キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(週報とともに毎週発行する「日岡だより」)

2004年6月

2004/6/27

(「日岡だより」第130号)

国をあげての変革(二)   

一、一本のビデオから      

 以下の文章は3月のころ書いていたものです。栃木の稲葉さんから「トランスフォーメーションというビデオを見ました。日本にも起こってほしいです」と、情報を頂いて私は早速そのビデオを送って貰って書いたのでした。前々週に書いたものと重複しますが、お許し下さい。

 このビデオに私の魂は魅了された。トランスフォーメーションという言葉は数年前に聞いたことがある。たしか中米のグアテマラで起こったリバイバルである。国民の多数が回心、市民の道徳意識が大転換、畑の作物の成育が急激に成長、これはトランスフォーメーション(変革)と呼ぶほかはない、というのであった。その後、どうなっているか気になっていたら、今回のトランスフォーメーションの新しい情報である。

 今回はカナダの北西部に住むイヌイット、外の人はエスキモーと呼ぶが、その自治区に起こったリバイバルと、逆に地球の反対側、アフリカの中央、ビクトリア湖のほとり、ウガンダという小国に起こったリバイバルであった。

 いずれもこうだった。貧困と無秩序、酒と麻薬、暴力と性的腐敗、不法と不正がまかり通るどん底の市民生活に光が当てられた。闇から光へ、悪魔の支配から神の支配に変えられた。町の犯罪が半減し、人々の顔が変わった。

 特にクリスチャンたちの顔を見て驚く。エスキモーやアフリカの黒人たちの顔が、私たちの見なれた途上国のみすぼらしい民族の表情ではない。私は現代の日本人の表情の方がよほど低劣に見えやしないかと危ぶんだほどだ。

 文明が民族の表情を変えるということは、最近も東南アジア、中国、韓国を含めて、その人々を見て、つくづく感じる。多分、中国や韓国の人たちも日本人を見ると、そう感じるのではないかと思う。日本人自身のことでいうなら、明治維新前に外国人が写真に取った日本人の顔と、昭和前半の日本人の顔と、経済成長以後の日本人の顔、特に子どもたちの顔を見ると、その差に驚くことがある。

 ところが、信仰による表情の変化というものは、もっともっと極端なものだと、今回気づかせられた。そういう大変化がイヌイットやウガンダの人々の間に見受けられる。聖霊による魂の大変化が民衆レベルに及べば、こういうことになるのかと、驚嘆したことである。民族総福音化の結果である。

 

二、主の臨在を求めよう      

 この「変革」をもたらす秘訣は何か。これを正確に誤りなく伝えるには危惧を感じるが、一つを取り出して言えば、秘訣は熱烈な共同の祈りである。そしてその祈りとは、ビデオの中ではっきり言っていたが「主への招き」であった。私は見た。それは、教会に、地域社会に、教育に、国家の政治に対してさえも、主の臨在を求める招きの祈りであったと。

 その時、実は私は驚いたのである。それは2月の12日の祈祷会でそのことを私は既に語っていたのである。その概要は2月15日の「日岡だより」111号の第4頁に書いてあるが、使徒行伝に出てくる「御名をとなえる」という言葉の「となえる」の原語は「エピカレオー」というギリシャ語で、これは「呼ぶ」と訳せるのだが、更によく調べて見ると「お招きする」とか「お迎えする」とかいう意味らしい。

 私たちが、ただ単に「おーい」と声をかける「呼び声」ではなくて、食事にお招きするときの、「お呼びする」なのである。イエス様も元々、「あなたがたの家にはいって一緒に食事をしたい」と待っておられる方ではなかったか。

 私たちはイエス様を、お呼びしよう。2月12日の祈祷会でそのように語ったのであった。それを聞いて帰った姉妹たちが、家で「主をお呼びします」と祈っていると、異常な聖霊の臨在を感じて如何に喜んだか、その証しを聞いた時、私もどれほどびっくり感動したことか、思い出したのである。

(3月に書き留めておいたという原稿は以上で終わる)。

 

三、ムシカの国への期待      

 さて6月13日の「日岡だより」128号に「国をあげての変革(一)」を書いた時、当然その(二)を構想に入れていたが、その後、その(二)を書こうとして私は躊躇した。6月9日に受けた私のヴィジョンというのが、私には余りに巨大すぎて、公に書くことは私にはいささか怖かった。

 6月9日、私の心に突如、描かれたのはトランスフォーメーションと言うより、トランスファー(転移)だと言いたかった。闇から光への転移である。地域をあげて、国をあげて、闇から光の国へと突入するのである。これはもう人間の力ではない、神様のなさることだと思った。こんなことを人間の私が考え出せるはずはない、人はこれを空想だと言うだろうが、そう言われると私は返事に窮するに違いない。

 私が前々号の後半、唐突に大友宗麟や神原さんのムシカのことを書いた。その理由は、宗麟や神原さんの念願したことは単なる空想ではない、請願とも言っていいことだ。こうした彼らの「地」(!)に就いた夢を私は笑えなかった。私の今回のヴィジョンは神原さんのムシカ号に触発されたと言ってよい。私は神原さんにドンと背中を押されて、こんなことを言い出しているのらしい。

 

四、日本民族の使命      

 もう一つ、私の心を動かしたのは、小石豊先生の講義にあった十部族日本移住説であった。十部族とは偶像教に走り、律法を捨てて、アジア諸国を通過して日本列島にきた人たちだ。……彼らが日本列島に住むようになると、奇妙に彼らの宗教思想に変化が起こったように思える。日本先住民の神道的思想に影響を受けたのか、彼らの信仰や思想(偶像教+多神教)が、どことなく品位を高めてくる。日本の梅原さん等、学者のみなさんが称賛する日本人の他思想受入れの寛容さ、霊妙さが生まれて来る。悪く言えば曖昧さであるが。

