによる非戦論者ではない。卑怯のゆえに非戦主義にたてこもるよりは、私は鉄砲を取って戦う」と。本当の愛と平和をもって悪魔の企み(戦争)と戦おうとすれば、ガンジー流の、この本当の勇気を必要とします。
*
さて、一人の信仰の革命が、いかに国家と民族の精神革命を起すか、18世紀のイギリスのジョン・ウェスレーを見たいと思います。その前にイギリスを離れてヨーロッパ本土のフランスを見ましょう。
1789年に始まったフランス革命は流血革命となりました。いくつかの曲折があったでしょうが、残酷なギロチン死刑に象徴される恐怖政治にもなりました。私は歴史には詳しくないので、記述の正確さの自信はありませんが、ここで言いたいことは人間が如何に良い目標・主張を掲げても集団行動に移って行くうちに、いつしか悪魔の手に陥いるということです。
このフランスの対岸のイギリスでも、フランス同様の絶対王制専制政治や封建主義を打破しようとする革命思想が起る可能性は十分あったと思いますが、しかしイギリスではそうはならなかった、その大きな一因にジョン・ウェスレーのメソジスト運動があったと思うのです。
ジョン・ウェスレーという人は、その時アメリカ伝道で失敗して帰国、モラビアン派の聖霊信仰に触れて、信仰の革新を求めて苦しんでいました。そして遂に、1738年の5月14日午後9時15分前(*)でした。信仰の大飛躍をします。
(*)ある人の本に「ウェスレーのように回心の日時がはっきりしている例は珍しい」とありましたが、私はそれほど珍しいとは思いません。普通、イエス様を信じた最初の決心を回心と呼びますが、そうだとすると、このジョン・ウェスレーは既に信仰を持っていたのですから、回心とは呼びにくいのです。ある人はこういう経験をコンバーションと英語読みして、そしてコンバーションは生涯に何度もあってよい、いや何度もあるべきだ、などとも言っています。聖霊覚醒とでも呼べば良いかも知れません。
それまでの、疑い深い、つまずきやすい彼の信仰が一挙に変わります。いわゆるアルダース・ゲート教会経験と言いましょうか、その小さな教会で牧師が読むマルティン・ルターのローマ書の序文を聞いているうちに、突然胸のうちに不思議な火の燃えるような経験をしたと言います。徹底的な信仰変革でした。アウグチヌスも同じような経験をして回心したのでしたが。
それからと言うもの、ウェスレーの驚くべき精力的伝道が始まります。翌年の1939年のブリストルでの貧民階級への伝道は驚異的でした。国教会を追われて墓地で伝道したと言われますが、馬に乗ってイギリス全土を何万キロも旅して福音を伝えました。彼の伝える福音は「聖潔」の教えで、世間からメソジストと言われました。「几帳面屋」というニックネームですが、それが後に教団名になります。
ウェスレーの伝道意識は「世界は我が教区である」と言ったように壮大でした。事実、彼の教団は後に世界一の大きな教団になりました。彼の福音宣教の叫びはイギリス全土に及んだのです。
彼に導かれた信徒たちの生活の清さ、真実さ、麗しさ、堅実さ、それが全英国の社会に影響を与えた結果か、イギリスにはフランスのような流血革命は起らなかったのです。却って、英国民の魂にメソジストの信仰が革命を起したのでしょうか。こう言えば、大げさでしょうが、そう評価する識者は多いようです。
*
さて現代の私たちに目を移しましょう。私たちのような小さな者が、たとえ如何なる信仰を持とうとも、それで、この大きな社会が変革するだろうとは、ちょっと考えにくい。私たちはジョン・ウェスレーではありませんもの。
しかし、私たちにも、同じ聖霊様は臨んで下さいます。そして、その聖霊様の力に期待と信頼を寄せるクリスチャンの群れは、前の時代より、今は遥かに大きくなっていると私は信じます。今、世界にはカリスマを信じ、カリスマに生きるクリスチャンが多いことも励ましです。
とは言え、私たちの信仰が優れているからとか、私たち自身が出来がいいからとか、そのよう誇りはとうてい私たちは持ち得ません。冒頭に書いたように、まことに戦慄すべき不道徳なこの時代です。道義が見棄てられています。私たちが、このような時代の悲惨さ、残虐さ、悪魔性に気づきつつも、もはや、この悪しき世界精神を変える力は、我々には無いと気づかざるを得ません。
しかし、今はこの時代そのものが、神による変革を求めているのです。そして、その変革が出来るのは、まさに神の力、聖霊様の力だけです。かように信じる私たちの信仰、その信仰は「お前たち、それは夢想だよ」と笑われそうですが、その小さな信仰でも、その実現を果たせる起動力になり得ると私は信じます。
まず、あなたが変革せよ。あなたの教会が変革し、日本の教会が変わる。その時、この日本民族が変わる。日本の教会よ、立ち上がれ。世界の教会よ、立ち上がれ。主にあって一致せよ。信ぜよ、世界を変える力は神様にだけある。聖霊様だけにある。ハレルヤ!<く>
