「くぎみやよしと 日本・世界・宇宙を思う・・」       
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《巻頭短言1》・・・週報より・・・

     1999年を送る 1999.12.26

 よいよ1999年を送って、紀元2000年を迎える。世上ではY2K問題が騒がれている現状だ。ミレニアムという言葉も週刊雑誌等で氾濫している。来年はまだ20世紀のはずであるが、一般では、もう20世紀はこの数日で終わるのだという感覚のようである。アメリカの雑誌タイムもその線で行っているのか……。

 性的マスコミとしては世界的に上質の雑誌であると思うが、この雑誌が「今世紀最大の事件は広島長崎の原爆投下である」と発表したそうだ。まあまあ納得できる評定であろう。

 かし、私は思う。1948年のイスラエル建国こそ今世紀最大の事件ではなかろうかと。あのイスラエル建国は神様が予定された時を奪って、少々早すぎて行われたと私は考えている。

 っと忍耐して神の時を待てば、パレスチナ問題も平和裡に解決しユダヤ人は何の衝突もなく祖国帰還ができたであろうにと思っている。これは無邪気な夢物語であろうか。

 かし、ともあれ神様はこの早すぎた(?)イスラエルの建国を黙認した上で世界の歴史を進めて行かれるであろう。かくて神様は20世紀計画を終わらせ、至福千年へと移行されると信じる。 

    台湾地震のために 1999.10.17

 年はトルコ、アテネ、台湾と、地震のニュースで世界の世紀末を感じさせた。

 興援助寄金を、これらのどの国にも送りたい。特に、トルコは日本びいきの国民性で有名である。

 湾は、それにまさる日本びいきで驚くことがある。第一、台湾では今でも「日本魂」という言葉が生きていると聞いた。また、日本語で短歌をつくる人たちがおり、昨年だったか、その短歌集が出版されたと聞いたことがある。

 前、私は矢内原忠雄先生の論文で「朝鮮の植民地政策は失敗だが、台湾のそれは合格に近い」と書いていたのを読んだ覚えがある。南洋諸島も同じく合格点をもらっていたような気がする。

 れかあらぬか、今もって韓国では日本の評判は悪い。

 の阪神大震災では、台湾の教会から、いちはやく義捐金が一千五百万円だったか、日本の教団に送られたことを新聞で読んだ記憶がある。あるいは一億五千万円だったかも知れぬが。

 下、全日本リバイバル・ミッションでも台湾地震にたいする復興寄金の募集をしている。私たちも、まず台湾の被害教会の復興のため祈ろう。そして、少しでも募金を送りたいのです。 

  山陽新幹線の
    コンクリート事故
1999.10.10

 劾記事は書きたくないと、かつて書いた覚えがあるが、どうも最近の臨界事故や、今回の二度目の山陽新幹線のコンクリート事故を聞くと、一言、言いたくなる。

 日の東海村の臨界事故は世界にむけて恥ずかしい事故だったと思うが、今度また、新幹線に同じような事故が起こって多数の犠牲者でも出したりしたら、それこそ鉄道会社は補償金も大変だろうが、その上、世界に向かって大恥である。この際、恥というのは日本の政府と国民の恥である。一JRの社長の恥ぐらいのことではない。

 つて書いたことだが、すぐにも営業中止して安全点検すべきではないのか。また、この件では、政府は絶対、口を出すべきである。営業を中止したら、会社の経営が破綻するとか、利用者のみなさんが不便であるとか、そういう次元のことではない。下手をすれば人命に関することではないか。

 思議なのは、前回の事故のとき、手抜き工事をした工事会社の責任を問う声が、さしてあがらないことである。その会社の名前すらはっきりしない。これを追及する姿勢が政府にもマスコミにもないような気がする。どうしたことか。

 

  トルコ大震災に思う 1999.8.22

 シロアムの塔が倒れたためにおし殺されたあの18人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負債があったと思うか。あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」(ルカ一13・4、5)

 つて関東大震災に際し、「これは神の罰だ」と内村鑑三先生が言った。日本中の多くの識者が「そんな馬鹿なことがあるものか。単なる自然災害を『天罰だ、神様の罰だ』などと、内村先生らしからぬ時代錯誤なことを言う」と評した。

 ころで、内村先生の高弟、藤井武先生が公園の避難テント村に行くことがあった。何気なくテントの中から聞こえてくる男女の忌まわしい会話を聞いて、藤井先生は身震いした。「こんなに堕落した国民の上に神様から罰が下るのは当たり前だ」と思ったという。

 かし、そのテント内の当の男女は現に災害を免れて助かっており、他の多くの善良な市民が死んでいる。「あの18人は、他の全住民以上に罪の負債があったと思うか」とイエス様は言われる。更に主は言われる。「あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」と。