 西行法師が伊勢神宮で歌ったという、「なにもののおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」という単なる自然賛美とは思えない、しかし、もどかしいほど天地創造の神には届かない神秘思想だと思うが。

 小石先生がいう、「日本先住民の神道的思想に影響を受けたのか」というのは、これかも知れない。これが又、小石先生の言う「日本人の混合宗教の美学」と言われる所以であろう。この「美学」という言葉に私は驚いたが、まさにこれは日本人の曖昧至極ながら、また尊重すべき特徴であろう。

 この日本人の宗教意識の「美学」的な深みがキリストの福音を受け入れることによって、更に大きく変質するのではなかろうか、これが私の「空想」である。

 先般、キリスト新聞に「ケセン語の聖書」の山浦さんが某師との対談でギリシャ語とヘブル語の特性について語っていたが、非常に面白かった。

 ひるがえって考えると、もともと新約聖書がギリシャ語で書かれたことは意義深いものがある。そこに神様のご配慮を感じる、とは言え、ギリシャ語の特質が更に西欧語の翻訳をとおして西欧人のキリスト信仰にヘレニズム(ギリシャ)的影響を与えたことは否めないと思う。

 そう言えば、かつてアメリカ留学から帰った米沢君も「先生、ヘブル語の形容詞は凄いんです。動詞からの変形なんで生き生きとしているんです」と言っていたっけ。私はキリスト教が日本において、これからヘレニズムからヘブライズムへと色彩を変えるのではないかと思う。というのは、日本語も本来は動詞型ではなかったと思うからだ。(交通の「渋滞」を大分弁では「一寸(いっすん)ずり」という。漢語の「渋滞」より「一寸ずり」という大分弁の動詞形のほうが、場面を彷彿とさせる。古いヤマト言葉を残す大分弁の良いところである)。

 ともあれ、十部族の血を受け継ぐ日本民族はキリスト教にふれて、新エフライムとしてよみがえり、イスラエルの一員として東から西へと帰って行く日が来るであろう。それは世界が神の光の国に「転移」してゆく日でもある。日本も、アメリカも、韓国も、中国も、世界が私の言葉を使えば、トランスファーされるのである。

 

祈りのポイント   

 お祈りについて先ごろ、目が開かれました。それは「チャンと神様に向かって祈れ」ということです。そう言えば、ヤベツの祈りの聖書箇所も、こうあります。「ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った」(歴代志上4:10)。ヤベツの祈りの内容も大切ですが、この祈りの姿勢も大切です。

 (1)神様に向かって祈るのです。(2)そして、周囲に迷惑をかけない限り、大きな声で呼ばわってください。(黙って心の中で祈るも大切ですが、そのコツは後日に)。

 次に、主の祈りをあげましょう。最初の箇所で、まず「天にまします我らの父よ」です。やはり主の祈りも、「天におられる私たちの父よ」と呼んで、神様に向かって祈りはじめます。「我らの父よ」ということは、神様は私たち人類みんなのお父さんだということです。だから、私たちは多くの人類同胞のみんなを覚えつつ祈ります。

 たとえ一人で祈る時でも、みんなと共同の祈りなんだということです。そして、しかも兄弟姉妹たちの様々の問題のために、取りなして祈るのであります。

 さて、主の祈りの内容は、まず「願わくば御名をあがめさせたまえ」です。これが大切。神様をあがめ、誉めたたえ、神様を賛美する。これが第一の祈りです。

 続く祈りは「み国を来たらせたまえ」、「み心の天になるごとく地にもならせたまえ」。そして次は「日々の糧を与えたまえ」といような、人間のがわに関することです。

 よく考えると、人は日常の食物や、試練や悪事に誘い込まれないことを祈るのに一所懸命で、神様をあがめることなど、最後の最後になってしまいやすい。また、何を祈っていいか分からない、ということですね。

 そこでまず、「御名をあがめさせてください」と願っているのです。この祈りをチャンとするなら、神の国(臨在)が来ること、神様の御心が地上に行われること、そうしたことが自動的に起こって来ることです。だから、まず第一に神様をあがめましょう、これが第一のポイントです。

 私は実は具体的には「主よ、あなたを誉めたたえます」と祈っています。私の一人合点のようですが、この私の祈りに目をとめてください。「主よ、あなたを誉めたたえます」という祈りです。この6月7日に教えられ、6月9日に「変革の祈り」として教えられた私の祈りです。この祈りを始めてから、私の元気はいっぺんに回復しました。

 現在、私は82歳ですが、至って元気です。この祈りを始めてから更に元気になりました。それでも82歳です、時々、体の弱さを感じます。でも気分は最高です。娘に言ったものです。「うん。僕は元気だよ、しかし、体よりも気分のほうがもっと元気だね」と。ハレルヤ! アーメン!<く>

 

〔日岡だより130号付録〕

イエス様のコピーでありたい   

 今日(2004年6月27日)の礼拝説教の聖書引用の箇所はコロサイ1:15以下ですが、その最初に「神のかたち」という言葉が出てきます。その「かたち」という言葉は原語でエイコーンというギリシャ語です。

 エイコーンというのはギリシャ正教ではイコンのことでして、イエス様や聖人たちの画像なのです。礼拝の対象になっているかも知れませんが、プロテスタントでは偶像礼拝に等しいですから、たとえイエス様でも拝みませんね。

