キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報とともに毎週発行する「日岡だより」)

2004年5月

2004/5/30

(「日岡だより」第126号)

現代の大衆成功哲学   

 かつて2人の女性から、「ジョセフ・マーフィーの本を読んだけれども、どうもよく分からない。先生はマーフィーをどう思われますか」というような質問を受けたことがある。

 ジョセフ・マーフィーの有名な「眠りながら成功する」という本の初版は昭和43年に出ている。20日もせずに第2版が出ているから、当初から大変売れた本であろう。

 その後、マーフィーの本は日本でも10冊は出ていると思う。どれこれも似たようなものであるが、こういう本は、ちょっとした言い回しや例話の一つが大いに感動を与えることがある、次々に出版される原因であろう。私も6、7冊は持っているが、ちょっとでも役にたつ言葉があれば、私のような牧師をしている者には有益だから、つい買ってしまう。

 たとえば、こんな言葉がある。

「鉄片に磁気を帯びさせると、その鉄片は自分の10倍もある重さの鉄材を持ち上げることができます。しかし磁気が抜けると、同じ鉄片であるのに軽い羽毛ほどの重さのものも引き付けることが出来ない。同様に一種の磁気を帯びた人間は自信と信念に溢れ、勝利と成功を獲得し、周りの人を引き付けます。あなたもこの磁気を帯びた人になれるんです」。

 と言った塩梅です。こうした言葉は人に勇気や希望を与えます。「俺もやってみよう」と思わせます。こうした本のよいところです。だから、私もこうした本を信徒諸兄姉に推薦することがあります。ただし欠陥があります。危険もあります。批判を薄めて言えば、多少の浅薄さとも言えましょう。

           *

 多少の浅薄さというのは、まずその潜在意識論です。「潜在意識は神と同じである」とマーフィーは言いますが、それこそ重大な謬りであり、危険です。

*潜在意識の世界を学問的に開いたのは言うまでもなくフロイトですが、その他、思想家としてエマーソン、哲学者としてウイリアム・ゼームスを忘れてはなりません。彼らはいずれも20世紀の初頭に現われたのです。20世紀は見えない世界を科学に持ちこんだ驚嘆すべき世紀でした(レントゲン線や無線電信など……)。

           *

 こうした基礎のもとにアメリカに発生したのがプラグマチズム的大衆実践心理学「成功哲学」であったと私は思うのです。

 同じ傾向の本では、私が知っている範囲で最も古いのは、生長の家の創始者谷口雅春氏が触発されたホームズという人の「心の創造活動の法則」という本です。この本で生長の家は始まったと言ってよいのではないでしょうか。これは少なくとも大正13年(1924年)より以前のことらしい。

 こうした思想の特長は明るい楽天的な積極思考法です。生長の家式に言えば「光明思想」ですが、アメリカではニューソートと呼びます。エディ夫人のクリスチャン・サイエンスに源流があるかも知れません。キリストの生活を模倣して清く明るく生きていれば病気などするはずはない。罪も病気も迷いである。真理を悟れば罪も病気も無い、というような教えであったかと思います。

 このニューソートの思想は繰り返し繰り返し、アメリカには輩出する。その余波が日本にもとうとうと襲ってやって来ました。

           *

 私は昭和15年頃、ダイヤモンド社から出た本だったでしょうか、ナポレオン・ヒルの「如何にして成功するか」と言った内容の本を読みました。私はこういう本に初めてふれ、興奮しました。私はこの本で初めてコカコーラの成功物語を読み、コカコーラとはどんな飲み物か、あこがれたものです。

 戦後に出版され、一世を風靡したのがブリストルの「信念の魔術」です。キリスト教界ではノーマン・ヴィンセント・ピールの「積極的考えかたの力」。その後、雨後の筍のように類書が出てきますが、私が特に好きだった本はF・ベイルズの「信念―幸福な生活を生む力」でした。そのちょっと後で、最も注目すべき人はマクスウェル・マルツだったでしょう。いわゆる「サイコサバネティクス」(彼の造語)による自我像の改善という新しい考え方でした。最初の本は学術書みたいな難しい本でした。「自我像(セルフイメージ)」という言葉は、この本から流布され始めたと思います。

 さてキリスト教界とニューソートという問題にもう一度触れます。ノーマン・ヴィンセント・ピールの「積極的思考法」は福音ではないと決めつけ、彼がキリスト教の牧師であり聖書の言葉をもって、あたかもこれがキリストの福音であるかのごとく説くことに反感と困惑の思いを抱いた牧師は多かったでしょう。しかし、牧会的には落ち込んだ信徒を励ますとき、この本は引用するのにとても便利がよい。それも、困惑の原因の一つであったわけです。

 これらニューソートの考え方を大胆に取り上げ、福音の教えの中に取り入れ、同化し練り上げて上手に使った一人がチョウヨンギ先生だったでしょう。その功績は大きい。

           *

 さて「マーフィー等の大衆実践哲学」について、もう一度、福音信仰の面から、その問題点を突いておきたい。次の3点をあげてみます。

 (1)キリスト教の神観を、宇宙意識とか宇宙秩序といった哲学のレベルに引きずり落してしまうこと。神の人格性が薄れてしまうのです。

 (2)特に人間の罪についての認識が低い。人間の罪を甘い物差しで量り、これを大したことはないとする甘い罪観念は非聖書的です。

 (3)彼らは潜在意識を高く評価する。しかし、心の深みはまだまだ詮索しきれない分野だ。もっともっと心の深みまで降りて行って、人間の心と神の意識とのチャンネルは如何になっているのか等、心理学的に、また霊的に深く追及すべきである。

