キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報とともに毎週発行する「日岡だより」)

2004年1月

2004/1/25

(「日岡だより」第108号)

主は生く、我も生く    

 旧師の手島先生はよく言いました。「主は生く、我も生く」と。この言葉は特に私の心に深く残っています。この「主は生く、我も生く」という言葉が一番ぴったりする聖書個所はヨハネの福音書14章19節の後半です。

  「わたしが生きるので、あなたがたも生きる…」

 昔、私の父が残してくれた家の敷地に水蜜桃の木があった。果汁がみずみずしく甘いおいしい桃の一種である。果が大きくなるころ、新聞紙で袋を作って果を包む。虫の予防であったのだろうか。ともかく子どもの私は、その果の熟するのを待ちかねたものです。

 イエス様は「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である」(ヨハネ15:5)と仰せになった。ぶどうの木の命は、その枝に伝わってぶどうの果を生み出させる。

 私たちはイエス様の弟子である。弟子は師のごとく成長するはずである。イエス様は言われた。「私はあなたがたの主であり師である。私はあなたがたの手本である」(ヨハネ13:14、15参照)と。だから私たちはイエス様が生きたように生きるはずなのである。

 前述のヨハネの福音書14章19節でイエス様が仰せられた「生きる」という言葉は永遠の生命をさす言葉である。それはただ単に時間的に長く生きる命というのではなく、イキイキした活力に満ちた生命をさす言葉である。

 果実の姿や形とその味わいと香りは、その木の命に由っている。同じように私たちクリスチャンの命とその生活ぶり、その香りは、イエス様の命に由来する。イエス様は言われる。

 「私が父なる神の命によって生きているように、私の生命を受け継ぐ弟子のお前たちは、当然私と同じように、この命で生きるのだよ」と。これは命令であるが、また約束だ。

 私たちはイエス様につながった枝として、水蜜桃やブドウの幹の枝のよう、神様の設計どおりにイエス様に似た果を結ぶ。ヨハネの福音書14章19節下の言葉を私は明治の元訳で、皆さんにさしあげたい。

  「我生くれば、なんじらも生きん」。

 この言葉は私の魂を回生させる。このみ言葉を拝承するとイエス様の命が直接私の魂に流入してくる思いがする。み言葉には人の魂を救う力がある(ヤコブ1:21b)。多くの人が誤解するが、ここでいう魂とは霊の事ではない。

 クリスチャンの霊は既にイエス様の十字架によって救われている。しかし、魂と呼ばれる精神活動においては、しばしば敗北しがちである。そういう人は案外多い。その人たちの魂(精神活動)を救い、これを活性化するのは、福音の力、み言葉の力しかない。

 聖書はもともと、すべて神の霊感を受けて書かれている(第二テモテ3:16参照)。ゆえに聖書の言葉にはキリストの命が隠されている。信仰をもって聖書のみ言葉を拝読し、告白し、身読していると私たちに不思議な変化が起こる。

 「主は生きておられる。私も生きる」。このみ言葉のみならず、次の言葉も私の特愛の告白である。「主は勝利者。私も勝利者です」。

 水蜜桃の虫をよける紙袋ではないが、私はまた、こう叫ぶ、「悪霊よ、私を離れされ。私は勝利者だ。憂欝心も小心も疑い心もお前の差し金だ。すべては出て行く」。まず、み言葉をもって悪霊を追い出し、そして病人をいやすのはイエス様が率先してされたことです(マタイ8:16参照)。すべてのことに、イエス様の手本があります。感謝! ハレルヤ! <く>

 

病気を癒す力(一)   

 肉体の癒しについては、金銭とか、物事に関する祈りとは違って、ややコツが異なります。「信仰が第一」と言えば、そのとおりですが、信仰の働かせ方に要領があるのです。

 まず「日岡だより」昨年の101号(12月7日) をお読み下さい。「人の体についての癒しの方法が3つある、自然治癒力、自己治癒力、神の治癒力である」とありますね。まず、

〔自然治癒力〕

 この自然治癒力によれば、信仰など無くても、待っていれば病気は自然に治ります。昔の謙遜な賢い医師は言いました。「病気や怪我を私が治すのではない。肉体には不思議な治癒力が備わっていて、私たち医師は医薬品や手術によって早く癒されるように応援はしますが、これを本当に治してくれるのは皆さんの肉体に宿っている自然治癒力なんですよ」と。

 私の初期の神癒伝道では、真剣に祈ってはいましたが、心の底で、どこかその自然治癒力を期待している所がありました。つまり、私は当の病人自身の心が安定し、自然治癒力が働きやすいようにと、聖書の言葉を使って励まし、信仰を昂揚させることを努力した傾向がありました。その結果、不思議に癒しがよく起こったものです。