 

  「非戦主義」の難しさ 1999.8.15

 月1日の本欄に「赤トンボの会」の広告のことを書いた。最後には3千人以上の応募者となり、ギリギリの締切りに間にあって、無事広告もできるそうだ。当週報の訴えに応じてくださった方々に感謝する。「良かった良かった」と思った。

 ころで、「子どもを戦場に二度と送るな」という平和アッピールだが、この程度では、いったん戦争がおこると、挫折する。

 所の息子たちが続々と戦地に行く時代が来たら、自分の子どもだけを兵隊に行かせないで居れる親は、日本にはない。かつては絶無であった。

 を守るために命もささげるのは尊いことである。しかし、戦争は罪であるという認識に立って「祖国の滅亡も覚悟して平和主義を守ろう」という愛国心もあるのだ。それは、純粋すぎる、極端な理想主義である。お前は卑怯者だ。だから、そんなことを言うのだろう。お前の愛国心はどこにあるのか、という批判が、当然おこる。

 うした超平和論は権力筋から憎悪される。自国の戦争の倫理性に自信がない時ほど、権力者は厳しく弾圧する。日清戦争、日露戦争の時と大東亜戦争末期の日本を比べれば、それが分かる。生半可な平和論ではいざという時には戦えない。

 

  「赤トンボの会」の
       広告を助けよう
1999.8.1

 赤トンボの会」はユニークな憲法擁護の会である。1983年から始まった。一般の市民が1000円ずつ出し合って「平和憲法を守ろう」という意見広告を8月15日の新聞に出すのである。大分県下5紙の新聞に一頁の広告を載せる。

 則として、応募者のみなさんの名前を広告主として小さな活字で全部載せるので、壮観である。 昨年は約3000人の人々が拠金した。小さな出費だが、貴重な勇気である。(もっとも名前は出してくれるなという人もいないわけではない。)

 ころが今年は、その応募者の出足が鈍い。応募締切りは8月6日であるが、まだ900人たらず。例年に比べ、激減しているという。

 の意見としては憲法は如何に形骸化しようと、理想は理想としてはっきり謳った方がよい。いつも喧嘩の多い家庭でも、だからこそ「和」と書いた額縁を掲げることは褒めてよい。現状を追認して「喧嘩もまた善し」などとうそぶくことは無い。

(郵便振替01540-0-12160赤トンボの会に1000円振り込んでください。問い合わせは 09737-2-6228秋好さんに) 

 

     危機管理について 1999.7.11

 神大震災の時、危機管理の鷹揚さが批判されました。当時の首相が村山トンちゃんでした。大分県民はだいぶ肩身のせまい思いをしました。寄り合い世帯の内閣の顔にかつぎ挙げられたような総理職ですから、やむを得ないじゃないかと弁護したくても、それもできない苦い思いをしました。

 て、危機管理ですが、事故や事件が起きてからの危機管理も大事ですが、それが起きないようにする予防管理も大切です。山陽新幹線のトンネルのコンクリート剥落事故は、その後者の猶予ならぬ緊急性を告げています。ところがコールドジョイントと言われる当時の工事責任についてすら、目下、新聞雑誌もさほど問わない。なしか?

 、もし山陽新幹線に同様の事故が起きて列車転覆、乗客多数死亡とでもいうような事故が起こったならば、それこそ現小淵内閣は転覆です。事後処理のため総辞職もかなわず、責任を後日になって問われつづけることでしょう。今は、山陽新幹線は即刻ストップ、全線再点検すべき時です。

 うすぐ二一世紀を迎えます。世界の終末を予感させる世紀です。危機管理どころか、世界も個人も主の厳粛な審判に備えて、その良心が問われます。信仰の再点検、大丈夫ですか。 

 

  「君が代」の曲について 1999.6.27

 君が代」の曲は静かで壮重、国旗掲揚のような式場ではいいけれども、気分を高揚しようという時には似合わない。

 はかつて、この「君が代」の曲は嫌いだった。世界の国際社会では何だか気恥ずかしい思いがしそうだったのだ。今、考えると、あの曲はヨーロッパ社会の国歌の通念に合わないと感じたのだと思う。私の一種のヨーロッパ迎合の感覚だったかと、却って往時の感覚を恥ずかしく思っている。

 の曲は伴奏を単純にして斉唱で歌うのがふさわしいと思うが、それはある研究者が裏打ちしてくれた。そのある研究者の研究結果が凄いので、あの曲はカトリックのグレゴリアンチャントから来ているという。なるほど、日本民謡風ではなく、雅楽でもなく、明治の唱歌風(讃美歌風と言ってもよい)でもなく、おかしい、おかしいと思っていたが、そうなのかと合点した。

