キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
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2004年12月


2004/12/26

(「日岡だより」第156号)

2004年を送る    

 いよいよ、2004年を送ります。台風、豪雨、震災が日本列島を襲いました。今年はどうも例年に比べ、問題が多かったような気がします。気がつくままに上げてみますと、北鮮の拉致問題、イラクでのテロ、自己責任世論、幼児殺害事件。NHKの不正会計。日銀の職員のお札入替え、等々。

 この原稿を書いているのは12月21日ですが、今朝の新聞では病院の入院患者が隣のベッドの患者さんを殺した。自分の癌にイライラして同室の患者さんを殺したという。メチャクチャです。政府では警察官を1万人増員を考えているという。最近の悪化する治安状況は見捨てておかれないということです。尤もです。

 いつから日本はこんな国になってしまったのか。いくら悲憤慷慨してみても、「これはみんなお前さんたち牧師の責任、お前さんたちがしっかり伝道していれば、日本人は本来は良い民族なんだ、もっとましな世間を作っているはずだよ」と神様からお叱りを受けそうな気がする。

 世界でも問題は続々、何と言っても大国の責任が大きい。まずアメリカ、どう考えてもイラク攻撃の大義がない。アメリカでブッシュを強力に応援するのはキリスト教の福音右派だと言う。福音右派というのは、聖書根本主義の人が多いから、信仰傾向から言えばペンテコステ信仰を持つ私たちに近いと言えるが、異教徒に対する旧約聖書並の敵愾心で絶滅戦争を意気込むのには辟易せざるを得ない。

 異教徒にたいする不寛容さは、イエス様のものではない。イエス様はご自分の宗教の学者やパリサイ人たちを「まむしの子」と呼んで忌み嫌ったりしたが、異教徒にはしばしば愛や敬意を示した。「良きサマリヤ人」の比喩など良い例である。

 カトリック教会のイスラム教徒に対する十字軍の派遣など忌まわしい限りで、近年になって、ローマ法王庁は十字軍派遣の過ちを陳謝したが、その十字軍という言葉が英語でクルセード。そのクルセードという言葉をビリー・グラハムの伝道大会などに使うことは問題である、特にイスラム教徒の多い地域でクルセードという言葉の伝道大会を開くというのは無神経もいいとこである。そういう無神経さが白人クリスチャンには実に多いのだ。

 南洋の島々に行くと、白人宣教師が開いた教会で信徒の皆さんが従来どおりの腰の回りをミノのようなもので被っているような民族衣裳で礼拝に出ると、宣教師夫人が目を三角にして怒るそうである。最近の様子をビデオで見た。現住民の信者さんがたが、いっせいに西洋風の服を着て礼拝に出ていた。西洋的キリスト教文化に統一されているのである。

 それを何もいきりたって、とがめることはないと思うが、古来の民族衣裳が特に偶像教的でないかぎり許容し、また奨励するくらいあってもよいと思う。私の少年時代に通った日本基督教会では牧師先生や長老さんたちが時々紋付羽織袴で礼拝に出た。見た目にもすがすがしく、子どもの私の目にも気持ちがよかった。

            *

 世界の宗教はすべて東洋から発生している。仏教、ヒンズー教、ユダヤ教、キリスト教。イスラム教、みな然り。東洋人は本来、宗教的なのである。それかあらぬか、宣教の先端を行くパウロにすれば、小アジアを過ぎて後、道を東(つまり東洋)に転換しようとしたのは当然だったかも知れない。

 しかし、聖霊様はパウロが東に行くことを許さないで、マケドニア、ギリシャのほうに向かわせた。パウロの宗教的感覚から見れば、東の民族のほうが伝道適地に見えたのであろう。しかし、神様は個人主義的、論理的すぎるヨーロッパ人を選ばれた。そこには神様の宣教世界戦略があったと思われる。私に神様の真意を悟る術(すべ)があるわけではないが。

 こうして強力な帝国主義的キリスト教が起こり、文明的戦略物資をもって、披宣教地に乗り込む風習が始まったのではないかと思う。戦国時代の日本に来たカトリックの宣教師軍はまず大砲や火薬を持って来て、大名たちの思惑を呼んだ。そして西洋の珍しい飲み物や衣裳、装飾品で大名たちの心を引く鼻ぐすりである。こうしてまず大名や上流階級を手に入れ、伝道の根拠地を作る。

 日本の伝道の失敗の元々の原因はその辺にある。終戦後マッカーサーが本国のキリスト教界に打電した、「宣教師を5千人日本に送れ、今、日本は伝道の好機である」と。そうして日本はアメリカのいい子になるであろう。と、マッカーサーは思ったのであろう。私は当時、バカバカしくて仕方なかった。マッカーサーは戦争の名人か知れぬが、信仰のことは何も分かっていない。戦勝国の宣教師団が戦敗国にきて、にこにことチョコレートやコカコーラを見せて伝道した時、どんな信者ができるか、おおよそ見当がつく。