 ところで、よく知られているトマスアケンビスの「キリストのまねび」という本の原題は「イミタチオ・クリスティ」です。ラテン語でしょうね、このイミタチオという言葉はイミテーションと同根の言葉ではないかと私は推測します。

 イミテーションとは模造品のことですが、国語辞典をひいてみたらイミテーションの類語として「コピー」という言葉をあげていました。「わーい、いいなあ」、私はうなりました。私はイエス様のコピーでありたいと思ったからです。

 さて、今朝の毎日新聞の帯コラム「余禄」では、先日、イラクで反米グループに斬首された金鮮一さんのことを紹介していました。神学校を出たばかりで、牧師になる日を目の前にしていたと言うのです。神学校を出て、更に中東で伝道するために外国語大学にはいってアラビア語を学びました。アルバイトでやっと学費をかせぐ苦学でしたが、外大を出た時、もう30歳を過ぎていたと言います。

 同級生が「中東は貧しい」と言うと、「中東の人はどれだけ純粋で優しい人たちか知っているかい」とたしなめるような人柄だった(朝鮮日報)そうです。金さんは相変わらず貧しかった。そこで、韓国商社に通訳の口を見つけて働いていた。それが反米グループが人質としてねらう口実になりました。

 人質になった金さんはビデオの中で「韓国はイラクに派兵するな」と言わされていたが、それが本心でもあったであろう、と毎日は書いています。一人息子の叫びに韓国の母親は「政府は派兵をやめろー」と身悶えして号泣していました。

 ここまでは日本人人質事件と似ている。違うのは、これに対する世論の反応だ。日本では「自己責任論」が噴出した。危険を承知でボランティアで行ったのでなかったか、自業自得だというわけで、本人たちも家族たちも袋たたきだった。

 韓国でも韓国軍は撤退すべきかどうか、世論は割れたそうだが、派兵を続けろという側も、金さんのような国民を守るために派兵は必要だという主張で、勝手に行った金さんが阿呆だ、責任感がないなどという日本式「自己責任論」は皆無であったと言う。

             *

 私は実は、この朝、早天祈祷会に出ようとして自宅の玄関で配達さればかりの新聞を手にして一番にここを読んだ。思わず目に涙があふれた。私は新聞で見た金さんの斬殺直後の写真を思い出した。イラクを愛し、イエス様のために、遠く犠牲を払って出かけて行った金さんを想って泣いたのです。私でなくても、多くのクリスチャンが、映画「パッション」を見て泣いたように、この記事を読んで泣くと思う。

 そして私は、本日説教しようとしているテキストの「神のかたち」を思い出しました。私は先に書きましたが「神のエイコーン」という言葉から、トマスアケンビスの「イミタチオ・クリスティ」、そしてイミタチオからイミテーション、その類語のコピーにまで及んだことでした。ああ、金さんはまさしくイエス様のエイコーンだったのだ、ああ、金さんはイエス様のコピーだったのだ。私は感銘に打たれました。

 先の日本の3人の人質事件の時、私は彼らに称賛さえ寄せた。そして「小泉さん、イラクに飛んで行け」と論じたっけ。この論調は思いがけ無く本当に評判が悪くて、私はびっくりしたものです。誉めてくれたのは東後先生や、田口和尚だけです。自己責任論が日本中を飛び回ったのでした。

 どうも私の基本的認識が日本では異端らしいなと考えこみましたよ。あの3人の向こう見ずかも知しれないが、若者らしい勇気ある行動をどうして非難するのか、私にはさっぱり理解できませんでした。

 別のことですが、最近は拉致事件の曽我ひとみさんに向かって、言うのは辛いが、言ってあげたい事があるのです。「妻は夫に従いなさい」って……。夫はアメリカ政府の訴追を恐れて日本に来たくないのでしょう。子どもたちはお父さんを離れたくないのでしょう。子どもに取ってはお母さんにだまされた、お母さんはウソつきだと思っているかも知れません、子どもたちは、お母さんは「3月したら帰ってくるよ」と言ったまま、日本に行って帰って来ないのですから。

 私の記憶では曽我さんが日本に帰国した時、3月したら北朝鮮に帰るのだと言っていたと思います。その後の日本政府の政策で、このまま日本に居座るというのが、政府の強い意志だったと思われる。あんな無法な国との約束を守る必要はないと当時の福田官房長官あたりで決めたのではないか、その辺のことは私もよく分からない。

 ともあれ、曽我さんが「日本は暖かい家庭のような国だ、私はここで夫、子どもたちと一緒に暮らしたい。あんなみじめな北朝鮮に帰りたくはない」、などという気持ちは痛いほど分かる。しかし。「曽我さん、それはあなたの我が侭というのものです」と言ってあげたいのです。「妻は夫に従いなさい」、それが聖書の教えです。こんなこと言っては、また日本中の総非難を受けそうで「怖い」のですが、私はどうも日本人ではないらしい。(2004.6.27.) <く>

2004/6/20

(「日岡だより」第129号)

神癒について  
〜私の経験と私の考え〜  

 私の少年時代、教会の長老に歯科医の方がいました。ある時、大変歯の痛む患者さんのために徹夜して祈りましたが、その患者の痛みは止まりませんでした、「あんなに祈ったのに、何故痛みがとまらないのでしょう」と牧師に訴えました。牧師は呆れて、あとで他の信者に訴えました。

 「みなさん、キリストが病人の病気を癒したのは事実です。しかしそれは医薬の進歩していなかった昔のことだったからです。今の文明の時代にお医者さんともあろう者が神癒を信じなさるとはねぇ」