2003/11/23
(「日岡だより」第99号)
心の病気を癒すには
〜最近の医学的現況と信仰的対応処法〜
先々週、土曜日(11月15日)の午後、4時間たっぷりの「心の病」に関するシンポジウムがあった。講師陣は地元の大分大学医学部や、山梨、群馬、東北各地の大学医学部の教授がた、日本の精神医学会の錚々たるメンバーだが、それぞれの研究結果や最近の情報を発表してくれて、非常に参考になった。
その数日前の新聞に「脳と心は一体である」という、私にとっては刺激的な見出しがあって、このシンポジウム(研究発表会と言うべきか)のことが載っていたのである。私は「心は人の全身にわたる一つの状態である」と思っているから、多少の拮抗意識を持たざるを得なかったが。
会場のコンパルホールに行ってみると、定員の500名をはるかに越えて、来場者は客席の階段や、場外ロビーの大型投影機の前に大入り満員(?)の態であった。
「心の病気」は、それほど今日的な一般的なテーマになっていると、改めて認識したことである。
講師の方々の発表を聞いていて、最近の精神医学界の研究の成果がかなりよく分かった。私なりに分かったことの概略を以下に書きます。
*
その第一は、最近は新しい電子機器、MRIなどで脳の内部を画像的に解析出来る(最近はもっとくわしく立体的に見ることもできる装置もできたという)ので、脳内物質のことや脳の中の血流、その集中個所等が分かって問題個所の推定が用意になった。加えて化学界の進歩で効果的な新しい薬剤が開発されて治療が飛躍的に進展した。
そこで心の病気を「脳の病気」一本として解釈しても治療効果が目に見えて向上した、ということなのであろう。
だから当初、「脳と心は一体である」という医学者の言葉を少々拮抗的に聞いていた私も、「まあまあ、そのくらい確信を持つのは可愛いじゃないか」と鷹揚な気分になったことであった。と言うのも、たとえば、会場で貰った資料にもこうあった。
「治療に際しては、脳に対して薬による直接的働きかけと共に、言葉によって心を通しての働きかけが重要である」(大分大学医学部永山治男教授)と。ここでは、はっきりと「心と脳とを分離」して考えているではないか。
他の教授連に「薬剤だけで立派に治療してみせる」と言うような楽天的発言もあるにはあったが、その元気の良さに私も好感を持てたくらいである。
私はこう思う。「言葉による働きかけ」ということは、中心的手法としてはカウンセリングをさすだろうし、又他の診察時や、ベッドサイドにおける医師の説明、何気ない会話などによる影響力をさすと考えて良いだろうと。
しかし尚かつ、この際、私の学んだことは、精神科の治療法としては、これまで以上に薬剤の処方を評価しても良いということであった。
たとえば肉体的外傷だったら尚更のこと、牧師の祈りを求める事を忘れて、まず整形科に行って手術等の治療を受ける信者の姿を責めたり嗤ったりするのは過酷であるということだ。
私は牧師としては、まず祈ることを常々勧める。事実、祈るだけで2、3時間で切り傷が癒されて肉質が食っついてしまい、離そうとしても離れなかった経験があるし、また最近のことだが、骨の裂傷に対して祈ってあげたところ、翌日にはレントゲン所見では完全に癒されていた、そういう例もあるのである。
しかし、だからと言って、明らかな骨折等の痛みに対して、祈ることも忘れ病院に駆け込む信者さんを責める気にはなれない。大抵、病院に向かう車の中で、あるいは病院の待ち合室に着いてから、喘ぐように祈っているかもしれないが、それで良いと思っている。
でも、私だったらもちろん、まず神様に癒しの祈りをささげ、それから医師の手にゆだねる。また訓練された良き医師に出会え、良き治療がなされるよう神様に祈る事も当然である。一般内科の病気だったら、私はまず、「み言葉により、悪霊どもを追い出し、病人を癒す」(マタイ8:16下)イエス様の方法を踏襲する事であろう。(後述記事参考)
*
第二は、やはり言葉による治療が必要であるということである、私は諸先生がたの講演を聞きながら思った。精神科の治療にあっては、その最初のきっかけにも、また最終的治療の完結時にも「言葉による治療」が必要であるということ。
欝病や、躁欝、パニック症候群、統合失調症(分裂症)、強迫神経症等、これらの病気の人々に対して、やはり良質のカウンセリングが必要である、また考え方を変えるよう説得しなけれならない、そういう言葉の必要性については、各先生がたに共通していたのである。
だから、牧師が臨床的に牧会的言辞や祈りを用いることを賢い医師だったら同意されるだろうと思った。更に牧師の祈りや慰めの言葉や説得の言葉をも、精神科医の治療用語と同じ効果を持つだろうと理解もし、また期待するだろうとも思った。ある病院では私の患者に対する「笑い」の指導を見て、「やあ、それはいいですねぇ」と褒めてくれた主治医すらいたのである。