 戦後数年たって別府の公民館で賀川豊彦先生が講演したが、さすがの賀川先生でも失敗であった。いやいや当事者は成功と見たかもしれない。別府市内の牧師先生がたが「今夜の賀川先生の講演に同感された方は、このカードに名前を書いて差し出してください」とカードを集めて回った。どんどんカードが集まるから、先生がたは久しぶりの伝道の効果に気を良くしてカードを計算したことであろう。その計算の結果が、すぐアメリカの伝道局に報告され集計される。戦後の日本大リバイバルという奴である。

 実際、そのように信じているアメリカ人宣教師がいて私は一瞬びっくり、苦笑したことがある。あるアメリカの牧師が「アメリカの教会はこんなに膨大な金を使いながら、どうして日本で伝道が成功しないのでしょうか」と、その頃の東大の総長の矢内原先生に問うたら、無教会の雄矢内原先生は「アメリカの人たちは、統計で伝道するから駄目なんです」と答えたそうだ。

            *

 今、世界の伝道地図で大きな出来事が起こっている。特に、中国の地下教会、アフリカや南アメリカやインドで起こっている民衆たちの怒涛のような信仰。しばしばそこでは、大統領が国民大集会のまえでの信仰を宣言し、大地域で民衆の良心の変革が起こる。暴力団が姿を消し、麻薬商人が逃げ出し、暴行や盗みが無くなり、刑務所がガラあきとなる。

 驚くべきことが起こる。信じがたい事のようだが、その土地では穀物や野菜の出来がよくなり。毒を含んでいた水から毒が消え、草がはえ、魚が戻ってくる。つまり土地が新しく健康化するのである。こうして西洋大型教会よりも、より大きな教会が出来つつあるのである。会堂が大きいわけではない。小さな会堂の教会や、家の教会がたくさん出来る。しかし、みんな一つの教会と言えるような一体感を持っている。まさしく「主は一つ、信仰は一つ、体は一つ」(この秋の聖霊待望聖会の主題)である。

 信徒はすべてキリストの体、一人一人がキリストの口であり、足であり、鼻であり、目である。それが一つの体としてキリストに仕え、キリストのご用を果たす。こうなると、1万人の警官増員は不要である。

 最近の世界伝道の模様を次に紹介したい。これは11月7日の「日岡だより」149号の終わりのところに載せた記事の再掲載である。いよいよ世界のキリスト教地図が塗り替えられる時がきていると思わせられるのです。リバイバル新聞10月3日号より紹介します。

 ベニー・ヒン師が来年1月インド政府の招きでニューデリーで1千万人の集会を計画とのこと。実に、今年の2月にムンバイ(旧ボンベイ)で最終日には2百万人集まった実績があるそうです。また、3月にはフィリピンで3万人の集会が計画されているという。この事は北九州リバイバル・チャーチの岡先生のメールで知ったのです。岡先生は言う、「途方もないことが世界に起こっているようです」と。

 同じくリバイバル新聞のもっと遡った9月5日号の記事、FGBMFI(国際フルゴスペル実業家親交会)の世界大会が、去る8月3〜7日アフリカでは初めて持たれたそうで、首都アブジャで連日3万人の伝道集会が持たれた。特に初日の開会の席上では大統領アバサンジョが登壇して、信仰の恵みの証をした。そして断言した。「かつて政争に破れ、牢獄にいた時、聖書に励まされ、神を信じて祈り、力を与えられ、今ここに大統領として立っている。主をほめよ、主の御名を賛美せよ」としめくくったそうである。競技場を埋め尽くした会衆は「アーメン、ハレルヤ」と歓呼したそうだ。最終日には会長のシャカリアンが「今後5年間で1億人を主に導こう」と宣言し、「クリスチャン一人一人が伝道者として立ち上がろう」と奨励したそうだ。

 今後、こういうことは各地で起こるでしょう。見えない霊の世界が開かれる、学校も市場も娯楽世界も変る。そういう世界が期待できるのです。

             *

 さて、記事を急旋回させます。日本のホームレスの人たちの最大の集積地は東京の山谷です。その山谷で、ここ30年間伝道を継続してホームレスの人々から慕われているのは、森本春子先生です。細腕の女性の身でと言いたいところですが、どうしてどうして、世界の女傑です。癖のわるい男のホームレスなど一喝して震え上がらせます。しかし又、女性らしい優しさは無類です。親分肌で度胸がありますから、一流の企業家たちの援助も受けるようで、ラーメンなどの給食も30年来つづいている。そしてすでに5千名のホームレスの人たちが信仰を受け入れて鬼怒川でバプテスマを受けている。