 彼らが潜在意識と神とを同等に扱う時、その罪観念の浅さと相まって、人間の強引な欲望からくる成功意欲により悪行を積み重ねて世俗的に成功する人物、たとえば古代の専制君主やヒットラーのような人間性を説明できないのである。

 人には神のごとき聖さを実現したいという意欲がある、これはある人々にとっては成功意欲より強いと思う。そして聖化願望が強ければ強いほど、自分の汚れや罪深さに気づくというパラドクッスが起こる。この矛盾をいかにして超克するか。この聖化願望と罪責感の相剋を越えるにはキリストの十字架の福音のほか解決の道は無い。浅薄なヒューマニズムに依って、この相剋の断崖峡谷を見ないふりをして過ぎ行こうとするところにニューソートの人たちの謬りがあると思う。

*人の潜在意識にはふんだんに肉欲や私心の泥水が流れこむ。それは人の良心に悲鳴を上げさせる。死ぬ外はない深刻な罪意識を与える。私の親友荒巻保行の死がこれだった。奥山実生は芥川龍之介の死がそれだと指摘する(「芥川龍之介−愛と絶望の狭間にて」マルコーシュ・パブリケーション発行)。我が友は言う。「私の死によって私の罪が無くなるとは思えない。しかし私は一刻も早く私の罪の命にピリオドを打ちたいのだ」。当時彼も私も19歳。私は彼から与えられたその遺書を抱いて一夜泣きあかした。そして私は文学を捨ててキリストの救いを求めて苦悶した。救いはそれから3年たって1922年、福岡刑務所の独房で与えられることになる。

 人の最も深い深層意識ないし神層意識にまで、魂のチャンネルが伸びるというか、そこまで神の恩寵の手が伸びて、その聖なる力に触れるというか、そうして人の霊は根本から変化させられ、強化され、賢くされ、清くされ、栄光に満たされる。それがイエス・キリストの福音の力である。

           *

 キリスト教の信仰によりニューソートの考え方を完全に自家薬篭中のものにしてしまうと、どういうことになるか。

 第一はニューソート特有の楽天的肯定的積極的思考法を聖書思考の枠内で十分に活かし切ることになる。単なる人間中心の肯定論ではなく、人間の原罪からくる忌まわしい罪の特質がキリストの血により完全にあがなわれたという決定的信仰の経験を踏まえた上で。

 第二は人の意識向上のための使用語やイメージや方法論を単なる世俗的成功目標にではなく、神の言葉、聖書の基準と目標に適合させる。

 第三はいわゆる断言宣言(アファーメイション)の手法を聖書的「告白」という神学的枠内でまとめ、その手法を探索発展させる。

*「告白」は、その言葉や声と体の表現を大胆積極的にやって下さい。日常の些細なことでも心の中で「うまく行く」と告白して下さい。日毎の生活が快活になります。又、祈りの時、告白の姿勢で、神様に大胆に語りかけるのも宜しいですよ。

 第四、ビジュアルゼイション(イメージ)による目的達成の手法を、聖霊によって幻を掴む心の訓練にまで発展させる。チョウ・ヨンギ師流に言えば、祈りの目標を視覚的に心の目で見て、それを魂に埋め込ませる方法である。

*イメージ描法の訓練をしましょう。楽しく成功している姿を心で思い描いて、それを毎日継続するのです。簡単なコツです。必ず、うまく行きます。<く> (1999.4.9.旧稿)

 

2004/5/23

(「日岡だより」第125号)

ドカンと納税日本一   

 先日の新聞で「スリムどかん」の斎藤一人(ひとり)さんが、昨年度の日本一納税者だったと出ていました。その納税額は11億4849万円。斎藤さんがこの11年間で納めた所得税の合計は164億円になるそうです。

 毎年、株や土地の売買で異常な利益をあげて突出的に顔を出す人や、また法人の社長さんなどは、なるほどそれくらいは儲けるだろうと思いますが、斎藤さんの場合は個人商店の親父さん、この斎藤さんが日本一とは驚異ではないでしょうか。

 実はこの方のことは教会で、私は何度も紹介しました。この方の本の一部を抜き刷りして皆さんに配布したこともあります。端的に言えばお金儲けの秘訣ですがね。

 この斎藤さんは決してクリスチャンではありませんし、その方の「金儲けの秘訣」なんて、礼拝の講壇から例話に出すのは、ちょっと可笑しいのじゃない?」、そういう批判もあろうかと思って、さすがに私も躊躇したものです。

 私は30年ほど前、「事業を活かす信仰」という小冊子を書いたことがあります。信仰によって積極的に事業をやろう、ということを大胆に書きました。とは言っても、富を主目的に求めてはいけません。サタンのわなに陥る(第一テモテ6:9、10参照)からです。

 さて、この斎藤さんの本が何冊かあります。今、お勧めしたいのは講談社発行「斎藤一人さんの絶対成功する千回の法則」(1500円税別)です。斎藤さんの自慢する一番の法則は自分で自分に向かって「幸せだなあ」と言え、という方法です。

 これで日本一の金持ちになれるのなら、誰でも喜んで真似しそうなものですが、なかなかそうしない様子。人間というものは案外怠け者です。

 もっとも、初めてこれを聞いた人は「え?」と危ぶんで、そんなことで簡単に成功するものだろうかと不思議に思うことでしょうから、この辺は私が説明しましょう。

           *

 まず第一番、実は案外これは聖書的な法則です。万事を望みどおり達成する成功の法則です。聖書流に言えば、告白の力です。私のパンフレットの題に「告白の力」というのがあります。これは10年ほど前、「恵みの雨」に連載して評判のよかったエッセイです。それをそっくりコピー印刷して製本したのが、その小冊子です。