言葉による治療法の一環として、今回の講演では、2人の講師が「認知療法」を推奨していたが、私も大いに共鳴した。
認知療法については私は僅かしか知らないが、私たちの信仰と、祈りによる治療と同一歩調を取れるところがあるように思えるのである。今回の発表資料の中の「認知療法」についての説明を以下に引用する。
「認知療法」の第一歩は「患者が自分の病相を正しく明確に認識する」ことである。事実を知ることを恐れないよう努めることだ。これは心理学療法でいうなら、森田療法に似ている。
身近な一例だが、私自身が青年時代ひどい体内緊張恐怖症(?)にかかった。しかも戦時中の刑務所の独房の中だったから環境は厳しい。しかし、まずイエス様の信仰を頂いた時、半分直ったように思えた。
その後、森田正馬博士の「神経衰弱とその療法」を読んで、その禅宗的自観法的、ありのままに生きる哲学風の悟りに私は全く共感して、そして実践的に座禅思考して全く解放されたことである。
「認知療法」の第二歩について、これ又当日の資料から拝借する。群馬大学大学院の三国雅彦教授が「欝病」に関して、こう言っている。
「抗欝薬療法に加えて、認知療法を並行して行うことが重要である。つまり、現実的な仕事の目標を設定し、『低空飛行でもよい』と考えて出来ることから一つずつ、見切り発車的に取りかかって貰う。『自分には何も出来ない』という考え方が欝病のもとだということを理解してもらう、云々」と。これは「行動療法」だと言えよう。聖書的に言えば、「行いにより、信仰が成就する」(ヤコブ3:23参照)と言うことに似ている。
これは、私が言いつづけていることで、方法論としてはほぼ同じことである。信仰において、私がひとえに強調するのは「信仰義認」が信仰の基本であり、又、全体だと言うことである。
しかし、それ以後の信仰の進歩拡充、強化拡大、深化聖化という段階において、私は魂(心・精神活動)の実技的自己訓練を推奨するのである。それが律法的行為主義的に見えて、純粋信仰として受け取れない牧師や神学者や信徒さんがたも居られるうことだろうとは思うのだが。
しかし、ここが大事なのです。気軽に楽天的に、信仰を伸ばす道、私の「ワッハッハハ」などもそれです。口で信仰の言葉を言って、千回繰り返しましょうなどと言うのは、律法的に見えて敬遠するクリスチャンの方々は否定したいかも知れない。しかしこれを実演(?)してご覧なさい。かならず、万事、うまく行きます。明るい楽しいクリスチャン人生を送ることが出来ます。
*
最後に言います。医師の皆さんは絶対、賛成しないかも知れませんが、ここが医学治療とは違うところ、つまり霊の世界のことです。信仰により、聖霊様を受け入れ、カリスマの信仰を持つことです。そして、悪霊の影響を追い払いなさい。悪霊はあなたから離れます。
悪霊が近づく時、「淋しい、暗い、憂欝、憎い、悲しい」等の思いが、あなたの心に侵入します。その気分劣化に気づいたら、即刻イエス様のお名前によって、「お前たち、私から離れ去れ」と命じるのです。この時、できるだけ口で声を出してはっきり言うべきです。悪霊どもは人の心を見抜けないのだろうかと思えるほど、心で命じてもさほど驚かないようです。悪霊学としては、この辺は私にはよく分かりせんが、とにかく、声に出しましょう。しかも、いかつい表情を悪霊に見せることです。こうしてあなたの心は明るくなります。
こうした時、5分なり、30分なり、4、5時間なり、時は1日、2日かかるにしても、諦めないで、弱気にならないで、信じ続けて(気楽に信じ、委ねて)待つことが秘訣です。
又,私のいつも申し上げる、自己命令法、自己説得法、ワッハッハと呵々大笑等、イメージを用いて、健康な肉体を冥想する。これらは、すべて有効です。こういう時、すべて言葉の活用ですね。言葉が大事です。
〔以下参考読み物〕一般的読みものとして、私の書いた小冊子「笑えば必ず幸福になる」と「だれでも出来る精神強化法」をちょうど良い手引書としてお勧めします。読むだけで実行も簡単です。また信仰的告白の入門書としては、私が10年ほど前、「恵みの雨」に連載した「告白の力」の抜粋コピーの冊子をお勧めします。いずれも頒価100円。(告白という言葉は、ここでは懺悔のことではなく、実践的目標達成のためのアファーメイション(確信発言)のことです。よくビジネスマンのための自己開発講習会などでやらされています。)信仰のための告白の実践には、旧著ですがT・L・オズボーンの「みことばの力」が良書。T・L・オズボーン先生は私の神癒の働きの導き手でもありました。告白の実践面については永井明先生や万代恒雄先生に見習ったこと多大です。かつては私は神経すぎるほど、「純・信仰のみ」派でした。実践力に弱かったのです。さて、一般書として書店にある本はは「自分を変える魔法の『口ぐせ』」等、佐藤富雄さんの類書をお勧めします。この先生は博士号を3つも持つ生化学者、栄養学者でもあります。また銀座まるかん主人斎藤一人(ひとり)さんの「千回の法則」等、面白いです。<く>