 もあれ、日本のアイデンティティを創出しようとする国歌法提案の政府諸公の気持ちはわかるが、それも見かけだけで、本当はアメリカ寄りの軍事国家を造りたいだけの話ではないか。本心から日本人民が納得する規範を提示できない以上、国民は本当にはついて来ないであろう。 

 

 住民台帳改正法案の通過と
     聖書の預言
1999.6.20 

 月11日の新聞(夕刊)を見て驚いた。住民台帳改正法案が衆議院の委員会を通過したという。

 つの間にこんな法案が審議されていたのか。これは「国民総背番号制への一歩である」と新聞は解説するが、私は一歩どころか、肉薄してきたと思う。コンピューターに家族の枝番号をつけるプログラムでも潜ませておきさえすれば、国民総背番号などは何時でも開始できるだろう。

 報が民間に悪用されないよう保護強化の付則をつけるそうだが、政府が「悪用」する場合の保護強化があるのかどうか、聞いて見たい。

 ハネ黙示録の預言では、世の終わりには悪魔とおぼしき獣の名の数字をすべての人の右手や額に刻印される。その刻印のない者は物の売り買いができないようになるとある。まさに、その時代が来つつあるのか。

 聴法やガイドライン法が通過したと思ったら、もうこの始末だ。更にこのあとには「国旗国歌法案」が続く。小渕内閣は戦後、アメリカに最も褒められる内閣になるかも知れない。しかし、神様は地上のもろもろの国の為すわざを笑いたもうであろう(詩篇四・四参照)。主の日は近い! 

 

 

   コソボ紛争に関して 1999.5.9

 、アメリカのアリゾナかどこかで、インディアンやメキシコ人たちが結束して、彼らの自治権を主張し、独立宣言をする。その結果、白人たちが難民となり、ぞくぞくと他の州に流れこむ。

 んなことが起こったら、きっとアメリカ政府は立ちあがって、この独立政府を非難し、威嚇し、軍隊を送りこむであろう。この場合、どちらを非難し、どちらに味方するか。この判断は非常に難しい。これが現在のコソボ紛争の型である。

 て、このコソボ紛争の現地の一クリスチャン(牧師らしい)からの書簡が某誌に寄せられている。その中に「民族浄化」という言葉が出ていた。

 民族浄化」と言うなら、かつてこの思想でナチスはユダヤ人を排撃した。トルコは現に同じスローガンでクルド民族を追い出し、中国はチベット人を閉じ込めている。日本では、在日韓国人問題や特殊部落問題にも、これと同じ思想が淀んでいるのではないか。

 教徒を殲滅せよというのは旧約時代の原則であった。しかし新約時代では異教徒こそ福音の対象である。隔ての中垣を取り払うことこそイエス様の福音であった。クルセード(十字軍)という言葉は、言辞的には決して福音ではない。 

  

コソボ紛争の解決のため祈ろう 1999.4.18

 たちはとかく、私たちの日常的な問題や私的心配ごとについてのみ祈ることを専念しやすい。

 は青年時代、朝、目が醒めると、床の中で差別に悩む部落の人々、貧しいインドの民衆、そして日本軍の戦火や略奪に苦しむ中国人たちの苦難を思って涙に枕をぬらしたものである。

 ながら純真だったなあと、その頃のことを思う。今はコソボ紛争のニュースを聞いても、ちょっとしか心を動かさない。妻が先日ユーゴ空爆による列車爆破の記事を読んで涙を流しているのを見て、私は今更のように私の昔を思い出した。私の心も世事に毒されて、随分純真さを失ったものだと思ったことである。

 ソボ紛争の真相を知るのは難しい。アメリカやNATOのしていることは他国家に対する要らぬお節介なのか、ユーゴがやはり悪いのか、そこのところは私などには分かりにくい。しかし、とにかく現に苦しんでいるのは両民族である。

 、緊急に必要なことは、少しでもコソボ地区の平和を回復することだ。当面、冷たい平和でも熱い戦争よりは良い。難民の支援には日本の教会も力を尽くそう、そして祈りを尽くしたい。 

     

 