 そんなことを繰り返しているうちに、全く奇蹟的としか言いようのない瞬間的な癒しも起こるようになりました。私は驚いて癒しの奇蹟を心から信ぜざるを得なくなったのです。

〔自己治癒力〕

 ある時、アメリカのある学者が自己治癒力という言葉を使っているのを見ました。なるほどこれは良い言葉だと感心しました。これは積極的に活用すべき洞察だと思いました。

 自分の病気を癒す力が自分に生れながらに備わっているのなら、その力を本気で意識して自分のために上手に使えば、もっと自然治癒力を効率的に、効果的に働かせる事が出来るはずだと気がついたのです。

 この辺をうまく説明してくれるのが筑波大学名誉教授の村上和雄教授です。村上教授は遺伝子の研究をしている内に、遺伝子の働きに超絶的とも言える病気に対する対応能力があって病気を癒すことが出来る、ということに気づきました。

 病人自身が積極的に病気に対して平安や、積極的信念や、楽天的思考、喜びやワッハッハと笑いの実践を継続すると、その心の持ち主には遺伝子の癒しの力がオンされて、治癒力が果然、旺盛になって治癒が進行する、と言うのです。

 この遺伝子が治癒を行うシステムは到底人間の知恵では及びもつかない思考能力によっている、この思考力の本体は神や仏と言ってもいいところだが、科学者としてどうも照れる。だからこの力をもたらすものを宇宙の意志と呼ぼうか、天地の法則と呼ぼうか、……それを村上教授はサムシング・グレートと呼んだのです。

 私は英語は不得意ですが、このサムシング・グレートという言葉を、私なりに「グレート・ワン」と換えて呼びたいと提案してます。率直に言えば、神様のことです。また、イエス・キリスト様のことです。

 自然治癒力とか、自己治癒力などと言いますが、それはすべて神様の治癒力の発露なのです。神様の治癒力が基本にあるからこそ、自然治癒力や自己治癒力が現れるのです。

           *

 分かってほしいことがあります。ご当人がまさしく病気であるのに関わらず、深く考えもせず、ただ朗らかな気分で呑気に日を過ごしている、そういう人の病気が自然に治ってしまう事が、よくあるのです。

 私の少年時代、私の家にどこから来たのか風来坊のような人がいましたが、その人があるとき脊髄カリエスになってしまいました。お医者に行って大きな石膏で作ったハリボテを背負って帰ってきました。しかし、「こんなややこしいもの、嫌だよ」と言って放り出していましたが、そのうちに病気は治ってしまいました。本当に呑気な元気のいい人でした。その性格が脊髄カリエスを追い出してしまったのだと、私は子ども心に思ったものです。

 これらは、すべて神様の潜在力です。たとえ信仰がなくても、そういう威勢のいい気分だけで、あるいは程度の低いご利益宗教の信仰でも、神社か寺院のお札のようなものを拝んだり、そこかしこの霊能者のお水を飲んだら風邪がなおったとか、かすみ目が治ったとか、そういう事が起こるのです。

 そんな奇蹟の噂を聞いて、クリスチャンが不思議がったり、その事実に腹を立てる必要はないのです。神様は善人の上にも悪人の上にも日を照らし、雨を降らします。ましてカトリックのルルドの聖泉などを不思議がることはないのです。

 ですから、すべての病気の治癒は、天地を作られた全能の神様の力による奇蹟です。更に私たち人間のがわが、明るい気分で、朗らかに、積極的に、病気など苦にしないで、楽天的に、神様を信じる信託の信念を持ち続けるならば(これは神様の神癒力に対する感謝協力です)、病気の治癒は更に見事に実現するであろうということです。ですから、

 クリスチャンはたとえ病気になっても、明るく病気を堪能して病床生活を送ってください。神様は必ずあなたを完全に癒してくださいます。それでは、聖書による「神癒」については、次号の本紙で述べます。 <く>

 

2004/1/18

(「日岡だより」第107号)

自衛隊派遣について   

 昨日の新聞では、第一面に「陸自先遣隊が出発」とありました。昔なら「出兵」とか「出征」とか言うところですが、「派遣」というのは、どこか威勢がよくないですね。

 イラクに自衛隊という軍隊を送るについて、どうも大義名分がない。国内に反対も多い。隊員諸君も威風堂々とは見送られにくい。小泉さんは無理にでも胸をはって見送り、自衛隊関係の人たちも「しっかりと義務を果たす覚悟は十分です」と口を揃えて言う。それ以外に言いようがないのでしょう。