2003/11/16
(「日岡だより」第98号)
永遠の生命、栄光の生命
「わたしはよみがえりであり、命である。
わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
また生きていて、わたしを信じる者は、いつ
までも死なない。あなたはこれを信じるか」。
(ヨハネ福音書11:25、26)先週の主日礼拝は、かねてお知らせのとおり永眠者記念礼拝でありました。その生前を偲ぶ兄弟姉妹がたは26名の方々でした。その中には先週の本紙に書いた林ジュンさんのような方もいます。又、私(釘宮)の父・釘宮太重のように私以外だれも会ったことの無い人もいます。
しかし、いずれもこの教会にゆかりの人たちとして、特に私はそれぞれ印象深く覚えていますので心から祈りと賛美と愛を胸一杯に覚えて、この礼拝を司式したことでありました。
この永眠者祈念礼拝は昨年より始めました。長い間、私はこういうことに無頓着でした。ですから、クリスチャンの家族が残っているご家庭は良いのですが、残られたご遺族がクリスチャンでない場合、仏教のお寺さんのように過去帳によって親切に命日の仏事を営むかどうか問い合わせるようなことはないですから、キリスト教というところは不親切だなあとか、淋しいなあとか、そのように思っておられたのではないか、そんなことにやっと気がついたのです。
昨年も、普段は教会に来られないご遺族の方々も非常に喜んでくださったので、これからは毎年ずっと続けようと心をきめたわけでありました。今年はちょうど総選挙の投票日と重なって、お出でになりにくい方も多かったですが、しかし大変恵まれた礼拝になりました。ご遺族の方々に感謝します。
*
ところで、今回の礼拝で講壇に上がって語りかけてから、突然、脳裏に浮かんできた疑問がありまして、思わずそれを口にしてしまいましたが、「永眠者」という言葉自体についてです。 冒頭に掲げた聖書の言葉はイエス様の有名なお言葉です。それは主の愛する姉妹マルタとマリヤの弟であるラザロが死から甦るべきことを示唆される個所です。この聖書個所の初めのほうにマルタたちが弟の病気のことをイエス様に知らせる記事が載っています。その時、イエス様は「ラザロは眠っているよ」とおっしゃいました。弟子たちはそれを聞いて「眠っているのなら大丈夫ですね」と遠隔のユダヤでラザロの眠っている姿を主が透視されたのだと思って喜んだのです。イエス様にはそのくらいの奇蹟はしょっちゅうのことだったのでしょうね。
ところがイエス様は「いや、眠っているのじゃない。彼は死んだのだ」と言われました。イエス様には死んでいるラザロは丸見えでした。それからしかも、四日もガリラヤに長居されて、ユダヤに帰ってくるのです。
ここで注意したいのはイエス様は確かに「死んだ」ことを「眠った」と言っていることです。そう言えば、旧約聖書も新約聖書も、しばしば「死ぬ」ことを「眠る」と表現します。当然、「永遠に眠り続ける」人もいるはずです。しかし、イエス様を信じた人は「甦る」のです。冒頭のイエス様のお言葉をも一度挙げます。
「わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
*
そこで、私は「永眠者」という言葉に疑義をいだいたのです。来年からは、この言葉は使うまいと思ったことです。なぜなら、イエス様を信じるものは必ず甦るからです。すくなくとも、終わりの日によみがえります。そして神様の国で永遠に生きるのです。決して永遠に眠るのではありません。
パウロの信仰の言葉を聞きましょう。「兄弟たちよ、眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。……。イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をもイエスと一緒に導き出してくださるであろう」(第一テサロニケ4:13、14)。
そうです、私たちは永遠の栄光の国において先に召されて行った父母や、妻や夫と、息子や、娘たちと、また多くの主にある兄弟姉妹たちと再び会う日を信仰をもって待っているのです。
彼らは、天国に帰って日々賛美歌を歌って楽しく暮しているのでしょうか。それもすばらしいことです。しかし、更にすばらしい果敢な生涯を送っているはずだとヒルティという人は言いました。そうです。なすべき務めも学びも更に更にもっとあるはずです。それが神の国です。