 こうして大名、殿様からの下降式伝道ではなく下積みから始まる伝道モデルを森本先生は実践しておられる。この先生から是非、分けてほしい先生の賜物は熱情である。今回のこの「日岡だより」の最後になったここで書きたい。訴えたい。

 世界を変える伝道の最大の秘訣は文化でも、メディアでもない。それらを道具にすることはあろうが、最大のエネルギーは聖霊による熱情である。森本先生を拝見する時、先生の秘訣は信仰と熱情である。

 2004年がいよいよ終わる。2005年を我々は如何に戦うべきか。武器はみ言葉、原動力は聖霊様、それが伝道者の熱情の変圧器を通る時、圧力が一変、高圧化する。何物も駆逐して突破する伝道の英雄と私たちはなろう。英雄になれる。豪傑になれる。女豪傑の森本先生に続こう。

 そのためには。まず自分の信仰を確認しなさい、小さい、軽い、薄い信仰でよいから、その信仰が自分の中にあることを自覚しなさい。その信仰を実践的に使って行きなさい。実行して信仰の結果が大小に関わらず実現するとき、その結果が自信を生みます。小粒の砂も集まれば、石になる。日本の国歌と同じです。

 信仰に命をかけましょう。大胆に告白しましょう。告白は信仰のエンジンの発動機です。恐怖や怠惰心が起こったら、それはサタンが私たちの心に気弱さを吹き込むのです。主の御名により、サタンを追い立てなさい。「サタンに立ち向かう」のです。必ずサタンに勝ちます。又自分自身に命令しなさい。「立ちあがれ。心を強くせよ」、自分の心の戦場をみ言葉で席巻しましょう。既に、サタンに勝っているという、勝利の大歓喜を味わって下さい。「ワッハッハハ」と大きな声で笑いましょう。《く》


2004/12/19

(「日岡だより」第155号)

祝クリスマス     

私たちの救い主
  イエス・キリスト様のお誕生を
     皆様と共々にお祝い致します。
また来たるべき新年のご祝詞も
     申し上げさせてください。

 いよいよ、2004年も残り少なくなりました。異教の国、日本でもクリスマスが昭和初年の頃から、都会風俗の中にはいりこんできたように思います。それは東京や大阪にデパートが出来た頃からだとも思えます。デパートは商品を売るだけでなく、庶民文化を啓蒙するところがありました。

 華やかなジングルベルのメロディーが流れて、街中がなんとなくウキウキするようになったのは、スピーカーが宣伝用に使われるようになってからですから、1930年代です。(ヒットラーが大音響の演説効果で大衆を圧倒した時代です)。

 私の伯父釘宮徳太郎はこれを嫌って、伯父の集会ではクリスマスはできるだけ質素にと言いました。

 それでも近所の子どもたちを集めて日曜学校をひらき、クリスマスにはおもちゃなどをプレゼントしていました。ちなみに、その頃はプレゼントという言葉そのものが、ハイカラな教会用語でしたね。

 まあしかし、伯父には申し訳ないけれど、それほど肩を張らないで、ほどほどに賑やかに私たちの教会のクリスマスを祝いたいと思います。

           *

 昨今はクリスマスのみならず、結婚式もキリスト教式がはばをきかせ、音楽部門ではゴスペルが勢いを増してきています。先日の大分でのゴスペル・コンサートでは日本語のゴスペルも発表されたそうですが、キリスト教が日本文化の中に定着してきたと言えましょうか。かつて「えっ、教会でもクリスマスをするんですか」と、バーのホステスさんが目を丸くして驚いたこともありましたが、もうその時代は夢のようです。まさに伝道の好機が来ているというべきです。ところで、教会のほうに伝道の準備が出来ているか、どうか。それが問題です。

 この際、日本人に、水増ししない本当のイエス様の福音をお知らせしたいのです。日本というすばらしい国に住む、すばらしい民族である日本人に、偽物でない本物の神の真理を伝えたいのです。

 実は人の事ではない。教会の私たち自身がその経験をしておく必要があります。

         *

 本物の神の真理とは何か。触れれば、聖霊の波動がビリビリと伝わってくるような、電線に触れて電気が伝わってくるように、ある先生は100万ボルトの電気に感電したみたいと言っている。そういう「回心」を経験して貰いたいものです。

 最初の回心だけでなく、回心はクリスチャンの生涯に何度起こっても良い、それは経験上わかっています。却って、何度も繰り返す回心で祝福が倍加することは経験上、認められます。遠慮なく、何度も聖霊体験(回心)を求めて下さい。

 異言も、霊唱も、霊歌も、込み上げる歓喜も、癒しも、その他の奇蹟も、何よりも大いなる信仰それ自身、すべては回心と共に起こります。というより、それが回心そのものなのですから。(いわゆる極端なコンバーションでなくても、内なる魂が新しくされるのです。四頁の記事をご覧ください)。

 それを今、私たちの心に起こるクリスマスと呼びましょう。クリスマスを昔の事と思わないで、今日、只今私たちのみんなに起こるキリストの再来、新しい誕生と呼びましょう。ハレルヤ!

