キリストの福音大分教会・牧師のメッセージ
(バックナンバー)

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2005年2月


2005/2/27

(「日岡だより」第165号)

主の安息にはいる道   

 食わず嫌いでキリスト教を嫌う人がいます。一度、食べてみてください。大変おいしいのです。そして栄養もたっぷりです。

 キリスト教は外国の宗教だから嫌だという方もいます。そういう方は仏教もインドから来た外国宗教であることを忘れているのです。

 無理にキリスト教でなくてもいいんだ、いわしの頭も信心さ。という人もいます。そういう人は結婚相手を捜すのに、誰でもいいよ、というようなものです。

 食堂のテーブルの給仕さんなら誰でもよいと言ってよいでしょうが、一生を共に過ごす伴侶者を無責任に決めるわけにはいきません。

 キリストが処女マリヤから生まれただの、キリストが水の上を歩いただの、あんな非科学的な聖書記事は時代おくれだ。あんな奇跡話が無ければキリスト教を信じるんだが、という人もいます。

 しかし本当は人はみんな奇跡を求めているのではないでしょうか。奇跡を求めていない人は一人もこの世にいないのです。

             *

 キリスト教を嫌がる人でも、イエス・キリストのあの気高い品性には好意、いやそれ以上に尊敬心を抱くでしょう。またしばしばクリスチャンの敬虔深さ、道徳性の高さに尊敬の念を持つ人も多いのです。

 ところが、時々ツンとすました冷たい感じのするクリスチャンもいて、そういう人がよく「クリスチャンは偽善者だ」という非難の槍玉にあがります。

 もっともなことで、私も一言もありません。しかし、そういう中途半端なクリスチャンには目を止めないで、ホンモノのクリスチャンに目を止めてほしいのです。

             *

 キリスト教の特徴の一つは、キリストを信じる者はすべて神様の霊(聖霊)を受けることが出来るということです。これこそ真の人格向上の基礎であります。

 修養努力では力は足りません。しかし、聖霊は根本から人を変えます。性格一変、能力向上、悪習廃絶、愛と誠実の人間に変って行くのです。

 人は誰しもそういう人になりたいという切望を持っていますが、そうなれたら、それこそ奇跡ではないでしょうか。

 品性が変れば生活も変ります。病気も治ります。家族や職業や経済にさえも奇跡が起り始めます。それを疑ったりするよりも、それが事実がどうかを試して見るほうが賢い人のすることです。

 そうです。みなさん、人はみな奇跡を欲しています。率直に奇跡を求めてみませんか。

 高潔で雄々しい人物になる。苦難の中で喜び感謝する人になる。これこそ最大の奇跡です。

 聖にして永遠、現実的なるキリストの霊を宿すとき、そのことが起きます。そして、具体的に病気や貧乏や不和や、あらゆる逆境から私たちを解放する神の奇跡が起こるのです。

             *

 わが家の台所では毎夜のこと、信徒の諸君が集まって自然に祈祷会になることがありました。異言と霊歌で騒然たる祈祷会ですから、道を通る人は何ごとが起こったのかとびっくりします。

 或はペンテコステの日のエルサレムの人々のごとく、この家の人たちは酒に酔っているのか、と言ったことでしょう。

 ある夜のこと、数人集まって遅くまで祈っていたのですが、その頃バプテスマを受けたばかりの手島君が長老原兄の背に按手しました。

 「おや」と思っていると、そのうちに原兄の全身に一万ボルト程のしびれが来てしばらく解けなかったそうです。

 聖霊現象の一つですが、それ以来、原兄は四六時中、イエス様がそばに居られることを実感して忘れることが出来なかったと言います。

 このように、ご聖霊様は今日も昔のごとく生きておられ、働いておられるのです。(以上1986年4月6日週報より)

             *

 以上は20年ほど前のことですが、最近、ある姉妹より躁欝病だと言う訴えがありました。精神病の一種ですが、躁の時は気分昂揚、賑やかで、行き過ぎて周囲は迷惑する。時々、とんでもない高価なものを買いこんだりして、ご主人が困る。