 戦前、日の丸を振って「バンザイ、バンザイ」と歓呼の声に送られる兵隊さんのようには、成田空港ではできなかった風情、気の毒な自衛隊の皆さんに励ましの言葉を送りたいものです。

 小生が自衛隊の皆さんを励ますというのは妙なものですが、内村鑑三先生に倣って国の方針が決まったならば、黙ってその方針に従う、と言うほかはない。この問題はなかなか難しい。

 私なら自衛隊に入りもすまいし、無理やりに入らざるを得ない世代になれば、私はやはり国法に背いてでも入隊は拒否すると思うのだが、この現代であっても、やはり非国民、国賊の汚名を受けるだろうなあと思う。

         *

 それはさておき、その同じ新聞の囲み記事の中で嬉しい記事を拝見した。派遣要員の隊員の2人が真顔で話し合ったそうだ。

「むこうに行って、小さな女の子が近づいて来た、ピストルでも持っているかも知れん。撃てるかい、君?」

「おれは絶対撃てないなあ。笑って、こちらも近づいてゆくさ、その瞬間に撃たれて死ぬかも知れないねえ」

 見送りにきた自分の子どもたちを思いつつ、こういう会話が出たのであろうか。私はこの記事を読んで涙が出た。

 まだこの国に武士道が残っているという感じだ。こういう話題の中にも、「武士道とは死ぬことと見つけたり」という葉隠れの言葉を思い出すのである。

 昭和30年代、アダムスキーの「空飛ぶ円盤同乗記」の中で宇宙人が言っていた言葉、「宇宙空間に出て、どちらかが死なねばならない状況になった時、それを先に知った者が、先に死を選ぶ、これは私たちの常識です」。

 私は次の聖書の言葉を思い出した。「最も大いなるものは、愛である」(第一コリント13:3b)と。派遣される自衛隊員諸君、愛と勇気と規律を持って行ってください。

無名の救助者   

 西郷隆盛の言ったという有名な言葉があります。「金もいらぬ、命もいらぬ、名もいらぬ。そういう者でなければ、天下国家を共に論ずるに足らず」と。明治維新をほぼ無血革命に終わらせたのは、こういう人物があの大切な時期に存在したからでありましょう。

 西郷隆盛は遂には賊軍の親玉として城山のほとりで死ぬわけですが、誰も隆盛を悪くいう人も、憐れむ人もいません。第一、最後の西南戦争、西郷軍と戦う政府軍にこんな軍歌が歌われた。

 敵の大将たる者は
 古今無双の英雄で
 これに従うつわものは
 共に剽悍決死の……云々
    *剽悍(ひょうかん)・すばしこく強いこと。

 敵軍をこのように誉めちぎった例は世界に無いのではないか。これは元駐タイ大使岡崎久彦氏の「百年の遺産」という本で知ったことだが、更に岡崎さんはこうも言う。

「今に至るまで、日本人で西郷を惜しみこそすれ、誰一人西郷を憎み、そしる人はいません。日本人というものが、西欧人とも、また中国や韓国の人とも違う何らかのアイデンティティを持っているとすれば、「西郷を好きだ」ということは、その考える基準の一つになるかも知れません」と。

           *

 冒頭の西郷さんの言葉にもどりますが、「金もいらぬ、命もいらぬ、名もいらぬ。そういう者でなければ、天下国家を共に論ずるに足らず」という言葉。これは日本の武士道にもない言葉かもしれません。

 たしか新渡戸稲造の「武士道」にあったかもと思いますが、世界に有名な日本のサムライの切腹という自死の方法は名を惜しむところから生まれたと言います。名をはずかしめられた時、自らに死をくだすのです。民族によっては、「口惜しさ」のあまり、あるいは「面当て」に自死を選ぶ風習があることも聞いていますが、「名を惜しむ」(名誉)のために自死を選ぶ民族は、例がないかもしれません。しかし、西郷どんは「名も捨てる」という覚悟です。これは凄いです。

 先日、NHKの「その時、歴史は変わった」という番組で中国の孫文による辛亥革命を成功させるために日本人で無私の友情と正義感で応援した宮崎滔天などの名が出ましたが、その他に、私の初めて聞いた日本人の協力者の名前がありました。

 その人は梅屋庄吉と言います。特に資金的援助をしたようで、孫文の2回目か3回目の蜂起でしたか、資金が足らなくなって援助を電報で求めてきた時、彼は破産する覚悟で当時の金で30万なにがし送ったらしい。今の金で10億円を越える額だそうです。彼は映画会社「日活」の創始者です。その映画製作の儲けを投げ出したのです。破産必至の時に。