  2004年12月19日
          キリストの福音大分教会
               牧師  釘 宮 義 人


 

私の父と伯父の信仰     

 このたび、私の初めての本を出させて頂いて感謝しています。何よりも古林先生のご尽力により、よい本が出来ました。あの表紙のデザインも古林先生だが、当時の私のヒゲ顔の雰囲気が出ているに違いない。また、最初しきりに出版のことを私におすすめくださり決心させてくださった永井先生にも感謝します。

 マルコーシュ・パブリケーション社長の笹井さんは、当初「仙人牧師福音を語る」と本の題を決めたがって、そこで私に「もう一度ヒゲの顔に戻ってください」と要望されたことがあったのです。私はヒゲを再び蓄えるのがおっくうで、承知しなかったのですが、古林先生が軽いタッチの名筆をふるって今回の表紙を飾ってくださった、これも感謝です。初めて書店の店頭でこの本の表紙を見る人から、「この絵は誰の顔ですか」と質問が出そうな気もするので、一言「著者の似顔絵」と書いたほうが良かったかと思っています。

 疑問と言えば、カバー裏や、奥付の巻末の「著者紹介」で、私の父の名が釘宮徳太郎となっているが、古林先生の「本書のおすすめ・まえがき」では私の父の名は太重となっている。注意深い人は、この疑問をいだくであろう。本文とはそれほど関係がない事で、さしたる大事ではないが、一応説明しておきたい。

 正しいのは、太重が私の父である。徳太郎は太重の長兄、私の伯父に当たる。この2人のことに関して、私の他のところで書いた「信仰の型さまざま」という文章があるので、ついでに今回、参考にその拙文を以下に載せておきます。

              *

 私の伯父釘宮徳太郎が天に召されたのは約70年前です。無教会主義の信徒でした。大分聖書研究会の創立者といっていい人です。彼は実業家としても政治家としても大分県では一流の人でした。

 彼は人間としてのタイプはアブラハムに似ていると思います。けれどもその信仰の方は案外イサク的でなかったかと思います。イサクの信仰は素直で、強固ですけれども、いわゆる霊的とか奇跡的とかいうのではない。父アブラハムの信仰を素直に受け次いで、2代目としてしっかりした信仰を持っていました。

 伯父の信仰は大体わたしの父から来ているのですが、伯父はもともと放蕩息子といっていい人で、実直な私の父を大変いじめたらしい。私の父はいじめられた末、貧乏のどん底で信仰にはいった。そのときの父の変貌ぶりが甚だしいのに伯父はびっくり仰天して、ついに信仰にはいったといいます。ただし父の教会には行かず、学生時代に心を引かれていた無教会にはいってしまいました。

 伯父は言っています。「自分は信仰に入るについても神の声を聞いたとか、聖霊に打たれたとか、そんなことは一つもなかった」と。これは幾分、私の父を意識しているのだと思います。私の父は教会に初めて行った夜、慣れない祈りに汗をかいているとき突然聖なる光を浴びて、神様の荘厳な臨在に、思わずひれ伏して「神さまあーっ」と叫んだと言います。そうした父の神秘的な回心を知っている伯父はことさらに、「自分は神の声を聞いた事もなければ、弟のいうような光を受けたとか、聖霊に打たれたとか、そんなことはなかった」と言っているのでしょう。

 誤解してもらっては困るのですが、何もここで伯父は弟の神秘体験をねたんだり、ひがんだりして、そんなことを言っているのではないのです。伯父は伯父として確信を持っていました。伯父が発行していた伝道雑誌は平和問題など堂々たる論陣を張り、ついに当時の内務警察から目をつけられて、発行禁止を食います。日本のキリスト教界では、この伯父の小さな伝道雑誌が発行禁止処分の最初でした。たしかドイツのヒットラーに親近感を寄せる当時の軍部を批判する文章だった思います。

 彼は1936年の2月27日に急逝しましたが、それはちょうど2・26事件の翌日です。東京にいる信仰の先輩、友人たちはてっきり大分でも2・26事件のような青年将校たちの蜂起が起こって釘宮さんは殺されたんだろうと、心配したそうです。

 そうした堅い信仰を持っていた伯父は信仰のことで私の父に何の偏見もありませんでした。私は子供心に覚えていますが、この伯父と私の父が語り合っている時くらい、むつまじく且つ聖なる感じの時間はなかったのです。世間話や親族の噂などいっさいありません、ただ神様のこと、イエス様のことだけ。その時の2人の表情の天的なことといったら例えようのないほどです。