 「告白」の力については、私は当初は無知でした。これは永井明先生から学びました。

 キリスト教の信仰の中心と基礎はイエス様の十字架による罪の身代わりの死を信じることにあります。第二は聖霊を受けて信仰の力を頂き、また品性の聖化を頂くことです。

 しかし、その上で、自分で「信仰の訓練」をしなさいと聖書は言います(第一テモテ4:7参照)。ただ神様の恵みを頂くだけでなく、「自分のからだを打ちたいてでも訓練させる」(第一コリント9:27)ともあります。もっとも、からだとあるのは比喩で、本当は心の筋肉の力を強め、巧みさをつけることをさしていると思います。この自己訓練の道具が「言葉」、実践が「告白」です。

 ヤコブ1:21の後半には、「御言葉には、あなたがたの魂を救う力があります」とあります。この聖句の中の「魂」という言葉は原語では「霊」ではないのです。これは「心・精神活動」をさします。

 イエス様を信じて人の霊は救われます。また霊における救いは表面化して心の働きに良い影響を与えます。しかし、心はまた外界からの言葉やイメージ(眼や耳に感じるもの)によっても影響を受けるのです。たとえば、エバはサタンの言葉と眼で見た智恵の果の美しさ、おいしそうに見える感触によって心に誘惑を受けました。また、言葉はイメージを人の心に作り出すことができます。

 悪魔の言葉、悪い言葉が人の心に悪い影響を与えます。聖書の言葉でなくても、良い言葉は良い影響を人の心に与えます。ですからたとえ、聖書の御言葉そのものでなくても、父親や、母親の信仰的、霊的言葉は子どもに深い影響を与えます。そして、重要なことは、自分の声で自分に言い聞かせ、くり返し何度も聞かせた言葉は人の心に強い影響を与えるということです。

           *

 私もよく言ったことですが、斎藤さんも例として使っています。あなたの心をコップとします。そのコップの中に消極的な思いや、悲観、恐怖、自己憐憫、自信の無さ、そういう思いが泥水のように一杯だとします。そこへきれいな水をどんどん送りこむと、しだいにコップの水はキレイな水になります。

 同じようにあなたの心に良い言葉をどんどん送り込むのです。しだいに心の中は良い言葉で一杯になります。まして聖書の言葉で心を一杯にしませんか。

 大事なことですが、思いとは言葉なのです。人はものを考える時、言葉を使って考えるのです。

 自分を悲しんだり、人を憎んだり、状況を悲観したり。過去をくやんだり、将来を心配したり、それらはすべて言葉でやっています。

 それらの言葉が心の庭を駆けめぐる時、あなたの心に淋しい、辛い、苦しい等々の気分を作るのです。この気分が定着すると、感情を形成します。そして感情が人を活動的にしたり、不活発にしたり、等々大きく影響します。

 「御言葉に人の魂を救う力がある」ということは、心の領域のことです。悪い辛い感情から、人を解放、癒し救い、矯正し、強化するのです。これが良い言葉、また聖書の言葉の力です。

           *

 ローマ7:15以下24にあるパウロの悲嘆と述懐はあまりに有名ですが、ここに2つの重要な記憶すべき事が書かれています。第一は罪を犯すのは私ではなく、肉にうちにある罪であるということです。

 第二は肉と霊との戦いの戦場は先にも触れ心の庭であるということです。
 心の庭(戦場)で善き言葉を駆けめぐらせなさい。そこにけっして悪魔の言葉を侵入させてはならないのです。

 そして良い言葉の一つの例が、斎藤さんの「幸せだなあ」です。感情に惑わされず、感情が添ってこなくても構わない、「幸せだなあ」と口で言っていると、次第に幸せな感情が起こってきます。

 これは私がしばしばお勧めする「笑いましょう、ワッハッハハと笑いましょう、そうれば、あなたは幸福になります」という提唱の原点です。

           *

 そして、ここで確認しましょう。イエス様がまさしく仰せられたのです。「あなたがた幸福である」と。これを私はイエス様の「幸福宣言」と呼びます。

 マタイ5:3以降のイエス様の八福の教えを学んでください。原文はかつての文語訳が近いのです。まず各行とも、文頭に「幸いなるかな」が来ます。これは宣言です。あとにつづくのは人間の様々な各人各様の状態です。良きもあり悪しきもある。いかなる状態にいようと、イエス様は区別なく、すべての人に「幸いなるかな」と仰せられます。

 このイエス様の宣言を絶対な約束として聞きましょう。この八福の教えは、いわゆる「山上の説教」の冒頭ですが、この「山上の説教」では人間には到底実行不可能と思われるイエス様の命令がキラ星のようにつらなっています。誰がこんなことを実行できるでしょうと、不審に思います。

 しかし、イエス様の命令は、「それが君には必ず出来るようになるよ」という約束なのです。イエス様は十字架にかかられ、人類に救済の使命を果たされました。そして、イエス様を信じる者に神の子の身分を与え、また聖霊の賜物と果をも与える基礎的約束を果たされました。

 斎藤さんはイエス様を知らずして言っているのですが、「幸いだなあ」というのは、すばらしい聖書的告白だと認めてよいのです。

 いずれにせよ、「この言葉を千回も言いなさい」と、斎藤さんは勧めます。一つの言葉を繰り返し口にし、その言葉が自分の耳からはいって心に浸透する時、人の心に必ず変化を起こすのです。