 信者さんがたは一様にうなずきました。間もなく、その歯科医の方から××宗に改宗したという挨拶状が教会に届きました。教会の人々はあざ笑いました。しかし私の心には、現代の教会には神癒や奇蹟は無いのかと、素朴な疑問や怒りが湧いたものです。

           *

 その後、ドロセア・ツルーデルという19世紀後半のスイスの婦人の神癒伝道の記録を読みました。激しい迫害を受けながら聖書に忠実な「福音」を伝えました。その「福音」は罪の赦しのみならず病気の癒しをも含んでいました。これが私の神癒に関する知識を得た最初でした。

 私が積極的に神癒信仰に取り組み始めたのは30歳の頃です。その頃、私は西田天香氏創始の一灯園主義による無一物無所有の生活でした。ですから金も無一文、そんな生活では「病気の時はどうするんですか」などと質問も受けます。真剣に答えざるを得ない。その答として、私の家族や私自身の神癒主義が始まりました。同時に医者に行けないという貧しい人たちのための神癒伝道が始ったのです。当時、日本は貧しく、健康保険も無かったからです。

           *

 デボーショナルな本で定評のあるアンドリュー・マーレーは、ある時ひどい病気にかかって故国のイギリスに帰国したことがあります。そして神癒の伝道で有名だったボードマンという牧師の説教を聞いて共感、その先生のもとで健康を回復しました。

 ある本の中でマーレーは、神の癒しを期待して祈るときには医薬の助けは絶対借りてはいけないと書いてあります。しかし他の本では、神は決して神癒の祈りにおいて医薬品の使用を排除はなさらない、とも書いています。マーレーの信仰にはこのような不思議なバランスがありました。

 さて、それに比して、かつての私はバランスを欠いた神癒熱心党でありました。もっとも「熱くもなく冷たくもない」半煮え信仰でなくて、熱心党であったことは良かったと、今も思っています。

           *

 私の経験によると(異論もあるでしょうが)、神癒にも段階というか、区別はあります。

 まず信念による癒しです。「信癒」と呼びましょう。聖書で信仰というとき、それはしばしば信念と呼んだほうが良い場合があります。信念は一つには気力、もう一つは言葉とイメージで醸成されます。信念が神様の治癒力を引きだすのです。(米国のサイモントン医師のイメージ療法は学会でも承認を得ているようです。一種の自己暗示法と言えますが、信念力の一種でもあります)。

 爆発的信念の力で一瞬に癒しの奇蹟が現れることがあります。また長い忍耐のもとで持続された信念によって癒しが実現することもあります。

 次は霊的癒しです。癒しの現場で生々しい霊的波動というか重圧を感じることがあります。こうした主の御手によって、一瞬に癒される人があります。「霊癒」と呼びましょうか。

 (似て非なるものが悪霊たちの介入です。一時は癒えたように見えても、イエス様の仰せられるとおり、「後の様は前よりも一層悪く」なります。悪霊たちの霊の特色は、たぶらかしの霊であり、最後には奪い傷つけ殺す霊であります)。

 最高の「神癒」の力は、何よりも神様ご自身から出てきます。「信癒」も「霊癒」も所詮は神様からのもので、同じことなのでしょうが、そこに何か、微妙な区別があるように思われるのです。(1986年5月18日週報掲載)

  

神癒について   
〜聖書はなんと言うか〜   

 「わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神はすでにあなたがたのところにきたのである」(マタイ12:28)。

 この聖句はイエス様のお言葉です。新約聖書において、「悪霊につかれている者」とは大抵、病者のことですから、即ち「神癒も神の国の到来の証明である」と言ってもよいでしょう。イエス様の宣教開始の時のお言葉、「神の国が近づいた」との、その事が、今ここで現象化しているではないかと、イエス様がご指摘なさっているのであります。

 これが、伝道上で神癒の重大な意味です。イエス様のご事跡の多くは神癒を含めて奇跡がその大半を占めます。使徒たちも同様です。パウロは言います。「わたしは、使徒たるの実を、しるしと奇跡と力あるわざとにより、忍耐をつくして、あなたがたの間であらわしてきた」(第二コリント12:12)。

 事実、パウロの伝道は圧倒的な奇跡的力を伴なっていました。だからパウロは他の箇所で傲慢なほどにも大胆に言います、「神の国は言葉ではなく、力である」(第一コリント4:20)と。

           *

 しかし、はっきり言えば神癒は福音の主流ではありません。聖書を忠実に読むとき、私たちは聖書の教えの主流は他にあると思わずにはおられません。

 旧約聖書の眼目は、人類の歴史は唯一にして創造者なる神の御手に委ねられているということです。

 新約聖書の告知は、(1)キリストの十字架による罪の赦し、(2)キリストの内住による聖にして力ある生活、(3)キリストの来臨による新世界の待望、の3つと言えましょうか。

 神癒は、教えの重要な一部ではありますが、主流とは言えません。しかし、伝道戦線において具体的に実現される神様の指(ルカ11:10)として、神癒は決して小さな指ではありません。神癒は未信者や求道者に驚異と関心を与えます。神癒は彼らの心を開き信仰への導きを非常に容易にします。

 伝道上のことだけでなく、信徒も信仰生活において各自が神癒により聖霊の力を見聞し体験して、益々信仰を強化できます。互いに実力的に祈り合うことを体験して一層交わりが深まります。たとえば病床の人に対して、言葉で慰め、介助の手を差し伸べるだけでない。神癒の祈りをもって力ある愛の心を表現することが出来るのですから。

