キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(バックナンバー)2004年10月
2004/10/31
(「日岡だより」第148号)
健気な日本人
超大型台風と言われただけあって、台風23号は散々爪あとを残して去って行った。ホッとする間もない。次は新潟地震、これが又、ひどい。前代未聞と言いたいほど、余震が長い。
なんと、日本列島、軒並にやられたものです。考えてみれば、これはこの極東の海沿いに佇立する島々の過酷な運命に違いない。ここに棲む日本人はこの運命に耐え、戦い、忍んできた。そして歴史を造り、日本人の気質と文化を鍛えてきたのだと思う。
今回の新潟地震では、初めの頃、あるコンビニでは「金はあとで持ってきてくださって結構」と言っていた。店の前で待っている客の長い列を乱す人もいない。こんな秩序ある温和な国民って、どこにあるでしょうか。「神様、この国の国民を誉めてやってください」と祈らずにはおられませんでした。
広い体育館のような場所に1000人程避難していても和気あいあい。先日、震度六度余震の時に、そこに居た5、6人の女性や老人や幼児も、ひしと抱き合って余震の収まるのを待っていた。その顔の良さ。
避難所でテレビの取材マイクが向けられると、皆さんは微笑して答えている。実に「健気な民族」でないか。涙が出る。
「ああ、日本人はすばらしいなあ」と思う。(昔は無意味にエヘラエヘラと笑うジャパニーズ・スマイルで、西洋人には気味悪く思われたくらいだが、昨今はああいう卑下した笑いはなくなった。)
神様って本当にいるの?
それにしてもこうも次々と災害を起こされるのは神様か、だったら神様はなんという残酷な方か。
先日の信濃川沿いの崩壊災害、母子3人、2歳の優太君が救われて凱歌をあげたが、お母さんとお姉ちゃんは即死していた。
可哀そうでテレビの前で多くの日本人は涙ぐんだであろう。そして、こういう人もあろう。「見ろ、人生すべて、運や。偶然や。神様なんか居るもんか」
これが「無神論」の始まりである。
神様が居るとしても、神様が支配されるこの世界の過酷さ、不条理さ! 愛と正義の神なんか居るはずはない。そこで、自棄っぱちに、唯物論者となってしまう人もいる。こう言うだろう、
「すべては偶然に左右される。すべて起こったことは偶然だったと諦めるほかはない。世間を渡るには、ほどほどに上手に生きるか、太く短く豪勢に生きるか、それしかない。各人勝手にやろう」と、いうことになる。
多くの「神は無い」という人は、次のような唯物論からくる。確実なものは目に見え、手でさわることができる物だけである。見えない神などいるはずがない。
もう一つの「無神論」がある。それは神様などいては困る人々である。(適当に神様らしいものを認めてはいるし、お守りを車につけたり、神社の前で一応拝んだりする。)
しかし、「キリスト教の神様なんか信じないよ、触らぬ神にたたり無し」というのである。
こうした人々は、キリスト教のような只一つの神様に帰依するのは気が重い、厄介なのである。
キリスト教の道徳的な厳しい神様、一つ一つ心の中を見張って、「清く正しくありなさい」というように神様に一挙手一投足束縛されてはかなわない。
もっと自由で居たい、この世で生きるのに「清く正しく」なんて、考えだしたら、不便で仕方ない。 気にはなるけど、ルーズに生きさせてください。「神様、神様」とあまり面倒なことは言わないでください、という人々である。
ここで汎神論が生まれる。人間の思いのままになる神様のことである。「そんなに無駄に苦しむ必要はないんだよ。神様は人生をもっと楽しく快活に生きて行ける道を備えてくれていますよ」という一連の宗教哲学、ないし思想がある。
それを私は「汎神論ないし汎心論」と呼びたい。「生長の家」や「幸福の科学」が、この範疇にはいると思う。断っておきますが、私は「生長の家」や「幸福の科学」をけっして軽んじない。私たちキリスト教会の教えの固苦しいところを随分解きほぐして一般の方に真理を教えてくれるところがある。
生長の家の谷口先生がよく引用された仏教の言葉に、「一念三千世界」という言葉がある。人の一念が宇宙を覆うということです。「あなたも私も一つ心です。お互いに祈り合いましょう」、こういう提言は日本人に分かりやすい言葉です。
お寺さんなどの門前の掲示板によく書かれているこうした言葉は日本人になじみやすい。
「私の心はあなたの心。あなたの心は私の心、みんなの心は世界の心。みんな一緒に合掌しましょう。合掌すれば世界は一つ、合掌の心は神様の心。マザー・テレサさんも、よく合掌されていたじゃありませんか」。
クリスチャンだって、こうした言葉を聞くと「なるほど」と思う。誰が聞いても気持ちがよいし、抵抗がない。そのまま胸に染み込んで、気持ちがよい。
救われた気持ちになる。誰も私を責めない。受容してくれる。敵を作らない言葉です、これが汎心論の特長だと思います。
ところが、それだけでは問題が残るのです。
「このままでは私は救われない。私の心はサソリか蛇みたいだ。このままでは確実に地獄行きである。この私をこのまま救ってくれる方は無いものか?」。
この苦しい叫びは親鸞さんです。そして答えがあります。「私を救う方は、ただ一人居られる、それは阿弥陀如来様だ」。法然さんが開いた浄土宗です。
また日蓮さんは言います。「このままでは日本は滅びる。鎌倉幕府よ、悔い改めよ。わしは日本の柱である。法華経だけが日本を救う。法華経の正義に立たなければ日本は滅びる。」
クリスチャンの私に言わせれば、まったく似た事を言うでしょう。「聖書の真理だけが日本を救う。日本を変革するのは聖書の真理、聖霊の力です。日本は変革されなければならない。」