 欝の時は、落ち込んでしまって、ご飯も炊けない、子どもの世話もできない。発作的に自殺もしかねない。これは私の想像ですが、一家、大変です。

 この人に「告白はあなたを変える」という本の一部をコピーして送ってあげた。もちろん、私も祈っていた。遠い仙台の人だから、早天祈祷のあとで祈るばかりです、霊祷です。

 数日して電話したら、見事に治っている。会話してみるだけで分かる。躁でもなく欝でもない。落ち着いている。喜びました。

 私の祈りも勿論だが、ご本人が「告白はあなたを変える」という本の一部だったが、それを忠実に読んで実行したのが良かったと思う。良いことは、すぐ実行することです。

 この本が語る主要な点は、(1)告白(口に出して言うこと)することと、(2)イエス様の御名によって悪霊を追い出すことです。

 告白と言っても、ここでいう告白は罪の告白、懺悔ではない。まず聖書のみ言葉に心から賛成して、その言葉を口に出して宣言することである。

 たとえば、「聖書に、主の御名によって病人はいやされると書いてある。故に、私の病気は癒される!」と声高く叫ぶのです。

 だから又、悪霊追い出しも、全く同じ要領です。「イエス様が『悪霊よ、さがれ』とおっしゃったように、イエス様のお名前によって命じる、悪霊よ、出て行け」と宣言するのです。

 この後で、もう一度、自己宣言をやると更に良いのです(*このことは四頁に後述します)。これも告白の一つです。「病気が癒された」と声高らかに発言しましょう。病気は出て行きます。

 すぐに、出て行かなくても、必ず出て行きます。イエス様は言われます。「失望せずに祈りつづけなさい」(ルカ18:1)と。

             *

 クリスチャンの霊は既にイエス様のものになっています。人の霊はその人格の中心です。ですから、クリスチャンは悪霊に憑かれるということはあり得ないのです。しかし、霊の外延の心や思いの部分には悪霊が潜み、悪魔の橋頭堡となることがあります。

 また多くの場合、殆どの人に外部からの悪魔の巧妙なたぶらかしの言葉が、その人の心や思いに電磁波のように侵入してくるのです。聖書に「サタンがイスカリオテの心にイエスを裏切ろうとする思いを入れた」(ヨハネ13:2)というのがそれです。

 この対策として、私はある本で大切なことを教えられ、大いに勝利できました。(その本は「サタンに立ち向かえ」という本ですが、出版社のマルコーシュ・パブリケーションで今絶版です)。

 その本の内容はこうでした。私たちが暗い心、悲しみや憤りや恨みの気分で何となく憂欝な状態にある時、それはサタンがあなたの心に偽りの言葉を送りこんでいるからであると言うのです。

 クリスチャンは本来、その霊にイエス様が宿っている以上、憂欝な気分などに落ち込む筈はないのです。しかし、現実はしばしば憂欝である。それはサタンが悪い気分を起こさせる言葉を、あなたの心に吹き込んでいるからだと言うのです。

 そこで、その本のお勧めは、サタンに対し「主の御名により命じる。サタンよ、我を離れ去れ」と厳しく命じなさい、というのです。これを是非やってみてください。かならず、良い結果を生みます。これはクリスチャンらしくない憂欝な気分を一掃する秘訣です。

 実は、たとえかなり成熟したクリスチャンであっても、自分の意志(!)で自分の気分を変えることは非常に困難なことです。そしてこの気分を変えることができないことを知った時、人は品性の脆弱さを自覚せずにはおれません。ここは、まさに聖潔論の隘路、難所です。

 しかし、先ほど引用したように、「サタンよ、我を離れ去れ」との一喝で気分を変えることが出来るのでしたら、私たちの品性を立て直すことは案外可能なのだと気がつくのです。

             *

 ところで、サタンの言葉で心が傷を受けたとしても、「サタンよ、我を離れ去れ」の命令で心の傷が癒されるのは確かですが、強いサタンの言葉が、私たちの心にしばしば傷跡を残すのです。僅かな残傷ですから放っておいても、いつかは消えますが、やはり深い心の層に沈み込んで痛みの記憶を残すことになります。

 これに対処するため。私は一つのことを会得しました。大したことじゃないのです。「自分で自分の魂に命令する」という方法です。小さなコツです。技術と言ってよいと思います。

 この方法は10年か20年ほど前に掴んだのです。このようなみ言葉が聖書にあります。「わが魂よ、さめよ」(詩篇57:8、108:1)。このみ言葉では、旧約の詩人が明確に「自分で自分に命令している」ことが分かります。これが模範です。

 ある時のことです。私が神癒の奉仕に出かける時、自分の気分が落ち込んでいることに気づいて、私は以上の詩に習って頭に指を置いて「わが魂よ、明るくなれ」と命じたのです。