 これが、一個の人格にトランスフォーメイション(変革)が起こす、実にやさしい方法なのです。<く>

〔あとがき〕日中戦争の時、私の町で派遣部隊が編成されたことがある。民家を借りて召集兵を泊まらせる。私の家にも地方のオジサンたちが数人泊まった。その人たちが中国で相当乱暴な破廉恥きわまりない行動もしたらしい。★私の家に泊まったのは実に温和なオジサンだったが、その一人が後日、病気で日本に返され大分の陸軍病院に入院した。私は母と一緒に見舞に行ったところ、彼は恥じらいもなく、女を凌辱した話や、民家を略奪した話を自慢そうに話す。聞くに耐えない。★少年の私は、あの素朴で田舎のオジサンをここまで変化させる戦争というものを肌で感じた。確かに「戦争は悪事である」と思ったことだ。★今回のアメリカ軍のイラク人に対する虐待事件も似たようなものだろうか。こうしたアメリカに対し、日本は同盟国として良心と謙遜をもって忠告をする国でありたい。★ところで、昨夜、風呂の洗い場で小虫を見つけた。面白がって、私はその虫を殺した。なんとしたこと、その心、アメリカ軍の虐待と同根だ。<く>

2004/5/16

(「日岡だより」第124号)

世界の魂のふるさと   

 日本では大臣や代議士諸君の未納問題がマス・メディアを賑わしている。ケチケチした話だと思う。アメリカではイラクの虐待問題。これは逆に、大変な問題である。

 日本では未納問題で辞めるの、辞めないのと、風聞が舞う。アメリカではブッシュさんの去就を問う声は無いに等しいように思う。

 なんだか日本とアメリカの天秤の重しが違うという感じである。日本では小さなことが、さも重々しく取り沙汰される。アメリカでは重大なことが、軽々しく語られている。

 先週、新聞ではごく小さな記事だったが、アメリカの株が下がっていた。ウォール街は自国のイラクの扱い方を危ぶんでいるのかと思う。

 しかし、アメリカのジャーナルがイラクの虐待問題を大きく取り上げることには、アメリカの精神、いまだ死せずと称賛したい。

 それに比し、日本のジャーナリストのほこ先は甘い。未納問題で庶民の床屋談義をあおっているうちに、見落としているものがあるのではないか。

 三菱自の問題、深(真)因はどこにあるのか。日本のカイシャ資本主義の根元は腐りかけている。末葉まで枯れ果てる日が近いのではないか。

 これは少し悲観主義が過ぎようが、日本国を愛する老人の戯言と打ち捨てないでほしい。

 日本人よ、霊性を深め、世界の品性をリードできないか。産業立国も観光立国も国民を本当に益する道ではない。日本を世界の魂のふるさとにしようではないか。<く>
(*) 「カイシャ資本主義」というのは私の造語です。株式資本の自己増殖的魔力の象徴のつもり。

 

 

いわゆるコンバーション「回心」について   

 どなたの信仰も、最初から信仰そのものが聖霊様の恩恵によって始まっているのだと確認しましょう。しかも、その最初の信仰そのものが、強力な魂の変革を呼びおこして歴史を変えるまでに影響をもたらす例があるものです。

 聖書ではパウロがそうです。彼のダマスコ途上の経験のように素晴らしいものです。近世ではルターやジョン・ウェスレーがそうでしょう。

 時には、一種の宗教的天才というべき人がいて、イエス様や聖霊と関係無く、異能を発揮する人がいます。こういうタイプの人は危険です。サタンの誘惑に遭いやすいのです。

 反対に、生れつき霊感に乏しい人も、一旦聖霊を受け、聖霊に満たされると、不思議な霊的人物に成長します。

 私はパウロほど極端ではありませんが、アウグスチヌスとほぼ同じような聖霊体験によって信仰を与えられました。

 信仰は本来、恵みであって、実は自分の力で掴み取るものではないのです。ピリピ1:28では「信仰は賜わるものである」とあります。エペソ二・八をも参照してください。

 更にガラテヤ2:26に2回出てきますが、「キリスト・イエスを信じる信仰(によって義とされる)」という言葉も大切です。これは厳密に訳すと「キリスト・イエスの(所有する)信仰」という言葉になります。だから信仰ということは、私たち人間のがわから「信仰」と言うものに努力して、すり寄って行く能動的な信仰ではなく、神様の恵みによって信じさせて頂く受動的信仰とも言うべきなのです。

 だから私は、昔は「決断して信仰する」という言い方は嫌いでした。かつて(今もそうかも知れませんが)、ビリー・グラハムの伝道雑誌の題は「決断」というのでしたが、私は長い間、この言葉に反対でした。大ビリー・グラハムに反対するのですから、大したものです、呵々。

 「人間の決断で信仰が湧くはずはない」と私の頑ななまでの姿勢をとっていました。これが本当なら、ビリー・グラハムやチョウ・ヨンギ先生、その他の多くの伝道集会での最後の決心のうながしは可怪しいということになります。事実、私は長い間、彼ら大物の伝道集会を信用しなかったのです。

             *

 ですから、「4つの法則」式の伝道マニュアルは絶対嫌いでした。この方式を受け入れたのは。ずっと後になってからです。ある時、やむを得ない成り行きで、とうとう「4つの法則」式で信仰のすすめをやってしまったことがあります。そしてつぎつぎに新しい信者が生まれるので、ついに喜んでこの方式の「信者生産法」を繰り返すようになりました。