聖書の真理とは、神は只一人の方、万物の創造者であるという事です。人間は始祖アダム、エバの罪によって根底的に霊的・道徳的欠陥がある。遺伝子の意志部門に欠陥がある。如何なる修養も考え方の修正も人間を本当には救えない。
それでも生きている間、少しでも楽にさせるためには病気を直す薬や医者が必要であるように、質のよい宗教や心理学応用のカウンセリングも必要である。
しかし、本当に霊的不安、根底的罪性、これから人間を救うためには、唯一の真の神の救済の手が伸べられなければならない。その救いの手がイエス・キリストです。
私たちの母国、この日本を根本的に作り替えるには、まず私たち日本人自身が作り替えられる必要がある、個人が変わり、家庭が変わり、地域が変わり、日本が変わる。
世界のグローバルな滅亡は目に見えています。
テロリズムが核兵器を手に入れたら世界は火だるまになる。それを防ぐ力は、人間を救い、力ある個人に造り替え得るキリストの霊力だけです。《く》
2004/10/24
(「日岡だより」第147号)
集団自殺する人々
ある人から「集団自殺について、どう思われますか」と質問された。私はすぐ、明治の頃、日光の華厳の滝で投身自殺をした第一高等学校1年生、わずか17歳の藤村操のことを思い出した。
あの事件は当時の日本の社会を衝動させた。そして、華厳の滝は自殺の名所になる。以後1年間に後追いの自殺するもの11人、自殺しようとして未遂に終わった者が15名を数えたと言う。
これは時間的には同時ではないが、場所的には一つになっての自殺行為であるから、一種の集団自殺と言えないこともない。
時代は決して精神の浮薄な時代ではなかった。明治36年、つまり日露戦争が始まる前年である。ロシアの大軍が満州に南下した頃で、大国の威圧の前に国民ひとしく国家的緊張を覚えていた時だ。こういう時代に一個の小さな了見で自殺するとは何事だと怒る愛国、憂国の人も多かっただろうと思われる。
とは言え、藤村操の自殺の原因は失恋や病弱や貧乏というありきたりのものではない。有名な巌頭の辞に「悠々なる哉天襄、遼々なる哉古今、万有の真相は曰く不可解」などという至極真面目な言葉を残した怜悧な哲学青年の決断である。青年と言っても今であれば、まだ少年ですよ。
ここに気になる関連事件がある。当時、藤村操のクラスの英語の教授が夏目漱石だった。そして藤村操が2回も宿題を忘れた。漱石は「勉強する気がないなら、もう教室に来なくてよい」と叱責した。藤村は黙ってうつむいていたそうだ。その日から1週間後に藤村は自殺する。漱石にショックを与えたと思う。彼の後々の欝病の原因ではなかったと言う人もある。
*
ここに私の経験を書き添えたい。それは昭和16年の7月である。私は別府市の山手の明るい雑木林の中に埋もれた簡素な家を訪ねた。私の親しい友であるA君が一人療養していたのである。彼は東京外大の入試に上京しながら、その旅先で胸部疾患が発病して倒れ、故郷に帰って安静治療中だったのである。
安静と言ってもベッドに臥す必要はないほどに回復していた。日々、読書に親しんだようである。彼の父親は裕福な商人で、しかも闊達な人であったから、愛息のために温泉地の別府に別荘を作ってやるくらいのことは何でもなかった。
家に上がって「どうだい」と尋ねると、「うん、まあまあ」と私を坐らせながら、「おれ、この頃なあ」と口を切った。言いたくてたまらないことがあるという風情であった。
「おれ、死の哲学を完成したいんだ」
「死の哲学って?」
「人生、生きる価値はないってことだ」
「わかるような気はするが、大変なことだ。どうして、そういう結論が出るんだ」
彼は、そこに至るまでの、いわゆる生の哲学に失望した経過を述べた。当時、ロマン・ロランや武者小路実篤あたりの理想哲学というか、「人間万歳」というか、つまり「我々は生きている。この尊い現実を感謝して意義深く生きて行くことは我々の義務である。この人生から逃亡してはいけない。我々は雄々しく人生を肯定して生きて行こう」。概説すればこういう人生論だった。
当時は、天皇制のもとに戦争の匂いが立ちこめる時代、青年たちは戦死という将来の幻影を見つめつつ、肯定的に生きぬいて行く思想がほしい時代だったから、こういう人生論が求められていたと言える。たとえば「生活の探求」の島木健作など、よい例であろう。共産主義から転向して健康な意識的作品を書いた。「ともかく生きることは善いことだ。だから善い生き方をしよう」という哲学である。
そうした語り口の一種の偽善性をAは感じていたのであろう。彼は反論する、「生きて行くことは全て悪である。この生存悪を避けるには死の外はない」。これが彼の言う死の哲学であった。
*
僕は混ぜっ返した。
「おい、おい、それはわかるよ、しかし、その死の哲学が君の頭のなかで出来あがったら、それを人に語ったり、論文にしたり、まして哲学雑誌に発表したり、そんなことをする暇はないよ、それをやってみせて世間に少しでも見栄をはろうなんて思うのは生の哲学だよ、本当の死の哲学が完成したら、その場で即刻、何も言わずストンと死ぬはずだと思うね」
と言ったのである。私はいっぱしの論客になって彼に言って聞かせた気分になっていた。詳しいことを書くのはやめるが、それから3日ほどして彼は納戸のなかでガスを引き込んで死んだ。
その彼の死の体にとりついて私は嘆いたが、家に帰ってみると彼からのノートが郵送されて来ていた。私はそのノートを抱いて大分川のほとりに行って夜の明けるまで泣いた。ノートには彼のここ何週間かの魂の旅路を書きつづってあった。
彼は言う。「今、ここで死んだからと言って、私の罪と悪に染んだ人生が赦されるとは決して思わない。ただ私は、私の罪と悪の人生にピリオドを打ちたいだけなのだ」。