 そして、そのまま放っておきましたら、5分ほどすると、なんとなく気分が開放され、快活な気分になって何でもないことにも「ワッハッハ」と笑っている自分を発見したのです。

 このことを私は「自己命令(セルフコマンド)法」と命名して、後々私の「おはこ」になリましたが、私の小冊子「だれでも出来る『精神強化法』」の中で詳しく書いておきました。

 この「自己命令(セルフコマンド)」で、自分の心を強め、励まし、憂欝さを払い除け、正常化するために、不思議なほど効果があります。ただし、前述のようなサタンに対する処置が終わった後でこそ、絶対的効果を呼びます。

 とは言え、サタンにたいする処置が終わっていて、サタンの誘惑の言葉は消えたように見えても、そのサタンの言葉の残像というか、傷跡が残っている場合があるのです。先に述べたとおりです。その時には、改めて「自己命令」(セルフコマンド)」の手を用いて、すっかり残像を払い捨てる必要があります。

 くどいようですが、自己命令で自分の暗い気持ちを一掃できるということは確かです。しかし、そこにサタンの言葉の影響が残っているとその効果は薄いのです。(前に「もう一度、自己宣言を」と書いたのはこの理由からです)。

 結論。こうして平安と自由が私たちの魂に与えられます。これは私たちの魂が究極の主の安息にはいる道ではないでしょうか。ここでは些かの人間の業が求められますが、ヘブル4:11の「安息にはいるための努力」だと言えましょうか。《く》

〔あとがき〕ドン・コゼット著「告白はあなたを変える!」(エターナル・ライフ・ミニストリーズ発行、頒価1850円)をお奨めます。この本をテキストに読書会を開きたいと思います。場合によっては家庭集会に持ちこんでもよいですね。この本を持っていない人のためには、その都度、一部をコピーして一緒に読むことにしましょう。▼先週の祈祷会では皆さんに感想や報告、祈ってもらいたい願い等を語って頂きました。今後も、この形式は続けたいなと、思いました。《く》


2005/2/20

(「日岡だより」第164号)

とりなしの祈り    

   一、もう一人のマザー・テレサ

 貧しい人々の真の友となったカルカッタのマザー・テレサの名は、クリスチャンでなくても知っていましょう。すでに亡くなられたテレサだが、一般の日本人の脳裏からも、いまだ忘れ去られていない。

 このテレサが「私のほかにもう一人のテレサがいる」と言ったことがある。「えっ、どこに?」と聞いた人があるが、その「もう一人のテレサ」は確か「スペインに居る」と、マザー・テレサの言葉を読んだ記憶がある。

 その人は、無名の人であった。今も無名のままでいるのだろうか、よくは私も知らない。

 テレサはこんなこと語っていた。「その人は私のためにいつも祈ってくれています。私は誰にも知らせてはいないのに、『テレサ、あなたは今度、東ヨーロッパの旅に出られるでしょう、その時、あなたは忘れものをする恐れがあります。私は忘れ物の守護天使様にお祈りしていますから、そんなことが起こってもご安心なさい』と言ってくれるのですよ」。

 事実、どこかの空港で忘れ物をしたそうです。そして不思議にその忘れ物は戻って来たという。忘れ物の守護天使だったか、聖人だったか忘れましたが、カトリックではそんな素朴な信仰があるのですね。

 このような祈りの友を持っていることはなんとすばらしいことでしょうか。

          *

 この祈りの友のことについて、最近、私は他の本で読みました。多分、この人に違いないと信じますが、その人はかつてマザー・テレサの所にきて、奉仕シスターになることを志願しました。彼女は受入れられ、喜々として働いていましたが、健康に欠けるところがあって、故国に帰ることになりました。多分、そこがスペインであったでしょうか。

 落胆して、別れを告げにきた彼女にテレサは言いました。「あなた、がっかりしないでネ。もっと大事なお仕事をあなたにお願いします。国に帰ったら、誰にも黙って、私のために、私たちの働きのために祈ってください。ここで働くよりも、もっと大事なお仕事ですよ」。

 彼女はその与えられた勤めを立派に果たしました。先に書きましたが、今もそのシスターの名を誰も知らないのではないでしょうか。たとえ知っている人があるとしても、ごく一部の人だと思います。ともかく私の目や耳には触れません。この方の祈りこそ、すぐれた「とりなしの祈り」でありました。