 「信者生産法」などと書かれる、ご当人の方々は不愉快でしょうが、そうした方がたが、実に確実に救われて、かつての私の「4つの法則」反対論をくつがえしてくださったのは偉いことでした。私の目は醒めたのです。私が真似した、あの「4つの法則」式信仰の導きは正しかったことが保証されたわけです。感謝でした。

 第一コリント12:3にあるとおり、「イエスは主なり」という信仰の告白は聖霊の働きによるのです。しかし、ここの言葉は微妙です。私たちが自分の決心で「イエスは主なり」と告白した時、その言葉は聖霊の働きによるのだと、自覚していない人がほとんどでしょう。これが多くのクリスチャンの経験だと思います。

 ところが、いいえ違う。それは聖霊の働きによる信仰告白だったのだと、再確認せよと、第一コリント12:3のここでパウロが言っているのだと理解出来るのです。

 以上のことが次第に私にも理解されてきたのは、先に書いたいきさつがあったからです。

 しかし、問題はそうした信者さんの中から、信仰の脱落をする人々も出るということです。もし、本当に聖霊によって主を信じた人、つまりイエス様からじかにイエス様の信仰をもらった人であるなら、そういう脱落者は出るはずはないと私は思っていたからです。私の伝道の初期に導いた人々はほんの少数でしたが、みなその信仰は確実でした。信仰から落ちる怖れは全然なかったのです。それはいわゆるコンバーション、回心をしたからです。

             *

 このコンバーションを内村先生は明治の人らしくコンボルジョンと呼びました。内村先生はアメリカのアマースト大学で石炭運びのアルバイトをしていた時、この恵みにあずかったようです。(先生は歌うのです、「あるものの胸に宿りしその日より、輝きわたるあめつちの色」と)。

 そのことが石原兵永先生の「回心記」に書かれています。この石原兵永先生の「回心記」は良い本です。今は絶版です。私は何度も欲しがる人たちに貸し出しをして、失ってしまいましたので、最後の本をキリスト教古書店で買って、目下貸出し厳禁です、呵々。

 この本には、大正年間、当時の中学校英語教師、収入は安定しているし、生活面も規律正しい常識人。別に家族の問題もない。失恋も、病気もしていない、この何の問題もない人物が罪意識に苦しみ、信仰を求め、そして聖書の教理をしっかりと学びながらも、信じる事が出来ないで、苦しんでいる、まことにインテリゲンチャらしい意識過剰な求道心の悩みが精しく書いてあります。そしてある時、みごとに救われる信仰体験記であります。

 私もこの石原先生と同じように悩みました。私は当時、日記にこう書いています。ちょうど20歳の時です。

 「今、外見的には、私は最も平和、幸福、静かである。しかし、私の魂は千々に乱れている。あの永遠の魂の平和、石原先生の『回心記』にある、あの一瞬の転換、回心の一瞬はどうして来るのであろうか、出来ることなら、その『回心記』の一瞬が、何も書いていない空行なのだが、その空行の紙の裏を剥いで見たいと思うほどだ」と。

 遂に、その一瞬が私にも来たのです。1944年11月23日、刑務所の独居房の中です。以後、生涯変わることがない信仰を与えられた、私の恵みの時でした。

             *

 さて、私の周辺では、以下のようなことが起りました。

 すでにイエス様を決断信仰して、洗礼を受けて。一応立派に信仰生活、教会生活を送っている人たちが、この石原先生や私の霊的信仰経験を聞いて、今の自分の信仰に我慢できなくなる。そして、はっきり聖霊様のお取扱いを受け、確実な信仰、生き生きした信仰を得たいと懇願して、私の助けを求める人たちが起こったのです。そして、あらためてコンバーションを受けるということが起こり始めました。

 この例の、最も良き先達者はジョン・ウェスレーです。彼はすでにイエス様を信じていました。すでに教会の牧師であったし、たしか神学校の教授でもありました。しかし、チンチェンドルフのモレビアン派の信仰を見て、更に更に充実した力ある信仰のあることを知り、その信仰を求めたのです。

 そして、ある小さな教会でマルティン・ルターの「ローマ人への手紙講解」の序文を聞いている時、突然胸に暖かいものを感じました。一瞬に彼は自分が新しい人に変わったのを感じたのです。こうして信仰の成長の諸段階の一つとして聖霊体験を持つことがあることは、本当に恵みです。

 つまり、長い信仰生活に失望している人よ、決して諦める必要はない、神様は私たちが切に求める時、かならず顧りみてくださるのです。私の母もそうでした、信仰生活20年を越え、婦人会の会長をしていました彼女は、ある信仰啓蒙パンフレットに啓発されて、毎朝大分川のほとりに出て行って祈りました、3月か半年かして、彼女は幼い私にもしかと分かるほどに人がらが変化しました、また、幼い私にさえ熱心に信仰の証しを語ってくれたものです。

 ただ、先に述べたコンバーションという言葉は多少誤解を招きます。ある団体では、ひっくり返ったり、激しい異言が出たり、光を見たり。そういう現象をコンバーションとみます。それはそれで、意味のあることなのですが、そうした体験だけではコンバーションとは称しがたいのですが、それらのことは又、今後の研究課題です。<く>(04.5.14)

 

2004/5/9

(「日岡だより」第123号)

楽しく明るく 雄々しく清く   

 私は実はこの標題を書いた時、すぐ思い出していた。内村鑑三先生が「後世への最大遺物」という本で、我々が次の時代に記念物のように残し得る最大のものは発明でも芸術でも事業でも金でもない、だれでも出来る最大のものは「勇ましく高尚な人生である」と語ってくれていた、その言葉である。私は「雄々しく清く」よりは、この内村先生の「勇ましく高尚な」というほうが語感としては好きである。