 その事実が最近やっと分かった。この梅屋さんの孫か、曾孫さんが、孫文さんからの電報や手紙など一切を発見して、そのことを公表したのです。なぜこれまで、公に知られなかったのか。梅屋さん本人がそれを秘したからです。

「自分がこのことをしたのは、名を残すためではない。ひとえに孫文に対する友情からである。私はかつて孫文に言った、『君は軍をあげよ、私は財をあげる』と。その約束を守っただけのこと。私のことは、すべて黙っておけ」、これが彼の遺言でした。

 こういう人物を日本が持っていたということを、私は誇りたいと思う。辛亥革命、のちに中国革命だが、孫文の奥さん宋慶齢はこの梅屋さんが仲人したのだと言う。宋慶齢は蒋介石の奥さん宋美齢の姉さん、後に中国共産党の毛沢東に招かれて副主席になった人です。現中国の建国にはこうした日本人が介在していることに刮目(かつもく)したいと思う。

           *

 私は「無名の助け手」と題して、先週の祈祷会で、これらの人物のことを紹介して説教させて頂いた。聖書を開くと有名な族長や王や預言者が出るが、また無名の働き手がそこかしこに出ることに注目したい。私の自分で気に入っている昔の説教に「我をしてその墓に入らしめよ」というのがある。

 列王紀上第13章のほぼ全編にわたって出て来る興味深い物語である。詳しくは皆さんが自分で読んでほしい。そこに出てくる「神の人」とか、「老いたる預言者」とか、日本の能狂言のように無名の特異な人物が舞台を通り過ぎてゆく。聖書解釈者を多分に困らせる訳の分からないところのある事件である。

 同じく列王紀を開くと、その下の第13章5節に「主はひとりの救助者をイスラエルに賜った」とある。そしてスリヤの王から悩まされていた苦しみから国民は解放されるのである。この救助者がどういう人なのか、まったく分からない。

 しかし、救助者という名は、私たち新約の時代のクリスチャンたちにとっては、慕わしい名前である。それはイエス様が約束された「助け主」(ヨハネ15:26参照)である。これはギリシャ語でパラクレートス、「そばに立つ者」の意味です。「助け主」の「主」という尊称は日本語訳で特別につけたのであって、本当は簡単に「助け手」である。つまり無名です。

 よく考えると、神様の御名は旧文語訳で「エホバ」、現代の学者は「ヤハウェ」ではなかろうか、と推察しています。旧約聖書でこの旧文語訳「エホバ」を「主」と変えてしまったことに私は問題を感じています。ともあれ、私たちは神様を「神様」と呼び、「主」あるいは「主様」とお呼びすることは良いことです。しかし、また「イエス様」とか「エホバ様」とかお呼びすることも、更に良いことだと私は思うのです。「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」(ローマ10:13)とあるとおり。

 とは言え、「イエス様を主と呼びまつる」ことができるのは聖霊の働きによるのです(第二コリント12:3参照)。この聖霊様は、言わば無名の方であることに注意したいのです。かつては聖霊様はクリスチャンたちにもなかなか人格として認識されませんでした。今でもエホバの証人などは聖霊様を神の感化力と断じています。私どもの教会でも、聖霊様と「様」をつけてお呼びしはじめたのは20年ほど前からのことです。それまでは「聖霊」と呼び捨てでした。

 聖霊様は謙遜な方です。ご自分の名を表わされません。そして人々に、またすべてのクリスチャンに信仰を与え、信仰を強化し、信仰を深化させる重大なお務めを、聖霊様はお果たしになるのです。皆さん、ここで、声を大きくして、

 聖霊様を賛美しましょう。聖霊様をお呼びしましょう。聖霊様にあなたの中に入って頂きましょう。そして火のように燃えて頂きましょう。聖霊様、火となって燃えて下さい。<く>

 

2004/1/11

(「日岡だより」第106号)

2004年を迎えて    

 2004年と呼べば、「西暦」の呼びかたです。西洋式歴年ということです。敢えて言えば、もしそういう意味で2004年と唱えるのなら、私は標記の題字を「平成16年を迎えて」と書いたはずです。

 私にとっては、またすべてのクリスチャンにとっては、2004年とはキリスト生誕2004年のことなのである、だから私はまぎらわしいようですが、聖暦2004年と書きます。(どう違うか、文字をよく見てください)。

 私は日本人であり、日本国と日本民族を愛する。しかし、またイエス・キリスト様を愛する。「どちらを、他より多く愛するかと言われると返答に窮する」と告白したのは内村鑑三先生でありました。