   二、ひとつの経験

 私の経験している、小さな事があります。私は10年ほど前から、前述の「とりなしの祈り」を忘れずに日々継続するために一つの小さな祭壇を築きました。

 ちょっと異教じみていて嫌な感じを持たれる方も居られようかと思いますが、私は祈ってさしあげたい方から、ハンカチなり、ネクタイやカーデガンなど、いつも身に着けている軽いものを預かって帰ります。

 私はそれをまとめて、講壇の机の下に置いてありますが、それを毎朝の早天祈祷のあとで、その衣類などを持ちだして按手して祈ります。「こんな芝居じみたことをしなくても」と思わないでもありませんが、いくらそうした方々のために祈りたいと決心しても、それを忘れやすい自分の意志の弱さを知っている私は、こうした小道具が必要なのです。

 関東のほうに私の敬愛する女性がいます。その方のお子さんが異常な性格で世間を騒がすタイプなのです。非常に悩んで居られた。私はそのお子さんのハンカチか、何かを持ち出してもらって、大分に持って帰り、右のような具合で祈り続けました。

 そうすると、不思議にそのお子さんが落ち着いてきて、地域の人たちと仲よく文化活動を始められたりで、その親御さんもホッとして喜んで居られる。こうした事がおこるので私も嬉しいのです。

 決して、まだまだ大して結果が出ているわけではありません。しかし、こうしたことがあるのですから、皆さんも祈ってください。

         *

 実は、このたび手束先生をお招きして、牧師たちのためのセミナーを開いて頂いた。非常に貴重な講義を拝聴しました。そのなかで、最も感動したのは、牧師のまわりに、牧師のために祈る「祈りの集団」を作れという言葉でした。

 教会にはいろんな奉仕の方々がいます。受付、賛美奉仕、司会、自動車の運転、掃除、庭や駐車場の草取り。庭木の剪定、説教の録音、図書の整理、印刷、郵便発送、その他、まだまだあるでしょう。隠れて私のために祈っていてくださる方もいるのを私は知っています。まことに感謝の限りです。

 しかし、牧師のための「とりなしの祈りの集団」(組織だった祈りの集団!)はいない。私は思わず、叫び声を上げたい気持ちでした。そして悔い改めの思いが起こりました。というのは、

 なぜ、私の周辺に「とりなしの祈り集団」が出来なかったか、それは私が信徒のみなさんに、その要求をしていなかったからです。マザー・テレサは奉仕の請願をしながら、途中で挫折して国に帰って行くようなシスターに「私のために祈って下さいね」と頼んだわけです。これは偉いと思いました。

 なぜ私が、教会の信徒のみなさんに、「私のために祈って下さい」と言わなかったか、私は自分ひとりで十分できると思っていたからです。説教も、牧会も、霊的ミニストリーも私は一人でできると思っていた、この傲慢さが、私の最大の欠点であった、失点であった。サタンの攻撃に破れやすい隙間があったのです。

 牧師の仕事は生易しい仕事ではない。サタンの攻撃の的である。信徒諸君の援護射撃がいるのである。このことに気づかされて、私はなんという幸福者であろうかと思った。今後、信徒の皆さん、私のために祈ってください、と願わずにはいられません。

   三、とりなしの祈りの力を信じよう

 実は今、私に大きな重荷がある。悪霊の手中に陥って心を病んでいる方々がいる。癌の手術でその予後に危険を宣告されている方もいる。

 その人たちに私は「大丈夫ですよ。医者に出来なくても、神様には力がある。私は祈って差し上げます。安心して待っていなさい。大丈夫です」、などと言って差し上げていますが、今、この原稿を作っている時、そばの雑誌で、ふと、ある先生の文章を読んだ。「あなたは本当に取り成しの祈りの力を信じていますか」と。私には衝撃的だった。

 私はハッと胸を突かれた。クリスチャンはよく、別れの時、常套語のように「祈っています」と言う。慣れ切った言葉で、挨拶語になってしまってはいないか。この言葉の重みを自覚してしないのではなかったか。私はもう一度、「祈っています」の言葉に責任を感じた。

          *

 私の伯父釘宮徳太郎が初めて「聖書之研究」誌の読者会に出た時、昔のことです、福岡あたりであったろう。そこで会ったのが、勇ましい快男児の原田美実先生であった。二人には意気投合する所があったであろう。徳太郎は「先生、先生のために祈っています」と挨拶して別れたらしい。その後、半年か1年して再会した時、徳太郎は言った。「先生、ずっと祈らせて頂きました」。