 これはクリスチャンとして実に感動的です。これを実際体験して信仰が生き活きと向上し飛躍しない人はありません。神癒は教理としては主要路線ではないかもしれません。しかし教会の実践路線としてはぜひ把握しておきたい霊的力量であります。

           *

 イエス様は癒しを求めて来た者を、すべて癒された、と聖書にあります。癒しの比率は100%であったわけです。しかし、正直に言って私たちの癒しの現証比率や、即時発効性はそれほどよくないのです。

 しかし、だからこそ尚更あきらめずに何度でも神癒祈祷すべきだと私は信じています。また他の先生方にも祈って頂くべきだと思います。

 イエス様にしても、時には2度手をあてたり泥をぬったりして、手間取ったり補助手段を取られたりしています。故に、私たちが何度も繰り返して祈り、また医薬の併用を原則的には認め、時には勧めているのも、当然なことです。

 パウロは、「わたしがキリストにならう者であるように、あなたがたもわたしにならう者になりなさい」(第一コリント11:1)と言いました。私たちも、イエス様に、またパウロや他の使徒たちに、すべての事においてならう者でありたいと思います。

 パウロ自身、自分の持病が癒されませんでした。なぜでしょうか。それが主の御心であったからであります。ただしパウロは、その御心をちゃんと主から伺っているところがさすがです。病気は必ず癒されるのが本筋ですが、癒されない場合はその理由をパウロのように主に伺えるとすばらしいですね。(1987年4月5日週報掲載)

〔あとがき〕先々週の永藤先生による神癒礼拝後、多数の方が癒され、また先週の礼拝後、M姉のお母さんの脚の痛みが癒されました。こうしたことで今、癒しについての関心が高まっていると思いますので、昔の週報から参考記事を堀り起こしてみました。

2004/6/13

(「日岡だより」第128号)

国をあげての変革(一)   

 先日の「小6女児同級生殺害事件」ほど、日本中の驚愕を呼び起こした事件はあるまい。昨年は長崎の12歳少年幼児落殺事件、3年前は宅間某の池田附小での児童殺害、その他、親が子を殺し、子が親を殺すなど、最近の日本はひどい。人口はいよいよ減少してゆく。少子化が目に見えて進む。このままでは日本は滅びる。この危機感は杞憂であろうか。

 この日本は変わるであろうか。変わってほしい。天皇様も、皇太子夫妻も、総理大臣も、財界の大物も、一介のサラリーマンも、パートの奥さんも、ホームレスのおっちゃんも、一斉に変わってほしい。

 どうしたら変わるか。人間の少々の啓蒙運動や、努力や、いやキリスト教会の熱っぽい伝道ですらも、大々的クルセードも、国を変えることは出来なかった。これまでの実績がそれを証明する。

 しかし、変わる。必ず変わる。この日本も変わる。私は期待する。次のような実例があるからだ。

 奇蹟が起こり得る時代が来ているということである。神様が備えたステージがすでに備えられているということだ。そのことを信じて祈りましょう、それは可能であると。

 この6月9日未明、私は新しいヴィジョンを与えられた。決して霊感的なヴィジョンとは言えないが、私の思いの中に明確に芽生えたのである。日本にも聖霊の大いなる訪れが必ず来る。そして、日本民族は覚醒する。総福音化の時代である。日本に霊的変革が起こるのであると。

           *

 こうした思いが湧く最も手近な誘因はトランスフォーメイションというビデオであった。

 まずその説明をしよう。このビデオには1と2があるが、私はどれも諸先生がたから教えられて、遅くなって知った。最初は2のほうを見せもらって、あとで滝元先生のプレイズ出版から買った。1のほうはどこから出ているのか分からないが、これも遅くなってH先生の教会で見せて貰った。そしてそのビデオを借りてダビングしたのである。

 この両方のビデオはクリスチャンというクリスチャンは、どなたも見ていただきたい。この中に証しされている数々の報告は、終りの世紀であるこの21世紀に神様が地上になしてくださる革命的御業の先ぶれであると思う。

 画面はアフリカのコロンビアのカリという町から始まる、同じくアフリカのケニヤ、あるいはアメリカのカリフォルニアにある小さな町や、中米のグァテマラからエスキモーの部落、スコットランドの北の島。中部アフリカのウガンダに至るまで。

 そこでは、麻薬が止み、暴力や自殺が止み、町や都市や国の犯罪が減って、酒場や売春宿や刑務所が無くなり、農地の地質に変化がおきて、生産物が質的に量的に向上する。何よりも、政府要人や軍人たちのワイロが減り、暴力がなくなり、国中に平和がやってくる。経済も復興するが、教会も驚異的に成長し、国や、市や町や部落など、共同体が一挙に変化する。これこそ変革、トランスフォーメイションである。(ウガンダでは私たち夫婦が東京で祈ってもらったカヤンジャ先生が出てきたので、このビデオは私たちに非常に身近なものになった)。

 実はこのような大変化を起こす要因は神の聖霊にある。しかし最初に、その神様の介入をお招きする少数の信徒たちの祈りがあった。ある町ではたった2人の老婦人が徹夜して祈る、その祈りがきっかけだった。ある町では一人の牧師が祈った。悪霊たちのそそのかしで、その牧師は暴徒に暗殺される。しかし、その時から市民の意識の流れが変わった。