かの二・二六事件1999.2.28

 の二・二六事件はどこへ行ったのであろう。この国の新聞の事である。二・二六事件とは昭和十一年(一九三六年)二月二十六日、青年将校たち(いわゆる皇道派の軍人たち、昭和維新と称して国家改造を唱えた)が決起、一四〇〇人の兵隊をひきいて永田町一帯を占拠、政府高官を殺害した事件である。死んだ人の中には最近思い出されているダルマ大臣こと高橋是清氏もいた。
 国民は、大勢としては彼らに共感し、尊敬もしたかと思う。しかし昭和天皇はこれを反乱軍と認め、一気に制圧することを軍の上層部に命じた。 彼らは遂に死刑を受ける身になるが、国民はどこか彼らを気分の上でかばい、本当に死刑になったとは信じない者もいた。こういうところに当時の日本人民のホンネと建前の落差があって、新聞雑誌の記事だけでは伺い得ないものがある。
 の二・二六事件を契機として、日本はとうとうと覇権主義軍事国家になって行く。この事件は近代日本史において目を覆うことはできない分岐点的大事件である。このことについて最近の日本の新聞は一行も書かない。「今日の歴史」というような欄は、あっても省いているようだ。なしか(?)! 新聞をもっと信じたいのだけれど。
     注・「なしか?」とは大分方言で「なぜ?」の意。あるコピーライターによって広告に使われて以来、大分県では流行語となっている。

 


 

 「週報」1999.2.28号の《巻頭短言》に関して

戦時下の事を評価すれば

 昭和六年(一九三一年)に満州事変が始まり、昭和二十年(一九四五年)に太平洋戦争が終わる。この間、十五年。だから十五年戦争と呼ぶ人もいる。太平洋戦争というのはアメリカ側から言う呼びかたで、日本人から言えば、実態にそぐわない。日本側に言わせれば大東亜戦争だが、これは大上段を構えた命名で、いまさら日本人は気恥ずかしくて、よう言えない。私は昭和戦争と呼んだらよいと思うが、何だか昭和天皇に悪いような気がして、これもはばかる。 
 満州事変が始まった年、私は小学校四年生である。この頃からラジオ体操が始まり、年賀郵便の特別取り扱いが始まり、電報の電話受け付けが始まり、鉄道の蒸気機関車がとにかく格好だけでも流線型になった。
 前年の昭和五年、内村鑑三が天に召され、世界恐慌が日本に波及、国勢調査で日本の人口は六千四百万人、少年時代の私が懐かしいのは山中峰太郎の「敵中横断三百里」、まんがの「のらくろ」や「冒険ダン吉」の始まった頃でもある。(山中峰太郎さんはユニークなキリスト信仰を持っていた人であった。注意していい人である。)
 戦争のことだが、私は日本の戦争の正否と、その戦争に参加した国民の意義や信念や心情、そうしたことを正しく認識し、評価して、批判や同情を寄せるべきだと思っている。この点、多くの人が混乱している。
 本のあの戦争は誤っていたというと、「それなら、あの戦争に忠実に従って行って南海の孤島で死んだうちの父の死は犬死にであったというのか」という心情論。特別攻撃隊の青年たちの死に際しての遺書を引用して、だから日本の戦争は正しかったとか。あるいは日本の戦争のおかげで東南アジアはヨーロッパ支配を脱し、その後も経済的にも日本を見習って繁栄しているではないかとか、どこどこの国の総理大臣もそういって日本に感謝している、などと言う。
 二・二六事件や、その前の似たような五・一五事件の青年たちの、純粋な愛国心だけに目を留めて、彼らをたたえる人たちもいる。私は当時の杉本中佐だったか、「大義」という本を読んで、その天皇中心の一種の宗教的信念の清さに泣いた事がある。
 くざ集団の中で、義理や人情で親分や子分や兄弟衆のために、また堅気の一般の人たちの難儀を見ておれなくて、弱きを守り強きをくじき、侠気のゆえに死地におもむく、そういうヒーローに感動し、涙を流すのは誰とて同じだと思う。やくざ映画や西部映画が好まれる理由である。だからと言って、やくざの集団を善い集団とは言えない。たとえ親分や身内のため命をはって美しい死をとげようと、そのやくざ集団を善いとは言えない。ある意味で彼は犬死だと言われても仕方ない。しかしその人間的美しさについては何一つ非難すべきではない。人はみな、その知るところ、奉じる信念、すべて欠陥のない人はないからである。
 かつての大日本帝国に殉じ、天皇陛下のために死んでいった人々の尊さはどこまでも美しい。しかし又、日本軍に蹂躙された大陸や南方の国々の人々の前で日の丸の旗をかかげることを遠慮するのは当然である。自分の国の失敗や罪を認めた上で、その下で忠誠心をもって死に、また生きた人々を尊敬し、そして被害を受けた国々に懺悔陳謝するのはすべて正しいことであると思う。
 日(一九九九年二月二八日)の「週報」の《巻頭短言》の二・二六事件にふれた短文につけ加えて、思うところを書いてみた。 

       

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