 その言葉に偽りが微塵も無い真実味を原田先生は嗅ぎとった。先生は脳天を打たれたように感動した。「この人は本当に祈ってくれていたのだ」。

 後日、原田先生が伯父の家に泊まったことがある。翌日の朝、徳太郎夫妻の毎朝の祈りに加わった時、その祈りの質に驚いた。日本の天皇と総理大臣を初め、先生方や、同信の人々のため熱涙を流して祈るのだった。こうした祈りで私のために祈ってくれていたのかと再び感動を新たにしたそうだ。

 私も覚えている。伯父は人間関係でも、事業や工場招致などでも、誠実そのもので妥協がなかった。大臣などに会う時、秘書室も通さず、「やあ」と扉を開けたものだそうだ。そういう人だが、神様の前には声を震わせて、真剣そのもの、子どものように涙を流して祈る。私は思う。あの伯父のように人のため祈ったことがあっただろうかと。

       *

 とりなしの原動力は聖霊様である。(ローマ8:26、27)。ペテロが牢獄に入れられた時、教会は彼のため熱心に祈りを神にささげた。その願いは聞かれた。天使が来て、ペテロを解放したのである。

 ところがペテロがいつもみんなが集まっている家にきて、門の扉を叩いた。ロダという女中さんが迎えに出て、慌てて、そのまま門を開けずに「ペテロ先生が門に来なさっている」と叫んだのだが、教会の信徒たちは信じない。「お前は気が狂っている」と相手にしなかった。不思議なことに、如何に熱心に祈っていたにしても、彼らには信仰が出来ていなかったのです。

 しかしそういう不信仰な祈りにも神様は答えて下さった。とりなしの主なる聖霊様の働きでありましょう。だからこそ、聖霊様を信じて、ますます、とりなしの祈りに励みましょう。(2005.2.17.祈祷会説教概要)《く》


2005/2/13

(「日岡だより」第163号)

日本人よ、自信を持て    

   一、バリ島の父

 昨日の産経新聞だが、「バリ島の父」と題して、戦争中のインドネシアのバリ島で現住民の人たちに尊敬され愛されていた三浦襄のという人の伝記が載っていた。

 ある時、日本軍の駐屯地の前で兵隊から2人の現地の人が捕まって散々ひどい目にあっている。聞けばスパイの容疑で斬刑を言い渡されているという。

 怖い駐屯地の前を緊急の用事があって恐々として歩いていたのが却って疑われたのである。日本兵は現地の言葉も分からないで、誤解しながら居丈高に怒っているのだ。

 それを見て三浦さんは日本兵を強くたしなめた。やっと2人は救われた。このようなことが日常茶飯事で、三浦さんは島民から慕われた。

 戦後、バリ島からは日本兵の戦犯は1人も出なかった。駐屯軍に対する三浦さんの日ごろの説得によって、兵隊たちは島の人たちに親しくなり、民情を理解し、無用の監禁や暴力をやめたからである。

 戦争の現場は未熟な若者たちをしばしば動物的威嚇者に変える。日本の軍隊もその例に漏れなかった。しかし、バリ島ではそういう暴発は起こらなかったのである。

         *

 先週、当教会で大分県や近県の先生たちが集まり、教職者セミナーを開いた。講師には高砂教会の手束正昭先生をお招きしたのだが、先生から、こんな詩を紹介された。スマトラのラジャー・ダト・ノンチックという人が書いたものである。(「マレーシアはこうして独立した」という本の中から抽出。)