 先生は2つのJと呼んだ、2つの特愛のJである、つまりJesus とJapan である。内村先生の有名な墓碑銘は先生がまだ若き日、アメリカ留学中にご自身の聖書の表紙裏に書つけてあったものと言われている。言わく、

  I for Japan;      「我は日本のため、
  Japan for the World;  日本は世界のため、
  The World for Christ;  世界はキリストのため
  And All for God.    すべては神のため」。

 私自身の正直な本音を明かすと、私の意志としてはキリスト様を最高に愛する。しかし、感情として、どうも叱られそうだが、日本を最高に愛する。「えッ、ほんとうかい」と問われれば、あわてて「いやいや、イエス様です」と言い直すことであろう。「おや、キリスト様ではないの」と聞かれると、「いや、キリスト様はちょっと怖い」と答えるかもしれない。これが私の本心である。神学問答ではない。問い詰められると無秩序にそんな答えをしそうである。

 横道にそれた。話の本筋は年号、いや時代相である。私は大正生まれだが、人生の殆どは昭和で過ごした。私の平均的な気分や習慣は昭和人間だろうと思う。しかし、性質は大正人間である。大正リベラリズムの無責任な文化人気質である。

 しかし、気張って意志的に生きようとすると、明治人の気質がもたげてくる。いや江戸期までもどってサムライ気風というか、武士道と石田梅岩の心学を混ぜたような生き方、気位が浮かび上がってきそうな気がする。

         *

 明治維新の西郷隆盛等が代表する傑出日本人の群像を生み出したのは、前記の武士道であったろうか。江戸期の文武教育の質の良さに目を開こう。引き続く明治後期の日本人の気風は、あの西郷隆盛たちの時代の人々が生み、かつ育てた子どもたちである。

 この流儀で推論すると、大正の腰の弱い浮かれた連中を生んだのは、日露戦争で勝って驕って気合を抜いた親父さんたちだと言える。しかし、その反動で日露戦争の生き残りが皇国主義を打ち出し、戦争と領土拡張意欲を鼓吹(こすい)した昭和になる。それは結局、国土と廃虚と産業の破壊をもたらす敗戦を招いた。

 その敗戦で、昭和前期の父ちゃんたちは、がっかり気落ちする。そして平和主義に溺れて子育てもホドホドにしか出来なかった。それ以後、戦後3代にわたる子育て無責任が現代の無謀な若者を生んだ。ただし、演芸や遊びは上手である。

 でも、敗戦の遺産の良さも無くはない。負けたとはいえ、かつての日本軍は強かった。規律も良かった。アジアを白人支配から解放したのは日本の大東亜戦争であったことは疑いなきことである。負けても強かった戦争は良き影響を残す。

 さらにアジア各国に戦後の賠償を良心的に果たした結果は、各地に先行投資を行ったことになり、アジア各国への貿易亢進は群を抜いたし、またその国々発展させたのである。

            *

 戦後の天皇の人間宣言と平和憲法はGHQの押しつけであると、多くの日本人が信じているが、これは誤解である。これは日本側、当時の首相は幣原喜重郎氏であったが、彼からの申し出であったらしい。少なくともマッカーサー側がそのように仕組んだと思える。あるいは事実、幣原首相の窮余の一策であったかも、ともあれ幣原の望んだことであった。

 それは何故か? 天皇制護持のためである。この記録は何も残っていないが、幣原首相が昭和天皇に「軍備放棄の憲法、こうしておけばどこの国も文句言えません」と説得したという話を私は聞いたことがある。

 また、この案文を幣原さんが持って行ったら、マッカーサーがびっくりし、感涙したという伝聞もある。多分これはマッカーサー自身の口から出たことではなかろうか。

 「昔の日本は良かった、教育勅語があったからだ」という人が時々いる。教育勅語は明治23年10月30日に発布された。私たちの時代の日本人は皆この時の日付は覚えているだろう。とにかく「御名御璽、明治23年10月30日」と校長先生が読み上げると、みんなは洟をすすり上げ、顔を上げるのだった。戦前の小学校の紀元節等の日の式の模様だ。

 しかし、考えてみると、教育勅語でも出さねばならぬほど、国民の思想や生きざまに問題があったのであろうかと思う。時は明治憲法発布の翌年である。憲法発布は却って国民を不安にさせ、いらだたせたのかも知れない。

 そう言えば、大正になって、たしか「国民精神作興に関する詔書」が発布されている。詔書というのは勅語よりは格が落ちるのだと思うが、それは大正天皇が病弱で昭和天皇が当時皇太子として政務を代理しておられた、つまり摂政の宮であったからかも知れない。ともあれ、大正の民情が退廃した時代の国家の最高権威者からのご心配、ご注意というか、おさとしというか、またご訓戒と言ってもよかろう。