クリスチャンにとって、死は天上の国への凱旋の門です。ところで、アダムにしろ、アブラハムやダビデにしろ、彼らは死んで後、陰府にいました。「えっ」と不思議に思われるでしょうか。ルカ16:19以下に意外なイエス様の証言があります。アブラハムは陰府にいたのです。しかし、今はもういません。
イエス様により新約の祝福の時代が来たからです。イエス様は十字架で死に、3日の間、墓にいました。ヘブル語では「墓」と「陰府」は同じ言葉です。イエス様は十字架で死なれて陰府に下ったということでもあるのです
イエス様は陰府で福音を説かれました(第一ペテロ3:19、4:6参照)。そしてエペソ4:8、9ではイエス様は陰府に下り、そこからとりこを捕らえて天に昇ったとあります。その天こそ、イエス様が十字架の上で隣の罪人に言われた「あなたは今日、私と共にパラダイスにあるであろう」(ルカ23:42)と約束された国、パウロが人の言い表せない国、パラダイスに引き上げられた(第二コリント12:4参照)と言っている場所に違いありません。
パラダイスは天国ではないと私は思います。そして罪人たちはまだ地下の陰府に残っていると信じます。イエス様の御心を我が心として、その陰府にいる罪人たちに、今も福音を伝えにゆく天使たちがいると私は信じます。また彼らのために地上の私たちも執り成しの祈りをしてはいけないでしょうか。私はその祈りは神様に喜ばれると信じています。 <く>
【 感 謝 】永眠者祈念礼拝にご出席の皆様に厚く御礼申し上げます。又、特別献金をささげて下さった方々に感謝申し上げます。ご献金は昨年も申し上げましたが、基金として残して今後、納骨堂等の準備金といたしたく存じます。目下、納骨堂建設委員会が実現に向かって模索中です。なお当日の礼拝式後の愛餐会では、故人たちの思い出の逸話や、またその信仰の証しなども語たられ、しんみりとしましたが、また楽しい時でもありました。来年もまた、佳き祈念礼拝を持ちたいと思います。来年は11月14日です。(釘宮牧師拝)
2003/11/9
(「日岡だより」第97号)
林ジュンさんの洗礼
1950(昭和25)年のことです。私の鶴崎伝道開始2年目です。今はもう天に帰っておられる林兄から突然電話があって、「姉が亡くなった」と言う。そして「ついては、姉の葬儀をキリスト教式でしたいんです」と。
「え?」と私が問い返すと「実はこういうことなんです」と、林兄は説明された。
「姉が死ぬ2、3日前のこと、『あんた、キリスト教やったなあ。どんな教えなのか、教えておくれ』と言うんです。そこで私は無い知恵をしぼって、一所懸命、先生から聞いていた聖書のお話をしてやったのです。そうしたら姉は、『なんだか、少(すこう)し分かったわ、おおきに』と言って、目をつむりました。そして眠りつづけて、今日死んだのです。こんな訳ですから、姉がはっきりイエス様を信じる信仰を持って死んだか、どうか、分かりませんが、私はどうか姉をイエス様のおそばに送りたいのです。そう思って先生にキリスト教の葬式をしていただこうと思ったのです」。
私は即座に承知した。どういう葬儀になるか心配だったけれど、私も林さん同様、この姉さんの霊をイエス様のもとにしっかりと送り届けたかったからである。
*
私の伝道生涯の出発は、この林兄の家で始まったのである。終戦後3年して、私は神様から「鶴崎に行けよ」というお言葉を頂いた。私は直ちに自転車を駈って大分市隣接の鶴崎町に行ったものである。
数日後、不思議に高等学校の事務官という職と、学校敷地内に格好の宿舎も与えられたのだが、そこへある日、林兄が現われて、誰からか私のことを聞いたと言って、ぜひ信仰を学びたいとお出になったのである。
まだ事務官の仕事をようやく覚えかけていた最中に、早くも向こうから求道者が飛び込んできたわけだから私は喜んだ。それに加えて、林さんの自宅はこの町の中心街にあった。そこで言わく、「私の家で集会をしてください」と言う。願ってもない話、さっそく日曜の礼拝集会をはじめた。なんと神様の手回しの良いことか。私が有頂天になったことも無理はない。
ところで話は戻って、当時の私は葬儀の司式は未経験だった。しかし気遅れもせず、いつものように林兄のお宅にあがった。毎週の集会の部屋に入ると、前もって私がお願いしてあったとおり、何の装飾もせず、召されたお姉さんの棺だけを正面に置いてあった。
ご親族や近所の方々が既に集まっている。皆さん、神妙な顔である。無理もない。何が起るやらと、好奇心と多少の不安の表情をたたえている。私は開式の声をあげた。
*
私は林兄から聞いたとおりに、お姉さんが林兄から信仰の話を聞き、「なんだか、少(すこう)し分かったわ、おおきに」と言って、そのまま眠って召されて行ったことを話した。そして、私は言葉を継いだ。