 ではなぜ「勇ましく高尚な」としないのかと問われれば、答えにくいが、正直に言えば「勇ましく高尚」では現代人には、「堅すぎてとっつきにくいだろう」と思うからだ。

 ともあれ「勇ましく高尚な人生」だけではストイックすぎて、これまた現代人には向かない。「楽しく明るく」とは何とも甘すぎると思うけれども、これ又、人生に必要な要素である。気後れせずに掲げてみた次第だ。

 人生を「楽しく明るく」生きようとする姿勢は決して悪くはない。甘えでもない。山中鹿之介が新月に祈ったというが「我に七難八苦を与えたまえ」とまで力むことはない。遠慮なく「楽しく明るく」生きようとするのは良い事である。

 ある未知の人から、電話でカウンセリングを求められた。それこそ「楽しく明るく生きたい、どうしたら良いですか」という質問だった、その際の電話問答をさっそく以下に書いてみたい。

 「そうですね、大抵は『あなたの思いを変えなさい。楽しく明るい考えを心に持ちなさい』と、勧めますね」と返事したら、「はい、そうなんです。しかし、どうしたらそのような思いを持てるかが分かりません」と電話の向こうで答えた。「そうでしょうね。実は楽しく明るい考えを心に持とうとする時、そういう気分になろうと努力して失敗するんですね。それが無理なのです。まず、その気分が起こるように仕掛けを作るのです。それはコトバです。自分の気分に係わりなく『私は気分がいい、楽しく明るい気分だ』と声を出して言うんです。さあ、5回ほどでいいから言ってごらんなさい」。

 すると電話の向こうで素直に声を出して言っていました。「ね、そうするとホンのチョットでも心のどこかで楽しく明るくなったような気がするでしょ。それを自覚してみてください」。「ハイ」、「そこでね、『私は自分が少し楽しく明るくなったことが自覚できた』、ともう一度口に出して言ってみてください。あなたはなかなか上手ですよ」

 この人は素直に声を出して言葉にしていました。実にくったくなくやっていました。感心しました。そこで、その「自覚できました」を又、5回しゃべってもらいました。私はつづけて言います。「『自覚できました』と、こう言って居る時、あなたは自分の心が楽しく明るくなったことを自分で味わっているわけですよ。そうすると、ますますその楽しさ、明るさが増えて来るわけです。これが秘訣です。そこで最後にこう言うのです。自分に言って聞かせるのです。『私は自分の心を楽しく明るくする秘訣を掴んだ、私は自分の気分を自分の思うように変えることが出来る。私は自分を生き生きさせることもできる。人生に成功する秘訣を掴んだ。バンザイ、バンザイ』。喜んで自信をもって叫んでください」。

 この人は大きな声で叫んで、そして「ありがとうございました」とこれ又、大きな声で終わりました。私は嬉しかったです。

 ただ「信仰」について語らなかったことが私には残念でした。名前くらい聞いておけばよかったと思いましたが、しかし、私自身「言葉には力がある」という教え方を具体的に学べたことは感謝でした。そして益々神の言葉、聖書の言葉を真剣に告白しよう。私たちの人生が必ず変ると自信を持ったことです。<く>

 

平和憲法について   

 日本国の新憲法、いわゆる平和憲法はアメリカから押しつけられたものだと思われている。たしかに、それに違いあるまい。あの憲法の草案はGHQで作られ、その原稿を日本政府の手で翻訳したとする、その経緯は事実であろう。

 ところで、この新憲法の中で最も重要な条項は、(1)天皇は国民の象徴であるという個所と、(2)絶対平和主義、交戦権放棄の2つの個所であろう。

 この問題の多い平和憲法は吉田茂さんが総理の時に交付され、また施行された。しかし、その草案の起筆には吉田さんの前任者・幣原喜重郎氏がかかわっていると思う。

 第一に、天皇制護持のため、昭和21年の1月1日に昭和天皇の「人間宣言」の詔勅、この詔勅は幣原さんの執筆と言われている。第二は憲法第九条、軍備保持せず、交戦権を放棄するの宣言である。

 この憲法第九条について、幣原さんは昭和天皇にこう説明したという。「お上、こう書いておけば、どこの国も文句を言えません。大丈夫です」。

 この草稿をマッカーサーに持って行ったら、マッカーサーもさすがに驚いた。ここまで日本が捨て身になろうとは思わなかったのである。「私は涙ぐんで感動した」とマッカーサー自身が述べているそうである。

 この憲法草案が国会に上程された時、共産党だけが反対した。例の徳田さんか志賀さんあたりが言ったらしい。「一体、軍備を持たなくて国家の権威がどうして保てるというのか」。

 しかし、他に一人として立たない。「どうせ、負けたんじゃないか。GHQの言いなりだよ。何を言っても始まらん」。ここで「丸腰平和論」が国会をスンナリ通過したのである。当時の国会議員諸君の愚弱な姿勢はまことに口惜しい。

          *

 さて、その3年後、朝鮮戦争勃発である。さあ、マッカーサーが困った。平和憲法を大いに褒めた直後であるが、日本に軍備を持って貰いたいのだ。そこで、吉田総理に強要して作らせた。警察予備隊という世にも不思議な名前の軍隊である。これが後の自衛隊。