 もちろん子供の私が、そんな深い言葉で悟ったわけではありません。しかし、この伯父と父の信仰的交わりの深さについて私は何かを感じ入っていたのです。「父ちゃんと話のウマの合うのは徳(太郎)おじちゃんだけ」というふうに表現したらしい、そのことを伯父は後で回想しています。

 ところで、伯父の釘宮徳太郎は、「回心?」、そんなものは何もなくても平気のへいざでしたし、そして立派な信仰者でした。商売人でありながら金に汚されず、権力に膝をくっせず、伝道に精一杯はたらきました。彼の特徴は雄々しさです。英雄的です。少年時代の私はこの伯父に魅入られていました。

 信仰者の体験には様々なものがあります。そのどれもが「務めは異なれども、み霊は一つ」と言われるように、それぞれ尊いのです。しかし体験の価値から言えば種々の差があります。

 この辺が信者同士の高慢やたかぶり、ねたみや劣等感をおこし、教会内に分裂をきたらせる原因になることがあります。然し、この秋の大分聖会の主題のとおり、「主は一つ、信仰は一つ、からだは一つ」なのですね。《く》


2004/12/12

(「日岡だより」第154号)

「あなたの隣り人を愛せよ」     

    一、良きサマリヤ人

 「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という言葉が聖書にあります。もともとは旧約聖書のレビ記19:18にある言葉です。一見、なんでもないような言葉ですが、しかし、よく考えてみると重い言葉です。

 最近もある方が、この言葉について質問を寄せてきました。「困っている人に対して少々の援助はできるでしょうが、命を捨ててかかるような覚悟はまだ出来ていません」と言うのです。この気持ちは分かります。

 同じく隣り人と言っても、こんな関係もあります。仲のよい関係でなくて仲の悪い関係の隣り人です。これについては、イエス様は有名な「良きサマリヤ人」の喩えをなさいました。

 あるユダヤ人が旅の途中で強盗に遭い、半殺しの目に遭いました。そばを通りかかる旅の人の中には、(今の言葉で言えば)牧師さんも教会の長老さんもいたのですが、彼らもみんな見て見ぬふりをして通り過ぎて行きました。

 その後、ユダヤ人たちから軽蔑され、排斥されていたサマリヤ人が通りかかり、気の毒に思って、その人を介抱し、宿屋に連れて行って、宿の人に2万円ほどあずけ、しかも、まだ足りなかったら帰りに寄って支払いしますと約束したというお話です。

 ここでイエス様が問題にしているのは、自分をうとんじ、困らせ、敵対さえしていた人でも、その人がひどい目に遭っているとき、「その人はあなたの隣り人なのだ」と言うことです。あなたの人生の旅路の傍らに、そんな人はいませんか。 

    二、命をかけても愛して下さった方

 前の頁に引用しました言葉、「困っている人に対して少々の援助はできるでしょうが、命を捨ててかかるような覚悟はまだ出来ていません」、これは人間の限界をさしています。しかし、時には母親は自分の子どもためには命を捨てます(残念ながら、最近は反対に子どもを殺す親もいますが)。

 こうして愛する者のために、義人のために、はたまた主義や国のために、命を捨てるような人は、時にいます。しかし、「私たちがまだ弱かった時、罪人であった時、このような不信仰な者のためにイエス様は死んで下さった、こうして神は私たちに対する愛を表したのである」とパウロは語っています。(ローマ人への手紙5:6〜11参考)

 イエス様の死は、十字架の上に釘打たれて吊るされ、太陽の日差しの中に放り出される、世界でも無類の残酷な死です。しかし、イエス様の死は単なる肉体の痛みではないのです。そのくらいの死刑はイエス様には耐える霊的力はあるはずです。

 しかし、「わが神、わが神、どうして私を捨てられたのですか」と叫ばねばおれなかった時、そこに見られるのは父なる神とイエス様との断絶です。これはまさに本当にイエス様にとって死の体験です。

 ところが、その直後イエス様は最後の言葉を声高く叫ばれた、「父よ、私の霊を御手にゆだねます」。

 この一語にイエス様の霊の復活が現れています。この短い時間に、イエス様に真の死と復活があったと思うべきです。

 この時、遠く離れた神殿の幕が上から下まで真二つに裂け、地震があり、岩が裂け、墓が開き、多くの聖徒たちの死体が生き返ったという、そして、死刑に参与した百卒長をはじめ一緒に見ていた人々が、「まことに、この人は神の子であった」と言ったとある。単なる異常現象の故ではあるまい。神秘な神の愛の光を彼らは見たのではなかったか。