「私はこの林さんのお姉さん、林ジュンさんをクリスチャンとして天にお送りしたいと思います。ついては、このお姉さんを信仰の導いたのは弟さんにあたる林さんです。ご存じのように林さんはこのお宅をキリスト教の伝道所として毎週、供えてくださいました。もう洗礼を受けてもよい時期になっていたと思いますが、なぜか今日まで遅れていました。そこで、今日はみなさんの前で林さんにまず洗礼をさずけ、次に、なきがらになってはいますが、このお姉さんに洗礼をさずけたいと思います」。
こう言って、言葉をきると、会衆のなかに声の無いざわめきが起ったようでした。実は、この部屋に入って棺の前に座るまで、洗礼のことなど、私も少しも考えてはいなかったのです。式を始めた直後、「このお2人に洗礼をしよう」と思い始めたのです。ですから私は洗礼用具を持って来ていません。致しかたなく、台所から適当なガラスの器を借りてそれに水をつぎ、滴礼の洗礼式を執行しました。まず林さんから。そして、棺のふたをあけてお姉さんのお顔を拝見。その額に滴礼を施したわけです。
*
「死者のためにバプテスマを受ける」という言葉が聖書に出てきます。多分、信仰を告白したけれど、洗礼(バプテスマ)を受ける時間などの余裕がなかった人に対して、肉親や友が「身代わり洗礼」を受けたかもしれない、ということだろうと聖書学者の先生がたは言います。
それはそうだろうが、この時の私の洗礼は、いささか勇み足ではないかという批判もあるかと思われます。これは純粋に神学的に考えると難しい問題です。私がしろうと伝道者ならこそ出来た乱暴なことだったかもしれません。
でも、私は今でもこの洗礼式をしてよかったな、と思っています。
状況は違うけれども、先年、庄内の葬儀場でまだ信者でもない三ツ橋嗣哉君の葬儀を行った際、一般の仏教徒のみなさんがたくさん会葬してくださり、私のキリスト教の説教を聞いてくださったのでした。そして献花式の時、「皆さん、嗣哉君の救いのために神様への回向の祈りとして、献花を供えてくださいね」と叫んだことだったが、多くのかたが感激して「今日はすばらしい葬儀をみせてくださった」と葬儀社に電話があったそうです。ちょっとでも神の息がかかったならば、なんとか救いの道があるはずだ。その奇蹟を信じるのである。<く>
「わたしに願ったからこそ…」
イエス様の喩えに、王様が家来の負債を全部ゆるしてやる話があります。最後のところで、王様は、つまりイエス様はこう言われるのです。わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ」(マタイ18:31)と。
Sさんという女性に病院で初めて遭いました。すっかり弱っていらっして、酸素吸入をしていましたので驚きました。
彼女が私に言いました。「先生、私はなんにも善いことをしていない、駄目な女でした。こんな私は、死んだらどうなるのでしょうか」。
私はとっさに答えました。「Sさん、私と出会ったからには大丈夫ですよ。安心してください」。
そして、枕もとに近づいてこう言いました。
「Sさん、私は神様のしもべです。私と知り合った以上、大丈夫です。私が偉いのではありません。私が信じて、おすがりしている神様が偉いのです。神様はあなたの願いを知っておられます。あなたが過去のすべての罪を赦して頂いて、天国に行きたい、というその願いを知っておられますよ。大丈夫です。神様はあなたの願いを無駄にはしません。さあ、私と一緒に祈りましょう」。
そして、次のように私がお導きし、彼女にも一句一句あとに続いて祈って貰ったのです。驚いたことに、Sさんは子供のように素直に祈ってくれました。
「神様、私のこれまでのすべての失敗や、暗い思い出や、罪の数々、神様を尊ばず神様を袖にしていた罪を、イエス・キリスト様によってお赦しください。イエス様に私の一切を委ねます。私に永遠の生命をください。そして天国に迎え入れてください。この願いをお聞きください。そして又、今ここでイエス様によって、このベッドから立ち上がらせて下さい。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン」。
こうして私と一緒に祈り終わったSさんの顔は今先とは打って変わった平安なお顔で、微笑みすら浮かべていました。確かにSさんは永遠の生命を受けられたと私は信じました。彼女は神様の赦しを体験したのです。イエス様は言います。「わたしに願ったからこそ」……。
その後、Sさんはしばらく軽快したものの、残念ながら亡くなられたことを聞きました。その後、毎年クリスマス礼拝の日に、その弟さんが教会の玄関前に来られて、こっそりと信徒の一人に感謝献金を預けて帰って行かれるのでした。
(1996年11月29日の「テレホン聖書」より)
2003/11/2
(「日岡だより」第96号)
信仰によって義と認められる