彼の生存悪という論議は、人に言わせれば、まことに小児病的な清浄論であろう。朝の味噌汁のなかのだしのイリコを食べることにさえ殺生の罪だと感じる彼は又、その食事を作ってくれる雇いの婆やの卑しい一言を嗤う己が心の醜さに耐えられない彼なのである。そういう自分がここで死んだら赦されるだろうなどとは夢々思わない。逝く先が永遠の地獄であっても当然の報いだと、彼は信じて死んで行ったのか。私はその彼に自殺を急ぐよう、けしかけたことになる。私は我が顔を蓋った。
先に書いた、藤村操を叱った夏目漱石の立場に私も似ている。しかも、私は彼の深刻な罪悪意識から彼を救い得るキリスト教の救いの教義をなぜあの時、理屈だけでも言ってやれなかったのか。私は彼を救うべき道をたとえ神学的理屈だけだとしても、親や牧師から教えてもらって知っていたのに、なぜあの死の哲学問答の時、それを言ってやらなかったのか。私は激しく後悔した。私はもともと彼に対して同性愛ではないかと自分で疑ったほど、彼を愛していた。だから尚のこと、私は自分を許せなかった。
私がのちに、自分の罪意識に苦しみ信仰による確実な救済を獲得というか、神様からの恩寵として頂くというか、そうした経験を得てから、彼にたいする申し訳なさは、さらに拡大した。
*
さてここで書きたいのは私の自殺事件である。
昭和18年、私は軍事召集を受けた。私はすでに急進的非戦論者であったから、よく教会の青年会や一部の人たちの前で非戦論を語ってきた、そこへ、軍事召集が来たのだ。
日露戦争の時、東北の花巻で斎藤宗次郎という人が戦争に行かないと内村鑑三先生に報告して先生を驚かせた。内村先生は彼のもとに急遽おもむいて説得して軍隊に行かせたらしい。私は尊敬する内村先生だが、このことだけは先生に納得できなかった。
ともあれ、召集がきた時、私はかの吉田松陰の言葉を何度も心に繰り返した。松陰は言っている、「もしも主君が正しい道を取ろうとしない、いくら諫言しても聞きいれてくれない、あるいは諫言することが不可能の場合、家来は諫死するしかない」と。その言葉が私を捉えた。人は嗤うだろうが、私は大東亜戦争の宣戦布告をした天皇に対して諫死する気持ちだったのである。
私は召集日を前に睡眠薬を大量に飲んで自殺をはかった。これが失敗して兵役法違反に問われたのだが、「自殺する方法」などという本は無かった時代、私の自殺は恥ずかしくも失敗した。睡眠薬が多すぎたらしい。しかし、それは感謝であった。
私は生き残った。ともかく、たった一人の母親を「生きてくれるだけでも嬉しいよ」とホッとさせ、私は刑務所に入ったけれど、その独房の中で信仰を神秘体験をし、そして平和の時代がきた後は、私の体験も多少は誇りになった。そのことは山村さんが「戦争拒否、11人の日本人」という本の中で書いてくれている。
そこで気のつくことは、あの藤村操の後追いをして華厳の滝に投身自殺した人たちが何人か出たように、私もやはりA君の後追いをして自殺したように思えるふしが自分にあるのである。
藤村が自殺したのは日露戦争直前だった。そしてA君が自殺したのは大東亜戦争の勃発の年の7月12日であった。なんだか偶然ではないような気がして来る。
*
さて、今回の集団自殺だが、こういうヘンな男女が起こってくると、「よくよく悪い時代やなあ」とか、「今の若いやつの気持ちは分からん」などと顔をしかめる人も多かろう。そして、こういう問題が新聞やテレビを賑わすと、その報道につられて次々と自殺を真似する連中が増え、日本はだめになってしまうのではないか、と憂国の思いに捉われる人も多いのではないか。
でも、私はこの点、あまり心配していない。藤村の事件以後、華厳の滝は自殺の名所になり、共鳴自殺が11人、未遂が15名あったなどという状況は憂うべき様相ではあろうが、しかし、それ以上増えはしなかったということに目を留めたい。つまり、自殺したがる人の潜在数には限りがあるということである。
私は今夏のアテネ・オリンピックでの日本の選手団の好成績を見て、これは日本一般国民の意識の快活さ、活力が生み出したのだと解析してみた。ここ数年、幼少年の殺人事件、親が子を殺し子が親を殺す、無残な殺人や、餓死事件、おれおれ詐欺、こうした社会悪が日本列島にみなぎっている感じだが、その割に日本人は悪い影響を受けていないと私は感じる。
こうした生々しい事件についても、国民の多くは家庭や職場などで、これを反面教師として捉え、慨嘆して会話を終えるのではないか。集団自殺などのニュースによって、これに影響され、感情を誘われて、つい自殺したくなるというタイプの人はこの日本国民の中では、そう多くは無いだろうと私は思う。
オリンピックの金メダルにしても、これは国家の気迫、元気を示しているのだと、渡部昇一さんが言っていたが、私もそう考えていた。日本人はそれほど簡単に多くの自殺者を、まして集団自殺を生み出す国民ではないと、私は思うのだ。
この原稿を書いている時、台風23号の各地の影響を放映していた。羽田空港で一泊覚悟の人たちや、公民館に避難している人々、床上浸水で家を逃げ出して路上の冠水の中を歩いてきたという人、いきなり乗っている車に大木が倒れかかってきて車を壊されたご本人、皆さんはどなたもテレビの取材に笑いながら答えて、余裕がある。「大丈夫、大丈夫、この日本を信頼したい」と私は思った。この日本人にキリストの活きた信仰を伝えるなら、必ずこの国は根本から変革できると信じたことであった。《く》