 この勅語や詔書は憲法にも法律にも規定がない。天皇の立場からの臣民(!)への公開私信であると言ってよい。よく考えると甚だ超法的文書である。いざという時、あらゆる権威をさしおいて国を動かすことができる力を発揮するのである。あの終戦の玉音放送が、まさにそれであった。

 これらの勅語や詔書の渙発(かんぱつ)は、それを必要とせざるを得ないような国民精神の低下、混乱が見られ、危機にさしかかっていたということであろう。日本における天皇の存在感は見逃せない。

           *

 さて私の言いたいのは、現代、日本国民のものの考え方や、道徳的感覚が極度に低下し、ほとんど崩壊しかけているとも言えることである。子が親を殺し、親が子を殺し、憎しみも損得も関係もない他人や幼児を簡単に殺す。こうした現代人には、今更、天皇様から勅語をお出しになっても馬耳東風でしょう。そのくらいのことで国民の目は醒めますまい。今、必要なのは一人一人の心魂に徹する神の言葉です。

 「悔い改めよ」、かつてバプテスマのヨハネが荒野で叫び、イエス様が湖畔で、神殿で叫ばれた、そのお言葉、人の肺腑をつく福音の言葉が必要です。この国の国民の良心をくだき、まことの悔い改めを来たらせ、キリストの十字架の血潮による根本的人間革命を体験し、聖霊による意志力と聖化された感情と、霊的能力の付与を得て、この民族がトータルに爆発的な意識変革を持つに至ることが、今こそ必要です。

 これは、日本人の持っている特質、長所を払い捨てて新しい異質の人間タイプを造ろうというのではない。この日本人の特質、長所はこうして造られてきたのです。それは儒教によって鍛えられた峻烈な武士道、石田梅岩流の心学による庶民道徳のけなげさ、古代より伝わる霊的な素質、仏教的自然髄順と感謝の風俗、こうした日本人の魂の美徳長所は世界の識者たちがひとしく称賛する所です。

 この美徳長所の上に、パウロが言うようにキリストの福音を接ぎ木をするならば、如何に崇高なる国民精神が出来上がることでしょう。明治のクリスチャンはサムライ精神にキリストの魂を接ぎ木した人たちであったのです。

 矢内原忠雄先生はこの日本を愛するあまり、「日本よ、滅びよ……」などと、改造か中央公論だったか、書いたばかりに東大を追われた。あの皇本主義、戦争賛美が高まる時期に、そんな事を書く先生はバカだっただろうか、心卑しき人々はこの愛国者の意図も明らかな逆説の真意を故意に無視して、「あいつは非国民だ」と言って学界から村八分にした。

 バカで良い。いざという時、バカになって時流にさからってでも、真理を問え、真理を語れ。真理に生きよ。日本人クリスチャンよ、今、その覚悟が問われている。非常時だろうと、平和時だろうと、家庭でも、近所付き合いでも、職場で、あらゆる社会の一隅で、また組合で、政治団体で、それが問われるのです。

 昔、マルクスは「労働者よ、立ち上がれ」と言った。今、教会では「クリスチャンよ、立ち上がれ」と言わずばなるまい。「暗い所で聞いたことを明るみで言いなさい」(マタイ10:27参照)。


〔新年のご挨拶〕
多くの方々から、新年のご祝詞を頂きました。本誌の読者の皆さんには原則として、ご返事の賀状を出しませんのでご了赦ください。読者以外のかたがたに以下のような賀状を送りました。ご参考にお読み下さい。この文中の感想は前述の私の文章と重複するところもあると思います。「年賀状いただき感謝です。新年おめでとうございます。今年も3日間、ハウステンボスに行って来ました。あの広大で清潔な施設を見て、その中にわずかの日数ですが、棲ませてもらうことは本当に幸福です。一種のインスピレーションを感じます。▼この施設の創設者のたった一人の人物の頭脳から、あのような素晴らしい何万坪の世界が造りだせたということは凄いです。非常に私は励まされました。願わくば私も神様によって、これに匹敵するような何ものかを造り出させて頂けないかと願ったことです。▼例年のように、終日あの森の中の白鳥の池のそばのビレッジにこもって、今回は特に中西輝政氏の「国民の文明史」を読みましたが、大いに興奮させられました。若い時シュペングラーやトインビーを読んだ時の衝撃も比較になりません。▼私は日本国の文明というものに、この著書によるほど感銘したことはありません。そして日本という国をキリストの福音によって更に文明の新天地を創出できないか。日本民族の総福音化によって、如何に霊的に麗しく躍動的な日本列島楽園の形成が出来ないかと、夢を抱いたことでした。今年もよろしく、釘宮義人拝。