   三、聖 霊 に よ る 愛

 前の頁で書いたのは、イエス様は命をかけて、神様から最も離れて暮らしているような罪人なる私たちを、愛しとおしてくださったと言うことです。

 こうしてイエス様から愛された私たちは、本当の愛を知るのです。この「知る」という言葉は、ヘブル語的「知る」という言葉で理解してください。

 創世記2:1に「アダムはその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んだ」とあります。

 「知る」という言葉は夫婦の間の肉の交わりをさしてます。それほどの実感をもって「イエス様の愛を知る」ということですね。こういうことが、しばしばクリスチャンに起こる。これが聖霊経験です。(もっとも程度の差はあります。冗談めいて言えば、中には不感症の人もいますが)。

 イエス様の十字架のお話を初めてきいて、「イエス様を救い主として信じます」と信仰の告白をしたとき、それは「聖霊によって」起こっていることです。人によっては、その時喜んでいるのは周囲の人だけで本人は何の感動もなく。ケロリとしていることがあります。しかし教会生活に慣れ、聖書や祈りや信徒さん同士の交わりに触れているうちに、次第に喜びが湧いてきます。そして本当に信仰による神の愛を知ることが出来、無常の喜びを感じる時がきます。そして「ああ、これこそ聖霊の感動だ」と気づくのです。

 その他、信仰の最初の時、(1)さっそく聖霊を受けて霊の言葉で祈る人、(2)聖霊に満たされて異常な霊的能力を受ける人や、(3)清い品性を与えられる人、そして(4)最後には聖霊の油注ぎを受けて神様のご用に、(つまり伝道や牧会やマザー・テレサのような奉仕に)遣わされるというような様々な聖霊の恵みを頂くのです。

 こうした時、「自分を愛すると同じように、隣り人を愛することが可能になっている」自分を発見できるに違いありません。

   四、「あなたの敵を愛せよ」

 「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という言葉において、イエス様は決して「自分を愛する以上に、あなたの隣り人を愛せよ」とは仰せられなかった、注意すべき点です。イエス様は「人は自分を愛する以上に、自分の隣り人を愛することは出来ない」という人の愛の限界を知っていました。

 しかしイエス様ご自身は、ご自分を愛する以上に世の罪人たちを愛しようとして、世の人の罪の断罪をご自分に受けられた。つまりイエス様が父なる神の前に罪人として断罪されたのです。当然、これはイエス様と父なる神との間の断絶です。

 これは宇宙を杯にしても飲み干すことのできないような悲劇であると、よく私は申します。しかし、その宇宙的悲劇のどん底の罪の泥沼から、神は手を伸べてイエス様を引き上げ、復活させ、天に凱旋させ、栄光を与えられるのです。

 その転換はイエス様が十字架上で「父よ、私の霊を御手にゆだねます」と最後の雄叫びが上げられた時です。3時間前、イエス様を十字架につけて痛快な気分を味わったローマの正規の軍人・百卒長をして「この人はまことに神の子であった」と告白せざるを得ないシーンとなったのです。

 イエス様は自分を愛する以上に、罪人たちを隣り人として愛し抜いて下さった、このイエス様を信じ、イエス様に愛された私たちは、イエス様から愛されたように互いに愛し合うことが出来る者になるのです。子どもの時に母に愛された経験の少ない人は、人を愛することが下手だと言われます。愛の表現が拙いのです。

 イエス様の愛で愛された経験を持つ人は、イエス様に倣って、イエス様に幾分でも似て、隣り人を愛することが出来るようになるのです。

 そこでイエス様は言われます。「あなたの敵を愛せよ」と。愛の極致です。《く》

 

〔欄外付記〕横田めぐみさんの遺骨偽物問題で、北朝鮮問題に対しては「もう経済制裁だけだ」という声が高い。しかし日本が経済制裁を起こせば、北朝鮮はノドンミサイルで反撃する可能性がある。そうなると米国の迎撃で金王朝は崩壊だと言う人もあるが、一発でも間違って日本に落ちれば、もしそれが東京なら皇居も政府機関もいっぺんに壊滅である。▼経済制裁、つまり米を送らないということだが、そこで私は今回の「日岡だより」の原稿を書いた、「あなたの敵を愛せよ」。来年はビョンヤンでワールドカップ、北朝鮮と日本の対戦である。この好機、日本のクリスチャンよ、サッカーファンならずとも、米をリュックに一杯詰め込んで、小さな経済援助と出かけませんか。日本北援助草の根運動提唱の弁です。《く》


2004/12/5

(「日岡だより」第153号)

本当のインフラ    

 インフラという言葉がある。社会構造の基盤施設をさすようだ。道路、鉄道、公園、病院、その他、演劇ホールや競技場など。ところで先日、新潟震災のテレビの番組を見ていたら、都市を活動させる最も基礎的なインフラは市民たちの住宅であると言っていた。何よりも今の新潟で一番要求されていたのは仮設住宅であったことで、それが分かる、

 住宅は家庭を守る容器である。社会を作るのは人間だが、個人だけを集めて会社を運営させれば、それで会社はできると企業家たちは思うかも知れないが、それは違う、家庭がなければ社員は働けない、そして会社も工場も運営出来ないのである。