〔付記〕唐突だが言葉を極めて推奨したい本がある。富岡幸一郎「非戦論」NTT出版発行です。まだ全部読んでいないので、全般的な感想は書けないが、巻頭の内村先生の非戦論紹介では全く同感である。特に自然に対する問題意識について。▼巻末のカール・バルトのユダヤ人問題には目を覚まされた。こういうバルトの世界は私は読んでいなかった。▼今回の本文で少々、私は現代日本人を誉めてみたが、これはどうも短見。この本の根本的な見方を重ね併せて、読んでくださるとありがたいです。▼さて、台風23号は大変でした。こういう、いわゆる自然災害も聖書的自然観で考え直しましょう。《く》
2004/10/17
(「日岡だより」第146号)
世に勝つ勝利は我らの信仰である
1980年(昭和55年)1月28日の朝、目がさめると、そばの床に妻がいない。起きてみると、妻は向こうの部屋にストーブに背をむけて椅子にうつぶせしている。
「眠れなかったの?」
妻が小さい声で言う。
「2時頃から、左の脇腹が痛くて眠れなかったのよ」
妻は10日間の断食を終わって、昨日より、おもゆの食事を始めたばかりの、あくる日の朝ではないか。これは胃潰瘍か、あるいは胃癌かと内心、心配している私である。胃の痛みの症状は、これまでの10日間の断食と連日の祈祷の中で、相当に癒されてきた。今後、順調に回復するのを待つばかりだと、心の底で期待していた望みは、無残に打ち砕かれたのか。
私は胸をつかれた思いで妻のそばに行って祈り始めた。しばらくして、多少の平安を得た私は教会堂に行った。会堂は雨戸をしめカーテンをひいてあって暗かった。私はストーブをつけ雨戸やカーテンをあける。明るくなった礼拝室の中で私は祈り始めた。
私の心はやりきれない不安と、神様への不満、私の持っている信仰にたいする疑問があった。それを神様にぶちまけた。
「神様、言わないことではありません。私はこうなることを恐れていました。私が平凡なクリスチャンとして、おとなしくしていれば良いのに、あなたの言葉にだまされて(エレミヤ20:7参照)、神癒、神癒と大きな口をたたいてきたばかりに、この始末です。自分に相応の信仰を表明して、出来そうもないことは言ってこなければ良かったのです。
1万の軍隊で2万の敵にあたろうとするようなもの、自分の力に余るのですから、早く使者を送って和議を求めるべきでなかったでしょうか(ルカ15:31、32参照)。しかるにあなたは私に強要して、大胆に告白せよ、信仰を表明せよ、信仰の言葉は必ず成ると言います。そこで私はあなたに説き伏せられ、思い切って大胆に告白して、今日この有様です。まもなく妻は死に、私も、あなたの教会も、世間や一般教会の物笑いになるでしょう(エレミヤ20:7参照)。
だいたい、シンプソンやチョウ・ヨンギ先生はいざ知らず、この小さな私に『主は癒される、主は癒される』と言ったのはあなたではなく、サタンだったのでしょうか。一発どでかいことをやって、名誉心を満喫したい私の心にささやくサタンの声だったのでしょうか。『サタンよ、さがれ。あなたの神を試みてはいけない、と聖書にある』(マタイ4:7)と彼を撃退すべきだったのでしょうか。
あるいは私は私の大言壮語、その信仰深そうな言葉によって、わなにかかっていたのでしょうか。人や妻に向かって『あなたは必ず癒される』と言ってきた言葉はみな空しい保証だった、その代償を今求められているのではないでしょうか(箴言6:2、同20:16参照)。
ともあれ、私は虫であって。人ではありません(詩篇22:6)。私に大層なことを求めないでください。私はもう、疲れ果てました。」
このように祈っている時、私はもうたまらなくなって、立ち上がって礼拝室の中を檻のなかの白熊のように歩きまわっていました。
最後に私は、私の面子(メンツ)にこだわりました。長年、唱えつづけてきた神癒の主張が私の家で崩壊してゆくことはたまらない事です。そして私の信仰の一端がくずれることは、私の信仰の全体、私の伝道や教会の働きの一切が空中分解することを意味しています。
私が一小クリスチャンとして、ある教会の一すみに、あるいは市井の片すみに一無教会信者として息も絶え絶えに生き延びることは出来ても(これ自体は絶対確信できます。親鸞的信心に徹底して弱さに生きる信仰です)、もはや牧師として伝道や牧会は不可能でしょう。
この面子(メンツ)の問題に心が執着すると、問題はさらに混沌としてきます。そしてある激しい衝動が魂の一すみから湧き起こってきて。私の心を一時覆い尽くしました。(今考えると、それこそサタンの攻撃だったのではなかったかと思うのです)。
「今さら、この伝道をやめられるか。意地でもやり通さねばならん。よし、くそったれ。妻、死すとも良し。死なば死ね。おれも、断食して妻と共倒れに討ち死にしてしまおう。よっしゃ、見ておれ、やったるでえ」。
という気分が猛然と湧いてきたのである。 私は手を振り、足を踏み鳴らして神様に向かって祈っていた。その時、神様は私の心に静かに、はっきり語りかけ給うた。
「義人よ、反抗をやめなさい。イキがった、やくざのような態度を捨てなさい。
神の力に不可能があろうか。神のがわに賭けるなどという姿勢は、最も不信仰、お前の自我から来る不遜な考えである。
一か八か、ではない。一のみだ。神の道は唯一。代わりの道もなければ、かと言って「他に道が無いからこの道のみ、死ぬ気で行く」、というのでもない。絶対、生への道なのだ。行き詰まりはない。必ず貫ける永遠の大道だ。この道を信じて進みなさい。
『大死一番、百尺竿頭』などと言って勢いをつけ、目をつぶって死地に飛び込むのではない。神の国、絶対の生地に進むのだよ。
全知全能の我を信ぜよ。」
静かに私の心に語りかけてくる神の声は、やさしく、また力強かった。私は神を信じた。私の神に対する不満、私自身の信仰に対する疑問は終わった。ただし、今後も私の信仰にたいする自らの吟味はさらに必要であると、主は示された。(1980.1.28.《く》)
信仰をたくさん持て