 ある町では伝統的偶像が引き倒され、ある都市では潜在的力を誇った霊媒がついに祈りによって追い出され町を出て行った。そして町が一斉に変わる。

 ある部落では町の人々が魔術や汚れた雑誌類や物品を町の中央の持ってきて焼いた。エスキモーの間では100年も前から、伝統的宗教者がイエス様を信じてこの日の来る準備をしていたと思われる霊的胎動がある。ウガンダでは大統領が国をあげて「イエス様と契約を結ぼう」、などと国会や民衆の前で宣言している。これ、すべて大変革、トランスフォーメイションである。

 これまでの諸教会のビッグな成長、クルセードの成功、カリスマ大聖会、等々ということも大感謝である。しかし、それとは地域的規模と民衆の意識変化の震度が違う。町が、市が、県が、国が、変わる、壮大な神の国の実現が夢で無くなる気がする。

           *

 話題を急旋回させます、先月のこと大分県南部の中央都市佐伯市に行く事がありました。そこで旧知の神原さんを訪問したのです。古書や骨董の店を開いているが、店の名を「ろざんじん」という。この店の名は知る人ぞ知る食事哲学をもって鳴る北大路魯山人を模したものか。神原さんの一徹な趣味と人柄が伺えます。

 お店を去る時、神原さんから頂いた雑誌風の刷り物が2冊。帰って読んでみてびっくりした。題して「ムシカの国の夢」と言うのです。ムシカ……?

 これは戦国時代、豊後の国の統領・大友宗麟が彼の宗教的信念から理想郷をたてようとして名付けた地名だと言われます。ラテン語のムシカ、英語でミュージック、音楽のことだとも言いますが、宗麟は宣教師たちが持ってきた西洋楽器のかなでる賛美歌の曲に身も心も休まる思いがしたのでしょうか。賛美歌の曲にあるような平和な国を作りたいと思ったのでしょうか、それに違いありません。

 宗麟が願ったその理想の土地が、佐伯から南に向けて宮崎県延岡あたりに至る広大な土地だと神原さんは言うのです。その名残りが、現在も大分から南下して延岡市に入るあたりに「無鹿」(むしか)」という町の名です。私は甲斐敬子さんの実家の田口さんの薬局のお店に行ったら、そのあたりに「無鹿」の町名の標識があったので驚いたのでした。

 大友軍が南から攻め上ってきた薩摩の軍隊と戦って敗れるのですが、「耳川の合戦」と言います。この戦いから大友宗麟の運命がせばまって来ます。

 大友宗麟は大分が生んだ大名で、一時は九州を席巻した英雄の一人です。しかし、私は少年時代からこの大友宗麟が嫌いでした。西欧の文明の武器や火薬などを輸入するため宣教師に取り入って最後には哀れにも失敗した駄目な男と思っていたのです。とうてい故郷の誇り高き武人には思えない、恥ずかしい人物だと思っていました。

 この誤解を解いてくれたのは北九州の原田夢果史(むかし)という方でした。この方はたしか京城帝国大学の史学科を出た人ですが、在野の歴史家です。この方は以前、宮本武蔵の隠れた一面を書いて出版したことがありましたが、次に大友宗麟を選びました。この宗麟は原田さんの先祖一族を滅ぼした憎い奴であるということから始まった研究らしいのですが、最後に考えを改めました。「大友宗麟という人は本当に信仰をもって死んでいる。すごい男です」と言うのです。私もこの方から、研究の結果の原稿をお借りして読んだものです。その感想を述べたら、「この原稿を本当に理解してくれたのは釘宮さんだけです」と喜んでくれましたが、その出版に到らずお亡くなりになってしまって残念でした。

 さて、こうして宣教師に迎合、一時はもてはやされたが、結局敗北してしまった弱い大名、という汚名を着せられたかに見えますが、その汚名を拭ってくれたのが遠藤周作です。彼の原作をもとに脚本化され、今年の正月にテレビに乗せられたことは皆さんの記憶にもあるでしょう。遠藤周作は「沈黙」以来、キリスト教に即した小説を幾つか書いています。遠藤さんはカトリックでありながら、書くところはプロテスタント的ですが、それかと言って私から見てもリベラル風で感心はしませんが、それでも大友宗麟に関しては大いに感謝したいと思います。

 ともあれ、横道にそれましたが、佐伯の神原さんは、佐伯から宮崎県にむけて平和と繁栄の文化圏を作ろうと提唱、市民運動を盛り上げようとされている。人に言わせれば「馬鹿一徹の根性仕事」でしょうが、雄大な夢です。こういう人のおかげで本当の生き生きとした地方文化は起こるのでしょう。

 この方の抱く夢のエネルギーは、私の日本変革の願いを大いに支え、励ましてくれました。但し、私は政治や政治力や産業や教育によるのではなく、神の福音により、地域の民衆の魂を一挙に変革する聖霊の力の注ぎを祈るのです。あのアフリカやエスキモーのトランスフォーメイションのように。

2004/6/6

(「日岡だより」第127号)

変革の時代を迎えるか?    