   かつて、日本人は
   清らかで美しかった

   かつて、日本人は
   親切でこころ豊かだった

   アジアの国の誰にでも
   自分の事のように
   一生懸命つくしてくれた

      *

   何千万人もの 人の中には
   少しは変な人もいたし
   おこりんぼや わがままな人もいた

   自分の考えを 押しつけて
   いばっている人だって
   いなかったわけじゃない

      *

   でも あの頃の日本人は
   そんな少しの いやなことや
   不愉快さを越えて

   おおらかで まじめで
   希望に満ちて明るかった

   戦後の日本人は
   自分たち日本人のことを
   悪者だと思いこまされた

   学校でも ジャーナリズムも
   そうだとしか教えなかったから

   まじめに
   自分たちの父母や先輩は
   悪いことばかりした残酷無情な 
   ひどい人たちだったと、思っているようだ

      *

   だから アジアの国に行ったら
   ひたすら ぺこぺこあやまって
   私たちはそんなことはいたしませんと
   言えばよいと思っている

      *

   そのくせ 経済力がついてきて
   技術が向上してくると

   自分の国や自分までが
   偉いと思うようになってきて

   うわべや 口先では
   済まなかった悪かったと言いながら

   ひとりよがりの
   自分本位の えらそうな態度をする

   そんな
   今の日本人が 心配だ

   本当にどうなっちまったんだろう
   日本人は そんなはずじゃなかったのに

   本当の日本人を知っている私たちは
   今は いつも 歯がゆくて
   くやしい思いがする

      *

   自分のことや
   自分の会社の利益ばかりを考えて
   こせこせと
   身勝手な行動ばかりしている
   ヒョロヒョロの日本人は

   これが本当の日本人なのだろうか

      *

   自分たちだけで 集まっては
   自分たちだけの 楽しみや
   ぜいたくに ふけりながら

   自分が世話になって住んでいる
   自分の会社が仕事をしている
   この国と 国民のことを

   さげすんでみたり
   バカにしたりする

   こんな ひとたちと
   本当に仲良くしてゆけるだろうか

   どうして
   どうして日本人は
   こんなになってしまったんだ
        (1989年4月 クアラルンプールにて)

   二、台湾の人

 さて、かつて手束先生が台湾に行った時、まず「日本が台湾を統治した時代、随分ひどいことをしたでしょう。深くお詫びします」と挨拶したら、老年の人が答えたそうだ。

「どうして、そんな事を言われるのです。日本人は台湾ではよいことをしてくれました。日本は台湾の恩人です」

 と言われるので本当にびっくりしたそうだ。もっとくわしく聞くと、さらに答えてくれた。

「日本人は学校や潅漑用のダムや、沢山の産業設備を作ってくれました。しかしそれ以上に私たちに下さったのは日本精神です」

「えっ、日本精神?」

「そうです。礼儀や、秩序や、正直、勤勉、こんな良いものを沢山残してくれました」

   三、日本人はキリスト教が好きなのだ

 手束先生が語られた言葉のなかで、一番気に入ったのは、このことばである。

「みなさん、キリスト教会は一般の市民にとって敷居が高いという、実際そうだろうと、見当はつく。しかし、確認したいことは日本人はキリスト教は好きなのだということです。決してキリスト教を嫌ってはいない。

 先年、NHKで調べたことがある。日本人の70%は信仰を持っていない。その70%に「もし信仰を持つとすれば、何教を信じたいと思いますか」と問うたら、その70%の人たちが「もし信じるとすればキリスト教を信じたい」と答えたそうだ。

 つまり70%の70%は49%、約半分である。日本人の半分の人口はキリスト教を信じたいと言っているわけだ。

 そう言えば、最近のキリスト教ブームはまず、結婚式である。沢山の花婿、花嫁さんはチャペルで結婚式をしようとする。来席した親族、来賓のノンクリスチャンの人たちも満更ではない。それどころが大感激して帰ることもしばしば。

 また最近の年末風景はクリスマスのイルミネーションである。ところによっては市の中心に大イルミネーションが立つ。加えて、若い人たちのゴスペルの歌。意味は分からないでも「ジーザス。ジーザス」と湧きあがるようなイエス様賛美の歌声である。外国人は誰が来ても、「おや、日本はいつからキリスト教国になったのか」と驚くだろう。

 もっとも、旧来の日本人クリスチャンはこの風俗を見て、苦々しく思う。「あの人たち、信仰もないのに、軽薄に、ただ流行を追って、形だけ模倣しているだけ。もっと本当の信仰を持ってほしい」。もちろんそうです。

 しかし、にがにがしく、冷評するのはよしましょう。私たちだって、最初は教会に行って、礼拝の行事や、隣の信者さんの賛美歌やしぐさを真似しているうちに、だんだん本物のクリスチャンになったのではないですか。

         *

 さて、かつての日本の統治時代を今もなつかしむ東南アジアの人たちの言葉をかみしめてみたい。台湾の人たちの称賛の言葉を素直に受けとめてみたい。

 私たち日本人こそ、自分たちの美点を確認したい。自虐史観で強いて民族罪責感をいだいて土下座悔い改めをするのではなく、毅然とした自覚を持とう。だからと言って、傲慢な民族主義でもない。自らの民族性の美点を称えよう。