ふとしたことから、20年ほど前の私自身が書いた私的手記を発見しまた。私にとって、忘れる筈も無いのに忘れていた私の信仰的起死回生の手記だった。その手記を一字も書き替えないで本号の1頁から3頁までに放りこんでみたのです。編集的には本当に目を疑うほどの奇蹟で、3頁の最後の一行までピタリと収まったのです。字数も行数も些かも手を加えないままに収まったので私はびっくりしました。
読んで下されば分かりますが、正確には21年前の私の危機的時期における私の正直な記録である。私を知っている方には興味深い記録だろうと思う。お読み下さい。
さて、この時、その直後だったと思うが、私はもう一つ大事な体験をした。それも神様から与えられたものだと信じている。前頁の体験のすぐ後なのです。私は、私の祈りについて思いも寄らないすばらしい前代未聞のアイデアを神様から授かった。こういうことです。
「あなたの信仰を多くしなさい」、神様がこう言われたように思うのです。「ふと思った」と言ってもよいのですが、そう言ってしまえば、どうも正確でないように感じます。さらに突っ込んで聞かされたのは、「あなたの信仰はあまりに少ない、もっと数を多くしなさい」という。私は聞き慣れない信仰についての勧めの言葉だったので驚きました。「えっ」と聞き直すと、「聖書には沢山の信仰の勧めがある。膨大な信仰のカタログがある。アブラハムの信仰。サムソンの信仰。百卒長の信仰。罪ある女の信仰。もちろん最もすばらしいイエス様の信仰。マルコ11:22の神の信仰。こうした見本が聖書には一杯ある。その中でお前が使っている信仰は「義認の信仰」や「我、弱きとき強し」といった重大だけれど、狭いカテゴリーに偏している。もっと信仰の数をふやしなさい」。
私はびっくりすると同時にかつての信仰の友、山本和萬先生が「信仰を増殖しましょう」と言っていたのを思い出して目が醒めた思いがした。そうして神様は一つの聖句をお示しくださった。マタイ17:20です。そこで弟子たちは「私たちはどうして悪霊を追い出せなかったのですか」と問うた。イエス様はお答えになった。
「あなたがたの信仰が足りなかったからである」と、つまり弟子たちはこの種の悪霊に対して対蹠すべき信仰を持ちあわせていなかったのである。信仰は濃く、強く、固く、熱く、忍耐深く、そして沢山あってほしいのである、こんな事を山本先生はどうして知っていたのであろうか。《く》
〔あとがき〕11月22、23三日の大分聖会を期待し、祈って下さい。大分市、大分県、九州より発振する日本トランスフォーメーションを夢見ています。テロ団が核武器を手に入れようかという時代です。戦争即前球的死の時代が近づいています。今、闇の霊力との前哨戦が始まろうとしている時代です。地域教会の一致の祈祷が切望されます! 大分聖会に聖霊様の著しき臨在を祈っています。《く》
2004/10/10
(「日岡だより」第145号)
釘宮牧師伝道55周年記念「GOGO聖会」
主の御声を聴く時
「主の御声を聴く」とは、なんとすばらしいことだろう。私は、私の生涯でそれほど「主の御声」を聴いているわけではない。私にはそういう賜物があるわけではない、しかし、
1948年(昭和23年)の3月末から4月にかけての一日、私は主の去ることのない内在と、その確認の御声を聴いた。
その頃、私は2年つづけた戦災孤児救済の働きを自主的に止めて大分市に譲っていた。そして何を為すべきか、主に求めていた時であった。収入はないまま、長女が生まれて4か月目、でも私は平気だった。主を信じていた。何をして食っていたか、乞食の真似をしていた。主のために乞食をするくらいは平気だった。
8月になって、ある日、私は神様の御声を聴いたのである。「ツルサキに行け」と言われる御声。私は疑わなかった。「私の伝道地は鶴崎町だ」と確信した。鶴崎町は今は大分市に合併されている。
私はまず、「この町でキリスト教の伝道を始めます」というポスターを書いた、そして10キロほど鶴崎町へ自転車をこいだ。まず、書いておいたポスターを街角の電信柱に貼った。そして工場や建設会社を訪問して求職相談したが、みな断わられた。
最後に仕方がない、ふと思い出した親しい信仰仲間の姉妹の兄にあたる人が校長をしている高等学校に行った。校長さんに会って協力を頼んで辞した。
翌日は鹿児島県霧島神宮下の研修館で日本基督教団南九州青年部の修養会である。数名の信友と共に参加した。野町良夫牧師の説教を聞いている時、涙が熱湯のように流れて机の上に涙の池ができた。
3日して帰ったら、例の高校の校長から連絡があった。行ってみると、「うちの学校に事務職員の席が空いた。君、来てくれたまえ」と言う。こうして鶴崎での仕事がきまった。
この鶴崎町で一求道者の家の部屋を借りて第一回の集会を始めたのが、55年前の1949年10月9日。さあ行け行け(GOGO!)、今日は記念聖会です。<く>
品性の円熟をめざして
一、円熟せる完全な人格
私は私たちの心にはまず力量がいると思っている。もう一つには巧みな考え方の技術(或は姿勢)がいると思っている。更にもう一つには美しい感情の働きが必要だと思っている。美しい感情が正しい良心と結びつくとき、私はそれを良き品性と呼ぶ。そして人間が死んで天国に行くとき、天国に持ってはいれるのはその品性だけではなかろうかと、私には思えるのである。
ただし、良い品性を持っていても、力量も無く、考え方を巧みに処することもできないという人は、子供や特殊な人は別として、通常の場合やはり困る。品性と力量と巧みさと、すべてが一人の人にバランスよく備わるとき、そういう人を私は完全な人と呼びたい。しかし何といっても一番大事なのは品性である。今回はこの良き品性の獲得ということについて語りたい。