 この後に載せる「人間の再形成」という文章は、ちょうど20年前、1974年6月21日に書いたとある。当時、公表しなかった。読んでみると、自惚れのようだが、今も古びていないと思う。言い替えれば、その頃より私は一向に進歩していないというわけだから、愕然とする。20年と言えば成人に達する年数ではないか。昔は「10年一昔」と言ったが、今の私にしてみれば20年も「一昔」に足りない、ということになるのか。

 この「人間の再形成」といういう文章は、私がワープロを使い始めた時のものである。その時、私は62歳だったが、「ようまあ、先生のお年でワープロなど扱えますねえ」と驚いてくれたり、褒められたりした。ところが、最近は私はネットはおろか、ケイタイも扱えない。

(私はケータイという表記は嫌いである。これはダイエイをダイエーというのと同じような言葉の傾斜であるが、イ列の長音化は東京方言だと思う。当大分県人は実際の発音としては大抵ケイタイと発音していると思うが、文字に書く時にはケータイと書くに違いない。新聞記者さんだってケータイと書いている。非行少年も最初の兆候は衣服や持ち物の乱れで分かると補導関係の人がいうが、こういう書き言葉の乱れは言語感覚の堕落を示しているのではないかと思ったりする)。

 今、世間を騒がせ、惑わせている、小6女児同級生殺害事件は確かにギョッとさせる事件である。昨年の長崎の12歳少年幼児投下殺害事件より、更にコワイ。それはネット交信の何やら目に見えない世界の不気味さであろうか。あるいはこれは82歳老人の時代遅れの物言いかもしれないが。

              *

 過日、ソニーの出井会長が言っていたが、「まるで水が蒸気になるように、2006年ごろには企業も社会も大きく変わっているだろう」と。「ブロードバンド(高速大容量)通信の浸透で情報較差が無くなり、個人へのパワーシフトが起こるからだ」と言う。

 私はしろうとながら、企業が個人にパワーシフトすることは、既にぼつぼつ起こっていることではないかと思う。最近のウイニー事件などにもその萌芽が見られる。

 水が蒸気に変わる「気化現象」は「企業も社会も」ではなくて「社会も企業も」ということになろう。社会機構というか、インフラというか、一大変革を要する時が迫っているのではないか。

 最近、ある人が書いていたが、「高速道路を廃止せよ」というのである。アメリカは国土が広いから当然なのであるが、国土面積に対する高速道路の長さの比率が日本はアメリカの5倍であるという。ともあれ、アメリカでは高速道路の撤去が始まっているというのである。環境問題から発していることだが。

              *

 国家や民族、個人と家族、この意味の弁別はむつかしいが、ともかく、いわゆる民衆を大岩石のようにマスといてとらえ、これに政治的に束縛し保護する、これが国家だ。企業も同じく民衆を擬似岩石として捉え、販売政策を立てたりする。

 このマスなる民衆がIT環境の極度な進化によって個人と個人に分解し、気化する時、企業は変わるだろうと言うのか。ひょっとしたら政治も変わる? 先の出井さんの発言によって私の脳裏にこうしたイメージが湧いた。

 これは既に、終末を迎えようとする世界の成り行きなのだろうか。悪魔かもしれぬ、少女を使って不気味な殺人事件を起こさせる時代、底知れぬ恐怖心や不安が忍び寄る。

 この時、最も必要なことは個人の魂が真底から解放されることである。それが後の頁に載せた「人間の再形成」です。これができるのはキリストの福音です。これは人類の奇蹟です。

              *

 先日まで上映していたパッションという映画はイエス様の最後の受難の12時間を描いたものです。続いてイエス様の復活と昇天、こうしたイエス様の一大事業(?)によって神様の人類救済のプログラムが展開するのです。

 実はこの神様の人類救済のプログラムは、よく考えると旧約聖書の否定です。ユダヤ教から見れば、とんでもない人類救済のシナリオですが、初代教会の弟子たちが迷いもなく、各人の間に齟齬もなく、皆が一致してこのシナリオを語りました。そのことは如何ほど驚嘆しても驚嘆し過ぎることはないと思います。

 ヘブル人への手紙の第8章を見ましょう。芝居の回り舞台のように、突然、天の情景が現れ、神様の御座が見えます。御座の隣にイエス様がおられます(ヘブル8:1)。9章から10章まで読みつづけて参りますと、このイエス様こそ新しき真の大祭司(ヘブル9:12)であり、また羊や牛の代わりにご自身を犠牲として(ヘブル9:12)捧げられた方であると分かります。こうしてイエス様を生きた幕屋として通って、神の聖所に入ることができると(ヘブル10:19、20)言うのです。

 新約聖書の特に書簡群を読みますと、こうした教義が誰か一人の人が創唱して語ったものを弟子たちが恐れ畏んで一字も違うまいと聖書にまとめたのかと思えるほど統一が取れています。聖書の各文書は互いに矛盾がないとよく言われます。

 もちろん、ときどき問題になる個所も聖書にあります。有名なのはガラテヤ人への手紙とヤコブの手紙です。一方は「行いによらず信仰によって救われる」と言い、一方では「行いのない信仰は死んだ信仰である」と言う。文字の一字一句を捕らえて論ずれば、矛盾に見える個所も幾つかはあります。しかし、信仰の奥義が分かってくると、そうした個所こそ、却って深遠な意義を持っていることが分かってきます。

 ともあれ新約聖書の中核は、イエス様が父なる神のひとり子であり、その方が人類の罪を背負って身代わりの罰を背負ってくださり、そして天に帰り、父なる神様のもとに居られる。そこから地上の信者たちに聖霊を送って、彼らを更に強い清いクリスチャンに成熟させてくださり、そして新天新地の成る終わりの日、死にたる者も生
きたる者をも裁きたもうこと、私たちはその御再臨の日を待ち望んでいるのである事。このような統一した信仰をペテロもヤコブもパウロも、その他の使徒、牧師、教師、伝道者たち一糸乱れず信じとおしたということ、まさに奇蹟です。

 旧約聖書を人間の頭で読んで、この旧約聖書を継続完成させた宗教としてキリスト教の教義を読もうとすると、ひどい拒絶に遭うことになろうと思います。先入観なく、旧約聖書をすなおに読んだ後で、新約聖書に読み進んだならば、びっくり仰天、これは全く違う信仰だと困惑するのではないでしょうか。