〔紹介〕
産経新聞にチョー・ヨンギ先生のエッセイが毎週土曜日に出ますが、昨日の記事では江本勝氏の「水」の本のことを書かれていました。先週の本誌で「雲を消す」私の経験を書きましたが、この本のことも書き添えておきたかったのでした。「水は人の思いを記憶する」という前代未聞の江本勝さんの研究です。私たちが病気の人のため祈る時、人の体の70パーセントは水です。この水が私どもの祈りの霊気を受けて記憶し、病気を癒す力を働かせるのは当然だと思います。他にももちろん神様の御力の働く領域は多々あると思いますが、またこの水の領域で病気を癒すこうしたメカニズムがあるのだということが、これでも十分に理解でます。あらゆる領域で神様は働いて下さる方ですね。ハレルヤ! <く>

 

2004/1/4

(「日岡だより」第105号)

神の信仰を持て   

 あなたは、この年に何を求めるか。
 あなたは、この年に何をしたいか。
 あなたは、今こそ、神の約束を信じなさい。

 ユダヤ教やキリスト教は契約の宗教だと言われる。旧新約聖書を英語ではOld TestamentまたNew Testament と呼ぶ。Testament とは契約という意味である。契約というより、正確には遺言(書)のことである。

 遺言は本人の死をもって、その効力を発する。イエス様の「人類救済」のご約束は、イエス様の死をもって、その効力を達成する。だからイエス様のみ言葉はすべてイエス様の遺言であると説明すれば分かりやすい。ヘブル人への手紙9:15、16を読んでください。

 先にも書いたように、ユダヤ教やキリスト教は契約の宗教だとよく言われる。契約と言うと、日本人は、紙に書いて判を押した契約書を思い出す。何だか他人行儀な冷たい間柄を連想させる。そこでキリスト教は神との契約宗教であって、堅苦しい宗教であると、批判されることが多い。

 しかし聖書をよく読んでみると神もしくはキリストとの契約とは、実は神様の側からの一方的な契約の主張なのである。そのことをもう一度、ヘブル人への手紙に聞こう。そのヘブル6:13〜14、またその後を読んでほしい。

 これは、神様にしろ、イエス様にしろ、「私はお前たちにこれこれの事を誓う。お前たちが私の差し出した約束に忠実に従い、あるいは私を信じるなら、私はお前たちを救う」という約束である。

 神様の側から、ただ一方的に差し出した契約であるから、これは「恩寵」と言っても良い。恵みである。私たちの救われるのは、実に恵みより、信仰によるのである(エペソ2:8参照)。

         *

 この神様の側からの一方的恵みの契約(誓い)を私たちが信仰をもって受け取るとき、それは何物をもって打ち崩そうとしても、破ろうとしても、金輪際破れない剛力な約束となる。私たちの永遠の生命への救いの聖書の宣言は、宇宙の中心柱としての憲法である。言わく、

 「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じるものがひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。

 この原則は他のお約束のお言葉にも当てはまる。「求めよ、さらば与えられん」(マタイ7:7文語訳)、未信者でも知っている有名な言葉である。しばしばクリスチャンが未信者から冷笑気味にこの言葉を投げかけられることがある。「本当にそんなこと、うまく行くかなあ」、こうした冷笑を跳ね返せる実力を多くのクリスチャンが持ってほしい。

 更に癒しや、その他のいちじるしいお約束がある。言わく、「信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し。新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」(マルコ16:17、18)と。不朽のお言葉である。

 私自身の経験を言えば、私は正規の教育も訓練も受けずに、伝道戦線に乗り出した。真っ先にやったことは、「空の鳥を見よ、野の花を見よ。蒔くことも刈ることもせず、働くことも紡ぐこともしない。あなたがたは食うことにも着ることにも思いわずらうな」。あるいは「福音を語る者は福音によってパンを得べし」、こういう言葉を、まともに信じて生活に活かすことだった。(マタイ6:25〜34参照)。

 ここで逸話を挿入する。私の伝道の初期、私は20歳台だったが、妻は家庭を守る時、暇で困った。私は集会伝道を主にやって訪問伝道をあまりしなかった。これは自慢ではない。私は人見知りするほうだから、求道者が来てくれるのを待っているほうが楽だったのである。戦後、キリスト教が好奇心を持たれた頃で、そういうことが可能だったとも言える。