「信仰のみ(!)」で、天国には行けることは確かなことだが、この地上で勝利的人生を送るには、円熟せる完全な人格を持たなくてはならない。ある時ひとりの牧師が教会の信徒に、ある事で非難された。その牧師は怒って言った。
「そんなことくらい、目をつぶってくれたっていいじゃありま せんか。牧師だって人間ですよ」
私も同業(?)の牧師だから、その牧師に同情はする。しかしその牧師はやはり間違っていると思う。牧師というものは並の人間であってはならない。円熟せる完全な人間でなくてはならない。断っておきますが、こう言ったからとて私がすでに円熟完全な人間になっていると言っているのではありません。ただ、そのような完全性を臆面もなく求めているのは事実ですと、面映ゆいが白状せざるを得ないのであります。
二、「単数の罪、複数の罪」
「私は罪の深い者であります」と言って謙遜に振る舞うことはクリスチャンの美徳であるかもしれない。しかし一旦、キリストにあって人間生来の罪を許されたからには、私たちは主の恵みに溢れて、一歩あるいては「ハレルヤ」、もう一歩あるいては「アーメン」と叫ぶ人生であっていいのではなかろうか。
ある婦人宣教師が教えてくれた言葉の一つに「単数の罪、複数の罪」というのがあった。単数の罪は生来の罪、これは主イエス・キリストの贖いの血汐によって一度許していただければ、それで一回こっきり私の救いは完全である、というのである。
この点について皆さん、はっきりしてほしい。私たちの名は既に天の命の書に登録されたので、私たちはもういつ死んでも天国に行けるということについて、些かかも疑う必要がないのです。
でも、この世に生きている間、日毎に大小様々の罪とトガを犯す。これも事実! これが複数の罪です。この複数の罪は日毎に毎夜、主の前に告白して許していただき、また清めて頂かなくてはならない。これが第一ヨハネ1:9の趣旨であります。
「許す」とは罪を犯さなかったかの如く私の罪責簿を帳消しにしてくださることであり、「清める」とは今後、同じ罪を犯そうとする衝動を制御して下さるということです(創世記4:7)。
毎夜、罪責簿(という言葉はおかしいでしょうが)の帳尻をゼロにしておく工夫をしておかないと、仕舞には沢山の残高を残したままそれが苦にならなくなり、罪責感の不感症を起こします。そして品性を腐らせてしまう結果になるのです。
イエス様が最後の晩餐の前、弟子たちの足をお洗いになったとき、ペテロが「手も頭も洗ってください」と申し出た。ペテロらしいところです。しかし、主は言われた。「すでに体を洗った者は、足のほか洗う必要はない。全身がきれいなのだから」。
全身を洗ったというのは前述の単数の罪を許されたことの比喩であり、足を洗うというのは毎日の大小様々の罪の比喩である。たとえ全身洗っていたにしても、道を歩いて来た昔の旅人は旅篭に入る時、足だけは洗ってもらわねばならないのです。
前述の複数の罪を日毎に主の前に告白して許し清めていただくことは、日毎に罪責感をぬぐわれて明朗で歓喜に満ちた生活を送るための秘訣である。そうして毎日、数多く何度も何度も心に覚えのある罪を許された人は、その故に多く人を愛する事ができるのである。少しだけ許された人は少しだけしか愛することができないのです。(ルカ7:47参照、この聖句の引用はマリヤ姉妹会の本で学びました)。
三、神の側でなさることと、人間の側ですること
始めのほうに書いた、ある牧師の言葉ではないが「牧師だって人間ですよ」という考えに居坐る人がある。人間は所詮「罪人」である、円熟完全人間などになれっこない、という教理がキリスト教世界に蔓延している。聖潔、聖潔というホーリネスの人たちだってどうかすると、そういうことになる。
聖潔体験という聖霊の恵みを確信しているにかかわらず、その故にかえってその霊的確信に矛盾する肉の反抗に耐えかねて「私は罪人です」と深刻な悲鳴を上げている人も多いのではないか。罪認識は聖霊によって初めて人間に起こることでありますが、その上に立ちながら勝ち得て余りある喜びを呼ばわる信仰の勝利者でありたいのです。
品性の円熟さを文字どおりの完壁さで実現できるとは、私も言いません。ピリピ3:12でパウロが言うとおり、ただそれを追い求めているのであります。但し、それをどうせ不可能なこととして諦めムードで求めるのではなく、あくまで実現できるという確信をもって(ピリピ3:13)追い求めるのですよ。
「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」とは主ご自身のお言葉である。このお言葉に忠実に従おうとする者を主は決して、身の程知らずとか、傲慢だとかは仰せられないであろう。それはまさしくドン・キホーテの愚直さかしれないが、それを主はお喜びくださることと信じている。
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品性を完成するには、神の側でしてくださることと、人間の側でしなくてはならぬことがあります。第二コリント3:18を開いてみましょう。カッコの中は私の註です。
「わたしたちはみな(だれでも、ということです)顔おおいなしに(遠慮せずに)、主の栄光を鏡に映すように見つつ(当時の鏡はおぼろにしか見えなかった。おぼろながらも主の御姿を求める。これが人間の側でなすべきこと)、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく(サナギが蝶に変わるように)。これは霊なる主の働きによる(これが神様の側のなさること)」。
詩篇23:5に「わたしの杯はあふれます」とあるが、杯を差出すのは人間の側、盃に酒をそそいでこれを溢れさせるのは神様のがわである。