 警察予備隊とか自衛隊とか名付ける意図は、たぶん自国の防衛のために海岸線だけでも守ろうというのであろうか。

 今回の自衛隊イラク派遣については、説明が困難である。人道復興のための派遣だ。危険のない安全保障つきのサマーワへなら行こう、などと言う。情けない言い訳である。

 人道復興くらいのことなら、ボーイスカウトか、青年団の奉仕隊にさせてよいことである。また、こういう国際奉仕団が日本には出来ていないのも恥である。

 こうしたものが正式に出来てないからこそ(そういう案も出たことがない)、少数の、訓練もできていないしろうとっぽい女性や18歳の若者がでかけて行ったのではないか。彼らに自己責任がないという意見が日本列島を覆うた。

 しかし、日本国そのものに自己責任力がないから、安全な場所に行こうとしてサマーワに行った。そして道路を作ったり、校舎を修理したり?している。テロめいた爆撃が始まったら、テントにこもって出て行かない。例の人質となった3人や2人の人たちに恥ずかしくもないのか。

          *

 これはすべて平和憲法の性格からくる戦後の日本国の劣等生的アイデンティティのせいである。

 しかし、平和憲法の第九条は、私たちクリスチャンにとっては涙がでるほど嬉しい「絶対平和主義」である。

 絶対平和主義というのは、トルストイが「イワンの馬鹿」で言い、内村鑑三先生が「聖書之研究」誌上で何度も述べた、人間の常識では到底はかりしれない珍無類の非戦論である。

 敵がきて、どんなに無茶残酷な戦闘をいどみ皆殺しにやってきても武力抵抗しないというのである。

 これを「無抵抗主義」という人もあるが、トルストイに共鳴し、これに従って対英人民運動を起こしたガンジーは、これを「無暴力抵抗」と言った、

 ガンジーは言う。「私たちは決して抵抗しないと言うのではない。暴力を用いての抵抗をしないのだ。ただ平和と愛の精神の力によって悪の力に抵抗すると言うのである」と。

 ガンジーは又、言う。「私たちは卑怯さのゆえに無暴力抵抗を叫ぶのではない。卑怯さのゆえに暴力を用いないよりは、私は武器を手に取ろうと思う。しかし、キリストも言ったように『剣によって勝つ者は剣によって滅びる』。暴力では本当には勝てないのである。真の勇気をもって暴力に向かい、素手で勝った者こそ、本当に精神による勝利を得る」と。

 事実、そのようにして、ガンジーは大英帝国に勝った。

 その英知を学んだマルティン・ルーサー・キングはアメリカの黒人闘争で尊い命を失ったけれど、しかし黒人の地位保障のため輝かしい勝利を納めた。

 しかしながら、日本の平和憲法はこのような雄々しい絶対平和主義に立っているのではないのである。

          *

 日本の憲法の前文を読むとはっきり分かる。そこでは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。このような前提で、「我々は軍備を持たない。永遠の平和を期待する」という甘ったらしい無責任丸腰平和論なのである。

 昨今、一時日本全土を覆い尽くした「イラク人質、自己責任を負え」の非難攻撃は、これをひるがえして日本憲法に与えるとよい。日本の憲法前文は、頼りにならない国際的公正と信義を信じて平和論をぶつ。ほとんど独りよがり、全世界せせら笑って居るのではないか。無知もいいとこである。

 平和という言葉をひけらかせて、ひら謝りの土下座外交、これが当時の憲法草案、国会での起立賛成の議員諸君、そしてこの平和提案に口あんぐりした当時の国民一般の受入れ思考である。「負けたんじゃもの、仕方なか」、国民も総じて皆、敗戦にくじけていた。卑怯であった。

 「日本国民は神を信じ、真理を信じ(最近の流行語のサムシング・グレートの意志と力を信じて、という程度でも私は我慢する)軍隊は持ちません。戦争は一切しません」、と言明して欲しいのである。もう一度言う、「諸国民の公正と信義に信頼して」ではない。ただ一つの神、天地の創造者なる神を信じて絶対平和主義の憲法を握ってほしいのである。

 戦後の日本政府や、日本人のしまりの無さ、弱腰、はっきりモノを言えない。こういう体質は戦後の平和憲法に原因がある。だから国も、国民もカネだけを追及し、カネだけで交渉する。気品も権威もない。だから、北朝鮮あたりからでも馬鹿にされるのではないか。<く> (2004年5月5日テレホン聖書)

 

2004/5/2

(「日岡だより」第122号)

バカの壁、死の壁、・・・    

 養老孟司という大学教授が「バカの壁」という本を書いたら、バカ売れに売れた。そこで今度は「死の壁」という本を書いたら、また売れた。ドンドン売れてるそうです。「こんな本を面白がって(否、有難がって?)を買う奴は「本当にバカじゃなかろうか」などと言う皮肉屋も出そうです。

 さて、今回のイラク人質の3人の方たちが解放されてから、この方たちの心理的ストレスのカウンセリングにあたった精神科医の報告が新聞に出ていました。3人の第一の心理的外傷は、拘束されていた場所がアメリカ軍の激しい地域だったので「爆撃で死ぬかもしれない」という恐怖がひどかったのだと言います。

 その次は解放されて後、「自己責任論」の非難攻撃に遭い、「世間を敵に回した」という思いから来る精神の不安定だったという。世間が壁だった訳だ。

 高遠さんなど、相当日本人ばなれした自主的性格の人かと思ったが、やはり日本人だ。心の芯では、まだまだ世間が怖いのだ。

          *

 こうした経験は戦争中の私に似ているように思う。私は昭和19年1月、大分から福岡の刑務所の移され、「厳正独居」という禁固刑同様の措置を受けた。

 確か、その年の夏の頃からだったが、アメリカ空軍の爆撃機が中国大陸から日本本土を襲うようになった。福岡は東支那海を飛び越えると、すぐであるから、さっそく福岡市は爆撃にさらされることになる。