 よい素材を使って料理しよう。良質のぶどう酒とオリーブ油を注いで香りたかい料理を作ろう。日本民族という良質の素材に、イエス・キリストの血潮と聖霊の油を注いで頂こう。全世界が驚嘆する馨しい民族が生まれるであろう。

 西洋キリスト教ではない、わざわざ東洋風にアレンジしたキリスト教でもない。まして狭量な日本キリスト教でもない。西洋と東洋の狭間にある日本民族が新生し世界をリードする時が来るのではないか。(インドのベニー・ヒン大集会の成功をリバイバル新聞で読み、新時代の到来を感じつつ、ワープロ打ち納めです。)《く》


2005/2/6

(「日岡だより」第162号)

天にまで昇ろう    

 今日の礼拝説教題は「UFOは本当に実在するか」なんですが、少々ふざけていると思ったので題を替えようかと思ったのです。しかしN兄が非常に忠実で、既に立看板を書いてしまっていた、そんなことで書替えを諦めました。先週水曜日のことです。

 選んでおいた聖書個所は列王紀下2:1〜14ですが、本文をご覧になればわかるように、エリヤが火の車に乗って天に昇って行くところです。それを弟子のエリシャが見送ります。紙芝居にしたら子どもの喜ぶ絵になるだろうなと思いますね。

 ここを題材にして作った私の賛美があります。

  「火の車に乗って天にまで昇ろう。
   エリヤのごとくに天にまで昇ろう。
   火の車に乗って天にまで昇ろう。
   高く高く天にまで昇ろう。」

 曲も私が作りました。私の好きな歌です。パウロは第三の天にまで昇ったと述懐しています。そこはパラダイスだったとパウロは説明していますが、私たちもそこに引き上げられたいものです。

 火の車をUFOに見たてての、私の説教題でありましたが、UFOはニュー・エイジじみた未確認物体でありますので、教会の説教題としては不穏当かもしれません。

           *

 UFOは大分県には縁があります。1950年前後だろうと思いますが、豊後水道のあたりから別府背後の山岳にむけて飛んだ円盤状の光る物体が日本における最初の記録です。

 しかし、後から考えれば、私はそれに等しきものを小学校4年生のころ見ています。流星でも火の玉でもない、ゆっくりと弧を描いて、学校の校舎と校舎の間を飛びました。オレンジ色の丸い形でした。当時は、そのような物を見たという週刊雑誌的ニュースにはなりませんでした。

 私の第2回のUFOは、既に世界にも日本にもUFOが評判になっていた時です。夕刻、銭湯から帰りぎわに、町並の屋根から屋根の間を小学生の時に見たと全く同じようなUFOを見たのです。

 その頃はまだ「空飛ぶ円盤」と言いましたね。藤原藤男という牧師先生が「聖書の研究」という雑誌を出して居られて、(内村先生の「聖書之研究」ではない)、その中に「空飛ぶ円盤に宇宙人がいたら、その存在にどうやって福音を伝えることができるか」などとあった。それに釣られて私は空飛ぶ円盤情報に興味を持っていたのです。

 その頃の空飛ぶ円盤情報は清新でした。アダムスキーの「空飛ぶ円盤同乗記」など霊的雰囲気のレベルが高かったですから、興奮させられましたね。その後、ニュー・エイジ風な霊的転落を示すUFOマニアの噂を聞くことは本当に残念です。

 私は決してUFOをむやみに信じて、これを美化し研究や興味の対象にしているわけではありません。しかし、荒唐無稽の愚かな噂話としないで、まじめに取り扱ってよい話題だと思っています。

 数日前、テレビでアメリカの消防署のマニュアルの中に「UFOに出会った時は如何に処するか」という正式の書類があることを知りました。アメリカのお役所は偉いなと思いましたね。しかし、同じ番組の中に出ていた宇宙人解剖の映像は悪趣味な作りもののようで全く信用出来ないと思いましたが。

 今回は皆さんがいささか興味を抱くだろうと思って滅多に書かないUFOの話など載せましたが、最近のUFOの話はしばしば霊的に危険ですので、余り興味を抱かないように慎重に接してください。