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この辺の消息は建設現場のパネルとコンクリートの例で説明すると分かりやすい。木の板や鉄板で型を造り(これがパネル)、これにコンクリートを流しこんで、しばらく日を置いてパネルを取りはずせば型どおりのコンクリート土台や壁が出来る。
さて人間は心の中に言葉とイメージで自分自身の姿のパネルを造る。卑しい心のパネルには悪魔が宿る。あなたは神のみ言葉とイエス様のお姿をもって貴方の心にパネルを作りなさい。そのパネルの中に神様は聖霊を注ぎこまれて不抜の作品を造られるのである。
み言葉の力については私はいつも申命記30:14を引用している。これは「実行的信仰はむつかしいことではない」という天下の名訓である。ぜひ読んでほしい。
イメージについては「あなたがたの内にキリストの形ができるまでは云々」(ガラテヤ4:19)とパウロも言うとおりです。前述の第二コリント3:18ももう一度読んでください。キリストの栄光を見つめて、たゆまない人は実際にそれを獲得することが出来るのです。(ヤコブ1:25参照)。<く> (1985年5月26日・ペンテコステ聖会午後の講義より)
2004/10/3
(「日岡だより」第144号)
自分自身を愛せよ
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ある日、イエス様が答えられました。「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である。『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』と。(マタイ22:34〜40参照)
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神は「我は有りて有るものなり」と仰せられました。神はすべての存在を在らしめる方です。
神が「光あれ」と言われて光ができた。そのように、万物の存在の基本はみな神にあります。
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「神を愛する」ということは、すべての徳の基本です。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛する」ことで、私どもの心の基本が確固たるものになるのです。
そして「自分を愛するように、自分の隣り人を愛する」ことが出来る人になります。
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ここで大切な言葉は「自分を愛する」という言葉です。いわゆるエゴイズムのことではない。
本当に自分自身を愛するということは神を本当に愛せなくては不可能なのです。そして自分を本当に愛し得る人が本当に隣人を愛し得るのです。
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最高の神を愛することと、世界でただ一人の小さき私を愛することは一つです。そして神を愛し、自分を愛する愛を、家族に、周辺の人々に、社会に、国に、社会に、世界に、宇宙に及ぼすのです。<く>
真の生命と知恵(創世記より)
一、進化論と創造論
創世記1章と2章は父なる神様の天地創造の物語です。ダーウィン以降の進化論は一個の仮説にすぎませんが、甚だ有力な仮説です。聖書の創造論と敵対関係にあるようにも見えますが、あながちそうとも限りません。進化説を一定の枠内に取り込めば創造論と矛盾しません。それは種の枠内の進化です。種自体の進化は進化論で証明できません。種の内側における進化は聖書にちゃんと肯定されているのです。神は植物も動物も種類にしたがって創造されたと聖書にしるされているとおりです。
万物存在の起源は唯一の父なる神にあります。神様にとりDNAをちょっといじって新種を造ることは何でもありません。種の変化は神様のみ手によるのです。
神は土から人を造ったと聖書にあります。神がそれに息を吹きこむと生きた人になったというのです。語呂あわせみたいですが、神の息(ヘブル語では霊と同語)が吹き込まれると、土の人が「生き(息)た人」になるのです。つまり霊の人になります。
パウロの言う「私たちは土の器に宝をもっている」と言うのはそのことです。考古学者は「人類の祖先は700万年前の直立歩行型の猿に近い動物だ」と言うかも知れません。しかしそれは土の人(つまり肉の人)のことであって、神の霊を受けた霊の人のことではないのです。
二、サタンの言葉に騙されるな
エバとアダムが神様の命令に背いた第一点は、彼らが誤った方法で知恵を求めたことにあります。もともとアダムは大なる知恵者でした。自然科学の第一歩は分類と命名だと思いますが、アダムは凡ての生きものにそれをやりました。
彼は第一級の生物学者だったのです。しかしそれを、同じ霊的同輩であるエバに対してまで、つまり彼女を「女」と名づけるなどということを為すべきではなかったかも知れません。これは少々、早まった行為ではなかったかと私は思います。
そこへサタンがあらわれます。サタンの誘惑は巧みです。神様の禁止条項を拡大し、「取って食べるな」と言われた善悪を知る木の実についての禁止命令に真っ向から反対して、「神は本当にそう言われたのですか」と質問します。正面切っての反対質問は聞く者を非常に動揺させるものです。
それに対して、エバは神の禁止条項をはみだして拡大します。「園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな。死ぬといけないからと、神は言われました」と答えます。