 また、学校や図書館や美術館や、そういうものを作れば文化が生まれると思っているのは間違い。研究所や学会が沢山出来れば、文明は発達しようが、文明は文化を作らないのだ。

 特に教育だが、学校が幾らあっても家庭がなくては教育はできない。小一の女児が下校の際に変質男から殺されるような道は、どんなに立派な道でも良いインフラではない。下校時の児童をあのような事件から護る自信はないと全国八割の学校が答えていた。

 このような変質社会の中から児童を守る力は学校にはないことが分かった。文部省にも無い。今は、児童の教育は各家庭が負うべき時がきている。だから子どもの教育費のためにパートに出ているお母さんがたよ、今は、家庭に帰って子どもの顔を見なさい。全国の母親よ、団結せよ、幼児教育を文部省から奪還し、家庭学校を作れ。そして教会も教会学校を造ってはどうか。幼児を家庭で教会で護ろう。これが本当の社会基盤、本当のインフラである。《く》

やさしい伝道、聖霊の伝道    

 今日の私の説教は「クリスマスをあなたの心に」ですが、20年ほど前、これとまったく同じ題で、大分県農業会館ホールで大分市民クリスマスの講演として語ったことがある。あそこは講演者としては話しやすい所です。とは言え、一般市民の人々に福音の真理を語ることは決してたやすいことではありません。

 私は一般講演としては、楽しい、分かりやすい、耳に心地よいメッセージを語ったようには覚えていますが、あの夜キリスト教に初めての方が、クギミヤという牧師の話を聞いて信仰を持ったかどうかと考えると、これは苦しい反省です。あれは完全に失敗ではなかったかと、今、私は思うのです。

 「クリスマスをあなたの心に」とは、「今日、あなたの心にイエス様を迎え入れなさい」ということである。だから、純粋に伝道説教風に信仰の決心を促せば良かったのだが、市内の他の教会の牧師さんや信者さんがたも大勢いると思うと、つい遠慮したのである。

 このような私でも反対の例があった。ある時、某姉妹の家を訪問したら、田舎から来た親族や近所の年配の奥さんがたが4、5人集まっていた。しばらくすると、その人たちが「先生、キリスト教って、どんな宗教か、教えてくだっせ」と言う。私は教会や家庭集会にある期間来て頂いて、ぼつぼつ信仰の事が分かってきたころ「ここぞ」と、洗礼を受けませんかと、すすめるのが常套手段でありました。初めて出会ったその機会を活かしてズバリ伝道などしたことがありませんでした。ところが前記のような只一回しかないような貴重な機会です。これを逃がしてなるものか。そこで、私はキャンパス・クルセードの「四つの法則」を思い出したのです。

 「四つの法則」という小さなパンフレットがあります。その小冊子を使って次々に言葉をつないでゆくと、終わりには目当ての相手の人が信仰を受け入れるようにと上手に作ってある伝道用の「道具」です。私はその小冊子を持ってはいませんでしたが、おおよそ覚えていた順序で4、5人のオバサンがたを相手にしゃべってみたのです。そして最後の「さあ、イエス様をあなたの心に迎えいれましょう」という所まで行ったのです。

 正直に言って、私の心は「早鐘」が打つみたいでした。「いいえ」と断られたら、どう処理していいか、私は分からなかったのです。ところがそのオバサンたち、一様に「はい、イエス様を心にお迎えします」と答えたのです。さあ、私は感激しましたね。

 さっそく、それぞれイエス様を心に迎え入れた確認と喜びの祈りを、慣れない彼女たちに口移しに私が祈りを教えて祈ってもらい、その家庭の台所に行って格好のいい器を借りて、水を入れて洗礼式を行いました。

            *

 この経験は私に自信を与えました。後に当時の大牟田ペンテコステ教会から始まった「刈り取り」伝道の真似をして、路傍でキャッチセールスまがいの伝道を試みたのも、その自信からです。

 そして、かなりの成果を挙げたものの、信仰を受け入れてくれた人たちが長続きしません。それは無理もないのです。

 慣れれば別でしょうが、慣れない内は人通りの多い中心街の路傍でならこそやりやすいですが、当教会のある人通りまばらな田舎の路傍では通る人も少なくキャッチしにくい。

 それでも、実際に一人の人に伝道の応答をして貰える喜びは最高です。ですから、こぞって中心街に出かけてゆくのです。そうすると、よくひっかかる(悪い言葉ですが)のは、地方から大分の町にポッと出て来た人が多いのです。結果としてその人たちの信仰の後々のお世話は地方の教会にお願いせざるを得なくなり、私たちの教会の牧会的配慮を離れることになります。自然、その方々はこの教会を離れて行くのは当然です。そういうことから盛り上がっていた「刈り取り」伝道の熱意も醒めてしまいました。