 しかし、こうした領域に正しい理解を持つことは悪いことではないと思います。聖霊による豊かな洞察力と知識を神様に求めましょう。

          *

 教会の前の立看板は、毎週の主日説教題をN兄に書いて貰っています。最近は上手になりました。書道的にと言うのではありませんが、教会に対する奉仕と謙遜と忠実と熱誠の心が表れています。「見てくれ」の卑しい心がない。喜んでいます。

 さて、この教会の前の電柱に立てかけるにあたっては、道を通る一般の市民の目にしっかり印象深い文字でありたい。そういうところから、とんでもない「UFO」などという言葉を持ちだしたわけです、もちろん訴えたい私の本心は「天を目ざせ」です。

 天と言えば、先週の説教題は「天よ、歌え。地よ、喜べ」でした。これは旧約聖書の詩篇によく出てくる詩句です。ヘブル人らしい慣用句と言ってよいでしょう。日本人には珍しい感覚です。天や、地を兄弟分あつかいして、「なあ、天よ、地よ、一緒に喜ぼうじゃないか」と言っているのです。

 聖フランシスが太陽や月に向かって「わが兄弟なる太陽よ、主を賛美しよう。わが姉妹なる月よ、主を賛美しよう」と呼びかけました。太陽や月を神様として拝む日本人と違って、壮大な自然観を持っていますが、この宗教感覚を教会の前をとおる一般市民の皆さんに訴えたかったのです。

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 ところで先ほどの立て看板ですが、N兄が「天よ、歌へ、地よ、喜べ」と書いてありましたので、私はN兄をちょっとからかって「N兄、なぜ、『天よ、歌へ』と書いたの?」と聞きましたが、キョトンとしていました。昭和初年うまれのN兄には、「天よ、歌え」ではなく、当時の国定教科書流に「天よ、歌へ」が正しいのです。子どもの時に習った文字の使い方がちゃんと残って居るのですね。

 先週の新聞でしたが、昨今の小学生、中学生の国語の習得率が良くないと出ていました。「三日月」や「田園都市線」の読み方が分からなかったからだそうです。だから、現代の教育はなってないという批評でした。そして家庭で、もっと子どもの教育を考えようと言うのです。

 しかし、昔でも家庭でそれほど漢字教育したとは思えない。漢字の読み方くらい、子どもは自然に覚えたものです。それは振り仮名があったからです。

 私など、小学校5年生のころには、もう朝日新聞の小説くらい読んで居ましたよ。大人向きの大衆雑誌「キング」(今の大衆雑誌よりずっと高級だった)の小説も読んでいた覚えがあります。

 それはみんな振り仮名があったからです。昔は振り仮名も、活字を1本1本、拾ったのですから涙が出ます。今はコンピューター製版ですから、振り仮名をつけるくらい、なんの事はない、楽にできるはずです。今の新聞社さん、「現代の教育はなっていない」など批評はやめて、ご自分の社の記事に振り仮名をつければよいのです。

 ところで、日本語訳聖書は(引照付きは別として)全部振り仮名(ルビ)付きです。斎藤孝教授ではないですが、「声を出して聖書を読みましょう」、できれば「文語訳聖書を読みましょう」と言いたい。鹿児島県の村の一角では、今も「朝読みをしましょう」と子ども向けの張り紙がありました。薩摩の国の昔ながらの「読み方」教育による人材育成の歴史の名残りでしょう。

 そこで私は強調したい。クリスチャン育成のコースとして「文語訳聖書を声を出して読みましょう」と。《く》

〔図書貸出し台〕地引網出版発行、ヘンリー・クラウド、ジョン・タウゼント共著の「境界線」、人間関係や仕事の煩わしさや、自分自身との交わり方、アメリカ人らしい割り切り方とも言えますが、逆にあいまいな他との交わりをしやすい日本人には非常に参考になります。関連して、ハーベスト・タイム(1月のビデオ)にこの本の出版社の谷口社長も出演、中川先生と対談しています。▼次に古い出版ですが、奥山実先生著、「悪霊を追い出せ!」、実践的指導書です。本日のメッセージにも取上げる予定です。

〔あとがき〕2月14日はバレンタインデーです。これは欧米の罪のない風習で、微笑ましいとは思いますが、キリスト教信仰に格別深い関係があるわけではありません。アメリカでは既に小学校の子どもたちの可愛いお遊び行事になっているようです。日本の女性の皆さんが男性諸君にチョコレートを贈るのは悪くはないけれど、たとえ忘れても気にはしないことですね。できればクリスチャンの皆さんは意識をもって止めて下さるほうが好ましいです。《く》


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