「信仰によって義と認められる」、このことを「信仰義認」とか「義認信仰」とか呼びます。これについてパワー・プレイズの松岡欣也先生から、私にあててメールが入りました。
「毎週の『日岡だより』、楽しく読ませていただいています。いつも『そうだ! そうだ! 』と聖書の捉え方や歯切れのいい表現に爽やかさを覚えずにいられません! 僕は徹底して信仰義認派です。ウェスレーの「きよめ」も、元々信仰義認の再確認だったらしいですし、十字架で全て解決済みで、「きよめ」も「聖霊バプテスマ」も、その度毎に義認の深化、強化、拡大、再確認ではないかと個人的には考えています」。
この先生の言葉には前半、私の信仰表現に対する全面的受容と称賛がありまして、私も嬉しかったです。しかし後半の先生の述べられたところは驚くべき信仰宣言です。私はみぞおちに当て身を喰らったようでした。しかし、すぐ「これだ、これだ」と、私はこれまで私の足りないところが分かりました。先生は多分、「日岡だより」の第92号をお読みになり、特に印象を受けられたのでしょうが、私はよく言います。「信仰義認」は信仰の土台です。これなくては如何なる信仰も成り立たない、と。
しかし先生は言う、「信仰義認」は信仰のすべてであると。然り、私も改めて思った。「信仰義認」は信仰のすべてを覆う、と。信仰義認を深化、強化、拡大し、再確認し、再確認しつづける時、あらゆる教派の信仰の一致を可能ならしめるであろう、と。<く>
真理は一つ、神は一つ
キリスト新聞(03年10月18日付)に富岡幸一郎さんの「一神教批判に答える」という全面をつぶしての論文が出ていたので興味深く読んだ。
富岡幸一郎さんのお仕事には「内村鑑三」や「使徒的人間 カール・バルト」でお目にかかっているので期待して読んだ。
たしかに今なされている一神教批判がとかく国際抗争の政治問題とからめて取り沙汰されて、一神教そのものの宗教的リサーチがなされていないということについての不満は、その通りだと思う。
一番誤解を招くのは、今回のイラク攻撃におけるブッシュ大統領などの乱暴な言葉である。ご自身を誠実な模範的クリスチャンのように言うらしいのだが、その彼がイラクやフセインを敵と呼び、復讐するといい、そして自分たちの戦争は十字軍だという。
これでは梅原さんや山折さんたちがキリスト教こそ、今回の威圧的独断的な戦争観の原因だと思うのは無理もないと思う。しかし。これはキリスト教自体が、内にはらんでいる問題ではない。問題はアメリカ等、いわゆるキリスト教国と言われる国の身勝手なキリスト教解釈にある。
もう一つ、キリスト教が一神教である故に、ああした恫喝的戦争をおっぱじめるという誤解は旧約聖書の聖戦観にもあると思う。たしかに出エジプト記やヨシュア記にある原住民族殲滅戦争の記録にはクリスチャンでさえ目をそむけるだろう。あれを読んで快哉を叫ぶのは、何も知らぬ幼児の時から日曜学校で異邦人国家をやっつけた英雄物語を得々と聞かされたキリスト教国の人たちだけであろう。
これは、私たち戦前の日本の子どもたちが神武天皇御東征ものがたりで、天孫民族に仇なす未開の民を討ち滅ぼす物語にバンザイを叫んだのと似ている。今、70歳以上の人たちだったら、私も同様だが同じ思い出があるはずだ。
私の信頼したピーター島田先生はよく言った。「あのクルセードという宣教大会の名称は良くないですよ、あれは十字軍という言葉じゃないですか。あんな言葉をつかう人たちはユダヤ人問題をなんと考えているんでしょうね」。
十字軍による残虐なユダヤ人征伐(?)の話はよく知られている。これは日本人には分からないヨーロッパ人にひそむ優越感だろうと思う。
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さて、一神教のことだが、キリスト教神学に従えば、人間はもともと唯一つの神を信じていたのだ、それがアダムが罪を犯し、その子孫はその罪を継承して多神教に堕落してしまったのである。しかし、一般の西洋の宗教学では、人類が愚昧なときには多神教を信ずる憐れな宗教意識であったが、その後、キリスト教の宣教によって、一神教に目覚めてきたのであると説明するに違いない。
それらの事はともあれ、たとえ多神教を奉じる人たちであっても、真摯に真理を求めるとき、真理の特性の一つは独一性にあるから、まじめな求道者は真実な経典と真実な一人の教師、真理の体現者、真の救済者を求める。
法然は一切経の中から阿弥陀経を発見し、阿弥陀仏を救済者とした、それ以外の信心を雑行とした。日蓮は一切経の中から法華経を発見し、しかと誰かはわからぬが、久遠の仏を期待した。その他、大日如来等、太陽神、お光さん等々、いろいろと唯一者を尋ね求めてきたのである。