 しかし、牧師の私としても、信徒のメンバーにとっても、これは良い経験でした。その後、伝道メッセージで決心した人たちに対するケア・カウンセリング等、ビリー・グラハム大会の「4つのステップ」とか、これらを改良してCTC古林先生が考案したカードタイプのものがあったように思います。あるいは又、故・高木慶太先生の聖書の預言による伝道法も有効でした。もう一度、これらの道具を駆使して熱烈伝道を再開したいものです。

            *

 とは言え、私はかつては、この「四つの法則」式伝道は嫌いでした。軽々しい感じがするのです。その理由は私の苦しかった求道と回心の経験から、他を軽くみることにありましょう。私の信仰にはいる経験は重々しく重厚な感じなのですね。

 実は前述の4、5人のオバサンたちのその後の信仰状態も分かっていません。お世話してくださったお宅の婦人が遠隔に移ってしまって、すべて連絡が疎遠になったからです。だから、証しとしては本当につまらない証しになりましたが、しかし私自身にとっては伝道方法の重要な切り返し点になりました。

 だからと言って、古い伝道法を捨ててしまったのではありません。私の求道と回心の経験を基礎にした古い型の伝道のやり方をもう一度振り返ってみましょう。自分の体験を伝えて、これしか無いよと、祈って叱って待つだけのことです。私の回心は、いつも申し上げますが、1944年11月23日です。福岡の刑務所の中で聖書の言葉により回心したそれです。

 私の伝道は55年前、1949年の鶴崎集会から始まりました。私の当時の集会は禅宗の道場のようなものです。1964年の越年集会(5日間)でY兄回心に至るまでの15年間、私は古武道のような、その指導法一徹でした。今、思い出しても懐かしいです。

 さて、回心と言えば、今日ちょうど今橋淳先生から先生の個人誌が届きました、それに先生の回心の模様が書いてあります。手島先生による按手と桜井先生による祈りにより、起死回生の回心をされる。以下、今橋先生の文章を拝借します。

 「(桜井先生が詩篇の短い一篇を読んで)静かに祈ってくださった。わたしは無心に胸に合掌していた。するとその時に驚くべき事に、忽然として「聖霊」が臨んだのです。全然予期せぬ不測の事態! 聖霊なんか、あることすら知らなかったわたしなのに、上よりの聖霊が来ちゃった。一方的にグワーッ!と。それが凄い。40分位、わたしは痺(しび)れっぱなしでいたのではなかろうか。(中略)聖霊の火のバプテスマの中に回心という経験をさせられたのです。わたしの場合、これが一切なのです。この御霊の油注ぎの経験は、預言者サムエルや王ダビデや使徒パウロがいたしましたが、このわたしがそういう経験をさせられちゃったのです。
 実際怖かったです。御霊に触れるという事は。まさかと思いましたね。頭に按手された桜井先生の右手が重くて、然も脳味噌は鉄板焼の肉のようにじりじり焼き尽き、頭の天辺(てっぺん)から足の爪先に至るまで、何万ボルトの電流が貫流したように、全身全霊ぴりぴりと痺(しび)れてしまったのでした。それで何と言葉に出して祈ったかというと、『神さま、知りませんでした! 赦してください、知りませんでした!』と何度も大声で繰り返して、泣き叫んでいたのでした。(後略)」

 以上が今橋先生の回心体験です。びっくりしますね、また、そんな事ってあるんだろうか、と思うかもしれませんね。また、私もそんな経験をしたいなあ、とあこがれるでしょうね。中には、そんなこと僕には起こりっこないよと諦める人もいるかも知れません。しかし、諦めないことです。あこがれてください。

 私は20歳代の若僧だった頃、学歴もない、神学校も出ていない。どこからの援助も無い、孤立無援、ただ神様だけを信じての伝道開始でした。

 しかし私の(今橋先生の回心には及びもつかないような)回心体験でも、それを私から聞いて、あこがれて泣いて祈って待ち望む人たちが現れました。

 聖霊体験は自分に起こってみなければ、何の事やら分かりません。実際に体験すると、身に染みて個人体験として分かります。

 パウロもアウグスチヌスも、ジョン・ウェスレーも、フィンニーも、同じ体験をしたのです。そして私の父、釘宮太重はそんなことがあるなど、夢にも知らずして、突然、光に包まれる体験をしたのです。その日から、父の性質も人生も一変しました。

 父の信仰経験は私のあこがれでした。そして、苦悩の日々はありましたが、遂に私にも聖霊による新生の体験が訪れたのでした。

 これをじかに伝道したい。単なる理解ではない。この体験を樽から樽に葡萄酒を移すように、命の水を移したい。聖霊の伝道とは、そういうものであるはずです。《く》


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