ここでエバの返事には微妙な間違いがあります。まず「園の中央にある木の実については、……」という言葉です。神様が本当に禁じたのは「園の中央の善悪を知る木の実」だけでした。もう一つの「命の木の実」は食べても良かったのです。いや。私の想像では神様はアダム夫婦に「命の木の実」は食べることを奨励なさっていたかとも思うのです。それは園の中央の木ですから、それは大切な木であったはずです。……私は思います。
まず「命の木の実」を食べるべきなのです。それをアダム夫婦が十分に食べて「命」が充分に満たされてから、「知恵の木の実」を食べるべきだった。知恵は良いものですが、生命が十分に満たされていないと、誤った知恵の用い方をするからです。
エバがサタンに答えた返事の内容には見逃し得ない問題が幾つかあります。エバは神様の言葉を正確に語りません。これはアダムの責任です。アダムが正確にエバに伝えていなかったのです。
今の世情で言えば、奥さんは家事が忙しくて教会の礼拝に出席できないことがあります。夫は教会の礼拝に出て牧師の説教を聞いて帰ります。「ねえ、ねえ、今日の牧師先生のお説教はどんなお話しだった?」と妻に問われて、面倒くさそうに「まあまあ、よかったね。いつものとおりだよ」と答える夫は案外多いと思います。これには感銘説教をしてあげられない牧師にも問題が有りますが、又ご主人のほうも反省すべき点です。真の霊的生命に満たされておれば、下手な説教にも大感激するものなのです。
神様は園の中央の「善悪を知る木の実」を食べてはいけないと言いました。しかし、エバは「園の中央の実は」と範囲を広げます。しかも、「食べてもいけないが、さわってもいけない」とさわることを禁止条項に加えます。熱心の余りでしょうか、神様の禁止命令を増やして、厳密にする、それが信仰熱心というものと誤解する、これが律法主義です。
ところでエバはこの実に触っても死ぬ筈はないのですから、多分サタンは「今、その実にさわってみなさい」と言ったことでしょう。もちろんエバはこの実にさわっても死にません。こうしてエバはサタンの偽りにだまされ、禁断の木の実を食べてしまいます。アダムもその罪に誘われてしまいます。罪は世に入り、罪は死を呼び込んだのです。
死とは肉体の死でもあるが、また霊の死でもあります。イエス様も言っていますが、恐るべきなのは肉体の死ではない、霊の死こそ恐れるべきなのです。アダム以降、人間は霊的に死んだものなのです。だからこそイエス様は「人は新しく生まれなくてはならない」と言われるのです。
こうして人間は神より出る真の生命と知恵を失いました。アダムはさすがに現代人よりは長命で930年も生きたそうです。しかし結局死にます。そしてその一生は「苦しんで地から食物を取り、顔に汗してパンを食べる」生活でしたし、エバも「苦しんで子を産み育児にも苦労する」結果となりました。それはすべて真の生命と知恵の喪失から生じたことなのです。
三、罪を帯びた知恵の結果
神に逆らって盗み取るような「知恵」は、その知恵の取得そのものに罪がまといついているので、バイ菌まみれの手で団子を作れば、バイ菌団子がどんどん出来上がるように、その知恵がいかに子をたくさん産んでも、その子は更に大きい罪をはらんで生まれるのです。
人間の文明がとかく好色で悦楽的になり、かつ惨酷となる。物理学は高度に発達して原子爆弾を生み、医学の果ては人間修繕工場となるというようなことになります。知恵の取得はひたすらに謙虚に神様に願い求めるべきものです。
ヤコブの手紙第1章5節を読みましょう。「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう」とある。これ以外に知恵を得る真の秘訣はない。エバとアダムは誤ったのであります。
さて以上の結果、人間の始祖たちは楽園(エデンの園)から追放されます。その際、人間はいちじくの葉を腰にまいていました。あまりに哀れです。神様は彼らのために「皮の着物を造って、彼らに着せられた」と聖書にあります。皮を得る為には動物の犠牲が必要だったはずです。私たちはここにイエス様の犠牲の死を想起するのです。
「あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい」というのは新約聖書の教えです。アダムたちに着せた皮の着物はキリストのひな型です。私たちはいま、イエス・キリストの霊の衣を着せられるのです。それがクリスチャンです。
ルカによる福音書第15章をお開きください。そこに有名な放蕩息子の物語が出てまいります。放蕩して、遠国で打ちひしがれた息子が悔い改めて帰ってきました。父の前で手をついてあやまる息子を父は迎え入れて、これに「着物をきせ、指環をはめさせ、はきものを足にはかせ、子牛をほふって祝宴をはじめ、音楽や踊りさえはじめた」のでありました。
(1)着物はキリストです。(2)指環は知恵と権能です。(3)はきものは奉仕と伝道の力です。(4)音楽と踊りはリズムある生活、周囲の人々に手を打って伴奏してもらえるような祝福された生涯です。「心の楽しい人は常に宴会を持つ」(箴言15:15)、いつもにが虫つぶして神経質な顔をしている、それを敬虔な人とは言わないのです。このようにして一度喪失した真の生命と知恵とは、第二のアダムであるキリストによって、私たちに回復されるのであります。(1985年2月17日主日礼拝メッセージより)<く>
〔あとがき〕下関教会の伝道会では永井先生、中山先生はじめ皆さんの祈りと励ましのもとにメッセージのご奉仕もでき、いささか癒しのミニストリーも出来ました。感謝します。高杉晋作の下関には感奮するところも、多大でした。岡野先生の伝道牧会を覚えて、祈ります。<く>