人は唯一者を求める。求め得なければ、抽象的、あるいは包括的唯一のサムシングを求める。それは最近しきりに唱伝される村上和雄教授の言われるサムシング・グレートなど良い例である。私は言う。村上さんの言う所は分かる。先生が誠実な方であることも分かる。「遺伝子の研究から、よくぞこまで言い切ってくださった、ありがとう、しかし先生、サムシング・グレートじゃ駄目です。グレート・ワンでなくちゃいけません」。
こうした人間の傾向は、宗教はともかく、政治や集団組織でも唯一の支配者を求める人間性の本音なのではないでしょうか。
大正時代、武者小路実篤は「人類の意志」と言った。ある人は「宇宙の心」「宇宙の秩序」などと言う。これを私は「包括的唯一者」と言うのです。「神仏」などと言いたくないインテリの人が言うのです。
しかり、人は王を求めるのです。(旧約聖書のサムエル記にそのことが出てきます)。会社では社長、国では王様、大統領、総理大臣。あるいはもっと権威ある存在、かつての共産主義国家では、スターリン、毛沢東、いまでは北朝鮮の将軍様、いやかつての共産党ではカール・マルクスだった。
ここで私はわが日本国のことを回顧したい。日本人の神観は八百万(やほよろず)の神だと言う。本当だろうか、日本人はみな知っている。あの八百万の神は我々と同じ人間だった。恋もし、喧嘩もし、賢い人や勇気ある人もいたが、愚かな人、悪人や気弱な人もいた。みな我々と変わらない人間であった。
そこで人々はそれだけでは、不満足になる。その不満足を偉い学者が出てきて代弁した。唯一者を捜し出して、唯一人のすばらしい神、それが天照大神であると。しかもそれだけではまだ足らない。目に見えない天の父なる神に代わってイエス様がこられるように、目に見える現人神(あらひとがみ)が現に居られるではないか。それが天皇である、と。
少なくとも、昭和10年代にはそのようにもてはやされ、時には昭和天皇も、自分は本当に神ではなかろうかと首をひねって思ったこともあったのではないか。だから、この方を戦時中はこのように申し上げた、「上御一人」と。
そして日本は「八紘一宇」、世界を一つの家のごとく治める。日本は世界の統一国であるというのである。
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だから、日本はかつて一神教の宗教国家であったと言える。天照大神直系の天皇の統治される皇国である。天地万物、樹上の木の葉一枚にやどる露すらも天皇の御稜威(みいつ)の顕れならぬはなし。そこまで言った人もいた。牧師の中にも天皇をキリストの代理者のようにあがめようとさえ言う人もいたが、名は忘れた。
東條首相がひきつったような声で、戦勝報告をラジオでしていたが、私は聞くのも嫌な声であった、しかし彼は小心な正直な人で、天皇から首相の大命を受けると、恐懼して明治神宮に行って打ち伏して加護を祈ったという。彼にとっては明治神宮は天照大神の代理者であったのである。
国が戦争をはじめ、国民の賛意と協力を必要とする時、国の支配者は国の道徳的立場を擁護し、かつ戦闘を守ってくれる唯一の神を必要とするのである。これは、正に偽物の神である。
真理を握る神はまさに唯一の筈である。なぜなら真理は一つであるから(支えてくれる実力者の意向に従って「人間宣言」もしなくてはならないような、はかない存在ではない)。国家、政治の都合に関係無く、世界の歴史を支配したもう方は唯一の神である。
つまり、一神教から戦争好きの国や民族が生まれるのではない。理論が逆さである。戦争をしたがる国やその民が一神教を作り出すのである。だから八百万の神の多神教の日本が大戦争を始めるとき、天皇を神様に持ち上げざるを得なかったのである。アメリカは新約の神を旧約時代の神様像に後戻りさせるのである。
もう一度言う。一神教が、独善的好戦国家を生むのではない。国が危険な戦争や、挙国一致的突破行動を起こそうとするとき、一神救的救護神を必要とするのである。
〔あとがき〕
富岡幸一郎氏は確か、内村鑑三の評伝を書いて、ミイラとリがミイラになったようにキリスト者になった人である。真摯な人柄が分かるというものである。書く姿勢も良い、私は好きだ。さて、本紙の私の「真理は一つ、神は一つ」を600字にまとめてキリスト新聞の03.11.1号「声」欄に投書しました。
尚、第1頁には松岡先生のメールをそのまま掲げて、私の所感も追記しています。「日岡だより」92号は「私の信仰の棚卸し」と題した一篇でしたが、読む人が読めば、私の覚悟も分かったと思う。野球とは違い、こういう信仰の言葉のやりとりでは、技巧もなくただ真剣に投げた直球を、力のかぎり打ち返して、大ホームランにしてくれる快感は、打たれた投手のほうにもこたえられない快感がある。本気で投げただけの甲斐があった。その快感が今、私の背筋を走る。
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