 さて刑務所でも、さすがに「人命尊重」です。「空襲警報」が出ると、看守さんがたが慌てて各房(部屋)をまわり、「おーい、空襲警報だ。防空壕に行け」とどなりながら、ガチャガチャと鍵を回して扉を開いてゆく。

 ところが、厳正独居の房は開けない。「お前たちは非国民、いや国賊だ。爆弾が落ちたら、死んでしまえ」というわけ。

 そうした騒然たる刑務所の中で、厳正独居の者だけはひっそりしている、さすがに「俺たちも出してくれ」などと訴える者はいない。当時、厳正独居は大抵は共産主義者たちだけだったが、彼らとて並々ならぬ覚悟はついている。

 私も一箇の非戦主義者、恥ずかしい真似はできないと言う気位はある。ただし内心、おびえていたのも確か。死が怖くないわけはない。

          *

 私は父や母や、伯父たちのキリスト教信仰の影響を受けて、キリスト教思想は持っていた、また聖書が約束する救いの信仰の教理は分かっていた。またその救いを確信したかった。

 しかし、日本の世相は私がじっくり信仰を求める速度を追い越して戦争に狂奔する。私は戦争反対という主義と思想に溺れてしまい、救いの信仰を求める姿勢が棚上げになっていた。

 その私も、刑務所にはいってしまえば、こんどは非戦論が棚上げ。私の衷心の霊的欠乏感がつのってきたのである。キリスト教でいう罪の赦し、心の平安、そして仏教国日本らしい、天地一体とか神我一如とかいう「悟り」のようなものを、切に求めた。刑務所の中で平安に死んでゆける信仰がほしかったのである。

          *

 昭和19年11月19日の獄中のことです。私は絶食して信仰を求め、遂に「私には信仰は無い、絶対救われない」という極度の絶望感に覆われた。私は地獄に落ちて行く自分の姿をまざまざと見た。

 そして翌日から3日すぎた。地獄の3日間である。私にとっては記念の11月23日がくる。私は新約聖書第二コリント5:14のみ言葉を心の耳で聴くのである。言わく、

「キリストの愛われらに迫れり。我ら思ふに、一人すべての人に代りて死にたれば、凡ての人すでに死にたるなり」(文語訳)。

 この言葉が私の霊の中心を貫いたのである。私は一瞬に私の古い私は死んだことを知った、そして私は「新しい人」になったことを自覚した、私の心に歓喜が込み上げた。獄屋は一転して天国になった。聖書は更に言う。

「人もしキリストに在らば新に造られたる者なり。古きは既に過ぎ去り、視よ、新しく成りたり」(第二コリント5:17文語訳)。

 こうして私は救われたのである。

          *

 私は昭和20年1月21日に刑期が満ちて出所した。戦争中である。母が福岡まで迎えに来てくれた。家に帰る汽車の中で母が言う。

「あのなあ、親族の連中が言う。今、家に帰っても近所から非国民が帰ってきたと噂されて生き辛いやろう。今、疎開ばやりだから、どこぞ田舎に引っ越して親子2人で住むようにせんねって言うんや」と。

 まさしく、今思えば、「世間が敵だ」ということである。私はきっぱり言った。

「大丈夫や、母ちゃん。僕はイエス様に生かされている。何も怖くない」。

 事実、故郷に帰って私は嫌味や、皮肉や、からかいの言葉は随分受けた。しかし、私は本当にケロリとしていた。

 でも、本当に辛かったことがある。戦争が終ってからだ。私の非戦主義入獄の事件は却って誇りかに伝えられる戦後になってからだ。

          *

 私は近在の商店街を散歩していた。そして顔見知りの果物屋の前を通った。すると、そこの店主の親父さんが、私をじっと見つめている視線に遇った。私は一瞬、心がギュッと凍った。

 その家の息子が私より学校が1年下の同窓生だった。気分のいい青年だった、私は好ましく思っていたが、学年が違うので親しくはしていなかった、その彼が中国の戦線で戦死したことを私は知っていた。

 私はその父親である果物屋の親父さんが私を見る目の厳しい視線を感じた。それは、

「戦争中、非戦論など気のきいたことを言って、戦争に行かなかったお前はのうのうと生きて結構なこった。今は新聞なんぞでチヤホヤされて威張って歩いているが、真面目に戦争に行った正直ものは戦死した。俺んとこの息子の死は無駄死にかい、犬死にかい」。

 と私をにらんでいるような気がした。うらめしいというか、のろわしいと言うか、そういう父たる人の気持ちは痛いほど分かる。私は居たたまれず足早やにそこを去ったが、そこで改めて本当の「世間の壁」を感じたことであった。

 それ以後、私は戦後、長い間、世間を遠慮して生きることを学んだように思う。少なくも、ああした体験を意気揚々と語ったことはない。ただ、私の信仰を与えられた恵みの経験を語るときだけ、止むを得ず証しとして語ることにしたのである。

        *

 私に取って「罪の壁」こそ、本当に越えがたい壁でありました。それを恩寵によって越えられた時、「死の壁」も「世間の壁」も壁ではありませんでした。そして養老先生がおっしゃる「バカの壁」がどんな壁か知りませんが、どんな壁でもキリストにある「新しい人」は乗り越えることが出来るのです。<く>


〔映画「パッション」について〕目下、大分市でも上映中です。感動的です。イエス様の痛みと愛をひしひしと感じます。それでも脚本や演出に問題が無くはありません。ご覧になった方々で感話会をしたらと思います。<く>

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