 ユダヤ教のユダヤ人たちが、簡単にキリスト教にはいれないの当然だ思います。パウロがかつてクリスチャンを迫害し、後に彼がクリスチャンになって、今度は彼が激しくユダヤ人たちから迫害されます。当然だと思います。

 もちろん、新約聖書の信仰を持ち、その信仰の霊的目をもって旧約聖書を読むならば、今まで分からなかった隠れた神の奥義が開けてくるのです。体がゾクゾクするような霊的幸福感に満たされるのです。それは聖霊様の働きです。初代教会の弟子たちが期せずして一致した信仰を抱き、保持し、英雄的に堂々と伝道できたのは、すべてこの聖霊様の力です。人間の智恵で共同研究して出来あがるような事ではありません。これこそ正に奇蹟です。

 私たち通常のクリスチャンは、初めに新約聖書から入って、旧約聖書を参考的に所々つまみ読みします。だから、この奇蹟的関門に気がつかないのです。この関門こそキリスト様です。<く>

 

人間の再形成    

 以下に載せる文章は、本紙の冒頭に書いたように私の保存している最も古いフロッピから発見したものです。玖珠の古後兄の経営するグリーン・ホテルに泊めていただいて、その翌日の朝、書いたもののようです。以下に転載します。

 一、「霊生」。人間再形成の第一歩はは神による霊の新生である。人間の霊はアダム以降死んでいるのである。死とは無くなることではない。生が神の呪いの拘束の中におかれ、生の真の霊的活動力を失ってしまうことである。人間の霊はそういう意味で死んでいるが、イエス・キリストのあがないにより死から解放され新生するのである。私はこれを「霊生」と呼びたい。

 二、「品性」。霊生は新しい霊性をうみ、新しい霊性はあたらしい品性をつくる。霊性とは人それぞれ特有のユニークな霊的性質をさす。そしてそのユニークな性質は人それぞれのユニークな品性を造り出すのである。(御霊の果は愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制である、と聖書はいう。これが品性である。ガラテヤ5:22、23)。

 三、「性格」。人の性格は、その人の品性とその人の習慣の双方の力によって出来上がる。品性は性格をつくり出す基盤的素材であるが、もう一つの力、習慣(心と肉体的行為の習慣)の力の重大さについても目を閉ざしてはならない。彫刻にたとえるなら、品性は素材(もしくは材質というべきか)で、習慣はそれを彫りこむ彫刻家の指であり、ナイフであると言える。

 四、「習慣」。習慣とはある考え方や行為の繰り返し、継続によって、あたかも皮膚のしわのように時間をかけてできあがるものである。峡谷が水の流れに刻まれて出来てゆくように。小さい習慣であれば大体3か月で身につくようだと私は体験的にたしかめている。大きな習慣形成には3年、もしくは30年もかかるだろうが、30年もたつと性格がすっかり変わってしまう。

 一定の考え方を持続し、それが習慣化されたとき、それを「心構え」という。心構えがはっきりきまると、その人の人生は確信的強固なものになり、成功的人生となる。いわゆる成功ではなくてもその人自身、後悔を感じない。そして後悔のない人生こそ本当に成功ではないか。

 次に肉体的行為の習慣は、しつけ、礼儀、巧みな作業、芸術やスポーツ、格闘技等あらゆるところに表れる。これに至る過程を普通、訓練というが、精神的な霊的な信仰的な「訓練」もあるのだから(第一テモテ4:7)、私はそれを「信仰の訓練」と称している。ロヨラのイグナチウスが「霊操」と言うのと同じことか。

 五、「能力」。前述の習慣は、すでに小さな能力であるわけだが、習慣をさらに繰り返すと、その能力が「強化」され更に大きな力になる。それを「能力」と呼ぶ。それはは単に信仰的な面ばかりのことに限らない。あらゆる面における人間の能力の増加、強化の原則である。

 付言、一、の「霊生」はその新生を皮切りとして、次々と生命を溢れ出させる持続的な神の霊の噴出であると、理解しておきたい。四、五に述べた習慣、訓練、能力の強化等の過程がそれほど強力でなくても、いや全然無いような時でも、神のただ一方的な恩寵によって成功や能力が一挙に与えられることがある。それをその後、長い人生で持続できるのは、やはり神の霊の働きである。

 主を賛美し、そして感謝して、私たちの習慣造りの努力を休まないようにしようではないか。<く>(1984.6.21.玖珠・グリーンホテルにて)

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 【図書推薦】今橋 淳著「回心録」(英訳対照) 定価500円。敬愛する今橋先生の回心記です。先生は私よりちょうど10歳若い。終戦時を過ぎ、16歳の感受性が強い頃、大変な病気を患らう。その辺のことは本書を読んでほしい。そして聖書に触れ、信仰を求めて罪意識に苦しむ。私と全く似ています。その時、熱読した本がなんと、内村鑑三、ヒルティ、ルター、キエルケゴール、まさに私の若き日そっくり、驚かざるを得ません。
 1957年(昭和32年)10月、先生と私は熊本から、天草を通って長崎に至る無銭徒歩伝道旅行を試みます。途中、野宿をしたり、禅寺に寝せてもらったりしながら、結核療養所では2箇所、押しかけ伝道集会をしましたが、病気療養中の患者さんたちには今橋先生の説教は親身であり、強力でした。私はただただ感嘆して背後で見守るだけでした。今も先生と私とは、ハートとハートはツーカーです。どうぞ、このすばらしい本をお読み下さい。<く>

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