 妻は赤ん坊を抱いて、家の中で所在なかった。片付けるほどの家具はない。ご馳走を作るほどの食材もない。遊びに出るほどの金もない。アルバイトに出ようとすると、私が反対する。「伝道者は生活も神様に守られている。金が無ければ飯が食えないと言うのは迷信だ」などと日ごろ言っている私の女房がアルバイトに出るなど、けしからん。神様に申し訳ない、恥ずかしいではないか。というのが理由である。

 私たちは2階に住んでいたので、窓のガラス戸が広くて、空がよく見える。いつしか妻は空を眺め、流れる雲を送り迎えする事が多くなった。そしてついに雲相手の遊びが始まった。雲に「消えよ」と頼むと雲が消え、雲に「増えよ」と命じると雲が増えはじめたのである。こんな事をしていると言えば、夫に叱られると思ったから黙っていたそうである。

 ニューエイジの人たちの間では、時々雲を消してみせる人がいると聞いたことがある(最近はそういう超能力者が出演するテレビも見たが)、私もちょっと興味を抱いて、小さな雲の一切れに「雲さん、消えよ」と命令してみたら、しばらくして、消えるではないか。私は驚嘆して何度か試みた。その後なんどもやって、もう当然のことになってしまった。旅先のホテルや、電車や船の窓から雲を消して遊んでいるくらいのことである。

 ところでこの事を自慢げに妻に話したら、なんと、「そうなのよね」と。とっくにやっているという返事。しかも「思っただけで、雲さん増えるのよね」と言うではないか。私はまだ雲が増えてくれるとは知らなかった。

 自慢咄に見えるだろうが、私は実は少々真面目に考えているのである。雲は水蒸気である。水は不思議な物質のようである。「真理を証しするものが3つある。霊と水と血とである。この3つのものは一致する」と聖書に尾あるではないか(第一ヨハネ5:6、7)。尤も、これらのことを必要以上に吹聴する気は無い。福音の中心テーマとは言えないから。

 当時の私たちには必要以上の金も物もなかった。しかし、貧しくもなかった。そして神様のユーモアで生きていたのだ。そんなことを、ここで書いてみたかったのです。事実、雲を幾ら消してみても何の得にもならないし、格別損にもならない。ともあれ、私たちをタダで遊ばせてくれる神様のユーモアだったと思う。イエス様も世に出る日までは、ナザレでこんな雲消しでもして遊んでおられたかも知れませんね。

 信仰とは神の約束を信じることである。そして神様の約束に乗っかって、これを信じる時、私たちに神の契約の成就、奇蹟と不思議を体験する人生が始まるのです。

 神の約束を信じ、神様の約束に乗っかると言う真意は、私たちのほうから逆に聖書の言葉を口にし、それを宣言し、またそれを期待し、求め、望むところの物や事態を、神様に大胆に要求するということなのです。

 日本語には丁寧で慇懃な「お願い言葉」が多い。これが、面白くない結果を生むことがある。あまり長い間「お願い言葉」を使って祈っていると、しまいには自分の「不足、不満足」を自己確認することになってしまい、逆の心理効果を受けることになりやすい。

 たとえば、30年間にもわたって「私の夫はだめです。夫を変えてください。この夫は聖霊不感症でしょうか」などと祈っていると、その「夫はだめです云々」という言葉の印象だけが30年間も心に蓄積されて、ますます夫をキリスト教嫌いにする波及効果を生むことになる、そういうことが起こりやすいのです。

 だから、お願い言葉、私は「おねだり言葉」と呼んでいるが、おねだり言葉に替えて、もっと確固たる大胆な言葉で宣言するんです。それが、マルコ11:22〜24のイエス様の方法です、これをイエス様は「神の信仰」と言って居られます。「神を信じなさい」という日本語聖書の翻訳は誤りです。私はギリシャ語はしろうとですから、大上段を構えては言いにくいのですが、ここは「神の信仰を持て」と訳すべきだと信じています。

 英語でも数は少ないのですが、 "Have the Faith of God" と訳してある聖書があります。出来ることなら "Have the God's Faith" と訳したいところです。原語では「神の」という言葉が属格(所有格)になっているからです。

 言わば、「神様一流の信仰の用法」と言いましょうか、神様が創世記において天地を造られた時、「光あれ」というように、言葉をもって創造されました。また人を造る時には「神様ご自身の形に、かたどって造られた」と聖書にあります。神様は「コトバとイメージ」によって創造の業をされた、ということです。

 なお、マルコ11:23〜25は信仰による祈りについてのイエス様の重要な教え(マニュアル)です。いつか又、書き足しましょう。<く>

 

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